はぐれDEATH[25]はぐれの「産業革命」はまだ終わってはいない
── 藤原ヨウコウ ──

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歴史とどう向かい合うかは、その人次第だろう。ボクは歴史を壮大な物語としてとらえている。フィクションだろうがノンフィクションだろうが、どうでもイイ。色々な歴史の流れに接して、自分なりに好きなように解釈している。

だから、ボクの書く歴史に関するコトは絶対に真に受けてはいけない。

で、のっけから申し訳ないが、産業革命史そのものについてボクなりの見解を詳細に書くつもりは毛頭ない。年末年始に諸事情があり、近代ヨーロッパの産業革命史をイヤいうほど調べて書いて飽きたからだ。もう一回書くのも邪魔くさいしね。

ヨーロッパの近代史は非常にややこしい。高校時代は世界史を選択していたので、ある程度の流れは把握しているが、ちょっと掘り始めるとディティールが極端に拡大するのだ。

地続きだからドミノ倒しのように素直に繋がってくれればいいのだが、地続きだからこそそうならないのが、人の営みのややこしさでもあり面白さでもある。これがあるから歴史をひもとくのは楽しい。

実を言うと、ボクはフランス革命が大の苦手である。内乱、戦争、そして大流血。一言でフランス革命と書いてしまったが、ここではバスティーユ襲撃から第三共和制発足までを指す。一般的には違うので気をつけるように(諸説ある)。ちゃんと自分で調べましょう。

ボクのフランス革命の印象は上記したが、もっと端的に感想を言えば「目も当てられない血なまぐさ」である。ボクの中では、フランス革命はスプラッタ・ホラーと大差ないのだ。





ボクが知っている史実通りなら、映画より質が悪い。話半分でも大概である。だから怖いが大の苦手なボクが、フランス革命を嬉々として調べるなどあり得ない。

とにかく、政権が変わったかと思うといきなり死刑のオンパレードで、これが延々と続く。ギロチンが大活躍したのは言うまでもあるまい。ナポレオン・ポナバルトが失脚したときは、二回とも遠島になっているのでパリ市民もさすがに懲りたのだろう。いや、飽きたのかもしれない。冗談ではなく。

実際に文献やら何やらに当たって調べたワケではないので、おおよその人数も把握していないが、相当数がギロチン台で命を落としているはずである。一々公開処刑にするので見る方だって飽きるだろう。

こんな書き方をすれば「非人道的で不道徳にも程がある」とお叱りを受けるかもしれないが、残念ながら婉曲な書き方が思い浮かばない。それぐらいボクにとってはキョーレツなのだ。

ナポレオンついでに。ナポレオンはパリ市街戦で、市民に向かって散弾を詰めた大砲をぶっ放している(本当かどうかは知らん)。これで内乱の鎮圧に成功して国内軍副司令官に進級(?)、さらに国内軍司令官になっているのだから権力側につくというのは恐ろしい。

現代人から見れば信じられないような大虐殺だが、今だって似たようなコトは世界の各地で起こっている。日本だって戦中には国内外で色々やらかしている。

権力者の交代で起こる逮捕や死刑のオンパレードと言えば、「粛正」で知られる旧ソ連(現ロシアも粛正とは言わないが色々やってると思う)、中国、北朝鮮を想起するが、別に社会主義・共産主義国家だけのお家芸ではない。人類の歴史をざっと見渡しただけでも、世界中で行われている。

上記したことは建前上はそれぞれの国内の話で、国外への武力行使となると戦争になる。もっとも現代の事情はかなり微妙ではあるが。

戦争は本来「外交」の延長線上にあるはずだが(話し合いで折り合いがつけば戦争にはならないという理屈だ)、まぁ武力外交はある意味分かりやすいし、手っ取り早いので国家の規模が小さい時代にはじゃんじゃんやっていただろう。

国家がそれなりの大きさを持ち、巨大な軍隊を持って領土を広げたのは古代ローマ帝国が嚆矢だろうが、近代以降の国家間紛争は規模も従軍者数も戦死者も、巻き添えを食らった民間人(ワケの分からない言いがかりで亡くなった人々も含む)の数も桁違いどころの話ではない。

兵器そのものがまるで違うという、分かりきったことを述べるつもりはない。敢えて言うなら「技術の進歩の速度に社会の良心がついていけなかった」ぐらいか? この辺は色々意見があると思うので参考程度に流していただきたい。

話が逸れた。以前の稿でも散々記したがボクは怖いが大の苦手である。でも歴史好きでもある。この矛盾が極端に表れるのがフランス革命なのだ。

そこで困ったのが、近代ヨーロッパの産業革命の時期と被ったりする。ボクとしては厄介極まりない。フランス革命について高校の教科書レベルであえてストップしていたのは、「掘ると怖いネタがじゃんじゃん出てくる」とビビったからだ。

1848年革命でウィーン体制が崩壊し、統一イタリアや統一ドイツなどが生まれ、ヨーロッパは大きな転機をむかえるのだが、これだって産業革命が契機になったと言っても大きな間違いではないだろう。

そして、総仕上げが第一次世界大戦だ。これはこれで後に禍根を残すヘマをしでかしているのだが、取り敢えずさっさと飛ばす。それぞれの事件やら何やらについては自分で調べなさい。一々解説するのは面倒くさいので、いつも通りじゃんじゃん端折る。

近代産業革命の影響はヨーロッパだけに留まらない。植民地支配、強化、拡張による帝国主義の台頭である。中東、アジア、アフリカ、南アメリカなどはある意味とばっちりを受けたわけだが、現在進行中のテロ騒ぎだって、ある意味この植民地支配がもたらした負の遺産と言ってもいいと思う。

「日本はヨーロッパの植民地支配を受けなかった数少ない国」とよく言われるが、その日本が東アジアでしでかしたことは、当時のヨーロッパの諸国家とそれ程変わっているわけではない。むしろお手本にしている。

「富国強兵」はヨーロッパ近代産業革命の産物を根こそぎ輸入し、我がものとして帝国主義国家へ歩むためのスローガンにすぎない。時代の要請とも言えるが、その結果はご存じの通りである。

このように産業革命は技術の変遷だけでなく、世界規模で大きな影響を与えながら進行していくワケだ。お気楽に書けるようなネタではないことはご理解いただけると思う。年末年始に書いた産業革命史を、近代ヨーロッパに限定したのはこういう理由もあった。それでも書ききれたワケではない。

そこで書いた産業革命史はそれなりのダイジェスト版にしたつもりなのだが、中途半端にディティールを入れたので、ただでさえ分かりづらいボクの作文が理解不能なものになったのは簡単に予測できるだろう。これなら素直に高校の教科書の、産業革命の部分だけ抜き写した方がマシだった。

ただ、技術史の面だけから見た産業革命は、個人的には非常に好ましいのだ。軽工業から重工業へと変遷していく過程と発明の数々は、職人さん・工場ファンのボクとしてはネタの宝庫である。

もちろん暗黒面もあるのだが(これは何でもそうだ)仕方がない。世の中そういうものなのである。だからと言ってボクの場合、好奇心の抑止力にはあまりならない。例外中の例外が、上記したフランス革命であることは再度白状しておく。

話を戻そう。産業革命期は発明につぐ発明の連鎖である。「短期間でよくもまぁこれだけ」と呆れるぐらい技術は飛躍的に進歩していく。

製鉄業は最たるもので、その末端にボクの父方は曾祖父(明治)から父まで製鉄業に従事しているので、興味を抱くなと言う方が無茶である。ボクはある程度完成された製鉄工場を見学しているが(父が勤めていた会社の工場であることは言うまでもあるまい)、その規模、設備に驚嘆し大喜びした。

ボクの工場好きの発端はここにある。父は父でやっぱり工場見学が契機になって、製鉄業を志したのだから血は争えない。もっともボクは製鉄業には行かなかったけど。

また話が逸れた。製鉄というのは素材の生産である。この後、様々な加工を経て色んな製品になるわけだ。造船は言うに及ばず、内燃機関や鉄道、列車、自動車等々。時計などの精密機器に及ぶこともある。

ただ、製鉄を行うための原材料は鉱業によって賄われる。石炭はもちろんコークス(石炭を高熱処理して炭素部分を増やした燃料)、鉄鋼石の採掘などはモロにそうだ。

労働者階級とブルジョア階級の格差が露骨に現れるのも、産業革命の特徴の一つとも言える。こうした社会構造の変化の中で、カール・マルクスは『資本論』を執筆している。

ちなみに、この後『共産主義宣言』を経て10月革命に言及することはない。脱線にも程があるし、そこに行き着くゆとりもボクにはない。だからさっさと話を戻す。

いきなり話が前後するが、農業革命に端を発し、繊維産業から産業革命は始まった事になってるらしい。この辺はイギリスを中心に教科書では記述されてたと記憶する。

今はどうか知らないが、娘曰く「労働運動やら繊維業やらから産業革命が始まったのは常識」らしいので、それ程大きなズレはないと思う。とはいえ、ボクの娘である。ズレている可能性をボクは完全に排除できない。あの子はあの子で変わりもんやからなぁ……。

話を戻す。曾祖父は曾祖父の、祖父は祖父の、父は父の「産業革命」を体験することになった。詳細は例によって例の如く、じゃんじゃん飛ばすがそれぞれの時代の「産業革命」は実在すると思う。

こと製鉄に限って言えば、ボクの中にはほんの少しのノンフィクションが存在する。そういう家の子供に生まれたのだ。

そしてボクはボクで、印刷業界という場所でデジタル化という名の産業革命に直面した。初めてMacintoshでAdobe Illustrator88に触れた時、新しいツールの可能性とそれまで気がつかなかったビジョンが、目の前に一気に広がった。

だが、それはぬか喜びだったのだ。ボクの大好きな現場の職人さん達のお仕事が、こいつらに乗っ取られる。

そう思った瞬間、ケルン会議のアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデとワルター・グロピウスの立場をふと思いだした。何が何だかさっぱり分からないだろうが、デザイン史の一大分水嶺であるということだけは断言しておく。

正直、デジタルの可能性とアナログの衰退を予感した時、ボクはこの二つの対立のどちらのポジションにも立てなかった。新しい技術は時代の要請である。だからと言って、合理主義者として冷徹にアナログの技術を完全に否定することはできなかった。

だが、会社員として現実は直視しないといけない。時代に取り残されるわけにはいかないのだ。それが会社員としてのボクの判断で、まさかそのことでボクが辞職するとは想像もしていなかった。

後のことは以前にも書いているのでさくっと飛ばす。ボクはデジタル化が進んでいく製版・刷版の現場を見なかった。挿絵画家としての自分をどうにかしようともがいていた時だ。よそ見はできない。

ただ、Macintoshで原稿を作りどう入稿するか、ということだけは知っていたのでそれで困ることはなかったし、入稿面でできるだけ出版社さんに余計な心配をかけないような判断はできたと思う。実際、編集さん達がどう思っていたかは知らない。

反射原稿からMO、そしてメール。一連の移行期を無事(?)に乗り切って「呱呱プロジェクト」に参加することになった。印刷業界からすれば決して本流ではないこのプロジェクトに参加するのは、会社員時代の宿題を片付けるためでもある。もちろん声をかけてもらった、というのも事実としてはあるのだが。

そういう意味では、ボクの産業革命はまだ終わってはいない。もちろんエカキとしての立場もある。我ながらややこしいコトになってるなぁ、とは思うのだが成り行きというのは恐ろしいものでなるようにしかならないのだ、呵々♪

この作文はこれでお終いだが、最後に一言つけくわえておく。文中ではあえて正確な年代表記をしなかった。1848年革命はそれ自体が名称なので仕方がなかったのだが、推敲の過程でそれまで記述していた年代表記は全て削除した。

あくまでもここの作文は、徒然なるままの状態で留めたいのだ。ボクのわがままなのだが、ご容赦願いたい。まぁ、それほど大層なことは書いていないので(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!