デジクリの過去のコラムから「フィギュア」で検索すると、案の定「フィギュアスケート」の話題ではなく、小さい立体造形物の「フィギュア」のことがほとんど。私も小さな人形やら物体たちが大好きなので、普段はそっちよりだ。
しかしこのテキストを書いている今日は、バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケートのフリー当日でまだ演技が始まっていない時。だから今の私の頭の中は世の中のスポーツ&エンタメニュースと同じく、キムヨナと真央の対戦のことでいっぱいだ。
私自身はスケート経験もない普通のファンだけれど、スポーツニュースで表示されていたフィギュアスケートの細かな採点表を見ると、やはり「評価の透明化」ってわかりやすいようでとっても難しいと思う。何でも明らかにしていく動きというのが、様々なジャンルで求められているのはよくわかる。でもそこで透明化されているものは果たして何なんだろう?
しかしこのテキストを書いている今日は、バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケートのフリー当日でまだ演技が始まっていない時。だから今の私の頭の中は世の中のスポーツ&エンタメニュースと同じく、キムヨナと真央の対戦のことでいっぱいだ。
私自身はスケート経験もない普通のファンだけれど、スポーツニュースで表示されていたフィギュアスケートの細かな採点表を見ると、やはり「評価の透明化」ってわかりやすいようでとっても難しいと思う。何でも明らかにしていく動きというのが、様々なジャンルで求められているのはよくわかる。でもそこで透明化されているものは果たして何なんだろう?
フィギュアスケートでは演技を細かく分類して、それぞれに点数をつけていき合計する。音楽の解釈などの全体感もポイントになると言う。審判員があの短い時間で、ジャンプやステップのエッジがどうとか見極める目のすごさは感心する。
視聴者は演技が終わって点数が出るまで、けっこう待たされている感じがあるかもしれないけれど、何人もいるジャッジの全ての採点が集計されているのだから、実際はすごい早さなのかもしれない。
「アメリカン・ダンスアイドル」のコラムで書いたけれど、ある程度のレベルを超えた踊りは、演者の心がそのまま伝わるような感動がある。フィギュアスケートも、スポーツでありダンスだと、ロシアのプルシェンコや日本の高橋の演技を見て思う。人は素晴らしい踊りを見ると、心が動かされるし拍手喝采を送りたくなる。
オリンピックのような舞台では、きっちりとした採点基準を明らかにすることが、評価の公平性につながるのはよく理解できる。ジャッジはそれぞれに責任を持って数字にしていくのだ。私はそれを読み解く専門家たちのコメントでその妥当性を判断するけれど、専門家たちが誰を応援しているかでその解釈が変わっているのが実情のような気がした。にんげんだもの。
●大学の成績評価の基準
今年からうちの大学でも、到達目標や成績の採点基準をかなり細かい項目で事前に明示することになった。そうなってみると、自分が今まで何を大切に見てきたかがわかったり、曖昧な部分が確認できたりした。出席率や授業態度、課題に取り組む姿勢などが評価される。出席率が成績に与える割合を%で示し、その他の細かい項目についても同じように配分を決めるのだ。
確かにこうすれば、学生がどの授業を取るのか選ぶ時の参考になるし、自分に向いているかを考えたりすることができる。先生側では成績評価の基準をはっきりさせればさせるほど、観察と記録の正確さが必要になる。
実技系の授業だと、すごくやる気のあるけど物覚えの悪いタイプとか、あまり出席していないけれど器用なタイプの人を、いかに評価するかは悩みどころだ。器用な人は器用になるだけの鍛錬や工夫を積み重ねてきた人だから、楽してるわけではないのだし。
それでもグラフィックだから、作品に残ったもので判断するシビアさは必要だ。作品を見るとそこからあらゆる形容詞が浮かんでくるし、講評会では顔を見ながらそれを伝えればいい。良いところと直した方が良いところ。褒める言葉がみつからない学生はいない。
一人部屋にこもっての採点の時には、その言葉を数値に変えていかねばならないわけだから大変だ。作品を並べながら考えると、思いのほか決断に迷いがない。評価の優劣をアルファベットや数値ではっきり決める時には、学生の作品同士がその境界をはっきりと示してくれる。成績をつける私の他に、作品越しに見える同じ教室内のみんなが、ジャッジの一員になってくれているかのように感じる。
同じレベルの「がんばり」を認められるかどうかで、境界がはっきりとしてくるのだ。この「がんばり」が何を示すのか、正式な言葉を手短かに書くのは難しい。コラム何回分もの表現になるかも。
●評価されない人もいない
毎学期、成績をつけた後に送られてくる封筒がある。「授業に関するアンケート」の集計結果で、これは学生が私の授業に対して評価したもの。細かな項目で数値に分かれていて、どこらへんに不満を持たれているかがわかったりして、次回への参考になる。先生もまた点がつけられていくのだ。
どんなことでも、いかに基準を細かく分類しても、結局は最終的な評価が自分の直感に見合っているかが大事だと思う。人間の感性に訴えるものは、別のものに置き換えられた時点でもう別のものだから、イコールではないのが前提だ。
それをいかに多くの人が共感できるかたちに具体的にしていくか。もっとも多くの人が納得のできる採点方法をみつけられたらすごいけれど、利害関係が絡むとそれもまた動いていく。だから、とにかく自分の最善を尽くすしかないという結論で応援しながら、スケートを見ます。
【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト「デコラティブマウンテン」
< http://www.eimu.com/
>
女子フィギュアスケートの結果、日本としては悔しかったけれど真央ちゃんは本当にがんばっていて感動した。韓国のキムヨナは、あのプレッシャーの中で完璧な演技ができる心と体の強さは素晴らしい。本当に水が流れるような滑りだった。ノーミスの時間が重なって、演技終盤になっていくほどに作品全体の価値が上がり、個々の技の評価も高まるのがわかる気がした。(3/1追記)
やっと「アバター」を六本木のTOHOシネマズで見た。とても楽しめたけれど、せっかくの立体感と臨場感がメガネの枠で邪魔されるのが残念。透明板のプロンプターみたいなものが座席についたりできないものだろうか。