はぐれDEATH[15]はぐれの稼業は出来損ないのエカキ
── 藤原ヨウコウ ──

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●ボクが定義する「挿絵画家」

ボクが現在の社会システムに依存している以上、経済活動はせざるを得ない。要するに働いて稼ぐということである。ちなみにボクの今の職業上の肩書きは、公開文書上では「エカキ」である。

昔は「装幀挿絵画家」を名乗っていたのだが、最近、ボクに言わせれば箸にも棒にもかからないレベルの人が挿絵画家を名乗り始めたので、ボクは名乗りをやめた。同列に並べられてはかなわん、というのが理由である。

そもそも挿絵画家を、ボクがどう定義しているかである。「テキストに寄り添いながら、もっとも適切と思われる絵を提供する人」というのが第一義である。

ここに挿絵画家の個性とか画風が入りこむ余地はない。無意識に出てしまうのは仕方がない。所詮は人間のすることである。

ただ断言できるのは、挿絵画家がテキストに提供する絵は、厳密な意味でオリジナルとは言えないと、ボクが考えていることだ。オリジナルのエッセンスはすべてテキストにある。挿絵画家はそのエッセンスをより厳密に精緻に分析し、抽出して絵にするだけだ。




この考え方を極端に発展させると、挿絵画家特有の画風などは不必要になる。テキストのエッセンスを抽出する過程がもっとも重要であり、最終的に提供する絵はその結果に過ぎないからである。

だから一つの画風もしくは様式にとらわれていては、テキストとの良好な関係は築けない、という結論に達せざるを得ない。

このような極端な結論に達したのには、もちろん理由がある。デビューして評価がそれなりに上がり始めると、偏ったジャンルからしか依頼が来なくなるという、個人的には由々しき事態を招いてしまったからだ。

そもそもボクは、一定の場所に留まることを良しとしない。稼業としてやっている以上は、より高みを目指すのはそれほど不思議で異常なことだろうか?

「怖いけど綺麗」という評価は正直嬉しいのだが、それだけではイヤなのだ。とことんワガママである。もちろん葛藤がなかったわけではない。そのまま続けるという選択肢は娘が生まれた当時、極めて重要なファクターだったからだ。

この葛藤は2003年に終焉を迎える。ぶち切れたのだ(笑)。デビューしてたかだか八年くらいで、こんな葛藤を抱えたぐらいである。この先、我慢できるかどうかというと、どう考えてもボクの性格では無理である。

もっと分かりやすく言えば、特定の枠内に閉じ込められるのがイヤなのだ。これが2004年、作家・倉阪鬼一郎氏とのコラボ展覧会「A:H」と、それに伴う改名事件の真相である。

「どんなに短いテキストからでも絵に出来る」というコンセプトに基づいて、倉阪鬼一郎氏の俳句を題材にさせていただいた。俳句の持つイメージの豊穣さに目をつけたのだ。

当然、いつもの技術的なアプローチでは無理がある。企画が決まってから約一年間、膨大な習作を経て40点ぐらい(実はもう何点出展したのか記憶にない)を展示した。そもそもがボクに対する他者のイメージを、破壊することが目的だったのだ。

当然、来館いただいた皆様は戸惑い「フジワラは終わった」と思われたことだろう。それまでに築いた信用や信頼は崩壊し、人格的にも疑いを持たれるようになったのは事実である。目論見はみごとに裏目に出た。

更にここで予想外のことが起きた。ボク自身が心身共に壊れてしまったのだ。特に精神的な自己破壊は酷く、習作を制作中に見事に発狂した。肉体の方は最終制作の段階でボロボロになった。

母校の工房に潜り込んで、鉄板にサンダーでドローイングなどしてればそりゃ壊れる。壊れた姿のセルフポートレートを、ちゃっかり制作に用いていたのはほとんど本能的なモノだろう。

とにかく手段は選ばなかったし、突然やったこともない事をすれば、人間なんか簡単に壊れる。おかげで展覧会の後のフォローが出来なくて、今日に至ったわけだ。発注側が躊躇するのはあたり前である。

そもそも出来上がりかけていた看板を、自ら根こそぎ破壊したのだ。無茶にも程があると言われても仕方がないのだが、とにかくボクは精神的に追い詰められていた。

もっともこの評価そのものは、ボク自身が導きだしたものであり、周囲は順風満帆と思っていたのだ。今でも「あの改名騒ぎがなければなぁ」という担当さんは少なくない。

ちなみに今、あれ程の無茶が出来るかというとそれは無理である。そもそも当時とは体力に雲泥の差がある。出来るわけがない。商売上は大失敗に終わったのだが(というかまだボクは生きているので結論はまだ未定である)ボク自身は後悔していない。

あの段階でやらなければ、恐らく死ぬに死にきれない後悔を引きずることになる。「やれることはやる」というボクの信条からすれば当然の帰結だし、あの経験はテキストの解釈に対するアプローチをより深く、精緻に出来るようになるという副産物を生みだしたのだ。挿絵画家としては大きな収穫である。

●主は義太夫(小説家)であり三味線(挿絵画家)は従である

先の作文でも何度か言及したと思うのだが、ボクはテキストを読むと頭の中で全て絵にして理解するというアホな習性を持っている。物心ついたときからそうだ。とくに寝るときに母が話してくれたという経験が、この習性を生みだしたとも言える。

母は本を持って話したのではない。記憶した話を聞かせるのだ。当然、インプット源は言葉しかない。絵本を見ながら読むわけではないので、イメージは自分で作るしかない。というか、ボクが勝手にイメージしていたのだ。

恐らくこの経験が、ボクのアホな習性の原点であろう。長じて読書をするときにも、このアホな習性はついて回ることになる。だから、挿絵画家を本気で志した頃の最大の壁は「テキストを読む」ことではなく、イメージを絵として再現できる技術があるかどうか、という点に集中した。だからひたすら絵を描いたのである。

だが、ある時点からテキストの解析をより深いものにしたいと思うようになった。読んで勝手にイメージして(もっとも、ポイントは押さえていたと思うのだが)絵にすればいい、という考えから更に一歩突っ込もうと考えたわけだ。再現技術が向上し、余裕が生まれたからだろう。

テキストを俯瞰し、重要な部分を抽出するのは、ボクにとって特に難しいことではない。ボクが目指したのは、俯瞰とディティールの行き来をすることで、テキストの持つオリジナリティーをより良く絵として再現しようということだった。

ディティールだけにこだわると、テキスト全体を見失うことになる。俯瞰だけではディティールの深さを理解できない。元々しつこくテキストを読むほうだったのだが、意識的にこの方法を取ることで、それまで見落としていたディティールを拾い上げ、全体に反映させるようにしたのだ。

この過程だけを見ると、とんでもなく時間がかかりそうに感じられるかもしれないが、もともと読むスピードは早いのだ。幸い、ポイントを拾い上げる能力も持っていた。

この新しいアプローチを始めた当初は、確かにそれまでよりも時間がかかったのだが、慣れるのにはそれほど時間はいらなかった。一つオプションを加えた程度と思っていただいて結構である。

こうした無茶ぶりは、挿絵画家というボクの勝手な思い込みによる立場が、自然発生的に要求したのだ。

鏑木清方が何かの随筆でこんなことを言っている。うろ覚えなので細かい部分は間違ってるかもしれないが、「小説家と挿絵画家の関係は、義太夫と三味線に似ている」だ。

実はこの後に極めて重要なことが示唆されているのだが、ここでは省く。さて、これでピンと来なければ、挿絵画家などと名乗るのはやめた方がいい。

主は義太夫(小説家)であり、三味線(挿絵画家)は従なのである。この関係がボクの挿絵画家としての立場でもある。古臭い概念で時代遅れだ、と言いたければ言えばいい。ボクは平気だ、呵々♪

そもそも優れた原理原則というのは、常にシンプルであり明確である。妙な説明が必要なものは、原理原則として欠陥であると良い言ってもいい。むしろ原理原則の体をなしていない。シンプルで明確だから応用が利くのだ。

これは挿絵に限った話ではない。世の中、大体そうだし、逆に得体のしれない抽象的且つ内容のカケラもない事を蕩々と述べて、胸を張ってるアホ共の方が圧倒的に多いだろう。単なる基礎教養の不足である。

その点、明確な原理原則を見事に提唱し成果も上げた鏑木清方だが、それでも越えられないハードルがあったのは事実である。鏑木清方の挿絵が素晴らしいことは万人が認めるところであり、ボクも高い評価をしている。

しかし、テキストに対する表現の多様性という点については些か疑問だ。これには明確な理由がある。画技そのものの習得に、とてつもなく時間を注ぎ込まざるを得なかっただからだ。

ボクのようにデジタルも利用するエカキとは立場がまるっきり違う。この点で木村荘八を糾弾するのは愚の骨頂である。むしろ糾弾すべきは、挿絵画家を自称する無自覚な現代人であろう。

飛躍的に進歩した技術環境の上に胡座をかいているようでは、先人に失礼ではないか。この点に関しては声を大にして言いたい。もっとマジメに研鑽しろや。ここまで言い切っている以上、この言葉がボクに跳ね返ってくるのは百も承知だ。というか、跳ね返って欲しい。

だが、こうした跳ね返りは全然ボクの耳に届かないのだ。恐らく一般常識から懸け離れているからか、突っ込みを入れる教養がないか、単に無視されているかのどれかだろう。はぐれであるというのは、こういう悲しい実情も甘受しなければいけないのだ。

●営業上イマイチ機能しないボクの方法論

相当、話が逸れてしまった。まぁ、いつものことだ。稼業の肝心要の部分、お仕事の受注の話だ。正直なところないに等しい。

前述したような自己破壊行為をしたのが最大の理由だろう。一時期のポートフォリオは、絵の様式という点については一貫性のカケラもなかった。バリエーションとその意味を説明したのだが、なかなか理解してもらえない。

今はある程度絞り込んではいるが、絵画様式としては現代の流行から完全に外れている。流行から外れる、というのは挿絵画家を志したときから常に意識していたことだ。単なるリスク・マネジメントに過ぎない。

流行に左右されないための方法論が、テキストとの密接な繋がりなのだが、これが営業上イマイチ機能しない。所詮、はぐれの考えることである。現代では非常識な方法論なのかもしれない。

その証左として、ボクには到底認められない挿絵画家の跋扈がある。こうした現状を見るにつけ、ボクは肩を落とさざるを得ないし、日々のetudeすら描く気が失せてしまう。

etudeについては本当に深刻で、いま巷に溢れているイメージの大半は表に出していないものも含めると、かつてetudeで描きまくって手垢がつきすぎているものばかりだからだ。ボクとしては新しいモチーフを見つけないといけないのだが、残念ながらまだ見つかっていない。

たまに書店に足を運ぶ事があるのだが、大抵何も買わずに書店を後にする。カバーを見た瞬間に買う気が失せるのだ。

出版社には出版社の言い分があるのは百も承知している。それでなくても出版社は危機的状況なのだ。読者を手放さないためには、ありとあらゆる手を使うのは当たり前である。

ボクのような老い先短い偏屈な読者よりも、この先を見込める若い世代に注力するのも当然だ。電子書籍への移行も試行錯誤の一つであろう。

ちょっと話が逸れるが(またかいっ!)先日アマゾンで¥0になっていた夏目漱石の『三四郎』をダウンロードしてiPadで読もうとしたのだが、最初のページを開いた段階で「無理」と投げ出した。

技術的にはかなり進歩しているらしいのだが、ボクにはとてもじゃないけど読む気すら起こさせなかった。

ちなみに、最近はゲラがメールで送られてくる。テキストデータならボクが勝手に一番読みやすいように文字組をして、ディスプレイで読んでいる。これも慣れるのに随分時間がかかったのだが、今は特に不便を感じることはない。

だが電子書籍は瞬間で拒否反応を示してしまったのだ。こうした新しいメディアへの対応力が落ちているとしか思えない。もしくは、本という形式そのものがボクにとっては重要なのかもしれない。

●ハードルが高い自己プロデュース

話を戻す。時代の流れから目を逸らすことほど愚かなことはない。だからと言って、流されっぱなしになれるほどボクは従順な人間ではない。

批判する以上は代替手段を提供する準備だってある。もっとも、相手が耳を貸してくれたら、という条件が必要なのだが。

挿絵を描く立場の人間としてどうあるべきかを考えるのは、ごく普通の事だろうとボクは思うのだが、もしかしたらこれ自体がもう異常なのかもしれない。

だからお仕事が来ないのか? だとするとボクは既に挿絵画家として終わっていることを意味するだろう。だが、ボクはそうした悲観的な考えを出来るだけ排除しようと心がけている。

元々、自分のことが一番信用できないのだ。神経質になるのは無理もなかろう。だから無理矢理にでも頭を上げざるを得ないし、努力を続けるしかないのだ。それが、例え明後日の方向であろうと。というか、大抵見当外れなのは内緒だ。

こうなるといくら本人がマジメに取り組んでも、周囲が「道楽」「偏屈」「キチガイ」「尊大」の一言で片付けられても仕方がなくなる。ボクとしては大いに不満なのだが。

ボク自身はこの業界では未だに下っ端としか思っていないのだ。努力は当たり前、偉大な先人達とはまた趣の違う良い挿絵を提供したい、という素朴な欲求は常にある。

歳を取るというのは自然な変化である。変化の中で生きる人が変化を望むのは、それほど異常なことなのだろうか? 基礎は別として枝葉末節など変化して当然だと思うのだが。

最大の問題はエカキ・フジワラヨウコウをどうプロデュースするか、という一点につきる。が、悲しいかなこのプロデュース能力がボクには全くないのだ。

ポートフォリオを持っていって「よろしくお願いします」を20年近くやっているが、さすがにこの手はもう通用しないようだ。一番効果的なプレゼンは、実際に装画を描いて書店に並べてもらえる状態を持続することなのだが、そもそも装画の依頼が少なすぎる。挿絵もじり貧である。

創作活動なるものをボクは一切していないので、こっち方面も絶望的である。やってみようとしたことはあるんですがね。体系的には成立しなかった。要するにモノにならなかったのだ。

それぐらいボクは、テキストというイメージの泉に依拠しているのだ。もちろん、自分でテキストを書くという選択肢もあるのだが、ここにダラダラ書かれている作文を読めば、その能力が皆無に等しいことは一目瞭然だろう。頭の悪さがダダ漏れである。

大体、プロデュースという事業はコミュニケーション能力に深く関わっている。自他共に認める、コミュ障であるボクに務まるわけがない。

自己プロデュースが出来なければ、今のまま沈没するのを待つか、誰か心優しい人が現れるのを待つかの二択しかない。ボクに言わせればこの二択は極めて不毛な望みである。自分でどうにかすることでしかやってきていないのだ。

となれば、もう自爆覚悟で自己プロデュースするしかないではないか。そうなると如何に自爆するかが当面の課題になる。そもそも自爆しかしていない人なのだ。いい加減、自爆のバリエーションも尽きている。

更にこの自爆という行為が、大方ロクな結果を生んでいないという経験則からすると、ほとんど意味がないではないか。自爆するのに必要なエネルギーが勿体ない。ここは建設的な解決策を模索すべきだろう。

それでなくても得体のしれない「はぐれ」なのだ。ハードルの高さを想像しただけでもクラクラする。が、どうにかしなければエカキ稼業は完全に崩壊する。

既に一度、致命的なことをしでかしているのだ。しかもまだフォローしきれていない。部屋の下を流れる濠川を眺めながら、ぼけっと考えるしかないのだろう。何か思いつけばいいけど……

もうひとつ、ボクには致命的な弱点がある。金銭感覚が狂っているのだ。報酬に応じた成果品を納品する、というのが一般的だと思うのだが、ボクの場合これが通用しない。

お仕事の依頼が来た段階で狂喜乱舞してしまい、原稿料のことなど頭から綺麗さっぱり消え去っているのだ。ちなみに、依頼を受けたとき前もって原稿料がいくらか尋ねたのは、後にも先にもたった一回しかない。

聞いて断るはずもなくもちろん依頼は引き受けた。原稿料も聞かなければ内容も聞かない。聞くのは〆切だけだが、どれほどタイトなスケジュールでもとにかく引き受ける。

お仕事をすることそのものが喜びなのだ。こんな人間にまともな金銭感覚があるはずない。さらに、クライアントの要望を単純に満足させるだけでは気が済まない。

やはり引き受けた以上は、どれほど小さくてもいいから提案はしたい。当然、流れ作業になどなることはないし、ある意味非効率的である。それでもテキストをよりよく絵にするためには必要なことなのだ。

不誠実な仕事をする気はさらさらない。こんなことに集中しているのだから、報酬のことなど完全に忘却の彼方に去ってしまう。現実に引き戻されるのは、青色申告の書類を作っているときである。だから毎年2月は鬱状態だ。

こんな状態で稼業と言えるのかどうか正直疑問だが、ボクとしては目一杯やっているつもりだ。世間様がどう思っているかは、依頼の少なさから判断するしかないだろう。出来損ないのエカキ。これが現状だ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!