◎雨の日は会えない、晴れた日は君を想う
英題:Demolition
公開年度:2016年
制作国・地域:アメリカ
上映時間:101分
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ、クリス・クーパー、ジュダ・ルイス
●だいたいこんな話(作品概要)
ある朝デイヴィスは、自動車事故に遭う。助手席にいた自分は軽い怪我で済んだが、運転席の妻は担ぎ込まれた病院で亡くなっていた。
デイヴィスは、突然の出来事を上手く飲み込めず、事実を頭では理解していても感情がついてこない。
妻の死に何も感じられないまま、葬儀の日を迎える。他人事のような感覚で葬儀に参列しながら、事故の日、病院の待合いで自販機が故障し、チョコレートを手に入れられなかった件についての苦情の手紙を書き始める。
デイヴィスは、苦情よりもチョコレートを買うに至った経緯など、自らの身の上を書くことに夢中になる。
交通事故で妻を失ったこと。車には自分も同乗していたこと。妻の父親が経営する投資会社に勤めていること。それなのに通勤電車で毎朝会う男性に、自分はマットレスのセールスマンだと嘘をついてしまったこと。
見ず知らずの、自動販売機メーカーの顧客担当に宛てて、とりとめもなく書き綴った手紙は、何枚にも何通にも至った。
ある晩、手紙の内容に感銘を受けたと、顧客担当の女性から電話がかかってくるのだが。
●わたくし的見解/アメリカ版「永い言い訳」
昨年公開された作品なので、すでにあちこちで突っ込まれているのだが、邦題で失敗していることは否めない。
この情感あふれる邦題に見合った内容ではないので、ちょっと紛らわしい。では、どのような内容かと言えば、主人公は原題(“Demolition”)どおり、劇中ほとんどの時間を「解体」あるいは「破壊」に費やしている。住宅の壁を壊すような大きなハンマーや、ブルドーザーを使って。
だからと言って、「解体」というタイトルの映画など、誰が観に行くものか。建設事業にまつわるドキュメンタリーか、シリアスなイラン映画ならまだ可能性はあるにしろ、観客動員よりも、まず上映館数が極端に減ってしまう。
物語は、妻や結婚生活に関心を失っている男が、突如妻を失った様子を描いている。制作年度や公開年度を見ても、本当に偶然としか言えないが、西川美和監督作品「永い言い訳」と設定がとても似ている。
どちらの作品の主人公も、周囲が期待するような形で、妻の死を悲しむことが出来ず困り果てている。涙が出るとか出ないとか、そんなのは表面的なことだから構わないとして、とにかく感情が湧き上がらず途方に暮れる。
妻の死後に知り合った親子との交流で、主人公が少しずつ、本来あるべきものを取り戻していく流れ。そして、悲しみのないことに罪悪感さえ抱いていたのに、物語の中盤で、亡き妻から手痛いしっぺ返しを食らうところまで、二つの作品は要約すると本当に同じような物語なのだ。
しかしながら、同じ食材でも違う料理が出来上がるように、単に日本とアメリカの違いにとどまらず、きちんと違う物語になっている。カレーと肉じゃがくらい、この二つの作品はちゃんと違うのだ。
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」は、序盤で主人公が言っているように、“すべてが、metaphorになった”作品だ。
物語の説明をする時に「これは一種のメタファーで」と述べるのは、いかにも中二病的で個人的にとても恥ずかしく、他に適当な表現はないものか大変迷うところなのだが、本作に関しては、もはや比喩であって比喩でないところが面白い。
手紙は、特定の誰か宛てでないからこそ、正直に自分の感情や結婚生活についてまで書き連ねることが出来たに違いない。これには、書くという行為で自分や自分の置かれた状況を客観視できる、心理学的効果が期待できる。
主人公は、苦情の手紙という体裁のものを書くことで、セルフセラピーを行なっている。映画に描かれていないだけで、本当はカウンセラーに勧められて書いたのかも知れない。
同じように、彼自身をとり戻す(再構築する)ために「解体」する必要があったのだけれど、比喩としての解体ではなく、実際に自宅も自宅以外の家も壊していく様子は見どころだ。
自販機メーカーの顧客担当として電話してきたのが、ナオミ・ワッツ演じる(美人で絶妙に幸薄そうな、現在の宮沢りえファンあたりには堪らない)シングルマザーなのに、ロマンス要素は少ない。
彼女は「何も感じない」と感じている主人公の長い手紙から、それは大き過ぎる喪失感によるものだと知っていて、それこそカウンセラーのような役割を果たしていく。いわゆる一線は超えないところも、まさにカウンセラーのようだ。
後半にいたっては、ほとんど彼女の息子との交流が中心になっていくのも、実にさっぱりとしている。テーマの割には、しんどい思いをせずに鑑賞できる、邦題とは真逆の、ドライで軽やかな作風が本作の魅力でもある。
作品全体を振り返っても、ふわふわしていると言うか、やはり全体的に象徴的と言うか、“すべてが、metaphorに”感じられる。主人公が再生する過程(解体と再構築)の、イメージを見せられているような映画だった。
失ってから、大切にするべきだったものを、ないがしろにしてきた自分に気付く。よくある喪失と再生の物語なのだけれど、人生に喪失は付きもの。でも自分の人生で、失ってから大切なものに気付くなんて、あんまりだ。
よくある物語は、きっと本当によくある事なのだろうから、つい忘れてしまわないように、時々は自分への戒めと思って観るべきなのかも知れない。
【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル
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映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。
時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。
私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。