装飾山イバラ道[25]泳ぎながら休む──水泳
── 武田瑛夢 ──

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近所にスポーツジムができた当初、早期入会申し込みの割引特典がついていたので会員になった。あまりジムに行けない日々が続いていても、割引特典の権利を捨てたくない気持ちからついつい退会もせずにいた。元々プールで泳ぐのが好きだ。久しぶりにプールに行ってみると、オリンピックイヤーだからなのか、北島選手の影響なのか平泳ぎする男性が多いような気がする。

ジムのプールは、初心者用や何往復もする人のためのロング用にレーンが分けられている。私はゆっくりと長く泳ぐタイプで、ロング用にいることが多い。ジムによっては、25メートルを何秒前後という泳ぐ速さの基準値が書いてあるところもある。1本のレーンを泳ぎながら人がすれ違うので、あまりに速度が違うと困ったことが起こるからだ。



普通は、前の人が泳ぎ始めてからある程度の距離を進んだのを見て、自分がスタートする。前の人のスピードによっては、いつの間にか間が詰まっていたり、後ろの人に追い越されたりする。

なるべく迷惑をかけないように泳ぐためには、ターンの時に少し後ろを気にして速い人には先に行ってもらう。プールごとに看板に書いてあるルールの他に、常連さん特有の遠慮&気遣いのルールがあるのだ。

私もジムのプールという場所で泳ぎ始めた頃は、この遠慮と自信のなさとで人に譲ってばかりいた。そんなことをしていると、せっかく自分で決めた「何往復するまで立たない」などの目標はちっとも達成できない。連続して泳ぎ続けることで体も根性も心肺能力も鍛えられるのに、泳ぎの遅い自分が人に迷惑をかけることを恐れてしまうのだった。

そのうち、長く泳いでいるとだんだんいろいろなことがどうでも良くなってきて、泳ぎ始めの過剰な遠慮もなくなり、水の中に長くいられるようになる。ちょうどタイミングよく後ろの人が見えたら譲るし、隣のレーンの人に腹を蹴られたりしても気にせずに泳ぎ続けられるようになった。

何往復もする間に他の人がレーンに入ってくるし、去ってもいくし、あまり遠慮していてもしかたがないのだ。全盛期はプルブイ(足にはさむ浮き)をつければ1キロは泳げたのでかなりの時間になるし、泳ぎ始めた時と終わった時ではプールの状況もかなり変わっているものだ。

泳ぐことが教えてくれたことのひとつに、この「どうでもいいさ」という感じがある。水の中にいる以上、哺乳類の私たちは必ず「息つぎ」をしなければならない。クロールの手を何掻きかする間に、プハーッと息つぎをする。最初の頃は息つぎを失敗して息が吸えないと、それだけでパニックになって慌ててしまっていた。

慣れてくると、息が一回吸えないくらいはなんということはなく、次で吸えばいいさという気になってくる。次のチャンスで息が吸えれば、とりあえず生きて泳げるのだ。

たまにはゴーグルの中に水が入ってくる時もあるし、帽子がずれてくることもある。ゴーグルの水はあきらめる、帽子は泳ぎながら直すという対処でなんとかなる。だから泳いでいる時はきっと醜い。でもどうせ水の中だ。とにかく立たずに泳ぐのだ。

長く泳ぐと動作自体にも変化があって、ターンの身のこなしが最小限のパワーでできたり、腕の重さを利用して手の掻きができたりするようになる。抵抗の少ない姿勢をしないと疲れるので、体に自然と良い姿勢が入ってくるような気がする。

夢はかなう水泳に関する本には、いろいろためになることが書いてある。イアン・ソープは自分の体を大きな船に見立てて、エンジンやプロペラのように自分の呼吸や手足の制御をイメージしていた。あまりに偉大な人の理論は私などにはもったいないけれど、泳ぎって考え方次第でものすごく変わるものだ。

・イアン・ソープ「夢はかなう」
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「クロール」という言葉は、赤ちゃんのハイハイ歩きから来ているのだそう。ネットの掲示板で、それは匍匐前進(ほふく前進)のように頭と体が低いラインでそろった動きなのだと読んだことがある。この言葉が、私の泳ぎを変えてしまった。

小学校での習い始めのクロールは手をぐるぐる回すだけだけれど、選手たちの水中映像でのクロールは、本当にほふく前進に近いような動きだと思う。水の中に入った手は、自分の下に回りこんでおなかのあたりの水を掻くのだ。

芝生の上を這う時に、ひじから先を自分の下にクイッと入れて体を前に運ぶ動き。この「クロールはほふく前進と似ている」という言葉のおかげで、私は実際にクロールで泳ぐ時のスピードがかなり変わった。

泳ぐ人と話していると、こういうなんてことのない情報交換で「あ!」と目を大きくして喜ばれることがある。「それ次回に絶対試す。ひとつ壁を乗り越えたかも。」イメージが次の泳ぎを変える実感があるから、泳ぎにでかけたくなるのだ。

実際はそう簡単にはイメージ通りに体は動かないけれど(笑)、きっかけにはなる。プルブイを使うようになったのも、長く泳げるようになった理由。私の中学校の頃にはビート板はあったけど、プルブイはなかった。でもこれを足にはさんで、腕だけでクロールすると不思議なくらいスイーっと進むのだ。たぶん、足のキックがヘタで泳ぎの邪魔にもなっていたんだと思う。

クロールは、推進力の8割が腕の掻きによるものと言われている。腕だけで充分進み、足を蹴らない分筋肉の酸素消費も節約できるので長く泳げる。プルブイの浮力で足は沈まない。以前、プルブイで長く泳ぐ方法で距離を伸ばしていると、フッと「泳ぎながら休む」感覚を覚えることがあった。リラックスして泳げていたんだと思う。

きっと走る人にもあるような、気持ちよい流れに乗る感じ。ブランクがあって再度泳ぎ始めた今は、この「泳ぎながら休む」感覚を取り戻すまでいきたいというのが目標。充分おばさんになってしまったので、遠慮のしすぎもないだろうし、自分にも人にも適度に気遣って泳ぎたい。

【武田瑛夢/たけだえいむ】 eimu@eimu.com
牡蠣がおいしい季節になってきた。小さい牡蠣はすりつぶして、大きめの具の牡蠣とかぶを入れたクリームスープが最高。

装飾アートの総本山WEBサイト“デコラティブマウンテン”
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やさしいデザイン―誰でもかんたん、レイアウト・配色・文字組
武田 瑛夢
エムディエヌコーポレーション 2007-09

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by G-Tools , 2008/11/25