はぐれDEATH[08]はぐれ関東滞在記2 東小金井・暴走の日々
── 藤原ヨウコウ ──

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だらだら書き連ねてきたが、ようやく関東滞在について話を進める。

最初の一年は、自分でも恥ずかしいほど気負っていて、暴走に次ぐ暴走の毎日だった。ちなみに基地の場所は東小金井。数少ない知識から中央線沿線を探して決めた。三鷹から西は家賃がぐっと安くなるのだ。今はどうか知らない。

お仕事の方は幸いわりと早い段階で新規開拓に成功した。その後お仕事が続いてくれなかったのは残念至極だがこれはもう仕方がない。タイミングという得体のしれないヤツがあるのだ。

それでも弾みがついたのは事実で、暴走に拍車をかけることになった。加減を知らないというのは実に恐ろしい。若いときのような持久力はもうないのだ。

当然、後からツケがやってくる。特に50歳になってがくっときた。このへんはetudeと称する落描きに露骨に出ている。それでも一年目はまだetudeを量産していた。ほとんど意地になっていたというコトだけは告白しておこう。

ボクにとってのetudeは、本来リラックスした状態で楽しく描くものだ。楽しくないと続かないし、無理をすれば神経がすり減るだけだからだ。こんな初歩的なことをコロッと忘れて意固地になっていたのは、やはり関東滞在中に明白で堅固な結果を残したいという思いが先だったからだろう。




こういう無茶なことは20代、30代なら許されることかもしれないが、悲しいかな50を目の前にしていたボクには無謀すぎた。今だから言えるのだ。とにかく当時はそんなゆとりはなかったし、旧帝國陸海軍末期のような玉砕、バンザイ突撃、特攻を繰り返していたようなもんだ。

日常生活でも神経をすり減らすアホな事態に直面していた。ボクが入居していたのはシェアハウスだった。入居当初は色々な人との交流をおおいに楽しんでいた。

あの時期のメンバーは今思っても実に良かった。約二名の問題な人を除けばの話だが。アジア系の外国人の方が多く、日常会話は怪しい日本語と怪しい英語がメインだったのだが、お互いコミュニケーションをしっかり取ろうという意識があったので、すれ違いや誤解はほとんどなくまことに充実していた。

ある意味、日本人相手の方が厄介だった。異文化交流(特にアジアから来ていた人)も日常生活レベルで大いに成果があった。中でも韓国のお肉に関する知識をかなり教えてもらったのだが、やはり本場韓国の手法というのはシンプルでありながらも実際的で、めちゃめちゃ勉強になった。

この楽しい時間に水を差したのが上記した問題の二名である。というか一人はボクの両親とたいして歳の変わらぬ英国人なのだが。このおっさんのトラブルに関して一々細かく描写する気はない。思い出すだけでげんなりするからだ。

結局このおっさんの存在が、約一年でこのシェアハウスを引き払う原因になった。もう一人は論外。ホンマもんのキチガイを目の当たりにして「狂うと人はここまで恐ろしい存在になるのか」と、自分と照らし合わせながら戦慄した。

後から知ったのだが、どうも何度も警察沙汰になっていたらしい。もっとも不起訴で事件にはなっていなかったようだが。情報ソースはもちろん内緒だが、信頼に足るソースなのでまず間違いないだろう。

それでも近くに小金井公園があり、阿佐ヶ谷で月一で開催されているフリーセッションに参加できたのは幸いだった。賀茂川ほどではないが(というかボクが知る限り、管楽器の練習場所としては賀茂川は最高である)小金井公園で練習して、セッションで爆音を鳴らすのは楽しかった。

なにしろ場所が阿佐ヶ谷なのだ。中央線で東小金井からたった六駅。最後まで残って、さらに終了後色んな人と談笑してても余裕で帰れる。他にも色んなセッションに参加した。

あの豊住芳三郎さんとセッションが出来たのは本当に幸運だった。「あの」と言っても分からない人の方が圧倒的に多いだろうが、とにかく雲の上の人というか、ボクにとっては手の届かないスゴい人なのだ。休憩中に優しく話しかけてくれてめちゃめちゃ感激した。

ちなみに「はぐれ」の命名者は豊住さんだ。それまでは「異人」と言う言葉を使っていたのだが、豊住さんに言われて即「はぐれ」に変更した。実にミーハーである。

もう一人どうしても外せないのが、のなか悟空さんである。徹底して爆音にこだわったセッションを開いてくれて、これまた月一で参加した。ただ内容があまりにハードすぎて、ボク以外は全員ドラムという鬼のような回もあった。あれはしんどかったなぁ。楽しかったけど。

東京に来てから明らかに練習量が落ちていたので余計にハードだった。ワンセット一時間で、ドラムと打楽器に周りを囲まれた状態でひたすら鳴らし続けるのだ。これは相当キツイ。この時のなかさんが「よう頑張ったなぁ」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。本当ならずっと続けたかったのだが、住み処の問題で断念せざるを得なかった。

入居当初の賑やかで楽しい雰囲気は、秋頃から崩壊しはじめていた。前述の韓国の方が帰国したのが一番痛かった。彼と同居していたシンガポールから来ていた女の子が、ムードメーカーとして和やかな空気を作ってくれていた。

一触即発になりそうな時も、彼女の存在が大いに役立った。とにかく陽気で元気な人なのでこっちとしてもお気楽だった。彼女は彼氏と一緒に韓国に行ったのだが、この二人が抜けてハウスそのものの空気が一変した。

それまでこの二人のおかげでどうにかこうにか均衡を保っていたのだが、途端に悪い方へ向かいはじめたのである。ほとんど廃墟状態だ。実際、二年後に閉鎖され解体されたらしい。

上京して最初の、〈本格的な鬱〉に突入してしまったのは言うまでもあるまい。もともと情緒不安定な危ない人なのだ。神経内科にも通っているし、相当危険な状態に陥ったこともしばしばあった。一度はこのせいで自律神経がほとんど沈黙し、死にかけたぐらいである。

具体的に言うと、血圧のコントロールが出来なくなって、仮死寸前の血圧まで下がったのだ。低血圧がでふぉなのだが、この時の血圧は上が68。高血圧の人なら完全に仮死状態の血圧らしい。それでもかなり危険な状態だったようだ。

質の悪い風邪と思って無視していたのだが、さすがに一日一時間しか起きていられないという状態になると病院にいくしかない。ここで自律神経失調症を宣告され、かれこれ14〜15年の付き合いだ。悪化したり良くなったりの繰り返しで今日まで過ごしているのだが、とにかくこの病気は本当に厄介だ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!