装飾山イバラ道[277]大切なことを振り返る
── 武田瑛夢 ──

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さてもう11月。コロナによって変化した2020年。振り返ってみれば、外出の心構えが変わり、日々の緊張感が昨年とは違うものになった。





●最悪の事態も覚悟

今年は母が2月後半に倒れて、一週間の入院となった。母はコロナではなかったけれど、何の病気であっても、誰もが病院に行くのに気をつかい始めていた時期だ。

母にとっては初めての救急搬送で、警察や消防隊員の方にお世話になった。幸い、母は翌日には話せるようになり、私も安堵した。実は倒れた当日、意思疎通が出来なかったので、昨夜が最後の会話だったのかもしれないと、心配する瞬間もあったのだ。

普通、ただの入院の場合は、警察官にお世話にはならないので、説明が必要かと思う(当日のことなので、少々緊迫した内容となることを先に断っておきます)。

その日、私は夕食を持って母のマンションを訪れた。ドアチャイムを押しても出てこない。複数回鳴らしても出てこないので不審に思う。電話を鳴らしても出てこない。昨夜の電話では元気そうだった。私の来る時間は知っていると思うのに、散歩だろうか。

自宅は近いので、夫も呼んで鍵でドアを開けてみる。ドアチェーンがかかっていた。チェーンがかかっているということは、母は中にいるはずなので、緊急事態であることがはっきりとする。

近くの交番にチェーンカッターがあるだろうから、事情を話して来てもらおうということになった。夫に行ってもらい警察官2名と共に到着、何とかチェーンを外せないか試す。無理なのでチェーンの切断を決定。警察官はこの時刻を記録していた。ドアが開いた。

私は最悪の事態も覚悟して、覚悟と言っても簡単ではないので、非常に怖かった。そういう場合、中に入るのは警察官よりも私が先らしい。ドキドキしながら部屋に入ると、暗い部屋のベッドの上で母がまばたきをしているのがわかった。

「生きています!」と私は警察官に伝えたと思う。顔色もさほど悪くなく、手も動かしている。お母さんと呼びかけると、返事はしなかった。普段の様子とはまったく違う。

母のつきそいで夫婦で救急車に同乗した。救急車の中でどこの病院に搬送されるかが決まる。ここで複数の救急病院に電話をしてくれて、希望などを聞かれる。少し待ったけれど、空きベッドがあってよかった。

●連携に感動

病院に着いて、「ご家族は手続き」をと言われ、名前などを記入する。常に母の保険証類を持っていたのでよかった。

お医者様が診てくれている間、夫と待合室で待っていて冷静さを取り戻すと、母が部屋の中から運ばれて救急車に乗り込むまで、助けてくれた方々の連携の素晴らしさが思い起こされた。

警察官の方も「よかったですね」と言ってくれた。誰も言わないけれど、その時は皆が最悪の事態も想定していたからだ。

警察官が夫に、救急車を呼ぶように指示していた声は覚えている。私はとにかく母の様子に集中していた。母はまばたきをしていて意識はあるけれど、なぜか話が出来ない状態だった。

救急救命士の方や、まわりの方のお顔をしっかり見る余裕はなかった。それぞれ2名以上で来るので、5人か6人は部屋にいただろうか。全員マスク姿だったと思う。

それぞれのポジションの方が、次々と現れては職務を果たして引き継いでくれたおかげで、母は無事に病院へ着くことが出来たのだ。感謝。

翌日、入院の正式な手続きと、下着類を届けるために再び病院へ。その前に近所の交番に立ち寄り、昨夜のお礼をした。お世話になったお二人はいなかったけれど、交番へ感謝の気持ちはお伝えすることが出来てよかった。

●結果オーライ

病院へ向かう電車の中では、私は母と再び会話が出来るのかを心配していた。昨夜の救急担当医のお話では、なぜ返事が出来ない状態なのか、いま原因はまだわからないとのこと。いつもの母は、ニュースの話題も普通に会話が出来ていたと話すと、先生は驚いていた。

靴下や下着の追加を購入して、病院受付へ行く。このタイミングでは既に、お見舞いに来る人のチェックが厳しくなっていた。

病室の看護師さんに下着類を渡した時に、「今朝のお食事の時、お母さん元気でしたよ。」と言われた。「!? もう話せるんですか?」「はい。普通に。」自分の名前も言えたそうだ。

意思疎通が出来るようになっていた。結構大切なことだったので、もっと早く知りたかったけれど、結果オーライでありがたい。心底ホッとした。

病室に入った時、母は寝ていた。話しかけると、眠そうだけれど少し目を開けて、うなづいていたので、昨夜とはまったく感じが違った。いつもの母に戻っていたのだ。発見が比較的早くて、それが良かったのかもしれない。

それからは、面会は最小限度の回数でと言われていたので、気をつかいながらお見舞いに行った。結局、一週間で退院できた。退院時は母が昔は苦手で嫌がっていたタクシーに問題なく乗れたし、高齢になるとできるようになることもあると知った。

この入院時に精密検査して飲み薬が変わったおかげか、現在の母は倒れる前よりも元気になった。リハビリ担当の方も体の各部位の動きをチェックしてくれて、特に問題ないとのことだった。

3月以降、世間がコロナで深刻になっていくなかで、家族にとっての大変な一週間を経験していたので、色々な覚悟が決まったようなところがある。すべての医療従事者の方々へ、本当に感謝。

●大切なことだけでいい

母には普段から、下着やパジャマはなるべく最近買ったものを着て欲しかったけれど、着慣れたものばかり着ている。新品があっても、取って置きがちなのだ。揃っているものがあるのに、着るのはパジャマの上と下が違うとか。

以前の私は、母に「急に倒れた時に下着がちゃんとしてないと恥ずかしいかもよ」などと言っていたけれど、イザ本当にそういうことがあると、着ているものなんてどうでもいいものである。

そして、救急車の消防の方々や、交番の警察官の二人組の方達へ、当日何もお礼が言えなかったことを、後で気付いて落ち込んだ。しかし、今はそれでも良かったのだと思えている。どんな時でもキチンとしなければダメだと思い過ぎない方が、本当に大切なことを優先できるのかもしれないのだ。

生きている、会話ができる、ご飯が食べられる、寝られる、会える。こういう大切なことを噛み締めていると、そう大切でないことは切り捨てられる。

私にとっては、しっかりと生活ができることが最高に幸せだ。絵が描けて、趣味が楽しめているのは奇跡みたいなことかもしれない。素晴らしいことは、素晴らしいこととして、共有できる時代にもなっている。

今年は誰にとっても変化の年。自分も周りも世間も世界も、少しでも良い方向へ進んでいければと思う。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


ポテトサラダを取り分けるのに、アイスクリーム ディッシャーを買ってみたら、ものすごく便利。半球の形で手元を握ると、スパっとスプーンの中身が落ちるタイプ。割と当たり前な使い方らしかったけれど、人がやっていることって素直にマネした方がいいと思った。ビュッフェとかでもよく使ってますよね。