映画ザビエル[64]過去が追いかけてきて、追い抜いていく
── カンクロー ──

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◎ノクターナル・アニマルズ

英題:NOCTURNAL ANIMALS
公開年度:2016年
制作国・地域:アメリカ
上映時間:116分
監督:トム・フォード

出演:エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン

★だいたいこんな話(作品概要)

アートギャラリーのオーナーであるスーザンは、人並み外れた成功の中にあるように見えた。まるで外交官の公邸か、小さな美術館のような豪奢な自宅、20年連れ添った夫は、容姿端麗な会社経営者。自ら主催した展覧会も成功を収めたと言って良い。

しかし実際には、夫の会社は苦境にあり破産寸前で、夫婦の関係も上辺を取り繕うばかりの冷めきった状態だった。そんな中、スーザンのギャラリーに上梓前の小説が届く。

それは、大学院生の頃ごく短期間結婚していた、前夫エドワードから送られてきたものだった。エドワードは当時小説家を志していたが、うまくいかず、現在は進学校の教師をしている。

その小説は春に刊行が決まっていて、現在は校正段階にあると言う。スーザンとの別れから着想を得た作品なので、目を通して感想を聞かせて欲しい、とメッセージが添えられていた。

作品は、スーザンの知る20年前のエドワードの小説とはまるで作風が異なり、センセーショナルで暴力的だったが、力強く惹きつけられるものがあった。

送られてきた小説「ノクターナル・アニマルズ」の虚構、そしてスーザンの現在と過去の現実が、密接に絡まり交錯していく。





★わたくし的見解/壮大なる意趣返し

ずっと、トム・フォードの映画を観てみたいと思っていた。

監督のトム・フォードは、本来ファッションデザイナーだ。20年ほど前、死に体に近かったグッチ、およびグッチグループの高級ブランドを復興させた人物、という印象を私は持っている。

現在、自身の名を冠するブランドを持って久しい彼だが、ファッションや高級ブランドにあまり興味のない人でも、近年の「007」のジェームズ・ボンドのスーツは「トム・フォード」のものだと言えば、雰囲気が伝わるだろうか。

と言いながらも、私は彼のブランドの愛好家でもファンでもない。古めかしく思えた頃のグッチも、現代的にスタイリッシュに復活した後のグッチも所有したことはないし、手にすることを憧れたこともない。

にもかかわらず、初めて監督した前作「シングルマン」(2009年の作品)の時から、とても気になっていた。「シングルマン」の時も、本作の劇場公開時も手が出せなかったのは、お洒落なだけの映画なら避けたいと思っていたからだ。

学生の頃なら、お洒落なだけの映画に時間を費やしても構わない。けれど年々、体感としての時間の経過速度が加速する一方なのに、そんな贅沢な時間の使い方はしていられない。

「ノクターナル・アニマルズ」は、とても美しい映画だが、決してお洒落映画の枠にとどまらない。ヒロインの内面を丁寧に描いた、スリラー映画(恐怖映画という狭義よりも、ミステリーやサスペンスの要素が強い)として見事に確立している。

別れてから20年。スーザンから連絡しても、一方的に電話を切ってしまうような態度だった前夫エドワードが、「スーザンに捧ぐ」と記し、送りつけてきた小説。

その映画内小説「ノクターナル・アニマルズ」は、かつてスーザンが知っていた頃のエドワードの作品とは全く異なるものだった。あまりにも暴力的な内容に衝撃を受けるスーザン。しかし同時に、あの頃のエドワードが、どうしても書けなかった力強い作風に心奪われる。

小説では、ある男が妻と娘を連れた家族旅行の途中、深夜のハイウェイでチンピラにからまれ、妻子を奪われ無残にも殺されてしまう。一人残された男は、担当捜査官の協力を得て、最後には復讐を遂げる物語。

スーザンは、現在の夫が出張で留守の週末、広い豪邸でたった一人、送られてきた小説を手にとる。登場人物の名前もエピソードも、何ひとつ現実にあったものではないのに、物語のあまりの臨場感に、スーザンは度々いても立っても居られなくなる。

その都度、時には出張先の夫に、あるいは離れて暮らす娘に電話をかけるが、会話はわずかで終わり、改めて自らが置かれた孤独を思い知るだけだった。その中で、かつての夫エドワードと過ごした数年間を思い返すようになる。

小説を読み進めては、過去を振り返る。そして現在のスーザンの生活。この虚構と記憶と現実の繰り返しを見せられることで、鑑賞者はスーザンの心境と、小説で描かれているのはエドワードの物語であることが分かってくる。

20年前に妻子を失ったエドワードと、妻子を奪われた小説の主人公とがリンクしていく。

エドワードが自己を投影させた小説の中で、彼は著者として、明らかにスーザンを投影した妻を(他者によって奪われた形をとりながらも)殺し、それによって主人公も死に至る物語。

これは、自分を捨て去り打ちのめした、かつての妻への復讐に他ならない。スーザン自身も恐ろしい程そう感じているのに、それ以上に、これほど見事な小説として昇華させたエドワードを誇りにさえ思うのだ。

この映画のスリラー(サスペンス)要素は、映画内小説の展開にささえられている。

虚構である小説の部分が、最も現実味のある映像表現になっていて、スーザンほど動揺しないまでも、観ていると心がざわついてくる。ジェイク・ギレンホールの演技力によるところも大きいが、そこにある温度や湿度まで感じられるようなリアリティーがある。

対照的にスーザンの現在は、現代アート的な作り物のリアルのようで、徹底的に無機質で空虚。また、スーザンが思いを馳せる過去は、やはり彼女の記憶に頼るものなので、少し夢想的。現実の過去と現在は、違うタッチながらも、やや絵空事めいた描かれ方をしている。

リアルな虚構と、現実味に欠ける現実。

この三つの物語の見せ方に感心した。評論のいくつかに、イメージの近いものとして、デヴィット・リンチの名前が挙げられているのを見たが、あの恍惚感を保ちながら、もっとシンプルで分かりやすい親切さが、この映画にはある。

ずっと無彩色を身に纏っていたヒロインに、ラストで色味のあるドレスを着せるのは、ニクい演出だと思う。あえてフルメイクをやめて、エドワードに会いにいくスーザン。ジェイク・ギレンホールだけでなく、エイミー・アダムスも大変に巧い人で、退廃的な美しさがあった。

実は、ちょっと後悔している。

何年先になるか分からないが、今度トム・フォードが映画を撮った時には、必ず映画館へ足を運ぼうと思った。


【カンクロー】info@eigaxavier.com

映画ザビエル http://www.eigaxavier.com/


映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。

時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。

私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。