冬は頭が冴えて好きだ。この時期、私は作業部屋で大量のプリントをスキャンする。来週の中間課題の講評会用作品のスキャンだ。単純作業ってなかなか辛いけれど、かわいい学生の作品を見るのが楽しいのが救いだ。
大学の「情報デザイン論」の講義では、簡単なピクトグラムを作成する。スケッチから単純化して、最後にメリハリのくっきりした図まで描いてもらう。講義なのに図を描かせるのは不思議に思われるかもしれないけれど、頭で考えたことを図にするトレーニングは、世の中にある標識などのサインやピクトグラムを理解するのにとても役立つ。作った側に立って考えるには、作ってみるのが一番早い。
・ピクトグラムとは
< http://ja.wikipedia.org/wiki/ピクトグラム
>
大学の「情報デザイン論」の講義では、簡単なピクトグラムを作成する。スケッチから単純化して、最後にメリハリのくっきりした図まで描いてもらう。講義なのに図を描かせるのは不思議に思われるかもしれないけれど、頭で考えたことを図にするトレーニングは、世の中にある標識などのサインやピクトグラムを理解するのにとても役立つ。作った側に立って考えるには、作ってみるのが一番早い。
・ピクトグラムとは
< http://ja.wikipedia.org/wiki/ピクトグラム
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●具体物を表すピクトグラム
この講義は、デザイン科だけでなく一般の科も対象にしているので、体育系や理工系の学生、その他まったく絵を描く訓練をしていない学生も多い。プリントはかなりやさしいステップで進む、「ドリル」のような描込み形式のものだ。
1枚目のプリントでは、具体物を頭に思い描いてスケッチしてもらう。「野菜」「動物」「人物」「道具」など、何でも思いつくものを次々と描く。思い出せるものは何でも、細かなディティールまで描いてもらう。次のステップで単純化していき、ピクトグラムらしく整える。
●状態・様子を表すピクトグラム
2枚目のプリントでは状態・様子をピクトグラム化する。物ではなく、「平和」「喧嘩」「出世」「友情」などの状況や事柄を、見た人に理解できるようなピクトグラムにするのだ。これはそう簡単ではない。
実はプリントの1枚目は紙に線やかたちを描く勇気を出す練習のようなもので、この2枚目が中間課題の本番。人物や物を描くことができれば、そのモチーフを組み合わせて表したい事柄のピクトグラムができるはず。
二人の人が手をつないでいれば「仲良し」、歩いている道に障害があると「挫折」というように、どんな事柄も物に置き換えるとピクトグラムにすることができる。意味を「視覚伝達」するための方法だ。物に意味を演じてもらえば複雑なことも図にできるし、図にするにはそうするしかないとも言える。
もう既に存在している交通標識のようなピクトグラムなら、先人たちがたっぷり考えて土台を作ってくれた。その世界で私たちは生きているわけで、トイレや非常口は今あるピクトグラムに任せて、このプリントではもっと新しい内容をピクトグラムにすることにトライして欲しいと思っている。
2枚目のプリントの最後では、その反対の意味になるピクトグラムを作って完成としている。相対する事柄を描くのは、どちらのことについてもさらによく考える必要があるからだ。「戦争×平和」「満腹×空腹」「決断×未練」などおもしろい作品が多数できてきて、講評会が楽しみになってくる。
●視点の違い
同じ時代に生きていても、20歳前後の若い人たちから見た世界は、倍相当生きてしまった私のそれとはかなり違うみたい。広い部屋にポツンと一人の図が「孤独」なのは予想がついたけれど、同じその部屋の人が手に持つ携帯電話が鳴っているところが「つながり」の図だったのには新鮮な気持ちがした。携帯電話が鳴って友達の名前が表示された瞬間に、それまでの心の世界とはガラリと変わる様子がわかる。
テレビでは携帯依存の問題などが話題だけれど、友達からの電話が素直に幸せに直結している場面なのは本当なのだと思う。リアルな実感として同じ世代に通じるならそれもまたアリだ。講評会では、学生たちが自分の狙いをピクトグラムにするために、どのようにアプローチしたかを解説していく。プリント上には、それぞれの視点から見た場面を図に再現する苦労がそのまま残っているので、描いた本人でない私でもコメントできるのだ。
ピクトグラムそのものとしては、電話が鳴るという場面で、何かの感情を示すのはとても難しいものだ。「電話」に対して人は様々な感情を持つのだから。見る人のほとんどに同じ意味を伝えるピクトグラム本来の役割だけを考えると、「着信」の意味以外を持たせるにはかなり工夫が必要だろう。
講評会では、5センチ程のサイズに描かれたピクトグラムをプロジェクターで1メートル級に大映しにする。美術やデザインの学生は慣れているけれど、そういったことに慣れていない人は少々驚くようだ。もしかすると、自分の作品が貼り出されたり、画面に映されたりするのは中学校以来という人もいるかもしれない。
いつ誰の作品がスクリーンに大映しになるかわからないので、緊張感もあってドキドキみたい。私だけは楽しい。準備に大忙しだけれど、本番になってしまえば同じ場に居合わせた人々の作品をライブで紹介できるのだ。一人一人の作品が、その他の人の参考になる機会はとても貴重だと思う。
講評会が終わると講義は図を使った情報デザインとは真逆の、図に頼らない情報デザインの話へと進行して行く。最近は駅のホームのベンチに手すり付きのものが多い。座りにきた人には便利で嬉しいが、寝そべりに来た酔っぱらいは手すりが邪魔で寝ることができない。そこには看板等を使わない方法で「寝るな」というメッセージが込められている。街にはマナーを違反する人にしか見えないサインが隠れているのだ。
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【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト「デコラティブマウンテン」
< http://www.eimu.com/
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久しぶりに行った銀座で、お茶をしようと不二家に入っていくと、受付の人が「今日は少々ばたついておりますがよろしいでしょうか?」と謎の断りを入れてきた。何だかわからないけど「はい」と言って中に入ると、確かに何だか雰囲気が違う。奥の席のテーブルにカメラがあり何かの撮影のようだ。しばらくしたら、千原兄弟のジュニアの方が店内に入ってきた。私の座席からは逆位置だったのでなかなか様子を見られず残念。iPhoneのミラー画面に映して見ようと試みるも無駄だった。結局、何のロケだったのかわからず終わってしまったけれど帰りに「生ミルキー」なるものを買いました。白い生キャラメルのような飴。ミルキーは生じゃなくてもいいと思える味だったのが残念。ミルキーは千歳飴のが一番おいしいと思う。