エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[44]それは小さな流れかもしれないけれども◇仮面をつけた透明人間
── 超短編ナンバーズ たなかなつみ ──

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◎エッセイ

「それは小さな流れかもしれないけれども」

わたしはものぐさな書きもの修行中の超短編屋の身なので、時折書きたいものを思いついては、短い作品をちょこちょこと書いています。書きムラがあるので、次から次へと新作を紡げる時期と、長いあいだ創作ファイルを開かない時期とが混在していますが、無駄に長いあいだ創作に携わっているので、書いたものはそれなりにたまっていたりもします。

創作歴の割には作品数は少ないほうだと思いますが、noteやwebサイトでちまちまと一覧をまとめて、発表作へのリンクや作品を公開したりしています。

そして、ありがたいことに、作品は発表した時点ですべてが終わるわけでもありません。幸いにも、わたしの作品に目を通してくださった方がたが、それを別のかたちで公開することについて打診してくださることもあります。

豆本などの物理的な本のかたちにしてくださったり、アンソロジーに拾ってくださったり、朗読をしてくださったり。新たに作品を発表する場を提供していただいたり、電子書籍をつくっていただいたりもしました。最近は英訳のかたちで発表していただいたりもしています。





わたし以外の方々の手を通してできあがった新たな作品群は、確かにもとはわたしの書いたものですが、すでにわたしだけの作品というわけではなく、新たな形状をもち新たな魅力をもった新たな作品群です。

わたしはそれらの前では、単なる作り手ではおさまらず、むしろ鑑賞者になります。不思議な感覚をともなう経験ですが、とても贅沢な立ち位置だと思います。隅から隅まで自身の意図どおりにデザインする楽しみというものも当然あるけれども、別の誰かの手がそこに入ってくることで、作品に複層性という厚みが出てくるのもまた面白い。

また、作品を読む/観る/聴く方がた自身それぞれの目や耳も個別のものであり、そこにはそれぞれの手でつくり続けてこられたいくつもの層がすでにできあがっているはずです。鑑賞者はどの位置から、どの層をいくつ通して観るかを選ぶことができます。それは、作り手であるわたし自身が観るときでも同じです。

そうして、作品はいろいろなかたちでいくつもの層を通って「わたし」から「あなた」にやっと辿り着くわけで、それはとても贅沢で楽しさに満ちた奇跡的な流れだと思うのです。そうして「あなた」に届いた「わたし」の作品は、いったいどんなかたちでどんな色をもつのでしょうか。それを想像するのも「わたし」の楽しみのひとつです。


◎超短編

「仮面をつけた透明人間」

わたしは透明人間なので、仮面をつけないと誰にもその存在に気づいてもらえない。わたしはそのことをよくよく知っているので、人の目に触れる仮面のデザインには隅から隅まで神経を尖らせ、自分の手で端から端までこまやかな細工を施している。

そうしてその仮面のおかげでやっと人前に立てるようになったのに、あなたはその大事な仮面を簡単に取り上げて複製してしまう。同じものだよと言って返してくれたけど、それはわたしが作った仮面とまったく同じものではないよねぇ。でもそれは確かにわたしの仮面なのだ。

あなたが作ってくれた新しい仮面をつけて、ちょっと跳んでみる。今までとは違う人たちがわたしを見つけてくれる。でもちょっと待って。あなたたちが見つけてくれたそれは、まったく同じわたしではないよねぇ。でもそれは確かにわたしなのだ。

わたしは今ではたくさんの仮面を持っている。出かける前には天気予報を確認して空を見上げる。そうして今日の仮面をどれにするかを選んで決めて。

ちょっと飛んでみる。


【たなかなつみ】
tanakanatm@gmail.com

作品集:『夢見る人形の王国:いつかどこかのものがたり(超短編集)』
(kindle版)
website:たなかのおと
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