やる事がたまってくると、テレビ番組の録画を見るのが大変だ。録画可能な残り時間との戦いみたいになってくる。
「デクスター」の新シーズンのシーズン7が始まっているので、録画した一番最初の回を見始めた。前見た時からだいぶ経つので全然忘れてるなーっと思いながら見たら、どうも全く覚えがない感じ。
なんだか絶対におかしいと思ってよくよく確認したら、シーズン7の前のシーズン6を全話丸々見いないことに気がついた! わかる訳ないよね! (以下は少しだけネタバレしています)
1話見逃すとかじゃなくて1シーズン見逃すって、我ながらどういった時間感覚だろう。歳を取るのって本当に怖い(きっと歳だけが原因ではない)。
結局「デクスター」のシーズン6全話のDVDを借りに行って、がんばって数日かけて見た。そんなことをしているから、他の番組を見る時間がなくなる。ただし、見てからわかったけれど、シーズン6とシーズン7は話の流れが完全に繋がっているので、続けて見て正解だったのかもしれない。
・デクスター|DEXTER特設サイト
< http://www.dexter.jp/
>
・デクスター 〜警察官は殺人鬼 シーズン7
< http://tv.foxjapan.com/crime/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/1597
>
「デクスター」の新シーズンのシーズン7が始まっているので、録画した一番最初の回を見始めた。前見た時からだいぶ経つので全然忘れてるなーっと思いながら見たら、どうも全く覚えがない感じ。
なんだか絶対におかしいと思ってよくよく確認したら、シーズン7の前のシーズン6を全話丸々見いないことに気がついた! わかる訳ないよね! (以下は少しだけネタバレしています)
1話見逃すとかじゃなくて1シーズン見逃すって、我ながらどういった時間感覚だろう。歳を取るのって本当に怖い(きっと歳だけが原因ではない)。
結局「デクスター」のシーズン6全話のDVDを借りに行って、がんばって数日かけて見た。そんなことをしているから、他の番組を見る時間がなくなる。ただし、見てからわかったけれど、シーズン6とシーズン7は話の流れが完全に繋がっているので、続けて見て正解だったのかもしれない。
・デクスター|DEXTER特設サイト
< http://www.dexter.jp/
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・デクスター 〜警察官は殺人鬼 シーズン7
< http://tv.foxjapan.com/crime/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/1597
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◎装飾山イバラ道[54]「デクスター 〜警察官は殺人鬼」にハマる
< https://bn.dgcr.com/archives/20100413140200.html
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以前にも記事[54]に書いたけれど、「デクスター」は立て続けてに見るには少々キツい内容の連続殺人鬼のドラマだ。アメリカって、万人向けの作品では必死に血を隠して色も変えていたりするけれど、大人向けのチャンネルだと血の描写は遠慮なく真っ赤だし大量だしで、見慣れないと驚く。
見慣れてきたら見慣れてきたで、シーズンごとにエスカレートする猟奇的なシーンにまたびっくりする。でもじっくり見ていると、出演者の演技が素晴らしくて、他のドラマにはない見応えがあるのだ。
特に主役のデクスターの義妹のデボラ役の、ジェニファー・カーペンターが力強い。デクスター役のマイケル・C・ホールと現実世界で結婚したまでは知っていたけれど、すでに離婚していることをWikipediaで知った。マイケルの癌闘病をジェニファーは支えていたというし、ネットでの情報では復縁説もあってなかなか本当のところはわからないけれど。
●曖昧な正義
以前にも書いたけれど、「桃太郎侍」のような「悪」をざっぱりと斬り倒すような勧善懲悪物はスッキリするので私も大好きだ。「水戸黄門」とか「遠山の金さん」もそんな感じだ。
日本刀で助さん格さんたちがざっくざっくと悪役を斬るけれど、たまにしか血がスプラッシュしていなかったような記憶がある。あれがもし「デクスター」のように血が出ていたら、お庭は血の海で見ていられなかったことでしょう。あれはあれで良かったとホッとする。
このドラマの主人公のデクスターは、連続殺人鬼だけれど殺しにはルールがあり、同じ連続殺人鬼だけがターゲットだ。自分が極悪連続殺人鬼を殺すことで、新たな犠牲者が増えないということを正義にしている。
正義であり、言い訳であると、自覚があるところに苦悩も見える。連続ドラマなので見ている側も、殺人なんて嫌だと思っていたはずが次第にデクスター側を応援してしまう。
「正義」という言葉は、意識しなくても自然に人に備わっているようなものだけれど、曖昧さがある。ハーバードのマイケル・サンデル氏の講義のように、大切なのに曖昧なままにしていることだからこそ、議論すると盛り上がるのだろう。テーマが大きいので、話し手がうまいと、切り口でいかようにも話は広がる。
人は何かを選ぶ時に自分なりの尺度と確信を持って、決断しているものだ。善も悪も見方を変えれば入れ替わってしまうことも多い。助さん格さんたちが斬った悪党たちにも家族があっただろうし、使い古しのアイデアかもしれないけれど悪役視点のストーリーがあれば見てみたい。
●リアルな世界に「痛快」はいらない
水戸黄門も遠山の金さんも「身分を隠す」という嘘を平気でついている。黄門様たちはギリギリまで悪を放置しておきながら、最後は悪党をほぼ皆殺しに(話による)するなんて、考えてみたらヒドイの極みにも思える。
もちろん正義の念オシみたいに、黄門様側は身分を明らかにして悪党を一旦捕まえるだけに見せてもいる。しかし、結局悪党は悪党だから手下に声をかけて黄門様にも斬り掛かってしまい、それが成敗のキッカケみたいになって悪党は全滅する。
テレビ番組だからわかり易いのが好まれるのは当然だし、それでいいとも思う。「痛快」であるためには必要だろうし。
ただ、この「正義の念オシ」と同じようなことが、今の世界レベルでもきっとリアルに起こっているようなのが怖い。
世の中に「悪」のレッテルを堂々と大きく貼れるようなことが起きると、一斉によってかかって倒そうと動いてしまう。いじめ問題でも、国と国との問題でも、個人の失敗でも、ニュースというニュースにその傾向がある。「正義の念オシ」が貼った「悪のレッテル」は果たして正しいのだろうか。
他の方法で何とかするとすれば、未然に防ぐために最大限のエネルギーを使うことしかないと思う。物事がエスカレートしないように、やさしく見張るのだ。今は悪のように見えていることも、抑えられているうちに別のところに原因が見えてくるかもしれない。
水戸黄門で例えて言うなら、風車の弥七が悪事に気がついて知らせを受けた時に、黄門様たちは何らかの手を打つべきだと思うのだ(事件を未然に防いだ結果、痛快さがまったくない時代劇になってしまうけれど)。
人は「正義の念オシ」が好きなのも事実なので、そっち側もやさしく見張る必要がある。「見張る」って言葉がキツければ、「見守る」の方がいいかもしれない。
エンターテインメントとリアルは違う。人の目の力で何が起こっているのかを見守り続けなければ、全員が間違うこともある。どっちもエスカレートすれば危険ということを忘れないのが大切だ。
【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/
>
皮膚科でもらった漢方薬の量が多くて困る。漢方というのはそういうものらしいけれど、数か月分をもらったらパン屋の紙袋かと思うようなサイズなのだ。どうせ薬を飲むならとサプリメントも飲み始めた。これもアメリカサイズなので粒もボトルも大きい。目立つので飲み忘れなくていいけれど。