はぐれDEATH[110]拡張する視覚、衰退する視覚
── 藤原ヨウコウ ──

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掲げたタイトルに「矛盾をはらみすぎ」と思われる方も少なくないだろうが、最新テクノロジーに対するボクの、素直な感想と実感である。とりあえず、この稿ではVRなどのデジタルについては、敢えて触れない。

その理由は簡単で、ボクの時代錯誤な価値観と、肉体的な限界がまったく流れについていかないからだ。あんまり編集長を困らせたくないのだが、決定的にボクが「これはボクにはあかんわ」と思った動画があったので、それのリンクを貼っておく。



参考動画は他にもたくさんあると思うのだが、正直ボク自身はまったく興味がないので、たまたま出くわしたばっしょーちゃん(ばってん少女隊)の動画だ。





動画後半のVRの3Dドローイングで完全にお手上げ状態である。ド素人の二人(あたりまえだけど)がやってることで、度肝を抜かれたのだ。「情報が遅すぎる」と言われても仕方がない気もするが(実際そうだしね)、こればかりはどうしようもない。興味が向かなければ、とことんスルーしてしまう(逆もまた然り)人なのだ。

そもそもボクが会社員時代に流行った錯視を利用した3Dで、生まれて初めて酔いそうになった人である。紙の本ですよ。最新鋭なんてとんでもない。ばっしょーちゃんがやってたから見ただけの話で、そうでなければ今も知らずにスルーしているだろう。とにかくそれくらい興味がない。というか、ばっしょーちゃんにはそれ以上に、がっつり食いついてるんだけど。

3Dドローイングなりペインティングについては、ボクにとっては数少ないツールの一つであるBlenerという3Dソフトでももちろん使えるのだが、ボクはまったく手を出していない。それをVRでやるというのはむしろあたり前なのも、何となくだが納得はしていたのだが、実際に見てみると単純に驚いた。

世間様はどう思うが知らないが、ボクにとってのVRについての「好奇心」はこの程度のもんだ(笑)。さくっと前置きは終わらせて、珍しくとっとと本題に入る。

■眼鏡とコンタクトレンズ

今回扱いたいのは基本的に物理的で、日常生活レベルの話である。もっと簡単に片付ければレンズの話だ。ちなみに今回の稿では、基本的にはスマホに使われるようなレンズについても、言及を避けようと思う。間接的には何かありそうな気がするのだが、そこまで深く考えているわけでもないし。

日常的に使うレンズといえば、やはり一番にあがるのが眼鏡とコンタクトレンズだろう。ボク自身、ともに小学生の頃から愛用しているので実感もあるし、今でも驚きはもちろんある。技術的なブレイクスルーもまだ起きている分野で(だと思う)、個人的にはこっちについていく方が自然なのだ。老眼もがっつり出てきたしね。

何しろブツがボクには日常生活必需品なのだ。老眼が入ってきて、とんでもなくややこしいことになっているのだが、このへんの事情に関しても少しづつ触れていきたいと思う。

眼鏡が個人的にややこしくなりだしたのは、老眼の進行という分かりやすい現実だ。それでなくても利き目は遠乱視という、煩しいものがついて回っている。面倒なことこの上ない。

乱視の矯正については、一般的な乱視ではコンタクトレンズが効果を上げているようだが、このへんは正直分からない。ボクの目に関して言えば、眼鏡が確実であり、コンタクトとなるとボクの遠乱視の矯正は不可能なので、それなりに強引な手段が必要になるということだ。利き眼は左なので(度数的にも結構、極端だったりする)左目優先で矯正するしかないのだ。

コンタクトレンズのいいところは圧倒的な視野の広さだが、これを最大限に生かすと途端に不具合が出始めた。言わずとしれた老眼である。

コンタクトレンズは一応、自動車の運転に必要とされる視力を基準に設定してもらっている。ボクだけかもしれないが実はけっこう極端で、これと同じことを眼鏡ですると、乗り物酔い知らずのボクですらクラッと来るのだ。このへんの専門的な理由は、もちろんボクには分からないが、実際そうなんだから仕方がない。

更に話をややこしくするのが、老化と共に始まる眼球の曲面率の変化も加わる。コンタクトレンズは、目の曲面にフィットするように設定するのだが、老いと共に目そのものの曲面も変化しているようなのだ。あたりまえの話だ。

曲面が変わっているのに無理矢理、曲面が変わる前の状態のコンタクトレンズを使用すれば、当然の話だが目に違和感を抱くことになる。ボクはハード・タイプのほうを利用しているので、この変化は露骨に出る。

ソフト・タイプのほうも使い捨てのを試してみたが、そもそも頻繁に視力矯正をしているわけではないのだ。当然、一度買えばそれなりの期間は利用し続けることになる(4〜5年はザラだ)。それでもソフト・タイプの方がまだマシなのだが、個人的なややこしい事情がまた加わるので始末に負えない。

一時期、ソフト・タイプを使用していたのだが、ある時からなぜかアレルギー反応が出てしまい(お医者さん曰く「珍しくはない」)、目がかゆくなり充血する。ソフト・タイプでよくある症状らしく、ハード・タイプだとこれが出ない。ボクがハード・タイプのモノを利用しているのには、こうしたどうしようもない事情があるからだ。

ここで話が終わってくれればまだマシなのだが、老眼の影響はこうした事態で露骨に表れる。利き眼を優先した結果、文庫本の文字が読みづらくなったのだ。というか、目を離さないと見えない。実は老眼の進行については、コンタクトレンズの方で初めて体験したわけだ。

間抜けなことに微妙な老眼なので、ちょうどいい老眼鏡となると100均で売ってるようなザクッとした(0.5単位だ)ものだと、老眼の程度で上だろうが下だろうが、どっちに転んでもどうしようもない。

市販品でそれなりのものを探すと、やっぱりそれなりの割高感は否めない。それでも一番安いヤツしか買わないけど。こっちは単位が0.25刻みなので、どうにかなっている。

もちろん、コンタクトレンズの使用をやめるという選択肢もあるのだが、やはりコンタクトレンズの視野の広さは、原チャで圧倒的に優位だったりする。50代になるかならないかの頃は、これでどうにか誤魔化していたが、老眼が進行すると眼鏡でそれなりの手を打たなければいけない事態に陥った。

眼鏡の方も運転免許所持ギリギリのところで妥協したのだが(もちろん頭がクラクラしない程度)、これだと手元が見えずらい……。結局、中〜近距離用に矯正した眼鏡を、もう一本使わざるをえなくなった。

遠近両用という手もあるかと思ったのだが、現時点では遠乱視が邪魔をしてこの手が使えない。かといって、読書を中断する気には到底なれない。当たり前だ。幼少期から身についている習慣だし、数少ない娯楽なのだから。数が少ないのは、ボクの興味の範囲が狭すぎるという理由もありそうだが……。

コンタクトレンズ利用時のものを含めると、眼鏡だけで3本持ち、というアホなことになったのは素直に白状しておく。ホンマにややこしいで……。個人的な事情はともかく、眼鏡のレンズに関してはまだ技術的なブレイクスルーがあるのではないかと睨んでいる。遠近両用のケースがそれだ。

現在の普通の近視矯正レンズですら、ボクが使い始めた頃と比べると、とんでもなく進化しているのだ。特に乱視の分野では、使い始めた当時はガラス製の一択だったのに、今ではもっと軽くて薄いレンズが、プラスティックでも実現可能になっているのだ。

レンズの薄さ競争はどうもまだ続いているようだが、いわゆる「牛乳瓶の底」状態(このアホな作文を読んでいる読者の皆様に、こういう比喩は通じるのだろうか?)は飛躍的に緩和された。極端に横から見れば、それなりの多層構造になっているのは丸分かりだが、そうでない限りはさほど目立たない。あくまでもボクの経験値内の話だが。

プラスティック製レンズの強度、耐久力も昔に比べると飛躍的に上がっている。ボクが愛用している、フレームレス式の眼鏡などはその代表だろう。フレームレスを使うのは、視界にフレームが入りこむのが嫌いだからで、とにかくこれで可能な限りの視界はある程度確保できる。コンタクトレンズと比較したら、お話しにならないレベルなのは言うまでもないが。

蛇足になるが、フレームをあれこれ選ぶほどボクはマメでもないし、趣味人な人ではない。フレームレス一択になったのは、ボクの面倒くさがりが露骨に出ているだけの話だ。そんな中でもそれなりにバリエーションがあったりするので(値段もデザインもレンズの形も)、十二分に面倒くさい。

蛇足ついでだが、フレームレスの世界は軽量化競争が激しい。技術的に馴染み深くなったのもその理由だと思うが、「0グラム」を謳う製品まであるし(普段使いとして愛用しているが、本当に軽い)、値段差も結構あったりする。貧乏なので、もちろん安い方から絞り込みますがね。ショップによって品揃えが違うのも、ブランドの差異化からバリエーションを増やすだけにしかならない。

これに拍車をかけているのがチェーン展開をしている眼鏡量販店で、それぞれの会社ががブランドまで持っているので、またバリエーションが増える。いちいちその時の情報をチェックしているわけではないので、購入時は一番近所の、この手のお店である。

唯一長年愛用しているフレームは、某ファッションブランドのもので、がっつりフレームはあるのだが、がっつり具合がとてつもなく強固なのと、デザインが気に入っているので、これだけは3回程レンズ交換しても愛用している。ちなみに今のレンズは、光量によってレンズ色の濃淡が変わるという、見た目怪しさ満載のやつだ。

もっぱら原チャで移動している時に愛用しているのだが、とにかく夕暮れ時などは威力をモロに発揮する。あまり濃い色のモノ(といっても晴天時の日中は、結構な濃さにはなるのだが)にはしていないので、実に便利なのだ。これだけは別モノ扱いしている。30年近く使ってるかな。我ながら物持ちがいい。

元がサングラスだったので、フレームそのものを割安に手に入れられたのと、いま流行っているような湾曲レンズにあわせたものではなく、クラシックなスタイルだったので、サングラスの役目を終えた後に、眼鏡フレームとして生まれ変わったのだ。

ここまで執着する割には、他の眼鏡フレームは選択がぞんざいだが、とにかく横綱がいるので、てきとーに選んでも別に困らないし、気にもならないのだ。特に安さは大事(笑)。

レンズの湾曲率はもちろん薄さにも繋がっているのだろうが、現在サングラスでよく見る極端な湾曲(いわゆるアスリートが使うような、グルッときれいに視界を覆うタイプのヤツ)に対応する、メガネ用のレンズがある知った時は驚いた。

たぶん焦点は目の近くに限られるのだろうが(試したこともないので詳細はパス)、正直驚いた。まだ他のレンズほどポピュラーではないようだが、ファッション性を考えれば、これまた発展のしようはありそうだ。

ご存知かと思うが、水中眼鏡というかゴーグルでも、近視矯正用のものがある。結構雑な度数の設定の仕方で、それなりに安い値段で売っているのだが、プールで泳ぐ程度なら十二分だろう。使う気はないけど。

スイミング専用品店とかスポーツショップ(こっちは散見程度)に行けば、結構なバリエーションがあって、便利そうなのは完全に部品がバラバラになっていて、それぞれを選択して買えるシステムだ。セミオーダーみたいな感じかな。ボクのように極端に左右差がある人には便利この上ない。

「ゴーグルもここまで来たか」と、初めて見た時は驚いた。あんなことができるなら、たぶんボクのようなややこしい乱視持ちでも、レンズだけをカスタマイズしてもらえそうだが、このへんはきちんと調べていない。そもそもプールで泳ぐほどマメな人じゃないし。泳ぐならやっぱり海だ。

少し先に触れたが、チェーン店を展開している量販店は競争も相当激しそうだ。独自のブランド商品をそれぞれが展開しているのは、ひとつの証左だろう。どこまで行くのか正直分からないが、コンタクトレンズ市場ともある意味競合しているので、眼鏡、コンタクトレンズはそれぞれがしのぎを削っているのだろう。

祭の時にしか使わないボクのソフトタイプだが、これは単純に作業内容が絡むからだ。どうしても眼鏡そのものが邪魔になるケースの方が、圧倒的に多いのである。

ここで使い捨てコンタクトレンズが登場するのだが、昔に比べると安くなったし、バリエーションも豊富になった。こっちは値段競争が激化してるようだ。度数を固定して一択で作るよりも安く上がる可能性すらありそう。それくらいポピュラーになったのだろう。

さすがにこのジャンルには、チェーン展開の眼鏡量販店は入って来れそうもない。入ってるのかなぁ? ボクが知らないだけかもしれないけど、知る範囲ではそれなりの住み分けはできてるように思う。

若年層の近視が昔(いつまで遡るねん)に比べれば、飛躍的に多くなっているし(うちの娘も同様だ)、近視の原因の一つと言われるものにスマホの普及もあるようで(イマイチ実感がないが)、やはり時代は変化していると言うべきだろう。ボクはそろそろスマホをやめて、タブレットに移行しようかと思っているくらいだ。とにかく色々な意味でついていけない。

昨年発表されたiPhone11の3レンズ仕様には、見た目で正直グラッときた。『装甲騎兵ボトムズ』に出てくる人型兵器「アーマードトルーパー」を彷彿とさせる外見だからなぁ。ボク的にはこれだけで充分垂涎モノだが、値段が高すぎるので(Appleにしても異常やぞ、あの値段は)貧乏人のボクは素直に諦めた。あそこまで高ければ、iPadシリーズの最新鋭の方がずっとマシだし。

スマホ卒業を決めた主な理由は、ここにある。そもそもそれほど頻繁に使ってるわけでもないしね。何しろ一月1GBのプランでも、まだデータに余裕があるのだ。

というか、各社年一回のペースで新商品を投入し続けている市場である。技術の変化・進化も大きく加わっているのだろうが、“たかが”スマホに、正直、ボクがわざわざ追従する必要などない。実際、今だって通話専用のガラケーと、データ専用のスマホの二台持ちだからね。とにかく通信代が高すぎるわ。

■最先端はすごすぎる

眼鏡、コンタクトレンズだけで、上記したような状態なのである。ボクが「まだ物理レベルでブレークスルーの可能性あり」と思うのは、むしろ自然ではないだろうか。

コンタクトレンズですら、使い捨てタイプで既に遠近両用を実現してしまっているのだ。割とポピュラーなようだが、実体験がないのでパス。遠近両用はハード・タイプにもあるそうだ。共に値段はまだそれなりだが、予備軍は腐る程いるのでいずれこなれていくのだろう。ごく自然な展開である。

ここに電気的な仕掛けが入ると、もうワケわからん。小型軽量化は必須だろうが、眼鏡で視力矯正レベルなら、どうにでもなってしまいそうな気がする。特に老眼鏡の分野で威力を発揮するのではないだろうか。いわゆるオートフォーカスの応用編だが、やろうと思えばできそうな気がする。スマホであれだけできるのだ。

さすがに35mmあたりはつらそうだ(実際あんまり好きじゃない)。55mmくらいが個人的にはちょうどいい画角なのだが、小型軽量化を併せて考えるとこのへんはどうなんだろう。スマホの写真に慣れている皆様には、むしろ35mmくらいの方が自然に映るのかもしれない。分からんけど。

電力供給はソーラーでもいけるんじゃないかな。ボクが持っているGショックはソーラー式だが(というか、2本持っているけど、ソーラー式しか使わない)電力不足に陥った経験はない。ソーラーパネルも結構小さいのだが、時計としての機能は余裕である。

昔ながらの眼鏡屋さんは、時計も扱っているケースが多いのだが、あれは精密機器という括りになるんでしょうかね。相性は悪くないと思うけど。いずれ少子化問題が影を落としそうな気もするが、正直どこまでいくのかボクには想像すらできない。

ちなみに、天体望遠鏡や顕微鏡の世界はよく分からないのでパス。すごいことになっているのは、何となく知っているが、実際のところとなるとさすがにお手上げである。宇宙まで行かれちゃうと、もうホンマにワケ分からんからなぁ。最先端はすごすぎるわ。

電子顕微鏡なんてのは本当にワケ分からんからなぁ……。スマホのレンズですらよく分かってないので、完全に未知の領域だ。本来はここを掘った方が話は広がりやすそうな気がするのだが、とにかく予備知識が皆無なので、身近なところで話を終始させた。

■旧バージョンで充分なのに

ボクが利用している範囲の中だけで、少しデジタルについても触れておく。ボクが利用するというのだから、当たり前かもしれないが3Dだ。しかもBlender一択。ボクが愛用しているのは、2019年にメジャーアップデートした最新鋭バージョンの前のバージョンの最終バージョンだ。

最新鋭のメジャーアップデートでUIが変わりすぎたのと、ボクのマシンパワーがとてもではないがついていけないのだ。プレビューがすごすぎるわ。Adobe Illustratorでは遙か昔に実装された、リアルタイム・プレビューがついてきたのだ。

分かりやすいんだけど、イチイチ待たないといけないからなぁ。大昔のPhotoshopを彷彿とさせる。ぼかしフィルターでコーヒーが一杯飲めたという時代の話だ(爆)

ボクは今でもだがIllustratorですら(CS4だが)、リアルタイム・プレビューを使っていない。自分がやろうとしていることの予測ぐらい簡単につく。実際、その程度の使い方しかしていないし。ポインターが常時見えている方が、ボクには重要なのだ。と書くと、形しかいじっていないのが丸分かりだが、実際その通りだ。

フォントの変形を割とよくやる方なので、こうなるしかないのだ。最近はけっこう細かく設定もできるようだが、文字詰めですら手動でまだやっている人なのだ。だいたい、もうデザインも滅多にしないし。

Blenderに話を戻すと、リアルタイム・プレビューも結構なのだが(実際ボクが使っているバージョンでも、もれなくついている)、やっぱりポリゴンを直接触れた方が個人的には安心である。

モデリング9割、マッピング1割な使い方しかしていないので(その程度の使い方しかしていないとも言う)、充分なのだ。プレビューに関しては割といい加減で、ときおり小さなサイズでレンダリングした方が、圧倒的に楽だったりする。うまくいけば、レンダリングサイズそのものを大きくすればいいだけの話なので、この程度で充分なのだ。

ところが、最新鋭はこの手が通用しない。一応プレビューのレベルも何段階かあるのだが(これは旧バージョンも同様)どうやらレンダリング・エンジンそのものが、まったく異なるものになっているようで、とにかく処理しきれない。結局、この事態が判明した段階で旧バージョンに戻ったのだが(せっかく使いやすそうに色々環境設定したのに)、現段階ではこの環境で十二分である。

最新鋭バージョンは、マッピングデータもまるまる含めてプレビューしてくれるのだが、上記したような使い方では、メリットよりもデメリットの方が大きい。ボクの場合、どうせフィニッシュはPhotoshopにしかならないので、それなりの使い方ができればそれで十分なのだ。

実際のところ、3DとVRの親和性は高いと思う。作業画面がそのまんまだしね。いらんモノをどう隠すかだけで、割とどうにでもなると思う。実際、もうやってるんだろうけど。

■iPad Airにはグラッと来たが

まともに利用したことはないが、Apple Pencilと併用するiPad PROの存在は、どこかのタイミングで、大規模環境整理が必要になるかもしれないが、とりあえず母艦になるデスクトップ機の存在だけは譲れないので(しかもMacオンリーと来てる)、まだ当分先の話だろう。

とはいえ、新しくなったiPad Airにはグラッと来ている。第二世代ApplePencilが使える上に、どうやら画角を除けば、現行のiPad PROよりも賢そうだからだ。

まだ実機に触れていないのだが、文字通り衰退するボクの視力との戦いの、最後の砦になるかもしれない。「かもしれない」とぼやかしているのは、もちろん実機で実際に運用した経験がないからだ。未だに板タブで四苦八苦している人なのだ。

しかも全機能を使いこなしているわけでもない。本当に部分的にだ。ほとんどレタッチレベルかもしれない。その程度の人間が、液晶(じゃないんだけど)ディスプレイで絵を描きこなせるかとなると、やはり不安は拭えない。

正直、Apple Storeで粘って試してみるしかないような気はしているのだが、それでもある程度の大きさをでふぉで描けてしまえば、細かいところはそれこそいくらでも拡大して描くという手はありだろう。

ちなみにこの手は板タブで試してみたが、ものの見事に失敗している。簡単なものならどうにでもなるのだが、やっぱりいつもの絵となると、今のところタブレットでは無理。距離感が掴めないのだ。

そうなると、順当なタイミングは今使っているスマホの寿命次第といいうことになりそうだが、脳みそも老化してるから、慣れるなら早いに越したことはない。

とはいえ、今使っているメインマシンが壊れなければ、の話である。相当長々と愛用=酷使しているから、いつ壊れても別に不思議ではないのだが、使えるうちは素直に使っておくに限る。簡単に最新鋭のマシンに鞍替えできるほど、経済的にゆとりがあるわけではないのだ。MacProは構造的にめちゃめちゃいいと思うのだが、高すぎる。

今のところ、次期母艦になりそうなのはMac Mini。iMacもいいのだが、どうもディスプレイ一体型というのが気になる。冷却の問題もあるし。まぁ、Mac Miniも似たようなものだが、まだどうにかなりそうな気がする。ディスプレイが別というのも、個人的にはいい。

ボクのスマホ事情はと言うと、少し先に触れたが、データ通信専用で未だにiPhone 7Plusを愛用している。でかい画面にしたのは老眼対策だ。今のところは特に問題ないが、いずれ肉体的にもスマホの寿命的にも、限界は来るだろう。iPadに関して珍しくせっせと情報収集をしているのは、こういう事情もある。

手描き原稿の複写は、持っているデジタル眼レフの画素数でも印刷上は問題ないので、中古の複写台をどこかから調達すればよろしい。原稿も基本はA4で固定したので、どうにでもなる。万が一、A4では収まらない大きさの画面になって、カメラで収まり切らなければ、分割して撮影してPhotoshopでつなぎ合わせればいいだけの話だ。これはスキャナーで今でも実際にやっている。

スキャナーも昔に比べればバカみたいに安くなったが、そろそろ終わりも近そうだしなあ。A4よりも大きいサイズのになると、桁違いに高くなるし。原稿の上限をA4にしたのは、こういう事情もある。これ以上小さく描く気はないし、極端にでかいのはとっくの昔に一眼レフで複写している。既に実証済みなので、こっちは問題なしだ。複写に完全移行すれば、原稿サイズはB4くらいまで広げられそうな気もする。

一眼レフの画素数だけで言ったら、最新のデジタル・ミラーレスの方が圧倒的に多かったりする(ボクの持ってる一眼レフが古すぎる)。何しろ、今使っていiPhoneに画素数で負けているのだ。どちらにしても、特に問題視はしていない数少ない事例だ。印刷に耐えられればいいだけの話なので、線引きは逆に楽だったりする。

ちなみに母艦がどうしても必要なのは、ディスプレイサイズが大きくモノを言っていることだけは添えておこう。それと、外付けされている周辺機器の量だ。あれじゃこれじゃで結構つながってるしなぁ。

実際、今のところギリギリ・セーフだが、あと一つでも増えられたらこれまた何か対策を講じないといけなくなる。FireWireを使っているので尚更だが(今はもうこの規格ないんとちゃうか? 知らんけど)これは以前SCSI(!)で経験しているので想定内だ。

■とにかく力業だ(笑)

MacBook Proも一応持っているので(環境は今の母艦と同じ)、大型のサブディスプレイを繋げば、当座は一応どうにかはなる。サブディスプレイがないだけの話だ。最初は出張時の営業ツール兼非常手段として使用していたのだが、営業ツールの方はiPadになってから久しく登場していないので、保存状態がいいサブ機として今は待機中である。

それでも、今の母艦に何かあれば緊急出動だ。まれにBlenderのレンダリングを並行してやらせる程度かな。特に問題や不満を抱えているわけではないので、いつ母艦に進級しても大丈夫な状態である。

本体の冷却が改善できれば、更に問題は極端に減る。何しろ熱くなるから。これが個人的には結構怖い。使う時はわざわざ風通しのいい涼しい場所に移動させてるのだが(生鮮食品か!)、それでも不安は拭いきれない。調べたらそれなりのものは流通しているようなので、母艦に進級したらマストバイだ。

ちなみに、これまでの話は全部お金で解決できる話なのだが、何しろこっちは赤貧洗うがごとしなのだ。なかなか厳しい。メモリもギリでやりくりしているのは、単純にボクの懐事情なのだが、それでもどうにかなってしまうのが恐ろしいところである。「どうにかしちゃってる」の方が正しいんだろうけど。母艦であるiMacもMacBook Proも、その典型ですね。とにかく力業だ(笑)

贅沢を言えば、ハードディスクなりSSDの容量を今よりもでかいのにしたいのだが(特にSSD)、何しろバックアップ用のブルーレイ・ディスクすら買えてない状態で(本体ではなく円盤の方)後回しにしているのだ。こっちの方が遙かに安いし、バックアップを取ってしまえば、当然今持っているバックアップシステムに余裕ができるのだが、貧乏は辛いなぁ……。

ディスプレイに関して言えば、デスクの物理的な限界もあるのだが、21〜24インチあたりが妥当だろう。昔は17インチでやっていたのだが、今の21インチに慣れてしまったのでどうしても狭く感じる。

さらにMacBook Proは13インチなので、母艦に進級させようとすると、どうしてもサブディスプレイは必須になる。大昔は13インチのディスプレイで作業してたものだが、慣れというのは恐ろしい。

ちなみに「衰退する視覚」というのは、何も肉体に限った話ではない。この辺については以前にくどくど書いた気がするのでサラッと流すが、要はモノの見方(見え方)である。

できるだけサラッと流すが、要は何を見るか(見えてしまうか)や、脳の識別の仕方が絡んでくる。特に後者はまだ研究が盛んに行われている分野で、門外漢のボクが口を出す話ではない。ものすごく簡単に言うと「目はセンサーで、情報処理は脳」と捉えれば大間違いではないようだ。このへんは老眼や、ボクの遠乱視にも絡んでくる。

センサーがアホになってるから、脳の情報処理もそれなりにしかならないという、極めてシンプルな話である。本当にこれであってるのかどうかは分からない。ただボクはこれで納得している。色について可能な限り話を避けたのは、こういった背景があるからだ。

脳の情報処理と一言で言っても、個人差は当然ある。視覚に限らず、使っていない実装機能は割と多いのだ。主観が混じりやすい色となると、話がややこしくなるのは当然である。

ちなみに印刷のデータを作る上で、ボク自身は基本10%刻みでしか入力はしない。Illustrotorなんかスライドバーがあるが、ほとんど使ったことがない。全部数値入力で終わらせている。昔ながらの設定の仕方である。

会社員時代はこれがでふぉだった。当時はまだアナログ環境が圧倒的にメインだったので、これで慣れているのだ。ちなみに、ややこしい色(オレンジとか一部のパステルカラーとか)のころび方も熟知しているので問題なしだ。

Photoshopで仕上げたデータに関しては、印刷屋さんに丸投げだ。丸投げしてもどうにかなっちゃうシステムになっているので(あくまでもボクの経験値内です)何の心配もしていないし、予想通りの結果しか出ない。

というか、色味そのものを印刷の特性上振れやすい使い方しかしないので(できないの方が正確かも)、特に問題はない。振れたところで想定内の範囲だし、細かいことを言って困らせるのは本意ではない。そもそも、そんなデータを作ったボクが悪いだけの話だ。

ボク個人の日常生活に限って言えば、田舎に住んでいるので四季の移ろいの変化はやはり毎年のように新鮮に思えるし、新しい発見だってまだまだある。個人的にはこうした体験の方が、VRよりも大事なのだ。

視野だってディスプレイだのカメラのファインダーに比べれば圧倒的に広いし、歳と共に同じものを見ても感じ方や見方は変わってるし、ボクとしてはこっちを優先するのが自然である。

だからといって、デジタルの最新鋭テクノロジーやガジェットを軽視しているわけではない。こっちはこっちで重要なのだが、興味が向かないだけの話である。例外はiPadだけだ。

■紙の手描きを止める気はまったくない

スマホに慣れている人には、ボクとは違った景色が見えるのかもしれないし、これはデジタル環境一般についてもそうだろう。その中から新しい発見や価値観が出てきても、何の不思議もないので否定はしない。好みの問題ですね。というか、異世界の話にしかボクの目には映らない。

リンクを貼った動画で感じたのは、「VRで最初の『ブレードランナー』を見たらスゴいコトになりそう」と思ったことだ。特に映画始めの方に出てくる、主人公の乗るポリス・スピナーがティレル社をを訪れるシーンなんか、VRにされたらそりゃ壮観でしょうよ。

もっとも、映画館で3D、VR、体感型のスクリーンを利用したことはない。落ち着かなさそうだし。ゆっくり安心して見ていたい。酔いそうだしね。映画は最後列でじっくり眺めるのがボクのスタイルなので、余計に必要ないし。迫力は個人差もありそうだし、こと話がボク個人になるとややこしいことにしかならないから、ボクが見切りをつけているだけの話だ。

テクノロジーの進化・発展・発明は、人類がいる限り(余程のことがなければ)続くだろうし、ボクはそれはそれで自然なことだと思っている。価値観だってモノの見方だって、時と共に変化するのが自然だし。

むしろボクのように、ここまで頑固な方がどうかしているのだ。どう考えても少数派なので、ボクはボクでボクなりの態度と手法を探すしかないし、それこそボクにとってはベストだったりする。先も見えてるしな。

「日常」そのものが変化しているのだ。価値観だって変化するのは当たり前だと思うしね。

少なくとも、紙の手描きを止める気はまったくないので、これは死ぬまで続くだろう。早く死んだら楽なのに(笑)。しかし、こればっかりはボクの手には負えん。せいぜい致命的な不治の病に、早くかかってくれるのを祈るしかないな。寿命が短いでもいいんだけどさ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
https://yowkow-yoshimi.tumblr.com