私がその男に出会ったのは、駅前でポケGOのジムバトルをしていたときだ。
夏休みでも春休みでも冬休みでもない平日の午後の中途半端な時間帯。
そんなときにのんびりポケGOをしている初老に近い中年男がいたとしたら、それは私のように基本無職、時々仕事というのんきなフリーランスである可能性が高い。悪いか。
私は今日もポケGOをひとしきり楽しんだあと、コンビニでおにぎりと一人用のお総菜を買って帰り、7時のニュースを見ながらテレビ相手に思い切りつっこみまくる予定なのだ。
と思っていたら不意に見たことない男に話しかけられた。背が高くやせていてどことなく、いや明らかに陰気だ。しかも、まだ9月というのに冬物のダークスーツを着ている。黒めがねに口ひげなんか生やしている。わざとらしい。
「失礼ですが、小田原田さんですよね」
突然名前を言われて驚いていると相手は
「ちょっとお話があるので、そこの店でお茶でもいかがですか。あなたにとってとてもいいお話です。あ、いや、そのハピナスを倒してからでいいですよ。そうそう、ハピナスにはやはりサイドンですね、ストーンエッジが『効果ばつぐん』ですから」
などという。そして私が迷っているのを察して
「おごりますから」と付け加える。私はあっさりついていった。もちろんジムバトルに勝利し、カイリューを配置してからだ。
テーブルに着き、注文したアイスオーレが運ばれてくると、男は他の客には聞こえないようにボリュウムを抑えながら言った。
「実は私は悪魔でして」
「は?」
「正確にいうと悪魔の集合体である『悪魔』という組織に属する下っ端の悪魔。まあ営業担当のようなものです」
「営業担当の悪魔」
「はい」
「営業ってなんの」
「そこです」
男は自分も同じものをと注文したアイスオーレを、ストローで一気にぴゅーっと半分くらい飲んだ。やはりダークスーツが暑いのだろう。私も飲んだ。
「小田原田さん、将来設計について考えておられますか。おもに経済的な意味ですが」
いきなりか。いきなりそんな質問をするか。私の最も痛いところをそんなに簡単についてくるとは。
「考えてません」
「でしょうねえ。あ、お気を悪くしないでください。たいていの人は考えているようでそれほど真剣に考えていないのです。だいたい考えたくても未来のことは誰にもわかりませんから、考えようがないわけです。自分がいつまで生きるのか、どれくらいの生活費が必要か」
「まあね」
「ところがわれわれには人間の寿命がわかるわけですよ」
男の陰気な目が一瞬光を放った。ように見えた。
「えっ。あ、そうか……悪魔だから……そうなんだ!」
「自分の寿命を知りたいと思いませんか」
「いや……そんな……知りたくないよ」
「そうですか?」
男は指先で口ひげをひねりつつ薄笑いを浮かべる。
「つい最近、小田原田さんのお知り合いの魚田さんが亡くなりましたよね」
「ああ、魚田さん。そうです。魚田さんとは地元のサークル仲間なんでお葬式にも行きましたが、その死に方について話題になったもんです。みんな口々に『自分もあんなふうに死にたいもんだ』と」
「それはどんな死に方でした?」
「魚田さんは生涯独身だったのですが、自分の死後の後始末に必要な費用だけはきちんと残し、それ以外は何も残さなかった。いくつかあった銀行口座も、預金残高はほぼゼロだったらしい。身の回りのものはすっかり整理されて、残されたのは質が良くて中古でも買い手がつきそうなもの、それ以外は処分されてました。日記など見られたくないものはすでになかった。あまりに整理されすぎてて、自殺じゃないかと疑う人もいたくらいだったけど、そうではなく普通の病死で……」
言いながら私ははっとした。
「え、まさか?!」
男は口ひげをくりんくりんにねじれさせながら、ちょっと間をもたせて
「そのまさかなんですよ」
そう言うとやおらトーンを上げて説明を始めた。
「自分は何歳まで生きるのかがわかればお金を計画的に使えるではないですか。寿命がいつまでとわかっていたらそれにあわせて可処分所得や支出を見直し、本当にやりたいことを優先できる。資産を使い切ったところで死ぬ。これが理想。しかし、なかなかそうはいかない。もしもに備えて自分のやりたいことは後回しにして、働きたくもないのに我慢して働き続け、なのに思ったより早く死んで財産なんか一銭もくれてやりたくないやつらに残すことになる。これがよくあるケースです。もちろん子孫のために財産を残すのもいいが、独身で親兄弟もすでにない人の場合は面倒なことになる。天国から『ああ、こんなことならもっと自分のために使えばよかった』と後悔しても後の祭りです。一方で、まじめに働いてもどうせ短い一生、と思っていたら意外にそうでもないかもしれない。人生は大ばくちですから」
「そういえば、魚田さんもけっこうグルメだったんですが、最近は高級な店に行く頻度が高くなっていたような。カメラやパソコンも最新のものに替えてたし、旅行にもよく行ってた。仕事が順調なんだなと思ってたけど、そういうことだったのか」
「わかっていただけましたか。小田原田さんも、もしご興味があれば、当方と契約していただくことをおすすめしますが」
「契約」
「はい、私どものほうでデータセンターにあたれば小田原田さんの寿命はすぐにわかります」
「いや、だからそれは」
「そこで、残された人生、いかにお金を蓄え、資産を有効活用していけばいいか私どもでアドバイスさせていただきます。これほど正確なアドバイスはありません」
「要するに悪魔がファイナンシャルプランナー始めたってことですか!」
「ふだんいかに脳天気にみえる小田原田さんといえども、将来に関する心配、不安は、心の奥深くでどす黒い澱のように貯まっているはずです。時折いやな夢をみて目が覚めたりしませんか」
「あります、あります!」
「私どもにおまかせいただければそんな不安はなくなります。どうせ人間、いつかは死ぬのです。私どもが行いました『死に対する意識調査』によると、死ぬのは仕方ないけどいつ、どのように死ぬか、老後破産しないか不安で夜も眠れないとおっしゃる方が8割を占めます。残りのうち1割は『よくわからない』残り1割が『むしろ楽しみ』でしたが」
「あやしいな、その調査」
「ご要望によっては安楽死部門とも連携できますので、もう完璧、何の心配もございません。いかがです、自分の時間とお金を好き放題に使える。それでこそ自分の人生ではありませんか!」
冷静沈着陰気な悪魔がストローを持ったまま思わず力を入れたので、アイスオーレがびちゃっとスマホにかかった。そのスマホの画面を見ると突然ライチュウが出てきたので、私はあわててライチュウをゲットして、それから話に戻った。
「なんでしたっけ」
「いや、ですから」
「えっと。そもそも、営業っていうからにはそちらさんも利潤を追求されるわけでしょうけど、どこから利益が出るのか……」
「もちろん、手数料ですよ」
「あんまりお金ないんですけど」
「われわれがほしいのは人間の命です。つまり、手数料としてほんの少し寿命をいただきます」
「えーっ」
「いいじゃないですか、ほんの少しくらい寿命が短くなっても。そんなもん食パンの8枚切りと6枚切りとの差ほどもありませんよ」
「そうかなあ」
「だいじょうぶですって。何せわれわれは全世界的規模で活動しております。おひとりおひとりのご負担はごくごくわずかで済むようになっております。その上、どなたかをご紹介いただければそれがポイントとなりますので、場合によっては収支とんとん、ということもございます。魚田さんにも何人かご紹介いただきまして、その一人が小田原田さんだったというわけです」
「そうだったんですか!」
「とりあえずご興味をお持ちのようですから、一旦本部に持ち帰りまして、小田原田さんの寿命をデータセンターで調べてまいります。よろしいでしょうか」
「うーん、まあ見積もりだけってことですよね。じゃあ、お願いします」
こうして私は悪魔といったん分かれてコンビニでおにぎりと総菜を買い、7時のニュースを見ながら「何じゃそら」「あほかおまえは」「もっとまともなニュースはないんかい」とこの国の劣化ぶりにつっこみを入れまくった。次の日にはもうあの陰気な口ひげ男のことはほとんど忘れていた。
数日後、私はまた駅前であの口ひげ男、悪魔に声をかけられた。そういえば連絡先もなにも教えなかったのだが、ほとんど毎日その場所でポケGOをするのがばれていたのだろうか。油断できぬ。やっぱり悪魔というだけのことはある。
それでわれわれはまた同じ店に入った。
「実はですね。小田原田さんのデータを取り寄せたのですが」
「は、はい」
さすがに私は緊張した。
「たいへんなことがわかりました」
「えっ」
「小田原田さんはものすごく長生きされるのです」
「長生き?」
「はい。なんといいますか、長生きも長生き、もうギネスものというレベルで……」
「私が?」
「はい。本来たいへんおめでたいというべきことかと思いますが、小田原田さんの現在の資産状況、あるいは今後の見通しということをあわせて考えますと、その、たいへんきびしいことになるわけでございます。何せ現在59歳で蓄えがほとんどない。借金あり。フリーで請け負ってる仕事も減少気味。年金見込額も調べました。雀の涙とはこのことでしょう。今後相続を期待できる裕福な親類縁者も見当たりません。なのにのんびり毎日ポケGOをやっている、ということですよね」
「はあ」
「将来のこの国の状況を考えますと、福祉面もあまり良い方向にいくと思えません。今以上になんでも自己責任だと言われるような社会になるでしょう。いったいどうするつもりなんです」
悪魔が生活指導の先生にみえてきた。
「私どもでもあまりのことにスタッフ一同頭をかかえました。本来なら手数料をいただくところですが、さすがに良心がとがめます。小田原田さんについてはこの際ビジネス抜き、無償でアドバイスさせていただこうかということになりました。これは極めて異例のことでございます」
「はあ」
「今日から私のアドバイスに従って生活していただければ、とりあえずホームレスになって凍死とか腐乱死体とかいう事態からは逃れられるでしょう」
「ほんとですか。それは助かります。よろしくお願いします!」
私は心底安心した。気持ちがぱーっと明るくなった。つまり、確かに自分は心の奥で将来への漠とした不安を感じていたのだ。だから何をやっても心から楽しめなかったのだ。これからは安心だ。私は帰りに思いっ切りジムバトルとレイドバトルをして自分のポケモンたちをぼろぼろにして帰った。ざまあみろ。
翌日、コンビニで総菜とついでにビールのあてを物色しているとどこからともなくすーっとダークスーツに身を包んだ悪魔が現れた。
「何してるんですか、小田原田さん!」
「何してるって、買い物してるんですけど」
「こんなところで買うと割高です! 駅前のスーパーで買うほうが安い!」
「ええっ、別にいいじゃないですか、このくらい」
「あなたにはぜいたくする余裕はないんですよ! これはあなたのためを思ってのアドバイスです! こんなことしてるとあなたの将来は老後破産でホームレスで凍死ですよ」
わかったわかった。
私は仕方なく駅前の大きなスーパーに行った。確かにスーパーのほうが安い。だけどコンビニにしかないものもあるんだよねー。そうだ。トイレットペーパーも買わないと。トイレットペーパーはやっぱりスーパーだろう。手にとって見てるとまた悪魔がつつつつとやってきた。
「何をしてるんです、小田原田さん!」
「いや、このトイレットペーパー12ロールを買おうかと」
「チラシをチェックしてないんですか! それは明日だと奉仕品で228円で買えるんです。なんでわざわざ今日、平常価格の398円で買うんですか!」
「だってトイレットペーパー切れてるし」
「がまんしなさい、今日一日」
「いや、がまんって……」
だんだん悪魔が田舎の口うるさい親戚みたいに見えてきた。
「だいたい、小田原田さんはiPhone使っておられますよね」
「はい」
「はっきり申します。格安スマホに替えるべきです」
私はむかっとした。
悪魔は家にまでついてきた。玄関の電気がつきっぱなしだと怒る。水を出しっぱなしで歯を磨くと怒る。冷蔵庫の中身をチェックして無駄な買い物が多いと怒る。ポケGOをしてると「そんなひまがあったらハローワークに行くべきです」と言う。大根をむいて皮を捨てようとすると皮までちゃんと食べろと言う。
「クックパッドにレシピが載ってるはずです」
おまえは小姑かまま母か!
3日目に私は耐えきれなくなって叫んだ。
「あー、もうほっといてください! もうアドバイスも何もいりません、私は勝手にやっていきます。いいんです、もう」
「何ですと。契約破棄ということですか」
悪魔は眉間にしわを寄せ、目玉を飛び出させ、顔を青紫にして陰気な顔をますます陰気にした、どころか、たいていの人は恐ろしさに縮み上がるだろうというレベルの形相で私をにらみつけた。だが私もひくにひけない。
「そ、その通りです」
「どうしても、ですか」
「ええ、どうしても、です」
「ほほー、そうですか。それなら……」
悪魔は口角を耳元まで引き揚げ、に、た〜〜〜っと笑った。
「その場合はこれまでの懇切丁寧なアドバイスにかかった諸費用に所定の係数を乗じた額と違約金および慰謝料をいただくことになります。実際はそれに相当するあなた『いのち』を寿命から差し引かせていただくことになりますので……」
悪魔は電卓に似た道具ををぱぱぱっと操作して私の目の前に突きつけた。そこには私の寿命が尽きる日が記されていた。
6日後
「ぼ、ぼったくりだろっ!」
私は叫んだが、悪魔は振り返りもせず出ていった。
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/
夏以来、仕事がばたばたしていて休載が続いていたけど、やっと一段落した。二か月以上のご無沙汰でした。また書けて、とてもうれしい。今後ともよろしく!
で、どうでもいい話ですが、最近100円ショップで買ってよかったのは椅子の脚にはかせるカバー。前から「こんなもの役に立つのかなー」と思いつつ横目で見て通り過ぎていたが、ソックスみたいなデザインがかわいくてつい購入。台所の椅子の脚にはかせると、確かに椅子をひくときのごりごりいう音がなくなる。団地生活には必需品だったのね。知らなかった。
たまにすぽんとひとつ、脱げてたりすると「あららー、脱げちゃったね、よしよし」と言いながら、またはかせてあげるのも楽しいです(笑)