装飾山イバラ道[133]ローテンション・コントロール
── 武田瑛夢 ──

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ここ数年は褒め活動を活発にしていた。「いつも自分が思っているよりも倍は褒めよう」と心がけることで、学校でも日常でも褒めるワードが口に出易くなる。決して思っていないことを「盛って」褒めるのではなくて、思っている言葉を積極的に「出す」だけだ。

私は本当に言いたかったことの数%しか言えていないと思うことが多いから、意識的に出すことにしているだけでだいぶ違う。

そもそも人を褒めるってけっこう難しいし照れるし、言い方が偉そうになっていないかを気にしてしまう。言って恥をかくのは怖い。だから出さずじまいになりがちなのだ。

私は口数が多い方でもない。思っていたことが口に出るまでにいくつもの関門がある。そんな関所を作るのはもったいないと気づいてからは、ポジティブ褒め言葉に関してはもうバンバン言って良いと思ってきた。恥はかいても、もう気にならない歳になった。今年もそれで行こうかな。


●ハイ&ローテンション

人と会うとその人の出す発言力や、気みたいなものを感じる。一人一人が電球のワット数が違うように明るさが違う。一定の明るさを保つ人もいるし、ほとんど消えているかと思うと突然スパークするようにパッと明るくなる人もいる。この明るさというのは「性格が明るい」という意味ではなくて、あくまでも話す強さとか前に出る力のことだ。

私はパーティなどでは、なるべくいつもよりワット数を上げて人に接するような自覚がある。めったに会わない人が多ければ、その瞬間の印象は大事だと思うからだ。でも、結局は通常モードの基本ワット数が楽だから、そこに戻っていくもの。

一言で言えば「テンション」の高低と同じような意味だけれど、元気さと信頼感のように、高い低いがあっても良い悪いがある訳ではない。

ソチ五輪でも同じような発見があった。スノーボードの平野選手と平岡選手の落ち着いた感じ。メダルが確定して海外選手が抱き合って興奮していた時、2位と3位が確定した平野選手と平岡選手が座ったままノーアクションだった数秒は、とても珍しく見えて微笑ましかった。インタビューでも二人のその一定の落ち着いたテンションは変わらない。

この二人の、若いのに大物感がある不思議さについてずっと考えていた。常にこんなに落ち着いてるなら、よほどのことをしないと楽しくないだろうなという感じだ。

それが五輪の舞台で、スノーボードで滑ってスッパーンと飛んでいる時にパッと輝いて、自分自身がその瞬間を楽しめる状態になっている理由ではないだろうか。ゴーグルをつけているから表情は見えないけれど、興奮と冷静さが完全に調和する状態に持っていけているように感じた。

アスリートには多い、あえて通常を低く保つカッコ良さ。本番の大舞台がひんぱんにある人には、すごく有効な心の保ち方なのかもしれない。ローテンションというと簡単すぎるけれど、ベースのテンションにすぐに戻れる力のようなものだ。

●歌い出しのキーを合わせる力

五輪が終わったら、アメリカン・アイドルシーズン13のたまった録画を見なければ。毎年ネタにして申し訳ないけれど、全米で行われる歌手のオーディションリアリティショーだ。

今回はジェニファー・ロペスが審査員に復活して、ハリー・コニック・ジュニアが新しく加わった。優しいキース・アーバンとの三人体制の審査員の中ではハリーが一番アカデミックで厳しい印象だ。それでもヒール役というには優し過ぎるかもしれない。

三人の意見が一致することが多いようにも見られ、今のところは「酷評」されるシーンはほとんどないように思う。それでも不合格はどんどん出されているので、厳しいことには変わりはない。

ここでも本番に力が出せるかどうかが、歌手として大事なスキルだ。基本的には、最初はアカペラで歌うオーディションから始まる。アカペラで緊張して歌うとキーを外してしまい、本来の歌が歌えない人もいる。たった一度のチャンスでうまく歌えないのを見ているのは、こちらも辛いものだ。

最近は地方オーディションから楽器を使って良いことになったので、会場にギターを持って来る候補者が多くなった。ギターを弾き始めると瞬時に落ち着きを取り戻し、実力を発揮できる人が多いように見える。楽器という武器がキーの安定と安心感を与えているのがよくわかるし、聞き応えも良い。今後は楽器を練習する若手が増えそうだ。

地方オーディションを通ってゴールデンチケットを手にすると、ハリウッドオーディションに進める。全米で10万人いた候補者も、ハリウッドに行くまでに200人程に絞られるという倍率の高さだ。

最後の一人になるまで戦いは続く。スポーツでも歌でも、始まる瞬間に自分のピークを持って来られる力こそが実力なのかもしれない。

●記憶に残る演技

ソチ五輪が終わってだいぶ経ってしまったけれど、浅田真央選手のフリー演技は泣けたなぁ。ドキドキするとは思ったけれど、あんなに泣くとは思わなかった。フィギュア見て泣いたのは初めてという人もいたかもしれない。彼女がやりたかったことが出来て本当に良かったと思った。

メダルを取った選手はたくさんいたソチ五輪だけれど、ソチ五輪を特集したスポーツ誌の表紙は、きっとこの青い衣装の浅田真央選手になるのが見えた気がした。実際何誌が表紙に採用したかわからないほどだ。

人は興奮を制御するのが難しい。一旦アガってしまった自分がどんだけ出来ないかは、私も自分の経験からよく知っている。どんな状況でアガるかはその状況になって初めて知る事も多い。

浅田選手はショートでの失敗は集中が足りていなくてアガってしまったと言っていたけれど、自分なりの集中方法を持つことは大事だ。フリーで力が出せたことで一番大事な何かを掴んでいるといいなと思う。

最近は若い人のローテンションな雰囲気が頼りなくて「やる気を出せ!」っと叱る大人は多い。働く大人の共通の悩みかもしれない。でもローテンションでも結果が出せる人の安定感には、何かの心理的ヒントがあるような気がしてならない。

ここぞと言う時に本来のパワーを発揮できる人。考えるべきことに集中している落ち着きと、何も考えていない頼りなさの違いは見た目には難しい。出した結果によって見分けるしかないのだろうか。

【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
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ゴーストライターが何かと話題だけれど、創作物には中心となった考えや、皆の考えを束ねた人の考えというのがあるように思う。多くの参考や助力があっても、それをモノとして固めた人が一人いるはずである。意図したことを表すために作り、それが完成したと見極めた覚えがあるのかないのか。作ったのが誰なのかは、作った人にしか身に覚えがないと思う。