はぐれDEATH[50]はぐれが妄想する自動車関係陰謀論/藤原ヨウコウ

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もう完全に妄想の世界なので、絶対に真に受けないように。

何しろボクの妄想である。これが陰謀論などという、いかがわしいことこの上ないところに首を突っ込むと、アホなコトにしかならないのは言うまでもなかろう(笑)

●危険運転を助長するオートマ

というワケで槍玉にあげられるのは、自動車業界と運転免許制度である。

初めて「AT限定免許証」という制度があることを知った時、「?」と思った。

もともとオートマ車には不信感しか持っていない。度々書いているように、機械任せは大嫌いなのだ。近年のコンピュータ制御システムなんてのは、本当に信用できない。私感ですが。

ボクはキライだが、オートマ車のメリットは十二分に把握しているつもりだ。





本来、オートマというのはマニュアル車では欠かせない様々な手順を自動化することで、運転そのものに集中するためのシステムである。

エンジン音に耳を澄ませ、クラッチ操作をしてシフトを換える。注意力が周囲にまでまわらないで、交通事故につながる。それを防ごうとするのが本来の主旨であった。

ところが、メーカーやユーザーにとってのメリットは、手軽さ以外のなにものでもない。簡略化の主旨をまったく理解していないのだ。

オートマ車の駐車場での事故などは、その最たる例だろう。シフトノブがどこに入っているか、という極めて初歩的な見落としの結果に過ぎない。マニュアルではちょっと考えられない事故である。変なところにシフト入れたら、エンジン止まるしな(笑)

実際、今ボクが見ている自動車の動き方は危険極まりない。歩行者への注意すら出来ていないケースが、やたらと目につくのだ。急発進、急ブレーキなどは日常茶飯事で、交差点での右左折だってきちんと徐行しているドライバーは稀である。

歩いているこっちがいくら気をつけても、自動車がこれでは手に負えない。なにしろ、安全運転の初歩の初歩でこけているのだ

周囲をちゃんと見て状況を確認するというのは、自動車に限らず本来あるべき初歩的なリスク管理である。歩きスマホなんてのも、このリスク管理が出来ていない例の一つで、これがスマホをいじりながら運転ということになれば、事故リスクは一気に高まるに決まっているではないか。

「勝手に自爆して一人で死ぬなら構わないんじゃない?」などというのは、妄言に等しい。自動車事故が起これば、警察や救命の出動、場合によっては道路の封鎖や修理、事故車両の処理など、家族はおろか無関係な人達にだって迷惑が掛かるのだ。

こういうことは、免許取得時や更新の時に口を酸っぱくして注意を促しているのに、ボクの目には改善されているようには見えない。

最近「自動ブレーキシステム」なるものが搭載された自動車が登場してきているが、これだって100%機能するとは、とてもではないが言えない。

時速30kmで走っていても、1秒間に8メートル動いているのである。センサーが対象を発見して急制動をかけるのに0.5秒掛かったら、4メートル前からになる。時速30kmでこれだ。

速度が上がれば上がるほど、ブレーキが掛かるまでの移動距離が長くなる(対象に近づく)のは、算数ができればすぐに分かる理屈であり、そのようなモノが無駄に沢山街中を走っているのだ。

更に例をあげよう。交差点で停車する場合、制動距離はできるだけ長くゆっくりと停車するのが基本中の基本である。後続車の追突を避けるための初歩的なやり方なのだが、これだってかなり怪しい。

エンジンブレーキも併用しながら、ブレーキは複数回に分けて徐々にかける。ブレーキランプが点滅状態になるので、後続車が減速に気がつきやすいという利点があるのだ。

もちろん、後続車との車間距離も考慮に入れなければいけない。時々(いや割と)べったり後ろにへばりつく馬鹿がいるが、ボクに言わせればそっこーで免許を取り上げて頂きたい。

無自覚な交通事故発生者予備軍の最前線にいるのが、この手合いである。前後の車がこの手の馬鹿なら、車間距離もへったくれもなく、急ブレーキをかけて事故が起こるのは目に見えている。

「いや、やってるけど事故ったことないし」というのは、単に運がいいだけの話でいつ事故になってもおかしくない、という予測すら出来ていないのだ。

上述した単独事故ですらあの有様である。複数車両が巻き込まれればどうなるか、普通は想像できるはずで「自分には起こりえない」と言い切る根拠のない自信はどこからくるのか首を傾げざるを得ない。

先日、妹の車を少し運転したのだが怖くて仕方がなかった。もちろんオートマである。アクセル操作を本当にオートにしてしまうと、びっくりするぐらい急に飛び出すし、慣れないブレーキなのでがくんと止まる。

まぁ、幸いすぐにセミオートマにして運転して(セカンドから発進すればゆっくり動き出す)ブレーキもアタリをある程度見つけられたので、どうということはなかったが、考えてみればこの急発進・急ブレーキ具合を「でふぉ」と思っている人が多数派なら、傍でみていて「怖いなぁ」と思う運転が当然になってしまう。

ブレーキはABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が標準装備なので、思いっきりブレーキを踏んでもタイヤがロックすることはないのだろう。ボクはそんなブレーキをかけたことがないし、そもそもABSのついた自動車をまともに運転したことは皆無に等しい。

マニュアルではあり得ないのだが、こうなってしまうのだ。ましてやオートマ限定とやらで、オートマしか運転したことがない人は勘違いしかしないだろう。

ボクに言わせれば、本来のオートマの主旨を完全に置き去りにして、危険運転を助長しているようなもんである。

かてて加えて、ハンド・ブレーキを足で操作できるようなシステムも普及しだした。親父の車がこれなのだが、ボクにはとてもではないが使えない。怖いからだ。

ハンド・ブレーキは、左手で確実に自動車を停止状態にさせる安全装置でもある。手で操作することに意味がある。確実だからだ。

これを足下に移動させるというのは、どういう意味があるのだろう? ドリフトがしやすい?(笑)素人に出来る話ではもちろんない。もし理由があるとすれば、車内の居住性を高めるくらいだろう。本当かどうかはボクにはさっぱり分からない。

そして、最近の自動車の車内(特に運転席周り)の仰々しさは尋常ではない。ほとんど意味をなしているとは思えないような、インテリア・パーツで覆われている。機能主義者のボクに言わせれば「きちんと配線を整理してコンパクトにまとめ不要なモノは全部外せ」にしかならない。

アクセルとブレーキだけでこの状態なのだ。自動車がないと、とてもではないが日常生活ができないような場所ならともかく、交通インフラが充実している都市部で、どれだけの人が自動車を本当に必要としているのか?

運輸業など自動車がメインの仕事場なら致し方がないとしても、日常生活でそんなに自動車が必要か???

ある意味、暴言であることは百も承知だが、伏見の細い道で馬鹿みたいな(狂ってるとしか思えない)運転をする自動車を見る度に、「歩け!」と心の中で罵声を浴びせているボクにしてみれば、さっさと運転免許を取り上げて欲しいのだ。

これでやっと陰謀論に入れる(笑)

●官民一体の陰謀

そもそも「走る凶器」とすら言われる自動車で、敷居の低いオートマ限定免許なる陳腐で危険極まりない免許証を発行すること自体、間違っているのだ。

「マニュアル車なんか面倒くさい」と思っている時点で、ボクに言わせれば、すでに免許剥奪もんである。そんな面倒くさがりが、お手軽なオートマに乗れば注意散漫、危険極まりない運転にしかならないと思うのはボクだけか?

それでもオートマ限定を発行するのには、自動車の保有者数を増やして税金や罰金を掠め取ろうとする意図しか見えないし、自動車メーカーだってオートマをじゃんじゃん作れば、それなりの需要は満たされるので歓迎なのだろう。保険屋も儲かる。官民一体の陰謀としか思えない。

少し冷静になって考えれば、任意保険や維持費だけで結構な金額が出ていくのだ。これはもう贅沢品の類であり、消費そのものである。

しつこいようだが自動車がないと日常生活がままならない地域は別。インフラがないんじゃ、自分でどうにかしないと仕方ないし。さすがにここで「馬車」とはいくらボクでもよう言わん(笑)ここにガソリン屋さんを加えると更に妄想は広がる。

市街地で自動車を100km/hで走らせる馬鹿は、まぁ普通はいないだろう。時々暴走する車は見るけど。

高速道路走行込みでも120km/h出れば本来は十分なはずで、それに最適化した内燃状態を設定できれば燃費はさらに良くなるはずなのだ。そもそもエンジンの重量そのものが、昔(いつやねん?)より圧倒的に軽い。車体重量だってめちゃめちゃ軽いし、そもそも日本の道路で2Lも排気量いるのか???

ちなみに、排気量とトルクは特に因果関係があるわけではない。排気量が大きいほどトルクが増すのは事実だが、これも設定次第でどうにだってなる。

実際、ボクが所有していたROVER MINIは1.3Lしかなかったが、3速で坂道発進、という荒業も余裕で出来た。それなりの注意は必要だが(クラッチの繋げ方がめちゃめちゃシビアになるのだ)。

で、1.3Lだってボクに言わせれば、市街地走行ではもう十二分過ぎるのだ。むしろ低速トルクが太い軽自動車の方が、扱いやすそうだと思ったし(ないけど)、高速道路でだって100km/h以上出したことはほとんどない。そもそも追い抜き車線にすらボクは入らないのだから。

660ccの自動車で市街地走行の最適速度を55km/hあたり、高速道路走行を100km/hあたりに最適化して、必要十分な馬力とトルクを生み出すことが国内メーカーに出来ないはずがないと思うのだが、なぜかこれをしようとしない。

デザインに至っては、もう「人間工学・空力に基づいてCADで作ったのでこうなりました」的な、個性のカケラもないモノばかりである。

軽に限った話ではないのだが、市街地60km/hに空力なんてそんなに必要か?まぁ、馬鹿の一つ憶えみたいに背の高い軽を作れば、それなりの重量バランスを考える必要はあるだろうが、空力となるともうアホみたいな話で、そんなものに付き合わされたくないというのがボクの実感である。

またまたROVER MINIを例に出すが(何しろこれが一番良かった)室内だって見た目より全然広いし、背も低い。べったり地面にへばりついている感覚は安心感があるし(この安心感があるから、ボクは背の高い車を運転するのが怖いのだ)、とにかくカワイイ(またここかいっ!)

ボクやおねえちゃんみたいな「見た目重視」派にとって、今の自動車で食指を動かされるのは皆無に等しい。頑張ってもマツダ・ロードスターぐらいだろう。ただし、あんなに排気量はいらん。おまけにツー・シーターだしなぁ。

とにかくエンジンの負担を減らしつつ、最適化すれば燃費向上なんてのは簡単なはずなのだ。ここに電池が加われば、さらにどうにかなるだろう。ただし、今のハイブリットカー的な使い方ではない。F1でもう定番となったERS(エネルギー回生装置)の搭載である。もちろん軽量・コンパクト化は必須。

この辺の技術に関しては本来、日本のお家芸のはずなのだが(80年代、車体重量を軽くしつつ強度も保持するという荒業テンコ盛りの鉄板の開発チームに親父がいたので、この辺は実を言うと詳しい)、ナゼかどうでもいいアホな技術にばかり気をとられているような気がしてならない。

エンジンなんか、新素材で堅牢なものを使って軽くすればいいのだ。大量生産できれば、黙ってても素材コストは下がる。

そして、とにかくいらんオプションはばんばん外す。車重が軽くなればパワステなんかいらん。そんなものに頼らないと運転できないなら、最初か運転しようなどと思わない方がよろしい。今のはステアリングが軽すぎや!(個人的見解です)

カーナビも外せ! いつも通る道くらい自分で憶えろ! それでもダメならGoogleマップ君にお願いすればよろしい。もちろん、スマホを見ながらはダメ
です。

インテリアだって、 あんなにごちゃごちゃせんでよろしい。レザー貼り? ホンマもんのレザーに触れる機会が、庶民にそうそうあるはずがない。とっととなくせ。

得体のしれないオーディオ・システムも、じゃんじゃん外せばよろしい。なんであんな重たいもんわざわざつけて、でかい音で音楽ならしながら運転すんねん。周りの音が聞こえなくなるだけなら、ない方が安全この上なし。

電動ミラーや電動ウインドウも不要! そもそもミラーなんか、そんなに動かすか? ミラーの位置は運転中ではなく、運転前に決めるのが鉄則である。窓だって、開け閉めぐらい運転前にしとけ!

そもそもあんなに電気パーツが必要なのか? 今の自動車は電機系の故障が起きればロジックボード丸々一枚、いきなり交換である。またMINIを例に出して申し訳ないが、MINIの場合はヒューズ交換で済むような故障も、ボード一枚というのはどうよ。

高々数十円のパーツと、ロジックボードでは差がでか過ぎる。おまけに、ヒューズ相手なら見ればすぐに分かるし。物理的に飛んでいるので分かりやすい。

電気化の利便性を完全否定する気はないが、限度があるだろう。

コンピュータ制御が時流となっているのは承知しているが、そこまで機械任せにする必要が本当にあるのだろうか?

グローバルな流れと違うとほざく前に、この国のアイデンティティーをどうにかしろ! 基本ガラパゴスの国なんだから、世界基準なんぞ無視すればよろしい。貿易摩擦? どんどん摩擦すればイイではないか。どうせ人口はどんどん減るのだ。国内でどうにかできる余裕はどんどん増す。

なぜ他の国と比較する必要がある? 外交問題に発展したら外務省がどうにかすればよろしい。そのために税金で食っているのだ。その他の政府・議員・官庁・自治体も同様。ちゃんと仕事せぇ!

「Japan as No.1」と呼ばれた時代があったが、あれはあれできっちり日米貿易摩擦を起こしているのだ。にもかかわらず、日本製品がじゃんじゃん輸出された。よそのことを無視して狭い島国で血なまこになって頑張ってたから、他国が驚いた。ただそれだけの話である。

断っておくが、ボクは最近はやりの「日本万歳」論者ではない。むしろ、がっかりしている方だ。もちろん右翼でもない。左翼でもないけど。

「よそはよそ、うちはうち」でイイ。ナゼこんな簡単なことが分からないのか、不思議で仕方ないのだ。もちろん、現政府のやり方だってさっぱり分からん。

馬鹿丸出しで「外遊」(アベソーリの場合は本当に遊んでそうな気すらする)しまくって、国の財布を無駄遣いするぐらいなら、官邸に軟禁しておいた方がマシ、とすら思っているぐらいで、その他の取り巻きは二束三文以下の評価しかしていない。

だって、発想が「○○ちゃんがあれを買ってもらったんだから、ボクにも買って」というレベルでしかないからだ。

ちょっと陰謀論から外れだしたなぁ……というか、陰謀というにはあまりにアホすぎるではないか。すぐにばれる嘘を平気で口にするし。取り敢えず、政府は外しておこう。レベルが下がる(!)

自動車を取り巻く業界団体が、上記したようなことを思いついていないとは、正直信じがたい。むしろ分かりきっているはずである。にもかかわらず、不思議なぐらい独自の動きをとろうとしない。

F1でのHONDAの惨憺ぶりなんてのは好例で、「去年までのエンジンがイマイチだったので、メルセデスのようにしてみました」結果、トラブル続きでシーズン途中でマクラーレンから愛想を尽かされたのだ。

だいたい、ベンチマークテストを1気筒だけでやって、6気筒のエンジン・テストをしていなかったのだ。6気筒エンジンを作るのに、なんで1気筒しかテストしないのか、さっぱり分からん。

話が逸れたついでに続けると、要は「1気筒なら大丈夫だったけど、6気筒に組んだら共振が出て部品が壊れちゃいました」という、零戦開発記みたいな間抜けな理由である。戦前と同じ轍を踏んでどうする……。

いくら「走る実験室」と呼ばれるF1の世界でも、これは実験以前の問題で、世界に間抜けっぷりを大々的に披露したようなもんだ。

かつてのHONDAやSONYもそうだが、発想はあくまでも「ガラパゴス」的なモノでしかない。結果、たまたま隙間にはまっただけの話で(!)実はここにこそこの国の面白さがある。最初から世界基準を目指すと大抵こけるのだ(笑)

もしここに陰謀があるとすれば、それは「国民(消費者)に足下を見させないようにして、世界ばかりを見させよう」という国民総痴呆化論か、既得権益を守るため、というどっちに転んでも情けない結果しか、ボクには見いだせない。

政府を巻き込めば「ボクらがアホ扱いされないように、ボクらよりアホな国民を育てよう」という、これまたどうしようもないネタしか思いつかないのだが、彼らにはこの程度の知恵すらないとボクは思っているので除外してもよかろう。

……冒頭でぶち上げた陰謀論とやらは、ほとんど体をなさなくなった。当たり前の話である。ボクが陰謀論などという陳腐な話を、まったく信じていないからだ。信じてもいないことを前提に、フィクションを生み出すことができるほどボクは頭が良くない。だからこのような中途半端な駄文にしかならないのである、呵々♪

と、さんざん罵詈雑言を吐きまくったが、ここに来てついに正に「ガラパゴス」としか言いようがない「快挙」に手を出そうとしているメーカーが現れた。

と、今回はここまで。続きはまた。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com