エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[48]行く俳句、帰る川柳◇きび団子不足
── 超短編ナンバーズ タカスギシンタロ ──

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◎エッセイ
「俳句と川柳は双子の兄弟」

前回が雑俳の話題だったので、今回は雑俳の代表選手である川柳について語ろうと思う。俳句に押され気味の川柳をなんとか応援したいのだ。とはいえ当方、現代川柳に詳しわけではなく、あくまで江戸の言葉遊び「雑俳」の一種目としての川柳についての話であることをあらかじめお断りさせていただく。

だいたい川柳は俳句より一段低くみられている風潮があるように思う。俳句は詩であり、哲学であり、天上のものを志向する反面、川柳は身辺抄であり、人生訓であり、地上的な傾向があることは否めない。たしかにちょっと野暮ったいよね……。いやいや、その庶民性にも意味があるのです。

それにしても同じ十七文字であるにもかかわらず、この違いはいったいどこから来るのであろうか。





そもそも「俳句」は正岡子規の発明であり、俳句だけを考えればその歴史は浅いが、ルーツは俳諧連歌(句)の「発句」にさかのぼる。つまり俳句は連歌の「スタート」なのである。これからはじまる連歌の世界観を象徴する句であるから、それなりのスケールの大きさと格式が求められる。俳句のカッコよさは発句の格式に由来するのではないだろうか。

ところで連歌にはさまざまなルール(式目)があるが、その中に「雑」という無季の句がある。この「雑」が雑俳、つまりは川柳のルーツのひとつなのだ。発句とは違い、句と句をつなぐ役割であり、自由度が高い反面、ある種の柔軟性が求められる。川柳の共感性はそんなところから来ているように思える。

千野帽子氏も『俳句いきなり入門』(NHK出版新書)で「川柳はあるある」みたいなことを指摘していたように記憶している。そんな川柳の「あるある感」が醸し出される理由が他にもある。

雑俳の式目としての川柳は、自由詠も当然あるが、しばりを設ける場合が多い。もちろん俳句でも折句などの遊びはあるだろうが、たいがいは詠題がある程度だろう。だが雑俳における川柳は、しばりがやたらときつい。

たとえば川柳の起源のひとつとされる「前句附」。よく耳にする「泥棒を捕らえてみれば我が子なり」という川柳があるが、じつはこれも前句附であった。「斬りたくもあり斬りたくもなし」という下の七七に付けられた五七五が「泥棒を捕らえてみれば我が子なり」だったのだ。

「立入」という式目もある。かつて「魚の名前ふたつ以上」というお題で「夕凪に酒と添い寝の船遊び」という川柳を作ったことがある。この句にはウナギ、サケ、ソイ、フナと四つもの魚の名前が入っているにもかかわらず、ちゃんと意味が通っているところがすごい(自画自賛)。

無茶なお題から常識的な世界に戻ってくるところが、座の文芸として評価されるのだ。無茶なお題からさらに無茶苦茶な句ができたとしたら「ああ、苦しかったのね」という評価しかもらえないであろう。川柳のあるある感は、はるかな高みからの見事な着地の結果なのだ。

俳句の会に参加すると、句を「遠くまで飛ばす」とか「飛距離が……」などとよく耳にする。たしかにはるか彼方まで句をぶっ飛ばせたときは気持ちいい。しかし行ったきりで良いのだろうか。戻って来なくて良いのだろうか?

井筒俊彦は『コスモスとアンチコスモス』(岩波文庫)で東洋的な無に関して「しかし、それよりもっと大事なことは、東洋的哲人の場合、事物間の存在論的無差別性を自覚しても、そのままそこに座り込んでしまわずに、またもとの差別の世界に戻ってくるということであります」と述べている。仏陀も悟りの境地からこの俗世に戻ってきた。枠を外すこととはめること、行って帰ることは一対なのだ。

俳句があり得ないほどの彼方まで句を飛ばす遊びだとしたら、川柳ははるか彼方から帰ってくる遊びなのだと思う。桃太郎も浦島太郎も指輪物語も、あるいは数多ある英雄譚も、主人公が行って帰ったからこそ物語が世に伝わったのだ。俳句のカッコよさは川柳あるあると一対なのである。なぜならふたつは連歌が生み出した双子の兄弟なのだから。


◎超短編
「きび団子不足」

きび団子を求める犬、猿、雉の顔は険悪であった。鬼を退治したは良いが、帰りの分のきび団子を用意してこなかったことを桃太郎は悔いた。

よくよく見れば犬は花咲爺さんの犬のようでもあり、猿は猿蟹合戦の猿に酷似、雉に至ってはブレーメンの音楽隊のニワトリを着色したもののように思えてならない。だとすれば退治した鬼は泣いた赤鬼だったのか。かくいう自分も金太郎の前掛けをした浦島太郎に過ぎない。

One!

犬が吠えると桃太郎は宝の山に腕を突っ込み、一つの指輪を指にはめ姿を消した……つもりだった。しかしそれは、ドードー鳥がアリスに渡そうとしていた指貫であった。

こうしてモーリシャス諸島と化した鬼ヶ島で、アリス・桃太郎はドードー・雉と結ばれるやいなや、赤青黄色の衣装をつけた犬、猿、蟹がしゃしゃり出て、産婆に合わせてとりあげた卵は、桃の形をしておったそうな。めでたしめでたし。


【タカスギシンタロ】

超短編専門フリーペーパー『コトリの宮殿』編集長。電子書籍版元「うのけブックス」代表。松本楽志とともに「超短編マッチ箱」のサークル名で文学フリマに参加している。
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