装飾山イバラ道[106]丸1コの地球
── 武田瑛夢 ──

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先日映画「プロメテウス」を六本木に見に行ったら、「バイオハザードV リトリビューション」のプレミアの日だったらしく、主演のミラ・ジョヴォヴィッチが外の特設ステージに来ていた。

座席の後ろのレッドカーペット脇に敷居があったものの、なんとかミラを見ることができて嬉しかった。私はミーハーなので生のミラ・ジョヴォヴィッチが来ているのに通り過ぎるなんてことはできないのである。

遠くて掌に載るフィギアくらい小さくしか見えなかったけれど(横に特大スクリーンもあったおかげで)ミラは透明感のある美しさだった。「プロメテウス」でもシャーリーズ・セロンが超絶綺麗だったっけ。いろいろグロテスクなシーンも多い映画なので、彼女が出ることは画面的に美しい休息になるのだ。

というか、この映画があんなにグロテスクだとは思っていなかったので見ながらいろいろと驚いた。映画は何も情報を入れずに見た方が面白いと思っていたけれど、少しは知っておいた方がいいこともあるなと思い直したりした(笑)。以下はネタバレを含みます。



●光を効果的に使ったシーン

「プロメテウス」で良かったのは、宇宙船が着いた星の地形を空飛ぶ3Dスキャナーのようなものでピコピコと光りながら撮影していくシーン。3Dの特性を生かしていて綺麗だったし、立体感や構造物の大きさも感じられてドキドキした。

ホログラムチックな映像も過去の様子が見えているという不思議なもので、技術の進歩で見せることが可能になるアイデアもあることを感じさせてくれた。私は今回の光のシーンはどれも好きだった。

ただ、どうしても映画の内容では宇宙船の船員たちのダメっぷりが気になった。巨額の予算が組まれた宇宙探索プロジェクトのはずなのに、危機意識がないのだ。映画の上映時間124分内でピンチにあったり戦ったりするためには、迂闊なくらいでちょうどいいのだろうか。そういえばSFやホラー作品にはいつでも勇気ある被害者がいてくれるものだ。

登場人物の行動が善意だったのか悪意だったのか、見る人によって違うこともあるようだ。監督にはこういう映画に必要ないくつかの立場が決まっているのだと思う。何度作ろうと大きな枠は変えずに、あらゆる欲の貪り合いとその行き着く先の想像をさせたいのだと感じた。

●様子を知られ合う距離

そんな私も人間はいつか地球から離れることがあるのかもしれないと考えたことがある。地球は燃えているのでいつか冷めてしまう日が来るからだ。すべて自給自足可能な方法を載せた巨大な宇宙船ができて、そこで生まれた人間がずっと旅を続けるのかもしれない。

旅なんかしてどこに行きたいのかはわからないけれど、きっと当面の目的地を「希望」として進んで行くのかな。

ただひとつ怖いのは、宇宙船がいくつも分裂して散らばって行くとしたら。散らばってそれぞれが独自の価値観を持った宇宙船として何世代も過ぎる。そしてどこかで別の宇宙船と出会ったらどうなるのだろう。

空間が離れてしまったら、まったくの未知の存在のようになる。未知の脅威は「恐怖」を生むので、同じ人間の思考ならそれを取り除こうと考えてしまうだろう。

私たちは地球という丸1コの星の上で生きているからこそ、相手の様子を知ることができる。今の日本を取り巻く緊張関係は居心地は悪いけれど、必要なものなのかもしれない。

近いからこそトラブルけれど、近くて良かったこともある。様子を知られ合う距離のありがたさを考えたいのである。

【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
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