何年も前から折に触れては告白しているのだが、ボクは「怖い」がめちゃめちゃ苦手である。ホラー、スプラッタなんて間違っても見れないし、幼少期ボク世代ならば誰もが見たであろう「妖怪人間ベム」「仮面ライダー」などもまともに見れなかったし「ゲゲゲの鬼太郎」にいたっては未だにダメである。
小学校高学年の時に横溝正史ブームで「犬神家の一族」などがドラマ化、映画化されたが、これも怖くてとてもじゃなけれど見れなかった。当然、クラスメイトの会話にはついていけなかったが、それで特に不便は感じなかったなぁ。
江戸川乱歩は「少年探偵団シリーズ」で多少免疫があったので、中学一年の時にほぼ全作を読了できたが、やっぱり怖い思いはした。
ちなみに怪奇小説の名作「吸血鬼ドラキュラ」の初読は25歳の時で(会社員時代だ)読了後は三日三晩夜が来るのが怖かった、というアホな逸話の持ち主でもある。
そんなボクが描く絵がなぜ怖くなるのかは、ボクにもさっぱり分からない。来るお仕事も、たいていそれ系である。
●ジャンルとかカテゴリーとかいう厄介なヤツ
本題。この作文のタイトルである「ハグレDEATH」は、BABYMETALというユニットのメンバー紹介からパクッた。もうご存じの方も少なくないと思うが、このユニット、2014年から欧米のかなり偏った賞ではあるが、受賞しまくっている。
もう手垢のつくほどアホらしい「メタルかメタルではないか」論争も向こうでは根強く残っているようだが(イチローのヒット数論争みたいなもんか? それとも「SFかそうではないか」論争?)、ボク個人としてはどうでもイイ。
そもそもジャンルとかカテゴリーそのものに関心がなく、単純に好き嫌いでしか評価しない。もちろん主観全開だ。ちなみに流行モノは自動的にそっぽを向いてしまう習性があるので、さっぱり分からん。とにかく世間様の価値基準はまず参考にしない。
BABYMETALのユニークさは本来メタルが持つ攻撃性とか死、地獄と言ったネガティブなイメージやテーマを重厚なサウンドと超絶テク(特にギタリストは多い)をキープしながら、可愛いガールズが素直に加わることで生みだした新しいスタイルだろう。
女性ボーカリストがつとめるメタル系バンドは結構あるが、BABYMETALのようなアプローチをしたボーカリストをボクは知らない。もしかしたらいるのかもしれないけど。特に造詣が深いわけでも何でもないのでご容赦願いたい。とにかくボクは知らんのだ。
何をきっかけにBABYMETALを知ったのかは、もう憶えていないのだが、たぶんDEATH DEVILにはまっていた頃よりは後だろう。
ちなみにこのDEATH DEVILというバンドは、アニメ『けいおん!』に登場する軽音部顧問の先生が、高校生時代に活動していたメタル系バンド。主人公達のバンド放課後ティータイムというゆるふわ全開のバンドと対極をなすような設定である。
で、もともとボクは『けいおん!』のファンで、カワイイけどどこかアホな登場人物達で娘と一緒に盛り上がりまくっていたのだ。カワイイは大好物なのだ。それでも、実際ボクが描く絵とのギャップがあることは素直に認めよう。
ちょっと脇道に逸れたが、本論はジャンルとかカテゴリーとかいう厄介なヤツである。何度もいうが、ボクはこの手の縛りが大嫌いなのだが、結局こうした縛りというのは他者が決めるモノでボク個人がどうこう言ってどうにかなる話ではないのだ。
ボクは嫌いだが、こうした縛りは長所もあれば短所も当然ある。良いとこばかりとか、不利なことばかりでないのは事実である。ただ、個人的には窮屈に感じるのは確かだ。
実際、ボクのところに来るお仕事の大半は怖い系だし、それで口に糊させていただいているのである。本来なら文句を言う筋合いではない。というか、むしろ感謝すべきだろう。
ただ、ボクが「怖い」をめっぽう苦手にしているのも事実で、ゲラを読むときは大概ビビっているのである。で、イメージを作る段階になると更にビビる。これだけはどうしても慣れない。
●「ビビり」のルーツと「カワイイに目がない」のルーツ
ボクのビビりは性格的なものも当然あるのだが、幼少期のある強烈な体験が背景にある。
ある夏、母方の実家に遊びに行った時の話である。ここは今でも十分ド田舎なのだが、ボクの幼少期の頃は街灯すらまともにないような超ド田舎であった。
本家(一族の家が密集しているのだ)に遊びに行き、晩御飯を食べさせてもらって祖父の家に帰る道すがら、ひょいと夜空を見上げるとすさまじい満月が浮いていた(月明かりで夜歩くのは当然だった頃だし)。
月光は山に深い闇を作っていた。その闇がボクにはなにか強烈な生命力を感じさせたのだ。ちなみにイイ方ではない。悪い方だ。禍々しく蠢く有象無象はもちろん見えるはずもない。ただ感じただけである。
一方で満月。戦慄し魅入られた。美しさと恐ろしさがそこには同居していた。本来なら目を逸らすべきはずなのだが、ボクは目を離せなくなりその場に立ちつくした。
もちろん完全にビビっているのだが、同時に感動もしてしまったのだ。トラウマレベルのキョーレツな体験である。そうそう簡単に忘れられるはずはない。というより、しっかりと根を下ろしてしまった。
歳を重ねれば多少はマシになりそうなもんだが、50を越してもマシになるどころか、むしろ深まっている。とことん厄介な人である。
一方でカワイイに目がないのも事実でこれまた根は母方の一族にある。
昔の富農一族なのだが(戦後の農地改革で割を食った祖父が、GHQとマッカーサーを罵倒していたのは内緒だっ!)基本女系である。男の出生率は極めて低い。そんな中ボクが生まれたので一族全体、特に本家のお姉さん達がやたらと可愛がってくれ、構ってくれたのは想像しやすいだろう。
もっともボクは自分だけは、「ボクだけナゼ男???」という極めて素朴な疑問を抱きつつ、周囲の反応に戸惑っていた。ただ周囲が優しくしてくれたので、妹が生まれたときは素直にボクが体験したことを再現しようと、可愛がりまくった。
娘の時は更にエスカレートし、ももち(飼い猫だ)が来て頂点を極めたのは言うまでもなかろう。とにかく可愛がり甲斐、というヤツがボクを突き動かすのだ。こんなアホな習性はボクだけかと思っていたのだが、つい最近祖父がそうだったコトを知り、がっくりしたのは記憶に新しい。
ちなみに、祖父の可愛がりはボクの比ではなく、もう常軌を逸しているとしか思えないほどだったようだ。本家に入り浸っていたボクのことを「本家にとられた」と無茶にも程があることも周囲に漏らしては失笑を買っていたらしい。
本家に入り浸っていたのには、上記したようにお姉さん達の存在も大きいのだが、当時の祖父の家は買い漁った本の重さで、文字通り家が傾いていた上に年季が入りまくりだったので、ボクの目には化け物屋敷にしか見えなかったのだ。
余談だが家の傾きはその後も続き(祖父が本を買い続けた、と言う実に分かりやすい理由だ)、結局建て替えを余儀なくされ、さすがに懲りたのか書庫を新たに設けてそこの基礎だけ無茶苦茶頑強にしたようだ。
建て替え前の家は、書棚に収まらない本が場所を選ばず、あちらこちらにうずたかく山を作っていた。というか、本の隙間で生活しているような有様だったのだ。
この辺のところで、祖父に突っ込みを入れる資格などボクには当然ないワケで、この厄介な遺伝はきっちり娘にまで受け継がれてしまった。あの子の部屋も大概本で埋まっているのだ。
この習性にボクの責任があるのは事実だと、素直に告白する。祖父の代から「本を買うことだけは寛容」という、世間様から見れば得体がしれない慣習があるのだ。
●カワイイの成果品
前置きが長くなった上に脇に逸れたが、「怖い」と「カワイイ」は絵にしてしまうと、その差が歴然とする。だがボク自身の中では矛盾しない。だってそういう人だもん。
だが、他者から見ればどうもボクの「カワイイ」は、イマイチ信用に足らないようだ。実績は圧倒的に「怖い」の方が上だしね。30代の頃は「もっと色々描けるのに」と思いっきりふてくされていた。
娘が生まれてからは、せっせと「カワイイ」ネタを描いては、ポートフォリオに入れて色々持ち込みもした。が、最近は「まぁ、ええか」になってきている。それでもやっぱり、お仕事で「カワイイ」を描きたい欲求はある。要は使ってくれるかどうかという単純な話なのだ。
ほぼ15年越しで、やっとその願いは叶った。今年2月刊行の柄刀一著『猫の時間』(光文社文庫)がそれである。文庫にもかかわらず、章扉に挿絵を入れていくスタイルを取ったので、ボクは猫を描きまくりである。実に楽しかった。
柄刀一「猫の時間」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334772404/dgcrcom-22/
更に7月刊行の今井絵美子著『いつもお前が傍(そば)にいた』(祥伝社)のきっかけを作ってもくれたのだ。こちらは二葉だけだったが、本来目次ページ用の挿絵をデザイナーさんが色々な場所に使いまくってくださり、結構な量になった。
こういう風に応用していただけると、挿絵画家冥利に尽きる。あ、ちなみにこの本も猫です。
今井絵美子「いつもおまえが傍(そば)にいた」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396635036/dgcrcom-22/
引き出しの多さにはそれなりに努力はしているので、大概のことには対応できるが、やはり人目につく成果品が一番キモなのだ。ポートフォリオで如何に多様性を出しても、成果品が伴わなければ効果は薄い。
そもそも「怖い」のマーケットは実に狭く、その中でエカキがお仕事の取り合いをしているのだ。その狭いマーケットすら狭まってきている。
他のジャンルの開拓をしようというのは極めて普通の発想だと思うのだが、とにかく「怖い」フジワラのは、本人が思っている以上に編集担当さんや読者の皆様には印象が強いらしい。
これもまた積み重ねというヤツである。おかげで苦しいながらも挿絵で口に糊することができるようになったのも「怖い」のおかげなので、無下に否定するのはあまりに浅はかであろう。
というか、自己否定になっちゃうし。どのような形であれ、機会を与えてくださったのだ。「カワイイ」もまた然り。そういう意味では編集担当の皆様には感謝してもしたりない。
が、ここは猫というモチーフが実戦の場に出たので、営業的にはプッシュすべきだろう。いや、猫だけでなくうさぎさんやらなんやらも描けますよ。当たり前ですが。突破口が開けただけの話で、この先広がるかどうかはやはり編集担当さん次第なのである。
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/
装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!