装飾山イバラ道[58]「人間とチンパンジー:DNA2%の相違」を見て
── 武田瑛夢 ──

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私は大学で一年生の授業を受け持っている。今までの著書も入門書のようなものが多く、「やさしいデザイン」(MdN、2007)などで学びの入り口を担当する機会に恵まれたのかもしれない。初心者、基礎、はじめてのという入門者向けの内容は手間がかかる割に軽んじられることもあるけれど、めげずに手がけてきたのは、そこに教える醍醐味を感じているからでもある。最初は不安そうだった学生たちの目が、キラキラと輝く瞬間を見られるのはいいものだ。

入り口付近を見ていると、ずっと先にあるプロやアーティストの世界を遠く感じるかと言うとそんなことはなく、教育の現場にこそ新鮮な酸素が満ちていると思うこともある。ただ、このコラムでも何回か話題にしている、最近の学生に見られる「アドバイスを積極的に試す力の弱さ」はどうしたものかと悩むこともある。少し生き疲れている印象さえ受けてしまうのだ。

そんな時に見た、ケーブルテレビのナショナルジオグラフィックチャンネルの「人間とチンパンジー:DNA2%の相違」という番組で、人間と類人猿の間を分けるものが何かを分析していた。これがとてもおもしろくて、この番組でいくつかの人が学ぶプロセスのヒントを得たような気がした。

番組の原題は「HUMAN APE」。人間とチンパンジーのDNAは98%は同じようなものだという。この2%の違いには私もとても興味がある。



・「人間とチンパンジー:DNA2%の相違」
< http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/275
>

・「HUMAN APE」(Videoタブでサンプル動画が再生されます)
< http://channel.nationalgeographic.com/episode/human-ape-3173/
>

番組では道具を使う能力や、協力する能力、言語能力などの項目について比べていた。具体的な実験は、人間の子供とチンパンジーやオランウータンに同じパズルを解かせて結果を比較するのだけれど、全体的にみると類人猿の方が早い年齢で獲得する能力が多いらしい。

例えば、筒状の透明な入れ物の下の方にあるピーナッツをどうやって取り出すか。実験の部屋には透明の筒が机に固定されている。ピーナッツは筒の低い位置にあるため、指を入れても届かなくて取ることができず、あきらめて部屋を出て行く子が多かった。

机の上には水が入った容器が用意されている。同じような環境をオランウータンに用意すると、オランウータンは状況を見渡して、筒の中に自分の口に含んだ水を注いで、浮いてきたピーナッツを食べたのだ。ハイ正解!

イソップ童話にもあったようなこの問題を解くために必要な時間は、だいたいどのチンパンジーでも同じくらいの早さだった。中にはケースの上に乗り自分のオシッコを筒の中に入れて、お菓子を取り出して食べるチンパンジーもいて「さすがにサルだ」と思ったけれど(笑)、頭の良さは確かだった。

●チンパンジーの短期記憶力のすごさ

番組では各項目の終わりに、人間とチンパンジーの能力にマルとバツの印をつけて能力の有る無しを比較していた。子供のうちは人間がことごとく負けているかのように思える能力の中で、最もショックだったのは短期記憶テストだ。

実験は、黒いモニター画面のタッチパネルに10個程の白い数字が、ところどころランダムに配置されている。これが数秒表示された後にすべて消えて、数字のあった場所に白い四角形□が表示される。その□を小さい数字のあった場所から順番に1、2、3と思い出しながら押して行けば、最後にお菓子がもらえるというテスト。このDSの脳トレにもあったようなテストをチンパンジーがするのだけれど、それがとてつもなく早いのだ。

脳トレなら私もちょっとは自信があったので、画面に映る数字を覚えようと集中するけれど、チンパンジーの方が圧倒的に早く解答していってしまう。モニターに映っているのは絵ではなく数字なので、あらかじめすべての数字と順番の意味を理解しているチンパンジーであるのが前提だ。それだけでもすごいのに、一瞬で位置を記憶して解答していく。スローモーションで再生された動画を見て、すべて正解しているのがやっとわかるくらいの早さなので、チンパンジー恐るべしだった。

これはきっとジャングルでは危険がつきもので、視界に入ってきた全ての情報を一瞬で捉える必要があるから、短期記憶の部分が発達したのかもしれない。

●人間が優れていることがわかった実験

番組の最後の方のテストで、一番興味深かったものがある。ブラックボックスのテストと呼ばれるもので、黒く塗られた仕掛けのある箱が用意されて、その中にお菓子が入れられている。テストは、まず大人の人間が箱の上部にあるボタンを押したり、横にあるレバーを操作するのを見せ、最後に下部のつまみを引くとお菓子が入っている引き出しが開いて取り出すことができるしくみだ。これはチンパンジーの子供も人間の子供も、大人の手順をしっかりと見て覚えて、その手順通りに操作して最後にお菓子を手に入れることができた。

次に、このボックスを完全に透明にして、すべてのしくみが丸見えにしたものが用意される。人間の大人は前回のテストと同じように、上部にあるボタンを押したり、横にあるレバーを操作するのを見せる。しかし、最初にするボタンやレバーなどの操作は、実はお菓子を取るためにはまったく関係ない動きだったことが、この箱が透明なためにここで初めてわかるのだ。

実は下部のつまみを引きさえすればお菓子が取れることを、透明な箱を見て知ったチンパンジーは、前半の操作をすっとばしてさっさとつまみを引いてお菓子を取ることに成功した。

人間の子供はというと、透明な箱のしくみはわかっていても人間の大人がした操作を手順通りにそのまま自分も再現してお菓子を取ったのだ。この実験は他の何人もの人間の子供で試しても、だいたい同じ結果になった。

一見、人間が負けてしまったかのように見えるこのテストの中にこそ、人間がここまで文明を発達させてきたヒントがあるかもしれないと解説者は言う。私もこの「今の自分に理解できないものであってもやってみる」力の大切さは、何かを覚える時において必須だと思っているので、ここでとても感心してしまった。もちろん、目の前の大人を信頼することとか、単純に習慣的に大人に習うように子供はできてきるとも言えるけれど、それだけではないヒトの繊細でよくできた脳のしくみがあるのだと思う。

行動の必要性を自分の主観だけで決めてしまえば、そこに成長がないのは明らかだ。だからこそ、何のためにやっているのかわからないことでもできるという能力が、人間の素晴らしさのひとつなのだ。

「今やっていることの意味? わかるかよ!」って青春ドラマっぽいけれど、意味がないかもしれないことを続けてやる気力とか根気のある動物は、実は人間くらいしかいないのかもしれない。自分がやっていることの先に、何があるかなんて今知るわけがないのである。

自然界の動物には、意味のないことを延々とやるだけの余裕はないことが多く、厳しい競争の中ではそういう個体は他のものに負けてしまったのだろう。逆に、人間はそれができたからこそ今がある。

なんだか勇気の出る実験結果に救いを感じ、目先に惑わされずに長期的に行動できるのがヒトの特性だとわかった。そして「あの人のやっていることはさっぱりわからない」ことがあっても、それをそのままにしておけるのも人間の良さだと思う。

教育現場でも同じ。私は指導する時に、遠回りで手間がかかって大変なだけに見える作業をあえて勧めることがある。あんまり意味もないし、大変だなとやる前にやめてしまうのは、卵の殻の中で寝返りを打っただけのことになるのだ。たとえ今は意味が理解できなくても、なんとか受け入れて作り始めてくれれば、やって良かったとわかるし、その価値もその後に見えてくるはずだ。殻が割れて新しい自分になれる。

さて、題名の2%の違いが何だったかは、番組を見ただけでわかるほど単純なことじゃなかったけれど(笑)、少しの違いがすごい変化を生むことだけは感じられた。少しの違いの中にある、素晴らしい人間性を大事に伸ばしたいと思う。

【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/
>

iPhoneの新しいのを予約した。予約開始日が運悪く学校の日で、学校帰りにソフトバンクのショップに並んでいる学生を横目に静かに帰宅。次の日に近所で無事予約。黒より白がいいかなぁとか、麦わら帽の白いおとうさんストラップが欲しかったなぁとか、思い残すことはあるけれど。