はぐれDEATH[79]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて
── 藤原ヨウコウ ──

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副業をやめた後、とある編集者からある企画を提案された。詳細は勘弁して下さい。進行中だし日の目をみるかどうかまだ分からないのだから。

正直、最初は断った。ヤバい案件なのである。ヤバいというのは世間的に「ブラック」であるということではなく、あくまでもボク個人に帰する。





●壱

2004年の企画展(たぶんデジクリのバックナンバーのどこかに入っている)以来、ずっと封印していたことを、やらざるを得ないような案件なのだ。

そもそも2004年の企画展だって、最初は潰すつもりでいたのだ。だから「まずサンプルを見てから決めて下さい」と最初の打ち合わせで提案し、「まともな社会人でこういう場の人なら確実に引くだろう」というとんでもなブツをサンプルとして提示したら、こちらの意図とは真逆に「是非、この路線でやりましょう!」という恐ろしいことになってしまった。

もちろん断りましたよ。「ギャラリーの品位に影響する」とか「御社の製品をズダボロにする」とか、とにかくマイナス要素を並べ立てて抵抗したのだが、「大丈夫ですよぉ♪」と軽くいわれてやる羽目になった。

最初の企画ではそれまでの成果品を並べるだけだったので、ボクがオッケーを出していればすぐにでも始めるような勢いだったのだが、一からとなると話は別である。

「一年待ってもらえますか?」と、本来ボクにはあり得ない発言をした。

そもそも、成果品をただ並べるのには抵抗がある。画集の話をことごとく断っているのも、これが理由だ。

ギャラリーなので、もちろんちゃんとした展示スケジュールはある。ボクのところに話が来たのはそれなりに直近だったので、さすがにこの提案はのんでもらえないだろうという、淡い期待を込めたのだが「大丈夫です。代わりの方を頑張って探しますから」と、爽やかに答えられてしまい、一年後に開催確定である。

で、この一年間の制作が地獄だった。自律神経失調症は悪化するは、鬱を患い家族に迷惑をかけるは、挙げ句の果てにイマイチなアガリと、お客さんの反応の悪さで完全にトラウマ化したのだ。

いつものボクを期待していたお客様には、大変申し訳ないことをしたのだが、期待を裏切るのが目的だったのも事実である。

お仕事でちょうど壁にぶつかっていた時期でもあったので、こういう選択をしたのだが、これまた裏目に出た。ちなみにこの時の壁は、15年経った今でも越えられていない。というか、越えることを期待するのをやめたのだ。

もちろん、普段のお仕事ではその時のベストをつくすし、それなりの工夫もイチイチ加えている。マイナー・アップデートだけは、ずっとしているのだ。別に努力を惜しんでいるわけではありません。

気がついたら、「引き出しが多すぎてワケの分からないエカキ」ということになってしまったのだが、これは結果としてそうなっただけの話である。迷惑ではあるが、全部ボクの所業の数々が生み出した結果なので、受け入れざるを得ない。

企画展の制作には半年以上の準備(試作、実験、その他諸々)を経て、短期で一気に本制作をするという、見ようによってはそれなりのステップを踏んでいたのだが、中身は無茶苦茶である。

正直あまりに酷い体験だったので、記憶すらおぼろだ。とにかく、トラウマになるぐらいのダメージを、自分で自分に与えてしまったのだ。

「始めてしまうと周りどころか自分すら見失って暴走する」という、ボクの一番悪いクセが大爆発した、というと分かりやすいだろうか。

ボクの持つ本能的なブレーキが壊れていることは、再三書いているので詳細は省くが、このときはブレーキ無しだったので、心身共にダメージは酷かった。巻き添えを食った家族は、もう最悪を通り越して地獄である。奧さんはもちろん、まだ小さかったおねえちゃんには可哀想なことをした。

ちなみに、このダメージは未だに引きずっている。「黒歴史」と過去のものにはできないのだ。多分、一生引きずるだろう。

●弐

そんな地獄の経験をしたボクが、また「白紙の状態から何かを作る」に抵抗するのは、むしろ当然の反応だろう。

もともとアーティストとか、創作を目指していたわけではないし、企画展以来「挿絵画家の範疇からは絶対に出ない」という、ある種のひきこもりになっているのだ。自分の中から何かを無理矢理引きずり出すなど論外である。

前にも少し触れたかもしれないが、ボクは「創作」という概念に関して、おっそろしく厳しい(というか、ニーチェの「超人思想」に等しい、あり得ない状態)定義をしている。

ボクにいわせれば、純粋な創作などあり得ない。

気を悪くされる方も少なくないと思うが、これはボクの本音である。だから、ボク自身のオリジナリティーなるものにだって、何一つ評価をしていない。そもそも、ボクにオリジナリティーがあるとは思ってないしね。

頑張ってオリジナリティーを自分に見いだそうとすれば、線のクセぐらいだが、これはもう単なる運動律の話なので、制作物のオリジナリティーからすると、最底辺どころか評価にすら値しないと思っている。その線のクセで苦しめられているのも事実なのだが。

ボクが「挿絵画家」という範疇に閉じこもっているのは、「文」という作家さん達が生み出したイメージを、ボクが一生懸命視覚化すればいい、という理由に他ならない。

とてもではないが、思いもつかないような豊かなイメージを持つ方が、世の中には沢山いらっしゃるし、中でも文章の世界がボクには一番しっくりくる。このへんも何度も書いているので、詳細は省きます。

とにかく、他人様の豊かなイメージを、視覚的に展開するのがボクの役目であり、それ以上でもそれ以下でもない。というか、この選択肢しかボクにはないのだ。

●参

このボクの状況から、むりやり外の世界へ引きずり出そうとしたのが、今回の案件の担当さんである。

「挿絵画家だから」は甘えです。面と向かってそう言われたのだが、これに関しては十分承知しているので、驚きもしなければ憤りを感じることもなかったし、むしろ「そうだよねぇ」と相槌をうってる始末である。

事実は「怖い」のだが、これだって甘えと言えば甘えだし。驚いたのは、「中にある得体のしれないものが特徴的すぎる」という一言であった。

人にはそれぞれ「得体の知れないもの」が、程度の差こそあれ、存在するのが普通だろうし、得体の知れないものは特徴的になるのが当たり前である。

担当さんはもちろんこの前提を承知して言ってるので、こちらとしては面食らった。そしてその「得体の知れないもの」を絵にしろと言うのだ。

「限界を突破しろ」とは言っていないところがミソだ。

「あるものを素直に出せ」が主旨なので、反論のしようもない。実際はどうなのか、自分ではよく分からないのだが、少なくとも進んで自分の中のモノを絵にする気は毛頭ない。ただの気分の問題である。

さらに、それほど「特徴的」なのかすら疑問である。偏っているのは認めるが、それがイイものだとはまったく思っていないし、世間に通用するようなものではないことも重々承知している。むしろ迷惑な部類に入る。

そもそもボクは、自己評価が低いヒトなのだ。企画展以後は地に落ちたと言ってもいい。

そんなボクの描く絵には、深みもなければ広みもない。これがボクの率直な自己評価である。このボクの評価を否定する人が、少なからずいてくれるのは大変ありがたいのだが、真に受けるほど素直ではない。描けば描くほどうっすい絵になっていくのが明白になる。

そのナノミクロン以下の薄さの絵で、どうにかこうにかそれなりになっているのは、前述したように作家さん達の生み出す豊かなイメージに、寄りかかっているからだ。自分だけなんて、考えただけでもぞっとする。

そのボクに、「オリジナルを」というのは無茶ぶりにも程がある、というのが最初の感想だった。

ただ、担当さんから「敢えて薄くしてませんか?」と言われて、「あれ?」と思った。いや、実際薄くする努力(?)はしているんですがね。

元々、一枚の絵の中にぶっ込むネタが多いタイプなのだが、師匠や奧さんに、「何も描いてないところに濃密な空気を作れるようにならないと、すぐにダメになる」と指摘されていたので、そういう努力はしている。上手くいってるかどうかは別にして。

実際に描くにしろ、敢えて描かずに残すにしろ、そこにある情報量が過多になるのも特徴かもしれない。ほとんど変質者の類である。

絵の具で描くと、このへんの努力は比較的分かりやすくなるのだが、デジタルとなると、話は別である。

0はどこまでいっても0なのがデジタルである。0を∞にはできない。だから、それっぽいことをするのだが、これが薄っぺらさによく繋がるのだ。

ちなみに、ここまで書いた「薄っぺらさ」は、あくまでもボクの絵に対するボクの評価である。他の人は知らん、というか興味もないし。

国外となると何人かいるのだが、共通しているのは「アナログ+デジタルの混合」という点。デジタル・オンリーはいない。

とにかく偏っているのは事実だろう。しつこいようだが、この偏りが世間に通用するとは思っていない。むしろマイナス面しかないと思っている。なのに肯定的に捉えて、あまつさえ「オリジナルで」となると、ありがたいのだが、ある種の悪夢である。

●四

そして……
渋るボクを諄々と諭すように辛抱強く粘られて押され負けた…… _| ̄|○;

ちなみにこの担当さん、女性である。企画展の時の担当さんも女性だった。とにかく、女の人にとことん弱いのだ。女尊男卑もここに極まれり、と言っても過言ではないが、今までの実績がなぁ……。

ちなみに、似たような事を男性に言われたことももちろんあるが、渋った末にことごとく闇に葬っている。この落差! ここまでくると、男性差別と言われても仕方ないな(笑)

さすがに文章なしというのはキツイので、「せめて誰か他の人を」と思ったのだが、諸事情で全部自分でやることになった。

最大の理由は、「他に作家さんを立てたらいつもと同じになる」というのが、担当さんの意見である。いや、そう仕向けたんだけど……あっさり却下されてしまった。

ここでハードルが一気に跳ね上がった。それでなくても、作文が大の苦手であることは十分白状しているので、詳しく説明する必要はないだろう。

しかし、案の定、すぐに作文などできるはずもない。いきなり座礁である。

それでも、一度引き受けた以上は、どうにかしないと気が済まない。こういうところが厄介なのだ。妙に律儀だったり、しつこかったりするから、余計に困りもんである。

色々考え、試行錯誤した末に、まずいくつか絵を描いてみて、そこから言葉を拾うというアホな作戦に変更した。もちろん、担当さんに相談してオッケーいただいてからだ。

脈絡のカケラもなく浮かんでくる妄想を、絵に置き換えるだけの作業なのだが、長い間etudeをやっていなかったので、めちゃめちゃ苦労した。

なんとかそれなりの数を捻り出して(!)、そこから言葉を拾って、拾った言葉を軸に言葉を展開していく。

こう書くと、それなりのことをしてるように思われるかもしれないが、レベルは相当低い。そもそも、単語にすらなっていなかったりしてるのだ。もちろん、言語化できないものもたくさんあった。というか、むしろそっちの方が圧倒的に多かったのだ。

「一音だけで絵はいくらでも描ける」と豪語するボクだが、本当にできるとは自分でも思っていなかったので、正直かなり落ち込んだ。というか言語化できない、ということがショックだった。分かっていても、まさかここまでできないとは……。

さすがに落ち込みっぱなしというワケにもいかないので、メモレベルの落書きめいたラフを拾った言葉をベースに、とにかく描きまくった。脳内シミュレーションでは、とてもではないが追いつかないのだ。

とにかく、妄想レベルの思いつきなので、出るわ出るわ。思いが先に立っているので、絵にすらなっていないのもザラだ。

さすがに、あとから見て「なんじゃこれ?」と思いそうなモノだらけだったので、これまた他の人には理解不能なメモ書きも足していく。結果として、このメモが言葉を生んでくれた。といっても、めちゃめちゃ幼稚ですがね。

●五

この段階で、再び言葉拾いをする。格好をつけてる余裕などまったくなかったので、恥も外聞もなく幼稚な言葉を並べ立てた。まぁどうせこの段階の状態では、外には出ないので安心である。それからまた落書きレベルの絵に落とす。これを何度も繰り返した。

「何度も」でピンときた方もおられるかもしれないが、例のブレーキが効かない症状が既に発動しているのだ。「ヤバっ!」と思ったのは、言うまでもあるまい。

とにかく、どこかでこの無限ループ化しつつある状態に、ストップをかけないとマズい。何しろ寝て起きたら同じ言葉でも、別の絵をいくつも思いついているのだ。下手したら一生このままやりかねないし、メンタルの消耗は凄まじい。

これで死んでも別に構わないのだが、とにかく形にするまでは絶対に死ねないと腹をくくった。つまり、どれほど神経に負荷が掛かっても、一度止まらないと(止まるのにもストレスがかかるのだ)どうしようもなくなったわけだ。

自分で書いたり描いたりしたメモを見ながら、浮かんでくるイメージをむりやり除しながら(さすがに徹底的にはできなかった)それなりのまとめ作業と、どうにか一貫した何かを見つける作業に移行して、再びメモとラフ。

ここでもまだ落書きレベルだ。何がどこでどう転ぶか分からないので、決めてかかるのはこの段階でもまだ排除している。それでも大分幅は狭まったんですよ。その分、イメージが濃密になって、さらに神経をやられるんですが。

ここの作業も、何回か繰り返した。それでも、どうにかこうにか、文章にもなんにもなっていない、言葉の「列」は拾い出せた。

で、やっと、ちょー雑ラフスケッチに突入した。それでも保留にしていたところが、たくさんあったことは白状しておく。ついでに、言葉もさらに追加した、り削ったりと(もちろんラフスケッチもその度に描き変える)を約3週間。

突っ込みどころ満載ではあるが、取り敢えず打ち合わせができるレベルのものにやっと辿り着いた。

●六

この間、上述したようにメンタルはやられまくりで、生活サイクルは狂いまくり、ただでさえ怪しい食生活に至っては、1〜2日食べないのはザラなんて状態になっていた。というか、食べるのを忘れているのだ。

作業に完全に気を取られているので、空腹にも気がつかない。気がついていないことにも、もちろん気がついていない。副業で発症した左半身の筋肉の異常も出まくりで、寝てる時に向こうずねが攣っては目が覚めるという、散々な目に何度もあっている。おちおち寝ることもできやしない。

唯一の助けは気温が上昇してきたことだ。ボクが年間で一番活動的なのは、5月からお盆過ぎ頃までで、他の時期は基本ダメである。冬なんてとんでもない。

もっとも、異常気象は今年も活発なようで(むしろこっちがでふぉと見直すべきだろう)、急激な気温変化(ただし気温が下がる方に限る)に翻弄されている。ちなみに高温多湿を好むので、これからが一番なのだ。PCはヤバいのだが。

相当、雑に作ったラフだがB4強・300dpiのサイズで、一枚あたり1GB越えがザラというのには、正直げんなりした。まだまともに詰め込んでいないネタが、腐るほどある上に、色だってロクについていないのだ。

もちろん、全滅覚悟で作っているので相当ゆとりを残しているのだが、これで本番のラフとなると、正直かなり先行き不安である。

詳細はもちろん省くが、現段階で既に総データ量が36.6GBと、とんでもないことになっている。ちなみに、1枚あたりの最大量は5.5GB。何をどうやったらこうなるのか自分でも分からない。HDDのパーティションも切り直しましたよ。それでも不安は拭いきれない。

ちなみに、特別なことは一切していません。手垢のついた手法にいつも通りのやり方、ありがちな形式。冒険はしない。「一から全部一人で」というところで、十分過ぎるほど冒険してるし、散々書いたり描いたりしたメモのおかげで、いまできることの範囲がある程度見えたし。いや、結構狭かった(笑)

ただ、忘れてた手法を思い出したのは収穫だった。どこまで使うかは分かりませんが、結構な量があったのには自分でもビックリした。

もちろん、ワケあって見捨てた手法ではなく、お仕事を続けている間に何となく遠ざかってしまい、忘れてただけの話だろう。気をつけていたつもりだったのですが、こうして実態がさらされるとそれなりに動揺しますよ。

最終的にどうなるかはまだ分からないが、できれば秋口までにはどうにか山を越えたいと思っている。上述したように、気温が下がると途端にテンション下がるし。結果、すべてがおじゃんになる可能性だって、余裕で、ある。それぐらいの無茶をやっているのだ。

●七

副業をやめたおかげでできているのだが、おかげで極貧も極まれりである。マイナス要素だらけなのだが、救いは一人暮らしであるという点。この姿はもう、さすがに奧さんやおねえちゃんに見せたくない。

無事でき上がるか、死ぬのが先かのチキン・レースなんて、家族に見せるもんじゃない。万一、無事でき上がったとしても、よくて廃人直前、悪ければ発狂だ。だが、そうなりそうなのも事実である。どう考えてもまともじゃないのだが、こういう人なのだ。

何度も書いているが、好んでこんな生き方をしているわけではない。できれば穏やかで平和な日々を過ごしたいのだが、どうしてもそうはならない。ひたすら眠るか、動き続けるかの二択しかないのだ。なぜだ。本当に困ってるのはボク自身なのだが、もうどうしようもない。

7月には年中行事の京都の大工さんもあるので、それなりに体調の方も気をつけておかないとヤバい。もちろん今年も、コンプリート出勤である(笑)

とりあえず、この案件に関してはここでお終い。無事に日の目を見たら書くかもしれないが、書くだけの体力と記憶が残っているか、正直怪しい。ここに書いたことだって、ここ2か月半のことだけなのに、相当記憶が抜け落ちているのだ。

……我ながら色々終わっとるわ……。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com