◎サスペリア
原題:Suspiria
公開年度:2018年
制作国・地域:イタリア、アメリカ
上映時間:152分
監督:ルカ・グァダニーノ
出演:ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、ミア・ゴス、クロエ・
グレース・モレッツ
◎だいたいこんな話(作品概要)
1977年のベルリン。スージーは、「マルコス・ダンス・カンパニー」の入団オーディションを受けるために、米国オハイオ州から単身でやって来た。
スージーは、カンパニーの代表作「民族(VOLK)」の作者であり振付師のマダム・ブランの目に留まり、一気に主役の座に登りつめる。
マダム・ブランの指導の下、スージーは舞踏にのめり込むあまり一時的な虚脱状態を引き起こす。時を同じくして、カンパニーで不可解な出来事が続く。
すでに退団したとされるダンサー、パトリシアの失踪を、主治医だったクレンペラー博士が警察に調査依頼するが、カンパニーは無関係を装う。しかし、姿を消したダンサーは、パトリシアだけではなかった。
団員のすべてが共同で生活を送っている名門カンパニーで、一体何が起こっているのか。
1977年制作、ダリオ・アルジェント監督によるイタリア・ホラー映画の金字塔「サスペリア」のリメイク作品。
◎わたくし的見解/里帰りしたオカンに魔女がめっちゃ怒られる話
私は、77年のオリジナル作品「サスペリア」を観たことがありません。76年生まれなのでリアルタイムでは無理ですが、後追いで鑑賞する機会はあったのに、ただ単純に好きではなかったのです。
若かりし頃の私は、血がいっぱい出てくる、いわゆるスプラッタホラーの類は、中身のないつまらない映画だと決めつけていました。それでも「決してひとりでは見ないでください」というキャッチコピーは印象的で、どのタイミングで目にしたのか耳にしたのか、不思議と記憶に残っています。
今回のリメイク作品は、旧作とはかなり違うと評判です。
実際、オリジナルを知らないながらも、ホラー映画としてはあまりに複雑な内容について色々調べていく中で、「リメイクではなく再構築だ」「トリビュートだ」というメディアのコメントに、私もまったく同感です。
とくに本作の肝は、オリジナルではまったく触れられていない、77年のドイツ、という舞台を前面に打ち出しているところです。カンパニーとクレンペラー博士の住まいは、西ドイツの西ベルリンにあります。
当時のドイツは東西に分かれており、ベルリンも壁によって分断されていました。カンパニーの目の前にベルリンの壁はそそり立ち、クレンペラー博士は東ベルリンにある別荘と頻繁に行き来する際、その都度税関のような場所で許可証やパスポートを提示する手続きを行います。
ストーリーは、カンパニーの内部で秘密裏に行われている残忍な魔女の儀式が軸ですが、その背景では、ドイツ赤軍が行なったハイジャック事件の報道が連日くり返され、一般市民の生活も脅かされている様子が描かれています。
ヒロインのスージーが、アメリカからベルリンへやって来た当日も、街で爆破事件が起きていたり、77年の後半は「ドイツの秋」と名付けられるほど、多くのテロ事件が勃発していました。
「ベルリンの壁崩壊」以前の分断された時代のドイツの社会情勢について、実はあまり知りませんでした。しかし70年代は、ドイツに限らず世界中で、資本主義と共産主義の争いが水面下だけにとどまらず、内戦やテロなどの暴力に発展していたのも事実。
ハイジャックや赤軍と聞けば、日本でも「よど号事件」がすぐに連想されたりと、不穏な時代であったことは想像できます。暗い社会背景とカンパニーでの不可解な出来事は、相乗効果で観るものを不安にさせます。
しかしカンパニーの、特に運営側に立つマダムたちは、驚くほど世間に無関心であることが物語のポイントでもあるのです。表向きは舞踏団として生き残った彼女たちは、元来は「魔女」として世の中から迫害を受け、排除されてきた歴史があります。
自分たちを苦しめてきた世間が、東西の分断に苦しめられようとも、目の前に壁があろうとも、知らぬ存ぜぬの姿勢を貫くのは、それほど不思議なことではないのかもしれません。そんな事よりも、自分たちが生き残るため古いしきたりにのっとり、若いダンサーを犠牲にして禍々しい儀式を行うことが重要なのです。
そのカンパニーの中で、マダム・ブランは代表の座を争うほどのポジションにいるのに、少し違う方向性を模索している革新的な存在です。
舞踏団の存続が最重要事項であることは、他のマダム(魔女)と同じなのに、性急に儀式を執り行うことに抵抗を示します。しかし、カンパニーの代表はマダム・マルコスであり、選挙で選ばれた彼女の意向を覆すことは出来ません。
マダム・ブランの葛藤は、スージーが舞踏団に加わったことで、さらに強くなります。他のマダムにとって、スージーは恰好の生贄でしかないのに、マダム・ブランだけは彼女が何か特別な存在であることに気づいていました。
ヒロイン、スージーの設定も実に凝っています。オリジナルでも、世界的に有名なダンスカンパニーに憧れて、アメリカからやって来た設定ですが、旧作はニューヨーク出身なのに、本作ではあえてオハイオ出身であることを強調しています。
旧作のスージーは、魔女の儀式に巻き込まれる被害者的な立ち位置なのに対し、本作のスージーは、運命に引き寄せられ悪い魔女を粛清しに来た、ちょっとヒロイックな存在です。
オハイオ出身のスージーは、自身でもメノナイトであると明かしています。このことは彼女のルーツが元々ドイツにあることを示し、アメリカ生まれなのに、子供の頃から何故かベルリンへの執着が強かったスージーは、数世代ぶりに故郷に帰って来たという筋書きです。
帰郷の目的は、いつの間にか間違った方向に邁進する魔女たちの道を正すため。初めは自覚もなく、引き寄せられるようにやって来たスージーは、カンパニーのどの魔女よりも大きな力を持つ、始祖(母)であった。と言うオチなのですが、そんなの正直めっちゃ分かりにくいです。
オリジナル作品の持つ要素を、監督独自の視点で解釈し、かなり深く掘り下げ再構築しているため、とても複雑であらゆる情報が渋滞しています。ただ、それらの情報が、後出しジャンケンのような乱暴な詰め込み方ではなく、丁寧な散りばめ方をされている点は敬服しました。
初見で理解するのは簡単ではありませんが、複雑な要素を改めて紐解くのは、個人的には興味深い作業でした。難解でも気になってしまう感じは、「エヴァンゲリオン」に初めて遭遇した時に少し似ていて、作品の面白さを支えている部分でもあると思います。
実は鑑賞中の特に前半は、あまりの気味の悪さに後悔していました。ところが見終わってみると、案外悪くないと思えたのです。
コンテンポラリーダンスの演出は圧巻ですし、トム・ヨークの音楽は実に効果的に機能しています。同時に、この上なく不気味な美しさを放つ作品を支持したいけれど、このような賢しい作品が嫌われるのも理解できます。
ちなみに、ひとりではなく何人で見ようとも、おぞましさは変わりません。タランティーノがこの作品を観て涙したと言われていますが、つくづく変わってる人だなと思いました。
でも、ちょっと分かる気もします。
作品の中で、マザーと呼ばれている存在は、世の中の分断について無関心であることは恥で、罪悪感を抱くべきだと考えていました。また、すでにその事に心を痛めている人へは、その重荷を解き放ち去っていきます。やはり案外、悪くない物語なのです。
【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル
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映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。
時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。
私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。