ショート・ストーリーのKUNI[259]地球はマスクで覆われて
── ヤマシタクニコ ──

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「ねえ、おばあちゃん」
「なんだい」
「前から聞こうと思ってたんだけど…おばあちゃんはどうして、おじいちゃんと結婚したの?」
「どうして結婚…そりゃあもちろん、好きだったからだよ」
「どんなとこが好きだったの?」
「かっこよかったんだよ」
「どんなとこがかっこいいと思ったの?」
「しつこい孫やな…いや、なんでもない。おほん。あのね」
「うん」
「あたしの若い頃」
「21世紀初めごろだね」
「そうそう。その頃、恐ろしい感染症が全世界的に蔓延していてね」
「感染症?」
「そう。とてもとても怖い病気。だから、みんな、うつらないようにマスクをしていたの」



「みんな?」
「そうだよ。外に出るときはみーんなマスクをしてた。マスクをしてないと、人の迷惑考えないとんでもないやつだと言われ、非難轟々。だって、自分でも知らないうちに口からウイルスを撒き散らしてるかもしれないんだからね」
「へー」
「でも、マスクをしてると顔の半分以上が隠れて見えなくなる。ほとんど目だけしか見えないじゃない」
「そりゃそうだね」
「あたしはなんだか心細かった。目だけだと友達や親しい人に会ってもわからなそうで。はじめて会う人も目だけだとどんな人なのか、半分しかわからなさそうな気がした。怒ってるのか笑ってるのかも半分しかわからないような。でも、まわりの人は必ずしもそうじゃなかったみたい」
「そうなんだ?」
「あたしはおどろいたんだけど、世間の人間って、あっという間にそうしたことに慣れて、たちまち順応することができるんだ。あたしがどぎまぎしてるうちにもう、みんな、『人間の顔が半分しか見えない』という異常な状況に慣れていったんだよ。そういうことはよくあったけどね。あたしは常に自分が住むこの社会や人々に対して違和感を感じ続けていて。おっと、そんな純文学的な感傷はやめとこうか。どうせあんたには理解できないだろうよ。父親に似て凡庸な人間だから」
「ひどいな。まあいいよ、たいして興味ないし」
「会社の昼休みになると女の子たちはおしゃべりしたもんさ。
『ねえねえ、庶務課に最近はいったサエキさん、いいと思わない? 横から見たときのマスクの稜線がすごくきれいで』
『わかる~。でも、あたしの押しはむしろ営業のヒグチさん。しゃべるたびにマスクがびみょうに動く感じがセクシー』
『うーん。動きすぎるのはいやだけどね』
『動き方がスタイリッシュなの! 単にヒクヒクするんじゃなくて』
『オオコウチさんなんかもよく動く』
『ヒクヒクとね。しかもいつもマスクの真ん中が湿ってる』
『それはちょっといやかもー』
『サガラさんはいつも顔にぴたっとフィットしたマスクでかっこいいんだわー』
『そうかしら。自信過剰なマッチョって感じ』
『ああ、そういうあんたって、ごそごそした、どこにでも売ってるようなマスクつけてる素朴な人が好み、いや、はっきり言ってイモ好みだもんね、むかしから』
『ほ、ほっといてよ!』
とかなんとか、まあそのかまびすしいこと。大衆ってそういうものなのね。何にでもすぐに慣れてしまうの。あたしはどうにもこうにもついていけなかった。以前から知ってる人ならまだしも、街に出て顔の何分の一しか情報量がない人たちに取り囲まれるなんて不安でしょうがなかった。もともと人見知りで、おまけに人の顔を覚えるのが苦手で、テレビを見てても佐藤二朗と菅田将暉の区別もできなかったせいもあるかもしれないけど。そんな人たち知らんやろけど」
「それはひどすぎるよ! 知らんけど」
「驚くべきことに、やがてみんなはさらにレベルを上げて『初対面の人間でもマスクの上から顔を読み取ることができる』という技術を身につけていったの。いくらマスクで隠してもだめ。できる人は瞬時にその下の顔を読み取るの。人間の潜在能力おそるべし。あたしはくらくらするばかりだった。もし、潜在能力というものが『どうしても知りたい』という強い欲望によって開発されるのなら、あたしにはたぶん、生まれながらにそういう欲望が欠けていたのかも。あたしはやっぱり現実社会への適応能力が劣っていたのね。あら、ごめんなさい。またあんたみたいな凡庸な人間には理解できないこと言っちゃって」
「好きに言っとけよ」
「そんなある日」
「はいはい」
「あたしは彼、つまりあなたのおじいちゃんに出会った。あたしたちはたちまち恋に落ちた。そして結婚した」
「そこ、もうちょっとくわしく」
「運命を感じたの。マスク越しにでもはっきりわかったのよ。この人こそあたしの夫となるべき人だと」
「マスクで顔の半分以上が隠れてたら不安じゃなかったのかい」
「それがそうじゃなかった。あたしは相変わらずマスクの下に隠れている口や鼻、あごの形状を瞬時に見抜いてイケメンかどうか判定するなんてことはできなかった。でも、その人の本質的なものはマスク越しにでも見えたのよ」
「なんとでも言うもんだな」
「もちろん、彼も同じだった。マスク越しにあたしたちはお互いを発見したの。この世で最も大切なパートナーを。お互いの心を、精神を発見したの」
「はいはい」
「それからはもう、時間はかからなかった。あたしたちは何度かのデートを繰り返した後、どちらからともなくプロポーズしたわ」
「えっと。デートは、したんだよね?」
「もちろんよ」
「デートしたんだ」
「何よ、その不審げな聞き方。デートするのがあたりまえじゃない。ただし、その頃はやはり特殊な状況だった」
「特殊」
「感染症は収まるどころかますます猛威を強め、マスク着用で済むどころじゃなくなった。どこの国でも不要不急の外出はやめましょう、テレワークにしましょう、と国民に呼びかけるようになった。やむなく外出したときもソーシャル・ディスタンス、ソーシャル・ディスタンス、とそれはそれはうるさくて。言っておくけど、これはアルフィーの星空のディスタンスと何の関係もないからね」
「知らないって、そんなの」
「そんな中でデートするのは大変だったわ。だれかに知られたら、この非常時に何をしてるんだ、非国民とののしられかねない。連絡は暗号でとりあって」
「暗号!」
「やっと開いているお店を見つけて入っても2メートル離れて座らなきゃいけない。お店の指示で向かい合って座ることはできず、並んで。そして席と席の間には仕切り板が設置されていた」
「なんだそりゃ。ああ、でもちょっとわかってきた」
「何がわかってきたのよ」
「おばあちゃんはおじいちゃんの顔をろくに見ないまま結婚したんだ」
「な、何なのよ。もし、もしそうだったら何だって言うのよ」
「とぼけないでくれよ。確かにそのころ、世界は一種異常事態だった。人々は、特に日本ではみんな律儀にマスクをしていた。品不足で簡単に手に入らなくなると手作りマスクが流行った。手作りマスクの材料も不足し、各地でマスクをめぐって強盗や殺傷事件も続出、もうなんでもいいやと、人々は手ぬぐいや風呂敷、バスタオル、果てはイスラムのニカーブやブルカも使った。もはや顔がほとんどわからないことがあたりまえ。顔を露出している者は人々から石を投げられ、どつきはったおされ、逮捕された。ソーシャルディスタンスは徹底的に保持され、外出ができるようになっても雀荘では客がマジックハンドで牌をつまみ、ラーメン屋の割り箸の長さは1メートルにもなり、けが人が絶えなかった。この程度のことは実は調べていたさ」
「史実をねじ曲げているわ。ネットのいい加減な二次情報に踊らされてるとそうなるのよ」
「そういう状況を好機とみて、ほくそ笑んでいたのがDiDi-137星人だ。彼らはこの混乱に乗じてひそかに地球上陸を決めたのだ。政府もその情報をキャッチしてはいたが、非常事態で混乱の極みにあり、防ぐことができなかった。DiDi-137星人は少しずつ、静かに地球人の間に紛れ込むことに成功したんだ。彼らが地球人と決定的に違うところ、それは口がない──正確にいうと地球人のような口が地球人の口があるべきところになかったということだけど──ことだった。でも、マスクをしていればわからない。おばあちゃんはぼーっとしていて恋人がDiDi-137星人であることに気づかなかったんだ」
「DiDi-137星人だから、口がないからって、それがどうしたのよ!」
「どうしただなんて、よく言うよ。僕たち子孫がそのせいでどんなにつらい目にあってきたか…」
「あたしが誰を好きになろうと勝手でしょ! 確かに彼はDiDi-137星人だったけど、あたしたちの愛は本物だったのよ!」
「単にだまされたんじゃないのか」
「違うわ! それに、あなたたちがつらい目にあったなんて、本当はちがうはず。あの当時、あの恐ろしい感染症でたくさんの人が死んだ。いつも顔にぴたっとフィットしたマスクで女子の視線を集めていたサガラさんも、横から見たときのマスクの稜線がすごくきれいだと言われていたサエキさんも、マスクがびみょうに動く感じがセクシーだと言われたヒグチさんも、みんな死んだ。いつもマスクの真ん中が湿ってたオオコウチさんは感染を免れて思い切り長生きしたけど」
「そういうものなんだ」
「とにかく、高齢者だけでなく働き盛りの人もバッタバッタと死んでいく。このままじゃ社会が維持できないと思われたとき、助けになったのがそこらの地球人よりずっと有能で、生まれながらに感染症への耐性も備えていたDiDi-137星人なのよ。DiDi-137星人がいなかったら地球はどうなったと思ってるのよ! 実際、地球人とDiDi-137星人との結婚もそれ以来急速に広まったわ、あたしたちより遅れて。あたしたちは時代をリードした。何も気にすることはないわ」
「でも、差別はあった。いまでもあるんだ」
「ああ、ひょっとして」
「…なんだよ」
「あんた、好きな人がいるんだね」
「なな、なんでそんな」
「好きな人とのこれからを思って、ふと不安になるんだね。わかるけど…何にも心配いらないさ」
「…」
「前から思ってた。あんたは一族の中でも亡くなったおじいちゃん、あたしの最愛のひとの面影を最も濃く宿している。あんたのふとした表情やまなざしにあのひとを思い出してはっとすることがよくあるの。そしてその度、あたしの心はふたりがはじめて出会ったころに軽々と飛んでいくようで…教えてあげるわ。地球人の口と、あなたも持っているDiDi-137星人のその、口ではない口とのキスがどれだけすばらしいものか。体の芯からとろけるような濃密な体験の奥深さを。そのことに気づいたら何にも心配いらないのよ」
「お、おばあちゃん、あの…」
「さあ、こっちをお向き。かわいい孫よ」
「おばあちゃん、やめて! 僕は…!」


【ヤマシタクニコ】
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諸般の事情により最近、早寝早起き、そして三食きっちり食べるというとんでもない健康生活を送っているヤマシタです。似合わんわ。まあ今だけだと思うけど。

以前は遅くに起きてきて朝昼兼用の食事、それもデニッシュやドーナツとコーヒーだったり。その後おなかがすくと午後の中途半端な時間帯にもう一回、同じようなことを繰り返し、夜になってやっとまともな食事を考えるという生活だった。勤めていたころも朝はぎりぎりに起きて食べたり食べなかったり、昼はコンビニで買ったパンとコーヒー程度。それがそうでなくなって…一体、人って朝食と昼食に何を食べるんだっけ?な状態。人生ではじめて、日々の食事についてまじめに考えたかも。

とりあえず朝食にはサンドイッチを作ることにした。食欲のあまりないときでも食べやすいかなと思って。トーストが好きなのでトーストにハムやきゅうりをはさんで、要するに昔の喫茶店によくあった「ハムトースト」(!)。これをしばらく続けていたら飽きてきた(飽きるまで続けるタイプ)。変化をつけたくてネットをぶらつく。ホットサンドってよさそう。ホットサンドメーカーがなくてもフライパンでぎゅうぎゅう焼けばそれっぽくなるのか。そうかそうか。お、クロックムッシュも分類上はホットサンドの一種とな。あー、そういえばだいぶ前に名古屋でモーニングを食べたとき、それ風のものが出て、シンプルだけどおいしかった思い出があるなあ。

と思ってとりあえずクロックムッシュ風を作ってみたら、できたのはできたけど、いまいちだ。悩む。ネットのレシピで見たのは8枚切り食パンだけど、私の使ったのは6枚切り。ここがだめなのか? パン、分厚すぎ? だけど、近所のスーパーでは8枚切りは売ってないんだよね。

スーパーで手軽に買える食パンとしてはヤマザキのロイヤルブレッドが気に入ってるんだけど、近所ではロイヤルブレッドは6枚切り、5枚切り、4枚切りしかない。だから6枚切りを買う。でも、そもそもサンドイッチにするには8枚切りのほうがいいんじゃないか。確かに6枚切りだと、私にはちょっとボリュウム過多と思えることもあるので耳を落としたりするけど、8枚切りだとちょうどいいかも?と。

だいたい関東ではふつうに売ってるらしい8枚切りがないんですよね、大阪では。昔は売ってたけど、最近はめったにみない。なんでかな。大阪では分厚いのが好まれるというけど、ほんまやろか。単にどんどん消費させようという魂胆ちゃうんか。毎日サンドイッチ作っても8枚切りだと4日もつけど6枚切りだと3日だしな!とか考える。大阪でもふつうにスーパーで8枚切り食パン売ってほしい!

とfacebookで書いたら大阪在住の友人から「うちの近所のスーパー玉出では売ってる」というレス。そうなんだ! さらに別の大阪在住の人から「スーパー・バローでは売ってる」との情報も。バローって聞いたことなかったけど、岐阜県が本拠地らしい。ははーん。「探偵!ナイトスクープ」のアホバカ分布図のように、8枚切り食パン文化圏と6枚切り食パン文化圏が、せめぎあう地点なのか!

でも、どっちもうちの近くにはないお店。そうこうしているうちに私の中で8枚切り食パンへの思いは変にこじれて募るばかり。あれもこれもうまくいかないのはすべて8枚切り食パンを売ってないことに起因する! みたいな。

ある日、駅前のパン屋さんで8枚切りをちらと見かけたので、これはこれはと脳内にメモしておき、数日後行ってみたらたまたまその日は売り切れ。私のうらめしそうな顔を見たお店の人はやおら4枚切り食パンを手にして「これを半分に切りましょう!」と英断。だいじょうぶかと案じる私の前で、4枚切りを一枚ずつスライサーにあてがい、ふにゃふにゃしてなかなか安定しないのを苦労して苦労して、無理矢理8枚切りを爆誕させてくれたのだった。なんか感動。

で、お店の人がそこまでしてくれたのに、そこで私の8枚切りに対する情熱はふっと消えてしまったようなのだ。ごめんなさい。さっそく食べてみたものの思っていたのと何かが違う。パンがトーストに向いてない質だったのか。ならば、とトーストしないサンドイッチにしてもみたが、生の食パンのサンドにするには8枚切りはやや分厚い。パンそのものはまずいわけじゃない、香りもいいんだけど、なんで…。

と、私にしては長々とあとがきを書いたあげくオチがあるわけでもないのだが、現在そういうわけで私の朝のパン=朝食問題は行き詰まっているのである。6枚切りのトーストサンドというスタート地点にもどってみるか(それに飽きたから起こった問題なのだが)。甘いパンは…今はほしくないなあ。もういっそのことお味噌汁とご飯という「和」の路線でいってみるか(えーっ)。さらにお昼ごはんの問題もあるのだが、それはまたの機会に。ああ、食べるってめんどくさい。