ショート・ストーリーのKUNI[248]カフェにようこそ
── ヤマシタクニコ ──

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街を歩いていると前方にティッシュを配っている男が見えた。配っているといってもあまり積極的に配っているようではない。手にしているティッシュも少ししかないし、ほかにストックがあるようでもない。

と思ってよく見るとそれはティッシュではなくごく小さなチラシのようだ。そして、その男が私に近づいてくるではないか。たいていのチラシやティッシュ配りから無視され続ける地味な、世間では「おっさん」とひとくくりにされる存在であるこの私に。

そう思っている間にも男はぐんぐん近づいてきて、やがて私と文字通り目と鼻の先になり、こう言った。

「私どものカフェにいらっしゃいませんか」
「カフェ? 私はいまどきのカフェというものはあまり好きではないんだが」
「そういうカフェではないんです」
「セールスか何かか。私は見てだいたいわかるように、ろくに蓄えもない定年間近のサラリーマンだ」
「セールスではありません。どうぞ」

チラシには「OJKカフェ」と書いてあった。





「おー・じえい・けい・・・カフェ? えっと、なんでしたっけ、性同一性障害とか関係あります?」
「それはLGBTです。これは『思い切り、自分を、解放する』の頭文字をとったものです。来ていただければわかります」
「はあ」

案内されたのはビルの最上階にあるカフェだった。ドアを開けるとそこに広がる空間は思いの外広く、ほとんど体育館なみだ。外から見たときはそんなに大きなビルではなかったように思うのだが、ひょっとしてこのビルは上にいくほど広がっているのか。らっぱのように。いや、それとも最上階だけ特別に広いのか。きのこのように。ねじ釘のように。ともかく広い空間にたくさんの人々がいて、がやがやとにぎわっている。なんとなく昔の銭湯を思い出した。

男の後について、カフェ内を移動する。ある一角では中年の女がひたすら泣いている。ぼろぼろと流れる涙をぬぐいもせず、モニタ画面を見ながら嗚咽する。よほど悲しいドラマでも、と思ってのぞき込むと子猫があくびしている動画だ。

その隣では声を上げて大泣きしている女がいて、それは恋愛ドラマのクライマックスのようだ。互いに「うおおおおお」「ひいいいいいいい」と泣きながら、わかるわかると言わんばかりに肩をたたいたり、手を握り合い、さらに泣き続ける。

「あの人たちは思いきり泣きたいのに家族にいやがられたりしていつもがまんしていました。ここに来てやっと、自分の感情を解放することができたのです」男が説明する。

「え、でも泣きたかったらひとりで泣けばいいのでは」
「それで満足な人はそれでいいんですが、泣きたい、かつ泣きたいという思いを誰かとわかちあいたいのですね」
「はあ、なるほど」

また別の一角では反対にげらげらと笑いながら、なにかを一緒に見ている人たちがいる。笑うといってもけたはずれの、栓が抜けたような笑い方だ。なるほど確かに、日常の場で思う存分笑ったらつまみ出されそうな人たちではある。

また別のところでは白髪交じりの男がいて、向かいの席には中年の女がいる。

「ね、おなか空いてない? なにか食べるもの注文してこようか? そんなにすいてない? でもなんだか疲れてるみたい。甘いものをとるといいんじゃない?! 元気出るわよ! あら、風邪気味? ティッシュあるわよ、それとマスクも。いいのいいの、こういうときのために持ち歩いてるんだから! あ、髪に寝癖が。寝癖直しもあるわよ! あと、爪切りと絆創膏と折りたたみ傘と使い捨てパンツは常備しているからいつでも言ってね!」

「あの女性は他人の世話を焼きたいという願望が常にあり、しかもみんなから迷惑がられてついついがまんしていました。ここでは思い切り他人の世話を焼けるのでうれしい、と言ってます」
「え、あの二人はカップルではないんですか?」
「赤の他人です。男性は『世話を焼いてもらうのが大好きだけどふだんはがまんしている人』なんです」
「あ、そうなんですか! 確かにあんなにしつこく世話を焼かれているのに、ものすごくうれしそうに、にこにこしている!」

「世の中、がまんしなくてもいいような、ささやかなことをがまんしている人がたくさんいるのです。無理矢理自分の中にためこんでいる。それではしんどくなるばかりです。解放できたらすっきりするはずです。あなたも、ひょっとしたらそうではありませんか」
「いや、私は、そういうことはないですが」

急に言われて一瞬とまどったものの、そういえばこれまで何かをがまんしてきた、ということはない。平々凡々ながらそこそこ満足のいく人生だったし。そのことは感謝すべきなのだろう。

男は歩きながらゆっくり説明する。
「あの方は『思い切りExcelで精細な資料を作りたい人』でして」

男が示したところにはいかにもサラリーマン然とした小太りの男がいて、手には数十ページになろうかというExcelのデータをプリントアウトした、もはや書籍級の紙の束があった。

「例の件について資料をまとめてまいりました。○○地区におけるお昼の定食はどこがおすすめかという問題ですが、私の調べたところではこのように・・・一度ゆっくりご検討いただけましたら幸いでございます」

「おお、これはこれは、なんとすばらしい資料であろうか。いやはや、みごとでございますな、この華麗なるセル使い。ほれぼれいたします。並のExcelユーザーにはできませんて。これだけまとめるのはさぞかし大変でしたでしょう」

「いえいえ、とんでもございません。多少の苦労はむしろ喜びでもあります。あ、そこ、そこが特に苦労したところでございまして、はい、そこの背景色は特に・・・いかがでしょうか。あと、その次が、えっと、ここにつながっておりましてですね、はい」

「うおおおお、これはすばらしい! いやいや、ここまで出来る人はめったにおりませんぞ! 何やら小生、感動で胸が熱くなってきましたわい!」
「ページ数が多すぎましたでしょうか。つい興が乗ってしまいまして」
「なんのこれしき! 長すぎるなどという言葉は小生の辞書にありません! もっともっと長くてもけっこうです」

「あの資料を作った人は実際の会社では『こんなくわしすぎる資料はいらん』『紙の無駄』『こんな時間があるなら別の仕事をしろ』と言われ、せいぜい数ページの簡潔な資料でがまんしていました。自分を殺し、がまんにがまんを重ねてほとんど『うつ』になりかけていたところ、当カフェのことを知って、やってこられました。どうです、あのいきいきした表情は」
「確かに!」

「ちなみに、相手の方は『くわしそうな資料を自分では作らないが鑑賞したり愛でるのが大好きな人』です。当カフェで出会われました」
「えーっ。そういえば、資料を手にしてうっとりしておられる。ほとんど恍惚の表情だ。ああっ、資料を抱きしめている。愛撫している」
「きっと、あの方はあの方でがまんを重ねてこられたと思われます」
「ああ、はい」

カフェはほとんど迷宮の様相を呈していた。カフェといっていいのかどうかよくわからない。

「はーい、アサガオちゃん、お水ほしかったでしょー。待たせてごめんなさいねー。いまママがあげるから。うふふふふ。ママね、今日は水玉模様のワンピース着ているのよ。どう? うふふふふ。うん、そうなの。ママねー、水玉模様とからあげくんが、だーい好きなのー」

「あの人は一体どういう・・・」
「彼女は思いきりおしゃべりをしながら植木に水をやりたい人なんです。近所ではすっかり『おかしな人』と思われ、通報されそうになったこともありました。幸い、おしゃべりしながら水をやると喜んですくすく伸びるアサガオが見つかりまして」
「まじですか!」

なぜか室内に取り付けられた鉄棒で、何回も逆上がりをしている男もいた。

「あの人は思いきり人前で逆上がりをしたい、そしてほめられたい人なんですが、残念ながら『いい年をした大人に思い切り逆上がりをされたい人』にいまだに出会ってないのです」
「それは難しいでしょうねえ」

そのとき、一人の若くもない男が私の前を横切り、私の顔をちらと見て一瞬「ちっ」と言うような顔をした。言ったわけではないが、そんな顔をした。そしてそのまま通り過ぎようとした。私はむかっとした。

「すみませんが」
男は顔を斜めにして振り返った。その様子がますます私の何かを刺激した。それでも急に乱暴な言い方をしたくなかったので
「なにか私にご不満でもおありですか」と言った。
「不満なんかねーよ」
「なんですと。君、もう若者でもないのだからもう少し言葉遣いに気をつけたほうがいいのではないか」
「へー。これはまたありがたいお言葉だね」

「君のためを思って忠告しているんだ。いいか。私だって社会に対する不満がまったくないわけじゃない。おもしろくないこともある。今はこんな世の中だ。まじめに働いても報われると限らない。一部の人間だけが美味い汁を吸ってのうのうと暮らす。貧富の差は固定化され、簡単にひっくり返せるチャンスも見えない。だがな。だからといって八つ当たりして何になる。君を生んでくれたお母さんが、いまの君を見たらどう思う」

言いながら私は「あれ?」と思った。私は何を言ってるのだ。どこの説教親父だ。私の口がこんなせりふを。私はこんな人間だったか? そう思ってる間にも私の口からはどんどん言葉が出てくるのだ。どうなってる。

「お母さんは君を生んだ瞬間から、きっと、何をおいてもこの子を守ると決めたにちがいない。どんな辛いことでも耐えてみせると。お母さんの気持ちを考えたことがあるのか!私の母も、私を産んだ。母だから。母なんだ。母は、えー、駄菓子屋をやりながら私を育ててくれた。苦労して大学に行かせてくれた。君は何歳だ」
「63歳だ」

え、私より上か。私よりじじいなのか! 私は一瞬ひるんだが、なおも口が勝手に動く。年齢なんか関係あるものか!

「じゃあ、じゃあお母さんは相当のお年だろう。君がいい年をして礼儀のひとつも知らないでいると知ったらどう思う。お母さんを悲しませるんじゃない! 私はいいんだ。私はただ、君に言いたいんだ。人生、何が一番大事か。それは心じゃあないかと! お金じゃないんだ、見た目でも社会的地位でもない、心が大事なんだよ! どれだけ人の心を思いやれるかなんだよおおおお!!!」

言ってるうちに目の前の男、63歳のじじいの目がなんだか潤んできた。涙ぐんでいる・・・だけではない。なんだこれは。目が・・・目の中にハートが!

そして私は気づいた。くさいセリフを言えば言うほど、自分の中から何かがわき上がってくることに。それはどんどんふくれあがり、自分を高揚させ、まるで自分がひとかどの人間であるように錯覚させる。私は確信した。私の目の中にもハートマークが輝いているに違いない。なんてことだ! 私はこんなことがしたかったのか。

63歳の男はもう口答えをする気をなくし、なんだかくんにゃりとなり、ハートマークの目で私を見つめ、意味ありげにまたたかせた。全身で私への期待感を表している。
「もっと・・・お願い」

私をここに案内してきた男が割り込んで、私に言った。

「やっと解放されましたね! おめでとうございます! あなたはご自分で気づいていないだけで、『だれかに思い切り説教してみたかった人』なんですよ! 心配することはありません。人間、ある程度年をとるとだれかにお説教のひとつもしたくなる。それが普通です。だが、何百人かに一人、そんな程度では収まらないほど思い切り誰かに説教してみたい、欲求のマグマを胸に抱えている人がいるのです。恥ずべきことではありません。遠慮は無用です。こちらの方は『一見すねているようで実はべたなお説教をしてほしくてたまらない、にも関わらず年をとって誰も説教してくれなくなり悶々としていた人』なのです!」

「なんだって」
「私はあなたを初めて見たときからあなたのそういう隠された側面に気づいていました」
「うそだ」
「うそではありません。私にはわかります。なぜなら私も『べたなお説教をしてほしくてたまらない人』だからです。さあ、続けてください。私からもお願いします。早く・・・お願い! お説教して!」
「お願い!」

二人の男が目をきらきらさせて私を見ていた。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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iPhoneに「iOSなんちゃらは夜間に自動でアップデートされます」との表示。ふうん、そうか。ほな頼むわ。と思ってたら翌日も「iOSなんちゃらは夜間に自動でアップデートされます」・・・翌々日も「iOSなんちゃらは夜間に自動でアップデートされます」・・・

も、もしかして「iOSなんちゃらは夜間に自動でアップデートされますって何回も言っててアップデートされてなかったらええかげん自分でやったらどないやねん」という意味?!

で、手動でやりましたけど、何なんですかこれ。調べたら同じように、するすると言うばっかりなので結局手動でやった人、多いみたいですが。

<追記>設定の「モバイルデータ通信」をオンにしておかないとだめみたいだ。ふうん。いいよもう手動で。