装飾山イバラ道[162]サボって見えてもサボってないこと
── 武田瑛夢 ──

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裸のように見えて実は着ている芸人が流行っている。だからこんなタイトルになった、というわけではない。

私立学校の校長先生が仕事の途中で、ディズニー・ランドやカジノに寄っていたのが問題になっている。私的な旅行の部分までも学校のお金を使っていたのでは問題になって当然だ。最近はテレビのニュースを見ていると、時間や労力の使い方で考えるところが多い。




●サボって見えること

仕事の中では人から見たら「サボってる」ように見えることでも、実は本来の製作に必要不可欠なことも多いような気がする。私も会社員時代、仕事中にファッション誌を見ていたら、同僚から「まだお昼休み時間前なのに、雑誌見てるの?!」とちょっと怒った口調で言われたことがある。

デザインに携わる人は、仕事中に雑誌を見ることは多いにあると思うけれど、当時お固い人の方が多い職場で、それを説明してもなかなか解ってもらうのは大変だった。

大半がデザインの仕事以外の人の中に、自分がいることの大変さは多いに感じていた。やはり、共通の理解者がまとまって仕事ができる現場が一番だと思う。

その時は化粧品会社のビューティーコンピューター(肌診断)のインタフェースデザインをしていたので、化粧品を取り扱っている雑誌を見るのは仕事として必要だったのだ。

だいぶ経ってから出来上がった、私のデザインしたビューティーコンピューター画面の写真が、雑誌の化粧品のコーナーに掲載された。そうなればこういうことのためだと説明もしやすい。しかしせっかく説明しやすくなった時には、もはや聞いて来る人はいないものだ。

WEBサイトを作っていた時も多くのサイトを見るのが日課だったし、会社でも当然見ていた。デザインの実例を数多く見ることや、ライバル会社とかち合わないために調査するのは必須だと思う。

今となっては当たり前で、信じられないようなことだけれど、昔はWEBを仕事中に見てるというのがサボっていると思われることも多かった。

机の上に「仕事に必要でやっています」という貼り紙でもしていれば、もう少し理解されたのかも? 案外この手の苦労をしている若い人は多いのではないだろうか。

たぶん人からみて「遊び」のジャンルに入ることを仕事中にしていると、「サボり」と思われることが多いようだ。ファッション誌やWEBなんていう「遊び」を仕事に持ち込んでいるように見えた訳だ。

結果を出していれば誰もサボっていると言ってこないけれど、そうなるまでには辛い時間がある。

●本当にサボること

では、本当にサボるというのはどういうことだろう。営業で社外にでかけたのにカラオケ屋に行った、などは立派なサボりだと思う。

本来の仕事の目的とは別の自分の目的を達成してしまっている場合、それはサボりと言えるのではないだろうか。仕事の時間中に、別の私用の頼まれ事をこなしてしまうのもダメだと思う。

忙しそうには見える/見えないには関係ない。会社の仕事時間を私的に盗んでいるというズルなのだ。

もちろん、カラオケ会社勤務の人だったら、他社のカラオケで遊んでみるのは仕事の一つとしてありそうだ。同じようにレジャー施設のすべてを調査目的で訪れている可能性が有り得る。

サボりは見ただけでは特定できないし、良識の範囲で必要性について周囲と相談していればいいと思う。

そして「時間を盗む」というサボりは解りやすいけれど、「労を惜しむ」ということもサボりの一種だと思う。

課題に対して真剣に取り組んで、一所懸命考えながらレポートを仕上げるべきところを、どこかにあったもののコピペして済ませたとしたら、それはすごくサボっている。サボり以上の問題も含む。自分でやっていないのに大変だったーと言ったら、それはやはり嘘なのだ。

こういった、労力をワープするようなことは、最もズルいことのひとつかもしれない。ただ有りもので済むところは済ませて、要領よくやらないと何も進まないことはたくさんあるのも事実だ。

この場合はどの部分にどう使ったかを考えて処理しなければいけない。参考程度に資料を見たのと、がっつり書き写したのではまったく違うのは、作る本人が一番わかっているはずだ。

「時間を盗む」「労を惜しむ」という、どちらのサボりもネット社会では発覚しやすい。

SNSが盛んになって個人が実況中継する時代になったので、場所と時間が特定されるイベントなどはサボりが発覚しやすくなったのだ。

自分以外の人の顔が写真に映り込んだら、消すようにするのがマナーだけれど、全員が徹底している訳ではない。景観としての映り込みの場合、新聞にだって意図せず自分の写真が載っちゃうこともあるのだ。

文章にしても画像にしても音楽にしても、類似のものが一般の人でも簡単に検索できる世の中。人々が得る情報量がものすごく多い上に、思った以上の精度がある。

コンピューターという箱は人々がこう使うようになったら、それを無視できない箱でもある。

ただし、検索で拾い出されるものを見極めるスキルは必要だし、それぞれの専門分野の人の目でないとわからないことも多い。高級品と一般品を見極めるクイズ番組のように、そればっかりやってきた人が見極められることには、自分がわからないとしても認めるべき価値があるのだと思う。

●先人の知恵

似たようで全然違うのが「先人の知恵を借りる」で、これは仕事上必要で大切なテクニックだと思う。

本を読む、参考にする、意見を取り入れる、などは誰でも普通にやっている。本なんて先人の知恵を固めたものだし、絵も音楽も今までの人が作ってきたものを煮詰めた上に、個性が活かされているようなものだ。

前例を上回る努力のために、既存の物を見まくる人は尊敬できる。時間管理を徹底してカットできることはカットするなら、それは要領がいい人だ。仕事の要領がいいってカッコイイよね。

私はこれまで書いたサボり行為を、一切をすべきでないとは思わない。サボったことがあるとそのむなしさがわかるということもある。

私は過去にマニュアル製作の仕事も多かったけれど、間違ったり面倒くさくなる人の心理や行動を、その身になって考えて対策することは大切だった。

そして、本来の仕事を離れた時こそアイデアがひらめくことも多い。お風呂やトイレで良いアイデアが出やすいし、実際のところ、仕事と自分の時間のバッチリした線引きなんてできないのだ。

大切な考え事ほど回り道して、徐々に近づく手法もある。この回り道をサボりだなんて誰が言えるだろう。

結局は志(こころざし)が良くて仕事も良ければ、人には懸命な努力に見えるということだろうか。時間の使い方がうまくて、先人の作品の良さの本質を捉えるところまで学ぶ努力をしていれば、まったく違うものが生み出せるまでになると思う。

今回は「時間」と「労力」までは考えたけれど、「お金」についての問題ももっと考える必要があったかもしれない。遊園地などで優先乗車のために並ばないで済むチケットを買う行為を嫌う人もいる。これは行列に並ぶ時間と労力をお金で買っていることであり、それを当然と思うか卑怯と思うかは、人によって違うみたいなのだ。

製作においては対価を支払って、クレジットをきっちりとすれば文句を言う人はいない。自分の時間と労力を考える時に、人の時間と労力も考えることを忘れなければ、かなりの部分が解決しそうだ。

今日のお昼ご飯は冷凍のピザを焼いた。これはサボりだろうか。ここでサボってすみませんと私が書いたら、冷凍のピザを焼く奥さん全員を敵に回すことになってしまう。

実はこの原稿を書く事自体が少々遅れてしまった。これはある意味、ちょっとサボったからかもしれない。

原稿の締め切りがあったからお昼が冷凍のピザになったなら、それは時間の調整として発生した事象として自然ではないだろうか。

とか言って、なんだか今回の原稿は言い訳ばかりのようですみません。ほどほどの寛容さと厳格さのバランス、自分に対しても他人に対しても持てるようになりたい。

【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/
>

関東の土砂降り映像をニュースでやっていたけれど、まさにあの時間に外に出てしまっていた。どうしてもしょうがない時というのはあるものだ。

駅でホームから出て行く電車が、ジャジャジャーっとシャワーのように水をはじきながら進むのが怖かった。あんなのを見たのは初めてだ。

電車には雨ドイのようなものがあるけれど、雨で完全に満タンになってしまっていたようだ。本当に何かを引っくり返したような雨だった。