はぐれDEATH[104]Dangerous Kyoto 迫り来る京都の自然災害
── 藤原ヨウコウ ──

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■日本列島そのものが断層列島

「50年に一度」のレベルでは、さすがに対応しきれなくなったことを明らかにしつつあるここ数年の大雨と土砂災害だが、「地球温暖化の最悪の例の一つ」という説も出てきているらしい。

ちなみに今年の梅雨、九州地方を中心に猛威を振るっている大雨だったが、インド洋の海面温度が上昇しているから、という説があるらしい。もちろん偏西風やら、もともと生まれやすい梅雨前線など、付随する諸条件もあるようですが。

お隣、中国でも大雨被害は出ているらしく、あまりの降雨で世界最大規模の三峡ダムの決壊の噂がまことしやかに流布されているようだ。諸説を挙げ出すとキリがないのでもちろん省くが、万が一決壊したらどえらいことになるでしょうな。

三峡ダムの決壊について他人事のように片付けたが、これにはそれなりの理由がある。別に人民の皆様を蔑ろにしているわけではない。あまりに推測が多すぎる上に、客観的なデータが掴めない。もちろん、あの規模のダムが決壊すれば被害は甚大である。それでなくても下流域では、今回の大雨で既に大被害が出ているのだ。





三峡ダムがかかる長江は古代から暴れ川として知られており、「長江の治水」は権力者や付近住民にとって現在進行形の課題である。もっとも、我々日本人からすれば「ほとんど海やン?」な規模である。

下手したら瀬戸内海の幅よりもでかいんちゃうか? 治水もクソもないと思うのだが、ここは島国と大陸の違い、と片付けてもよさそうな気がする。長江に比べれば日本の河川などはほとんど小川レベルどころか、わき水レベルである。が、連日、報道されているように水と土砂の被害は、止まるところを知らない。

一説によれば、日本の河川の治水の難しさは、「山から海までの距離が短いこと」とある。今に始まったことではないと思うのだが。要は高低差が短距離であるということだ。だが、ここだけを取り出して言い出すと「黒部渓谷はどうなる?」になる。

黒部第四ダムが現在の場所に建設された理由は、「豊富な水量と、水力発電に必要な高低差」であり、実際、黒部渓谷から海までの距離は、日本の険しい河川の中でも屈指の短距離である。

水量に関して言えば、豪雪地帯であることも関連して(雪解け水ですね)年間を通して群を抜いているらしい。

黒部第四ダムに関しては、様々な資料で豊富に紹介されいているので詳細は省くが、上記した二つの条件に「地盤の強靱さ」もある。もっとも、黒部ダムトンネル建設では破砕帯と呼ばれる軟弱な地盤と、止まることを知らない地下水で悲惨な目に遭っているが。

日本の地形は四つのプレートが衝突していることで形作られているのは、既知のこととして話を進める。地震大国と呼ばれるのも、これに起因するのは言うまでもないだろう。

プレートのせめぎ合いで隆起している場所は、それこそ全国どこでも見られる。かくいう京都盆地も、プレート移動と断層の産物である。近年になってようやく一般的に脚光を浴びだした(?)断層だが、京都市内はもう断層だらけである。大きな断層で生まれた例は、嵐山・山崎山系と東山・比叡山だ。生まれたと言うより「残った」が正しい。京都盆地の方が陥没したのだ。

断層のメカニズムはちょっとややこしすぎる上に、バリエーションが多すぎるので、さすがにボクでは手に負えない。それでも絶えず四方から地盤そのものに圧力が加わり続けていれば、まともな一枚岩状態になるはずはあり得ないので、日本列島そのものが断層列島と言ってもいいだろう。隆起しようが陥没しようが、まともな状態でないことだけは想像しやすいと思う。

上記した黒部ダムトンネルの破砕帯なんてのは、ほんの一例に過ぎない。そもそも黒部峡谷そのものが、様々な岩質でややこしく形成されていて、やたらと頑丈な地盤があるかと思うと、軟らかい地盤もあるという、日本列島そのものの巨大なサンプルだと言ってもいい。

蛇足ではあるが、河川や谷が出来るのは水が流れる時に、軟らかいところを削って行っているからに過ぎない。実際、硬い地盤と軟らかい(削れやすい)地盤が隣接していて、初めて深い渓谷は形成される。

深くなくてもいいのなら、秩父の長瀞渓谷をあげてもいい。片側は断崖絶壁、対岸は緩やかな地形で出来ている長瀞渓谷は、隣接する二つの異なる性質を持つ地盤が生み出したものだ。

まぁ、自然相手だけならボクは最初から白旗を上げるに越したことはないと思っているので、わざわざない知恵と怪しげな知識を駆使してまで、作文を書く気にはなれない。どうしようもないからね。

「自然を征服」など「アホちゃうか?」と、すかさず突っ込みを入れる人なのだ。人のできることなどたかがしれているし、そもそも自然そのものが複雑なシステムを持っているのだ。

こんなものと比較するなら、新たなコンピュータ・ウイルスやらハッキングのいたちごっこの方がよほど平和である。所詮は人間のすることである。AIですら、ボクは自然の複雑なシステムと比較すれば馬鹿にしているのだ。

いや、充分すごいんですけど、電源切られたらお終いやん。その電力だって自然に出来上がってるもんじゃないですからね。

■何かあるなら西賀茂か

さすがにここまで報道されれば、ある程度は想像いただけると思うのだが、水が流れれば川底を削ったり、崩れた土砂が河川に流れこみ、これが大規模になれば大きな括りでの「水害」が発生するのだが、このこと自体は別に珍しいことでも何でもない。家や自動車も流されてるけどね。

上記した長江流域は肥沃な大地でも知られているように、害ばかりというわけではないのだ。堆積物が育むものだって沢山ある。だから草木が生え、それを食べる生物がいて、その生物を補食する……という食物連鎖も成立する。

自然なままなら話はここでお終いである。人がややこしいことをし出すと、自然のサイクルも「自然災害」になる。単純に見方次第なのだが、あくまでも人目線にこだわるなら、負けは確実である。そもそも勝とうとすること事態が無駄なのだから。

先日、ちらっと見た記事に「自然に生えている個々の木の距離そのものが、植生上のソーシャルディスタンス」みたいな一文があり、「木にソーシャルはあまりに無理があるやろう」と突っ込んだのだが、別に今回のコロナに限らず、安全な距離というのは自然界でも普通に存在する。

むしろ安全な距離をじゃんじゃん無視するのが人であろう。生物的な距離ですら、サクッと無視できちゃうのが現代人である。ちょっとした人混みなんかは最たる例で、ソーシャルディスタンス云々を、今更持ち出す方がむしろおかしいのだ。

これが住宅密集地となれば当然、いわゆる「自然災害」のいい獲物になるのは目に見えている。正直、東日本に関してのボクの知識は稀薄そのものなので、ここからは京都市内を中心に話を進める。しかも左京区がメインだ(笑)

この大雨で京都もそれなりの被害は既に出ている。叡山電鉄鞍馬線とその沿道である府道は、貴船〜鞍馬間で土砂災害で既に途切れているし、上賀茂神社付近だって一時は土砂災害警報が出ていた。

賀茂川が暴れ川であることは歴史的な事実であり、戦後にだって今の上賀茂本宅(実家)当たりまで、氾濫した川の水害でばっちり浸水しているのだ。今は両岸に大きな川縁を備え、それなりの(あくまでも自然相手ならそれなり)堤防が築かれているが、川底がさほど深くないので当然限界はある。

今のところは鞍馬山の保水力に頼るところが大だが、今年の熊本・大分レベルで大雨が続けば確実に破綻するでしょうね。一番ヤバいのは鞍馬山から下ってきた川が、西から南に方向転換するところである。

いわゆる西賀茂地域なのだが、ここは元々田畑が広がる場所だった。今は新興住宅地として生まれ変わりつつあるが、そもそも上賀茂神社以北は人家がまばらな場所だったのだ。

松ヶ崎ですら、田圃の真ん中にいきなりボクの母校がそびえ立つような辺鄙な場所で(ボクの入学時は正にこれだった)、奧さんが時折口走る「北大路以北は京都と違う」というのも、あながち間違いではないのだ。

西賀茂に話を戻す。ほぼ直角に方向転換をするところに「想定外」の大水やら土砂やらが短時間に押し寄せれば、当たり前の話だが、外側(賀茂川なら西。要は西賀茂地域だ)に激突することになる。強度をどの程度計算しているのか分からないが、少なくともここ数年の水害レベルではないだろう。

嵐山に始まる桂川(嵐山以北は保津川と呼ばれる)は、ほぼ真っ直ぐ南下しているのに、大被害を受けているのだ。整備時期そのものは加茂川と大して差はないと思う。嵐山付近の方が川底が浅い分、川縁を広く取っているのだが、堤防そのものが低いので(ここは観光地の辛いところだ)あっさり突破されてしまう。

加茂川の堤防は嵐山付近の堤防よりは明らかに高い。だが、ちょっと思い出して頂きたい。河川が運ぶ土砂が土地を肥沃にするという、当たり前すぎる事実のことだ。人家がまばらだったのは、もちろん人口の少なさもあるのだが、田畑に適した土地である西賀茂近辺は、昔から何度も浸水していたと見るのが自然である。

大分前になるが、アスワンダム・アスワンハイダムが肥沃なナイル・デルタをものの見事に砂漠化させたことを指摘したのだが、自然のサイクルで起きる水害なり土砂災害なりは、土壌そのものの生命力を維持する機能もある。西賀茂が田畑だったのにも、それなりの自然の条件があると見るのが普通であろう。

だが、その田畑は徐々に姿を消し、住宅地へと変貌を遂げつつある。「何かあるなら西賀茂」とボクが思うのは、別に明後日の方向の発想ではないし、専門家は当然のことながら気がついているはずである。しかし、それらしき対策を取っている気配がにい。むしろ、宅地化を加速させているくらいだ。

同じような例が、高野川という左京区北部を流れる川にも言える。大原女で有名な大原・八瀬辺りから、比叡山の北を西に迂回しつつ、叡山電鉄・宝ヶ池駅近辺でこれまたいきなり南に向きを変えている。

幸いなことに、ここは昔から田畑どころの場所ではなかったので(妙法山の北東端だ)川底も深く、方向を変えるところで水が氾濫することはまずないだろう。さらに大原あたりの上流でさっさと氾濫してしまって、下流への被害が少なくなるという悲しい事実もある。大原はもちろん土壌が豊かなので、田畑が今でも広がっている。

もし、この大原の例を西賀茂に当てはめれば、昔は良かっただろうが今はとんでもないことになる。大原・八瀬はいまだに住宅はまばらなのである。住宅密集地になりつつある西賀茂は、相当な被害を覚悟した方がいいだろう。

話を戻すが、高野川は賀茂川と比較すると圧倒的に川底が深い。ただ、この高野川と賀茂川が合流する出町柳は、下手をするとどえらいことになる。

何しろ二本のそれなりに大きな(京都市内の中では)川が、まともに合流するのだ。水源がある程度離れているのが今のところ救いだが、これだって巨大な線状降雨帯が、長期間に渡って頻発し続けるとなると話は別である。

無駄に(!)頑丈な堤防でがっつり二本の川が合流したら、出町柳はもちろんだが、以南だって正直かなりヤバい。特に三条〜四条間は川縁も急に狭くなっているので、危険度は一気に増す。

川幅そのものだって上流の賀茂川と大して変わらないのだが、川縁の広さがどう見ても狭いのですよ。下流なのでそれなりの深さはありますが、白河や琵琶湖疎水も合流しますからね。一応この二つの川に関しては堰があるのですけど。もちろん放水路も相当数ありますが、限界はあるでしょうね。

堤防が決壊するのには現在4つのメカニズムに分類されているようだ。

・堤防を越え外側にあふれた水がのり面を下から削り取って崩壊させる「越水」・勢いよく流れる川の水が堤防を河川側から削る「侵食」・川の水が堤防の土の中に染み込み、強度が弱くなってのり面が滑る「浸透」・堤防下の地盤の弱い部分に、川の水がパイプ状の通り道を作り堤防を沈下させる「パイピング」

詳細は国土交通省のHPで。リンクを貼ろうとしたのだが、PDFばっかりなのでやめた。

理論化すればややこしくなるのだが、要は弱いところを見つければ容赦なくその部分に襲いかかるという、極めて単純な自然現象である。

一応、これらの決壊システムを複合的に抑止できるような、ハイブリッド型の堤防を築いている場所もあるようだが、数が少ない上に、これまた人間が弾き出した計算値内の話なので(弾き出したのはスーパーコンピュータでしょうが)完璧ではない。むしろこれに頼ると、それこそ地獄を見るかもしれない。

現在の左京区が、桂川を持つ右京区に比べて水害が少ないのは、単純に京都盆地の地形のおかげと言っていい。

京都盆地は北から南に低くなっているように思われがちだが、正確には北東から南西に向かって低くなっている。実際、平安京の南西部は低湿地帯で、人が住まなかったとさえ言われている。一方、平安貴族の別荘が内裏よりも北東に集中したのも、不思議でも何でもないのです。それでも加茂川の治水には手を焼いているのですが。

話が逸れるが、「かもがわ」の標記には「鴨川」が当てはめられるのが一般的である。ボクが「賀茂川」とか「加茂川」と標記するのは、どちらかというと気分の意味合いが強い。

上賀茂神社だからあの辺は気分的に「賀茂川」なのだが、下鴨神社(出町柳だ)なのに「加茂川」にするのは、単に二つの川が合流して「加わっている」という意味合いしかない。何がどう正しいのか正直、調べる気にすらならないのは、ボクの気分に他ならない。漢字なんてそんなもんでしょ(失礼)。

治水とは若干意味合いが違うかもしれないが、下水道もある意味要注意である。

一昔前は「どこを掘っても井戸はすぐ出来る」と言われていた京都市内だが、これは単純に豊富な地下水の存在があったからにすぎない。上記したように、京都盆地は細かな断層の密集地帯になっているので、恐らくここに貯水されていたのだろう。

今はこうした地下水は、下水道に流れこむような仕組みになっているらしい。というか、下水道に流さないと水道整備そのものが出来ない、という面の方が強そうな気がする。「貯水をしないで普段から地下水を放水している」という見方も出来る。

京都市内の下水道は多かれ少なかれ、こうした放水路としての役割も担っていて、加茂川も放水路を持っているとはいえ、下水道のお世話にもなっている。

豊富すぎる地下水の威力に関しては、四条通を東西に走る地下鉄阪急線工事の時にどうも発覚したようなのだが(予測はあったらしい。というかあったと思いたい)、「どこを掘っても井戸が出来る」土地に、地下鉄レベルのトンネル工事をすれば、そりゃ地下水があふれ出すでしょうよ。下水道整備の見直しにもなった事例らしいのだが、詳細はパス。知らんからな。

敢えてものすごく話を単純化するが、どれだけ人工的に水を逃がそうとしても、放水路そのもののキャパを越えれば、水は溢れる。下水道も例外ではない。

去年か一昨年、福岡市内を襲ったゲリラ豪雨で、マンホールから水が噴き出すニュース映像を見た方もいるだろう。下水道内の水量が一気に増えて、水圧が増したために起きた現象だが、今となっては全国どこでも起きる可能性は高い。

あれはあれで下水道そのものが崩壊しないように、ワザと作ってある放水システムなので(意図せず出来ちゃった場所もかなりあると思うが)、仕方がない。当たり前の話だが、ここであふれた水は地表を伝ってまた下水道行きだ。下流に持ち越しというわけだ。京都市内で言えば伏見区が相当する。

伏見は加茂川・高瀬川・宇治川、場所によっては桂川・大和川まで合流するところなので、出町柳どころの話ではない。まぁ、このおかげで発達した地域でもあるんですが。大雨どころか、台風の時でにも大騒ぎになるのだ。

ボクが住んでいた近所ですら、堰が大量にあったのだが、開けたり閉めたりで結構せわしないらしい。ちょうど南東からきた宇治川が西南西に曲がって、直線コースに突入するところなので、ヤバいのはヤバいんですがね。巨椋池でも残ってれば多少はマシだったかもしれないけど、巨椋池は巨椋池で氾濫の歴史がしっかりあるので、今となってはよく分からん。

ちょっと話が宇治に逸れますが(ボクは行ったことがないに等しい)、この宇治川上流にある天ヶ瀬ダム。詳細はもちろん知らないので、ややこしいコトは飛ばすが、国内でも決壊の可能性が高いダムとして、さる筋では有名なのだそうだ。もちろんボクには分かりませんが、どうも地盤がヤバいそうな。

ダムの安全度はともかく、宇治市内にめちゃめちゃ近い上に、上記したように最終的には淀川水系に流れこむ。淀川水系にはいくつもの河川が流れこんでいる上に大阪湾に流れているのだが、南海トラフ地震で運が悪いとバックドラフトという逆流現象が起きて(火事の専門用語だと思っていたのだが)、山崎〜伏見はもちろん、京都市内にまで水浸しになるという説まであるそうな。

淀川に沿って津波が逆流するだけでなく、ここに天ヶ瀬ダムの決壊で流れこんだ水がぶつかるわけですね。地震の話は置いておいて(ややこしくなる)、京都市内とその周辺だけでもこれである。大阪まで視野に入れ出すと、本当に手がつけられなくなるのでやめておく。

■自然災害のサンプルが九州全土に

九州に関しては今後詳しくふれる予定なので、熊本県の球磨川の氾濫についてだけちょっと。

球磨川そのものの治水については、各種報道がなされているので既知のモノとして話を進めるが、それでも報道量は災害規模と比較すると恐ろしく少ない。

これがもし首都圏で起きていれば、例の「Go to キャンペーン」どころではないと思うのだが、この稿の執筆時点ではなぜか全国区の報道では、こんなものがトップになっている。率直に言おう。「アホちゃうか?!」

若干、話が逸れるが熊本平野の地層は実にややこしく、うろ覚えだが5重くらいの大きな層になっている。それもただ単に違う地層が重なっているというだけではなく、地下貯水庫とも言えそうな豊富な地下水を溜め込んだ地層が2〜3層あるらしい。度重なる阿蘇山の噴火が生み出した地層らしい。

江戸時代初期に加藤清正が、大々的な農地整備を行った折に最大限に利用したのが、白川とこの地層から湧き出る地下水である。詳細はこれまた省くが、とにかく上手なのだ。

生え抜きの戦国大名に都市整備・建築の名人が多いのは今更言うまでもないが、中でも加藤清正は安土・桃山時代〜江戸初期においてはトップクラスだろう。その加藤清正をもってしても、完全な治水を目指していたとは正直思えない。ただの勘だが、人間の力の限界も充分に知り尽くしていたから、ある程度の被害が出ることも覚悟していたのではないだろうか。

ただ、この水の恵をもたらしてくれた地層にも、致命的な欠陥がある。2016年に発生した熊本地震である。

もちろん、地震そのものの原因は別にあるのだが、内陸型震度が国内最大であったことも、一方で巨大地下貯水槽が脆弱な地盤を露呈した結果にもなり、被害を拡大させていると思われる。水の上に浮いているような状態なのだ。下から複数の水の層を通して衝撃を受ければ、地面だけの直撃よりもややこしい振幅を起こすのは目に見えている。

話を戻すが、清正の活躍した時期は堅牢すぎる堤防よりも、ところどころでわざと氾濫が起きてもおかしくないような作りをしている。これは一般的に「信玄堤」と呼ばれる、武田信玄が整備したと言われる「水害軽減システム」で顕著に見られる。詳細は、ググって頂ければ有名なのでぞろぞろ出てくる。

あくまでも「軽減」に焦点を置いているのが、この時期の治水のメインコンセプトであろう。武田家そのものは織田・徳川連合軍の武田領侵攻により滅亡し、その後、甲斐は徳川家康・豊臣秀勝・加藤光泰・浅野長政・幸長と歴代の大名が入領しているが、この治水システムの建設・整備そのものは代々続いていたようだ。

清正は城下町の堤防の上に竹を植えていたらしい。もちろん、堤防そのものをより堅牢にするためだ。土を盛ればそれでいい訳ではない。こんな例は全国に多く見られる。土や岩で盛るだけでなく樹木を植えて、その根でさらに堅牢にするという発想である。

賀茂川の桜並木にそこまでの威力はイマイチ感じないのだが、それでも両岸に結構な密度でがっつり根を生やしている。

今回甚大な被害をもたらした球磨川は熊本県の南東を流れる河川で、最上川・富士川と並ぶ日本三大急流のひとつでもある。球磨川上流に位置する人吉盆地(球磨盆地)は、酒造でも栄えているほど水量の豊富な地域だ。

加藤清正と同時代(というか、鎌倉期から明治に至るまで)にこの地域を支配していたのは相良氏で、球磨川を経由して八代(細川熊本藩時代)間で物流も可能にしている。更に江戸時代には新田開発にも積極的だったことも、酒造に適した地域作りに貢献したと言えるだろう。

この人吉盆地だが、後に「竹鉄砲事件」(1758年)という、8代藩主頼央が鉄砲により暗殺された事件の発端となった、大水害に見舞われている(1755年)。少なくともこの時期には、既に水害は起きていたのだろう。

元々四方を山々に囲まれ、外界から閉ざされた人吉盆地は、内陸型気候で昼夜の寒暖の差が激しく、そのため秋から春にかけて盆地全体がすっぽりと霧に覆われてしまうことが多いそうな。「そうな」で済ませたのは、例によって例の如く、ボク自身が実際に目にしたことがないからだ。

球磨川そのものは人吉盆地の中を小さく蛇行しているが、上流の山地に入ると途端に両岸が切り立った崖に挟まれているのが見て取れる。これでは治水もくそもないと思う。何しろ熊本平野で使えた「水の逃がし場所」がないのだ。

約200万年前から、南九州が反時計回りに回転し、九州の西側を分裂させる地殻変動が始まり、入り江あるいは低地が形成され、続いて肥薩火山群の活動によってこの低地地形の西側が塞がれ「古人吉湖」と呼ばれる湖となる。この湖は約100万年前までに消失し、その跡に残されたものが今の人吉盆地だそうな。

あの盆地が湖だった時期を考えれば、当然水源も水量も相当量が古くからあったことは明白だろう。約100万年前に消失したらしいが、この原因については正直さっぱり分からない。現在の人吉盆地の西端から球磨川は西へと流れていっているのだが、出口も結構な狭さなのだ。

火山活動の影響かとも思ったのだが、どうやら古人吉湖時代以降は大きな火山活動の影響を受けている形跡がないようなので、個人的には闇である。じわじわどこかから水が逃げていった、くらいしか思いつかない。

九州の場合はほぼ全土を通じて、地殻変動の他にも活発な火山活動が地形形成に大きな影響を与え続けているが(日本全国火山があるところはどこもなんだけどね)、阿蘇山の破壊力はやはり日本国内でも屈指であろう。今もがっつり活動しているし。更に高千穂峡を筆頭に、峻険な山岳地帯が南九州にあるのも注目すべきだろう。

自然災害の宝庫というか、サンプルが膨大に採れそうなのが九州全土と言ってもいいかもしれない。実際、線上降雨帯予報の実験データも現在取得中らしい。今回の大雨でもある程度の予測は出来ていたらしいのだが、データ不足で正確な予報という形にはならなかったようだ。

それでも、該当地域の関係各所に連絡はしていたらしい。このシステムは早晩それなりに機能することになると思うが、それでも治水の役に立つかと言われると首を傾げざるを得ない。避難の役には立つと思うけど。

■ボクには怖いところだらけ

本来ならここまで九州に言及する気はなかったのだが、ボクの目が明らかに西を向いているのでこうなってしまった。東日本だって似たような例は腐るほどあると思うのだが(今回の大雨で長野県内でも水害は発生してるしね)、ボク自身の視野の狭さと、東日本に感じる根拠のない恐怖心が目を逸らせる結果になっていると思って頂ければ結構である。

実際、ボクの東の限界は東山だし、行ったことがある最東端(最北端でもある)は日光東照宮止まりである。日光東照宮ですら電車に揺られながら恐怖と戦っていたのだ。それでも行ったのは、どうしても東照宮の彫刻を目のあたりにしたかったからだ。

ちなみに、ももち(飼い猫)の出身地は三重県の鈴鹿だ。我が家でもっとも東から来た子になる(笑)

近畿でもボクが恐怖するのは、高野山から和歌山県に至る山岳地帯である。特に高野山は本当に怖い。ボク的には霊験あらたかを軽く突破してしまっているのだ。学生時代に同級生に誘われれて一度行ったことがあるのだが、深夜から早朝にかけての訪問になったので、恐怖心は倍増である。霧も出てたし……。

熊野古道も興味はあるのだが、まだ足を踏み入れていない。やはり恐怖が勝っているからだ。幼少期に月に照らされて浮かび上がった山影に恐怖心を憶えながらも、心打たれた記憶が強いせいだと思うのだが、とにかく自然の生命力の計り知れなさを如実に感じてしまうのだ。

比叡山はと言うと、実はそれほどでもない。馬鹿にしているつもりはまったくないのだが、初めて見た時から「ふ〜ん」で終わってしまっている。大きな川とセットじゃないからだろうか? 和歌山県と奈良県を流れる紀ノ川の壮大さと峻険な山並みのセットは、もう圧倒されるばかりである。

六甲山もそれなりに峻険ではあるのだが、とにかくすぐに瀬戸内海が見えるのが救いである。個人的には明石海峡大橋は邪魔で仕方がないのだが(笑)

■けっこうヤバそうな所を歩き回って

最後に、いまボクが住んでいる仮寓の近辺について記しておく。

深泥池の南に隣接する山(丘といって方がよさそうな気がするのだが)の西側斜面に、へばりつくように建っているのが今の仮寓である。ばっちり土砂災害警戒地区に指定されている。

ボクがこの山を歩き回っただけの感想だが、西側斜面が崩れそうな気配はない。一つはほとんどほったらかしにされている木々の存在である。植生は豊かで広葉樹と針葉樹が混じり合い、がっつりと根を張っている。加えて地盤の良さだ。

結構ヤバそうな所を歩き回っているのだが(!)、あちらこちらに花崗岩と思しき巨大な岩が露出していて、もれなく苔生している。シダ類も豊富で理想的な自然林に近い状態なのだが、これは単に京都市の景観保護条例にモロに触れるからだ。

要するに下手に手をつけてはいけない山で、比叡山や東山もこれに該当する。この山の東側は狐坂を挟んで妙法山があり、「五山の送り火」という京都を代表する大イベントがある(今年は規模縮小)。

深泥池を挟んで西側には上賀茂本宅裏に続く山があるのだが、これまた大規模な土砂崩れが起きた記憶がない。本宅は多少離れているので、少々の土砂崩れではほぼ影響がないと思うが(上賀茂小学校が隣接しているので避難場所にも困らない)、この山の植生も立派なもんである。

山と森林は土砂災害のメッカみたいに見られがちだが、自然林はむしろ防災機能の方が大きい。上記した鞍馬山だが、実は山頂付近で木を伐採していて(!)保水力が落ちているのではないかと勝手に疑っている。何のために伐採しているのか、さっぱり分からないのだ。調べる気にもなれん。

あれだけ被害が出ている桂川周辺だが、嵐山そのものはビクともしていない。四季を彩る木々を見れば明白なのだが、ここも植生が豊かである。さらに嵐山はチャート(火打ち石といった方が分かりやすいかもしれない)と呼ばれる、堅牢な地盤がある。

保津峡についてちゃんと調べたワケではないのだが、やはりこのチャート層は相当ありそうな気がする。保津峡そのものが大規模に崩れたという話は、少なくともボクの耳には入ってきてないし。

対して桂川周辺は、左京区と比較しても相当だだっ広い。典型的な扇状地といっても良さそうだ。盆地な上に扇状地、さらにかつての低湿地。おまけに、よせばいいのに京都でも屈指の観光地である。

一応、桂川の両岸にも樹は植えられているのだが、上記したようにいかんせん堤防そのものが低すぎる。頑張って川底を掘り下げる作業をしているが、これだって毎日上流から水がせっせと堆積物を運んできているので、焼け石に水。

逆に「ここで氾濫しなかったら下流はどうなる?」にすらなりかねない。当然のことながら、ダム建設も無理だろう。保津川下りという、これまた観光の目玉があるし。

更に京都府の南北を貫く京都縦貫自動車道は、自然災害リスクを上げているようなもんで、ボクに言わせればとんでもない愚行である。ボクは、この道を使用したことがない。嫌いなのだ。だからわざわざ昔からある峠道を専ら使っている。時折、頭の上に京都縦貫自動車道が見えるのだが、いつも忌々しく眺めている。便利なのだろうが、少なくともボクには不要だ。

話が大分逸れたぞ。先にも触れたが妙法山とボクの仮寓がある山は、基本的には同じ山系(と言っていいのかなぁ?)である。軟弱極まりない場所に、あのように市内から一望できるような施設(?)をわざわざ作るだろうか?

一昨年、猛威を振るった台風の時ですら倒木はあったものの、大規模な土砂崩れは起きていないのだ。貴船・鞍馬は相当酷い被害を受けているんですがね。実際、翌年は何事もなかったように「五山の送り火」は行われている。

学生時代に妙法山を西から東に向かって、尾根伝いに踏破したことがあるのだが(しかも泥酔している先輩や同級生を抱えて)、足下の地面は意外なぐらいしっかりしていた。当然、道などないので勘頼りなのだが、周りが酔っぱらいなので結果的にボクが先導を取る羽目になった。

迷惑この上ないのだが、この手の勘はナゼか冴えている人なので無事下山できた。というか、本当は入っちゃいけないところなのだが、酔っぱらった学生のやらかすことと言えばこんなもんだ。巻き込まれるこっちはたまったもんではないが、その辺は付き合いである。それこそ自然災害に遭ったようなもんだ。

それでもしつこいようだが、京都市内だって災害リスクが他の地域よりも飛躍的に低いわけではない。人口が増えれば住宅地は必要なわけで、真っ先に餌食になるのは田畑や自然林である。予報がどれだけ正確になっても、逃げ場所がなければ無意味なのは、特に頭を捻る必要すらない当然の帰結である。

堤防もダムも自然の前では決して万能ではない。本当の意味での「自然との共生」をいい加減マジメに考えて、実践しても良さそうなもんだが、「経済効果」の前にすべてはひれ伏すのが現代なのである。自滅は目に見えてると思うんですがね。

首都圏を専ら無視したのは、興味がないこともさることながら、正直よく分からないからだ。特に東京はさっぱり分からん。昨年の豪雨で一躍脚光を浴びた某ダムにしろ、地下にある巨大な貯水槽を前に役人がエラそうな顔をしてガハガハ笑っているのを見て「東京は危険すぎるな」と、そっこーで見切ってしまったからだ。都民の皆様には気の毒としか言いようがない。

元々、低湿地だった場所な上にあれだけの密集地域である。今のところ難を逃れているが、いざとなったら悲惨そのものでしょうな。大阪もそうだけど。そろそろ本当に人の限界を認めるべきだと思うんですが、そういう気配はイマイチないなぁ……。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi
moriyama http://yowkow-yoshimi.tumblr.com