ショート・ストーリーのKUNI[251]本当はこわい玉ねぎの話
── ヤマシタクニコ ──

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梅雨明けも近い今頃に何を言ってるんだと言われそうだが、初夏といえば新玉ねぎである。

かつての職場では、この季節になると決まって上司が「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と、それはそれはしみじみと、感慨深げに言うのだった。しかも仕事中。突然。

もっとも、その上司はいつも突然言う人だった。みんなが黙々と仕事してるときに突然、絶対おもしろくないジョークを言ったり、「ぼくな」と昔話を始めたり。

で、新玉ねぎの季節になると、予想通り「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と言うので、ああ今年もそんな季節かと思うのだ。





近くにはシーズンになるとしろうと相手に一株いくらかで玉ねぎ掘りをさせてくれて、おみやげに堀り立て玉ねぎを持って帰ることができるところがある。というより、玉ねぎなんて引っ張ればすっぽすっぽ抜けて何の感動もないので、単に「玉ねぎを買いに行く。ただし自分で掘る」というほうが近い。

「昨日も行ってきたんや。ほんで新玉ねぎを薄うく切って、カツオ節と醤油で食べたら、ほんまにおいしいな~~」。

「はいはい」というしかない。たまに「そうですね」とか「あ、私はドレッシングで」など言ってみたこともあるが、すると反応がない。気まずい沈黙。上司は、単にうっとりと玉ねぎ愛にひたりたいだけなのだとわかり、以来「はいはい」で済ませる。

私も、別に新玉ねぎがまずいと思ってるわけではない。でも、そんなにしみじみ言うほどのことかと思う。ほかにおいしいものいっぱいあるしね。わざわざほめたたえるようなもんですか、玉ねぎって?

ところが。

うちの母も、父が亡くなってひとりぐらしをしていたころ、ふらっと実家によると「玉ねぎっておいしいなあ」と私によく言ってたのである。

「私、玉ねぎ好きやねん」
はいはい。
「玉ねぎ、おいしいわあ」
はいはい。

「この間、思い切って玉ねぎだけ入れたチャーハン作ったら、ものすごいおいしかった」

それ、思い切るようなことか? と言いたくなるけど。あ、そうか。ひとりだから誰にも気兼ねせず、自分の好きなものを食べられるようになったということか。え? で、それが玉ねぎチャーハン? それがひょっとして、長年の夢だったってこと?!

「ほんまに、玉ねぎっておいしいなあ」
ここでもしみじみする人が。
「また作ろ」
なんぼでも作ってくださいそんなもん。

これは何なのだ。玉ねぎ愛を表明せずにおれない人が時々出現するのは、何なんですか。

ま、偶然か。

と思ってたら、いまは天国にいる夫が晩年(ということになるのかなあ)のあるとき、「おい!」というので振り返ると、「玉ねぎっておいしいな!」と大きな声で言ったのでびっくりした(夫は声が大きい)。3人目出現!

夫はまったくの料理音痴なのだが、その頃は家にいる時間が増えて、時々自分で簡単な料理をするようになっていた。その結果「玉ねぎっておいしいな!」になったようだ。

「はいはい」で済ませたいところだが、夫はすぐにキレる人なので「うんうん、玉ねぎっておいしいよね! 加熱すると甘みが出てね! 炒めてもいいし、お味噌汁にもあうしね! あ、ラーメンの具にもいけるかもね!」と、とっさに思いつく限りのオプションをあたふたといくつかつけておいたが、その後特に会話がはずんだ記憶もない。

夫も、とにかく言いたかっただけのようだ。なんじゃこりゃ。

いや、人には好きな食べものがいろいろある。クレープが好きだとかまんじゅうが好きだとか、シロノワールでもタピオカでもいい。肉が好きな人もいるしカレイの煮付けが一番好きな人だっている。

「牛丼が好きや」「○○屋のたい焼き、おいしいよね」などと、好きな食べものの話をするのはふつーのことだ。

でも、なんだろう。彼らが玉ねぎ愛を表明するときのあのしみじみ加減、ひとりでうっとりしてる感。ほかの食べものを語るときにはみられないような何かがある、とヤマシタは思うのであるが、それはひょっとして「玉ねぎごときに大げさな」という一種の偏見だろうか?

それに、上司はともかく、母や夫とは長いつきあいだったわけだけど、玉ねぎがそんなに好きだなんて、聞いてなかったように思うのだが?

とかなんとか思っていたら。

最近のことだが、私はある友人男性と、某カフェでアイスラテを飲みながらおしゃべりしていた。何の話をしていたか忘れた。大相撲の話だったか、どこかの国の総理の話だったか、それとも玄関灯を人感センサー付きLEDに替えようかと思うけどどない思う、とかの話だったか、覚えていない。不意にその男が言ったのだ。

「おれさ」
あ、まさか。

「最近思うんだけど・・・玉ねぎって美味いよね」
きたー!

「なんていうかな、前はそれほど思ってなかったんだけど、わかってきたんだよな。玉ねぎは美味いよ。まるごと焼いて食べるのなんか最高。もう、素材そのものの味がね、ほんと」

4人目出現!

もう、がまんできん。私は脳内会議を開催することにした。

私1「本日はお集まりいただきましてありがとうございます。さっそくですが、なぜ彼らは人生のあるとき、唐突に玉ねぎ愛を語りたくなったのか。何が彼らをそうさせたのか。いかがでしょう。みなさんの率直なご意見を伺いたいと思います」

私2「これはまー、何と言うか、たまってたんやね」

私1「たまっていた? つまり、玉ねぎ愛が、ですか。少しずつ蓄積されて、ある年突然、ばーっと花粉症になるみたいな、そんな感じでしょうか」

私2「ちゅうか・・・」

私3「ちゃうちゃう。むしろ反対やと思うね、私は」

私1「反対とは」

私3「その人たちはずっと玉ねぎをばかにしてたんです。ばかにするほどでなくとも無視してた。玉ねぎがどないしてん。ほかになんぼでもうまいもんあるやないかと。見た目もいまいち。目新しさもない。主役になれる食材でもない」

私1「御意」

私3「そのことの反動というか」

私1「反動、ですか」

私3「それはある夜のこと。ふと胸苦しくなって目が覚める。何やこれは。胸のあたりに何かかたまりがあってそれが胸を圧迫している」

私1「病気ですか」

私3「そのかたまりは自分の中の罪悪感が、長年月のうちに降り積もり圧縮され、固まったもの。それでようやく、自分がこれまでどんだけ玉ねぎをないがしろにしてきたか。無意識のうちに玉ねぎの人権を踏みにじっていたかということに気づく。気づかされる」

私1「玉ねぎの人権ですか。というか、自分でも悪いことをしていたという自覚が全然ないわけでもなかったと」

私3「そして反省する。ああ今まで悪かった、玉ねぎの気持ちも考えず。これからは真人間になって玉ねぎのためにつくそう、生涯かけて玉ねぎをほめたたえよう、そう固く決心する。胸のどす黒いかたまりはみるみるとけていき、気分はればれ」

私1「へー、そうだったんですか」

私2「ちゅうか・・・」

私4「あーお話になりません。性善説にもほどがある。甘過ぎ。へそが茶を沸かす。聞いてられない」

私3「なんやて」

私4「人間、そんなに簡単に反省する生きものじゃありません。なんというお花畑。確かに彼らはそれまで玉ねぎを軽んじてきた可能性がある。しかし、それが一転して玉ねぎ賛美派に寝返るとしたら、反省したからじゃない。そこには圧力があると考えるのが自然でしょう」

私1「圧力!」

私3「誰が圧力かけんねんな」

私4「具体的には言えませんが、玉ねぎに関わる某勢力とだけ言っておきましょう」

私1「ええっ」

私4「みなさんは人間がどれだけ愚かであるかわかっていない。同時に玉ねぎがどれほどしたたかな存在であるかもわかっていない。彼らは何気ないふりをして実は静かに見つめ、耳を澄ましているのです」

私3「何それ気色悪い」

私4「玉ねぎは大変地味な野菜です。ほぼ年中、どこででも買うことができます。たいていの家庭の冷蔵庫では、野菜室に玉ねぎが転がっていることでしょう。そして実際よく使われる。生活への貢献度としては抜群のはず。にもかかわらず、その存在は無視され続ける。単に『あるのがあたりまえ』で、使ったのは『ほかに何もなかったから』。積極的に評価されることはめったにない。意識すらされない野菜なのです」

私1「そ、そうかなあ」

私4「それでも、彼らは黙っています。人間達がそれ以上の愚かな振る舞いにさえ出なければ。ノースカロライナ州に住むエリックさんは善良な市民として生活していましたが、玉ねぎ嫌いで知られていました」

私1「え、急にノースカロライナ州」

私4「住民達は口々に言っていました。『ええ、私もずっと前から思っていたわ、エリックの玉ねぎ嫌いは、異常、だとね』『もし私が玉ねぎだったら、少なからず不快感を抱いたろうね。何しろエリックのやつときたら、口を開けばクソ玉ねぎめ! 玉ねぎに死を! だったからね』
そしてある日、その事件は起こりました。エリックは何者かに連れ去られ、丸一日安否がわかりませんでした。最終的にエリックは人気のないショッピングモールの一角で倒れているところを発見されましたが、それ以来人が変わったようになってしまいました。何より彼は・・・会う人ごとに玉ねぎがどんなにすばらしいかを熱弁するようになったのです。人々は驚きました」

私3「何なんですか、そのエピソード」

私1「エリック誰」

私4「だから言ってるじゃないですか。玉ねぎを丁重に扱わないと、どんな運命があなたの身にふりかかるかわからないということなんです」

私1「え、じゃあ『玉ねぎごときに』とか『わざわざほめたたえるようなものか』なんて書いてる私って、完全にアウトじゃないですか」

私3「そういうことやね。思ってるだけならともかく、それをデジクリの原稿に書くのは、やばいかも」

私2「ちゅうか・・・前からあんた、『あー、冷蔵庫の野菜は玉ねぎしかないか、がっかりや』とか『草木染めもいいけど、玉ねぎの皮で染めるって、貧乏くさー』とか『新玉ねぎってすぐ傷むから好かんわー。ほら、また腐ってる。うわ、くさっ』『このレトルトカレー、具は玉ねぎしか入ってないやん、ぼったくりや』とか、ようぼやいてたわなあ」

私3「ますますアウト」

私1「そんなああああっ!」

           *  *  *

・・・ここはどこだろう。頭が割れるようだ。確か私はデジクリの原稿を書きかけていたと思うのだが、急に後ろから何者かに強い力で押さえつけられ・・・いや、夢でもみていたのか? それはそうと、今日は何曜日だ。え、水曜? デジクリの原稿、早く書いて送らなくちゃ! だいじょうぶ。だいたいの内容は固まっているからすらすら書けるはずだ。タイトルも決まっている。「すばらしい玉ねぎ」だ。さあ、早く書いて、玉ねぎがどんなにおいしいか、どんなにすぐれた食材であるかを読者のみなさんに知ってもらうのだ。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/

http://koo-yamashita.main.jp/wp/


昨日(7月24日)の吉井さんのコラムを読んでいて「あ、そうか、今はことえりじゃなくて『日本語入力プログラム(Japanese Input Method)』なのか!」と、やっと気づいた。私はずっとATOK派で、「ATOKじゃないほうはことえり」だと思い込んでいた。

いつ変わったのかと思ったら、2014年のYosemiteからだとか。そうか。てことは、私はOSは古いままにしてるが、それでもまさにYosemiteなので、じゃあことえりじゃなかったわけで、じゃあ前回の私のコラムの一部は「?」なわけだけど・・・まあいいか。そもそもいまのその、えー、日本語入力プログラム(Japanese Input Method)とやらも、ことえりと同じくらい使いにくいから違和感なかった。吉井さんの記事は参考にさせていただきます。