装飾山イバラ道[177]アメリカン・アイドル シーズン15 ファイナル
── 武田瑛夢 ──

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アメリカン・アイドルのシーズン15が終了した。毎年、優勝者についてここで書いてきたけれど、この番組自体が終わってしまったので、今年のことに加えて「アメリカン・アイドル」全体について書きたいと思う。
※優勝者についてネタバレがあります。




●シーズン15について

毎回お気に入りがいるのが普通だけれど、今年は黒髪の美女で美声のソニカ・ヴァイドにはもっと残って欲しかった。ラポーシャ・ラナエは迫力があって聞き応えもあるし、お洒落にも注目していたし、トレント・ハーモンの歌のうまさは別格だったと思う。

Top10はとても個性があって良いシーズンを感じさせた。ただ、徐々に人が減ってきた時には、少し物足りなさがあった。異なる個性がお互いを引き立てていたのかもしれないと思える時もあった。

しかし、トレントが素晴らしい歌「Simple Man」を歌った時に、ジェニファー・ロペスが「終わってしまうのが惜しい」と言って目に涙をためてコメントしていたのが印象的だった。

「今回のトレントの歌のように、最前列で皆が成長して完璧なステージを披露する瞬間を見られることが素晴らしかった、ありがとう」と言った時がこのシーズンのピークだったような気がする。

・Trent Harmon - Top 5 Revealed: "Simple Man" - AMERICAN IDOL


この評価コメントは、ジェニファーのアメリカン・アイドルに対する評価でもあるし、この番組の真髄を語ってもいる。

このファイナルシーズンも、ここまで候補者を持ってくることができたと思わせてくれた、トレントへの感謝も表れていた。まだTop5の時だけれど、もうトレントが優勝でいいよ! と思った人も多いのではないだろうか。

毎回歌のパフォーマンスと評価コメントをセットで編集して録画に残しているけれど、この録画の回だけはジェニファーのコメントを必ず残さねばと思えたシーンだ。

最終シーズンなのだから、歌のパフォーマンスが盛り上がらなければ困るという、番組サイドのプレッシャーもずっとあったと思うけれど、トレントとラポーシャは決勝まで残って、存分に番組を盛り上げてくれたと思う。最後はトレントが優勝したけれど、二人とも売れるといいですね。

ジェニファーが感傷的になりすぎていると思った人も多いかもしれないけれど、最近はテレビ界に涙ブーム(?)が起こっているそうで(昔からだけれど)、ちょっとそういう流れが多いのもしょうがないのかもしれない。

●アメ・アイのスター

シーズン1の優勝者であるケリー・クラークソンが、コーチとして出た回は審査員席にまで座ってもらう特別待遇だった。放映開始のまだこの番組が有名ではなかった時に、視聴者を惹きつけて人気番組に押し上げ、華々しく優勝した人だからだ。

デビュー後のレコードもヒットし、14年以上もアメリカで順調に売れ続けているのは天晴れと言うしかない。番組の誇りと言える人の一人だと思う。

ケリーは妊娠していたので最終回は録画での参加となったけれど、コーチとして登場した時に披露した「Piece by Piece」の歌唱は、審査員や観客も泣いてしまうほど良かった。歌っていたケリーも泣いていたけれど。

私もうるっときて、後でWEBサイトを読んでその歌詞の内容(幼い頃に母と自分たち子供を置いて出て行った父に対しての歌)を読んだ。

今はそばにいてくれる彼(夫)がいるから安心していられるという内容だ。彼はいなくなったりしない、お金を無心したりもしないと具体的に歌詞に書かれているので、父親の態度は彼女の成功後にもひどかったということがわかる。

今のケリーが幸せで良かったし、今後もずっと良い歌手であり続けるであろう安心感のある人だ。

今回のファイナルでも、バッチリ長い時間の独唱をして実力をアピールしていたのはキャリー・アンダーウッドだ。用意された場を生かし切るようなことができるのって、かっこいい。

キャリー・アンダーウッドはアメリカの様々な賞を受賞しており、アメ・アイ出身者の成功例の見本のように語られることが多い。とにかく声が力強くて、ステージ上で巨大になれる人という印象。

●ファイナルのファイナル

ファイナルシーズンの最終回、ファイナルのファイナルなのに、私はなんと録画を忘れてオンデマンド放送を探して見た。

見逃しサービスに助けられてばっかりだけれど、最後の方だけ通常とは違う曜日に放映するので、いつもミスるのである。オンデマンド放映だからか画質が悪くてちょっと残念だった。

オバマ大統領のスピーチから始まったのには驚いたけれど、とうとう終わるという妙な気合を最初から感じてしまった。

毎年行われるフィナーレと比べると、このシーズン15はこの番組が終わるということで選ばれた企画が多いのもやむをえないかもしれない。

今回のファイナルはアメ・アイ由来の人を今まで以上に多く呼んでいたし、関係ない人はほぼ出ていなかったのが良かったと思う。

番組ゆかりの人を一人でも多く出すために、それぞれの持ち時間はとても少なかったけれど、あのステージで顔が一瞬でも大写しになるという栄誉は素晴らしい。

懐かしいピアやアンバーが歌うのを見られて良かった。ネットで探せば皆のシーンをそこだけ繰り返し見ることもできるし、良い時代になったものだ。

5人のギター野郎たちが横一線で歌ったのが、デヴィット・ボウイの追悼メドレー。全員過去の優勝者だ。

大好きなフィリップ・フィリップスもいたし、クリス・アレンにリー・デワイズ、一番最近のシーズン14の優勝者ニック・フラディーニと、私が見始めた頃のシーズン7の優勝者デヴィッド・クックもいた。

フィリップ・フィリップスはアメリカン・アイドルを訴訟したりしてたのに、最後に出てくれて本当に良かった!

・Idol Finale David Bowie Tribute - AMERICAN IDOL


過去には優勝したのに、最近番組に呼ばれないことを嘆いていた人もいたし、それまでにはいろいろな思いはあったろうけれど。懐かしい歌声や様子がとても良かったし、ギターを持ってしまえばギターと自分の世界になれる人達だ。

売れていようがいまいが、呼ばれたら出て歌う。歌ってみればきちんとすごい。これができるならいいじゃないかと、お祭りというのはこういうムードでいいんだと思う。

●司会者と過去の審査員

司会者のライアン・シークレストは、いつも安定した司会っぷりだ。勝ち抜けで勝負している候補者と違うから安定しているのかと思っていたけれど、アメ・アイのシーズン1では司会者は実は二人だったということを、アメ・アイを振り返る番組で知った。まだ見ていなかった頃のことだ。

ファイナルにはその初回に司会者だった人(ブライアン・ダンクルマン)がサプライズで登場して、ライアンにイヤミを言って和解するという演出をしていたのがアメリカらしいと思った。

司会者だっていつ降板させられるかわからないし、降板した後に爆発的人気番組になってしまうというのは辛かったろうなと、もう一人の司会者に同情した。ライアンだって勝ち抜けていたし、15年も継続して司会をしてきたのは本当にお疲れ様だ。

最終回に鬼審査員で有名だったサイモン・コーウェルが、サプライズで登場したのは良かった。優しさの塊みたいなポーラ・アブドゥルに、今までの悪態を詫びるべきだとか、自分の悪事をかぶせるようなことを言っていたけれど。

結局、最後は今までこの番組を見てくれた人々に感謝の言葉を述べていて、やっぱりサイモンは言うべき時に言うこと言うなーとグっと感動してしまった。

現在の審査員3人も立ち上がって見守っていて、ステージも引き締まったし、サイモンから視聴者へ感謝の時間を持つのは、予想していなかったことだった。

言わなくていいこともいっぱい言っちゃったかもしれないけど、サイモンの歌手を応援する気持ちへの信頼感は間違いないと思う。

私のアメ・アイロスは今のところ大丈夫だ。見逃すくらいだから心がそこそこ気楽だったということかもしれない。もしかして、フィリップ・フィリップスの時のように決勝までハラハラ見守るようなシーズンだったら、心の穴を心配したと思う。

アメ・アイが大人気だったのは過去のことだけれど、今回の最終回は「夢中だったあの頃、懐かしいよね」というお祭りだったと思う。

私にとっては、シーズン7のお気に入りのデヴィッド・アーチュレッタに始まり、シーズン11のフィリップ・フィリップスで終わっていたのかもしれない。

これで私のアメ・アイに関するコラム記事は今後なくなると思うと、ネタ探しに困るのかもしれなくて、そっちの方が心配だ(笑)。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


なぜか定着しているメニューってある。普通の家では年に一回も食べないようなメニューを、毎月食べているとか。多分ウチで結構な頻度で食べているのが「にしんそば」だと思う。そばの上に魚しかのっていない、魚嫌いには絶望的なメニューだけれど、ウチでは大好き。

京都出身でもないのに、月に一回は食べているし、スーパーで鰊の甘く煮たのを見つけるとつい買っている。後は食べたくなったら生そばを買ったり、乾麺のそばで作ったりだ。

つゆの味は基本の出汁をしっかりめで甘さを控えめにすれば、鰊の味が濃いのでなんとかまとまってくれる。三つ葉とネギ、たまに小松菜も入れる。それ以上の具はない方がシンプルで良い。

つゆとそばの面倒しかみていないので、料理と言えるような感じもない。おつゆたっぷりの温かいそばの上に、温めた鰊を置いて必ずそばを少し上にかけるようにのせる。鰊のお腹にそばの腹巻といった感じにそばをのせるのを、儀式のように必ずやる。

画像検索してもらうとわかるけど、なぜだかわからないけれどそうなってないと落ち着かないのだ。