はぐれDEATH[26]伏見の四季とはぐれのお散歩
── 藤原ヨウコウ ──

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伏見に来てそろそろ一年が経つ。伏見の四季を軽く振り返ってみたい。

伏見に着いたのはまだ梅雨時だった。それでも、これから訪れるであろう京都の初夏を想像するには充分な環境。もうほとんど言いがかりに近いのだが、紫陽花ですら関東で見かけたものよりもずっといい雰囲気に感じたものだ。

東に桃山を眺め柳と桜の並木が彩る宇治派流の佇まいは、満身創痍状態のボクを心の底からホッとさせ、これから移ろう景色を楽しみにさせたのは言うまでもない。

伏見にきて足腰がガタガタになったことは前述した。リハビリはしつこく続けている。ストレッチと軽い筋トレ、体幹トレーニング、それからお散歩である。

間違ってもウォーキングなどという大層なものではない。毎日(雨さえ降らなければ)宇治川派流に沿って同じコースをだらだら歩く。ただ、最近はあんまりリハビリの体はなしていない。それなりに足腰が復活したのも一つの理由だが、お散歩そのものが楽しくなってきたのだ。





元々、ボクは歩く速度が早いのだが、こっちに来たときはもう自分でも情けなくなるぐらい遅くなっていた。無理をして記憶の速度で歩こうとすると、そっこーでバテていた。距離も大したことないのに、お散歩した後はかなりふらふらになっていたのだ。

「歩く速度の速さは過去の栄光」と諦めかけていたのだが、毎日の積み重ねというのはやはり侮れないもんで、現在はある程度の速度を取り戻した。後は距離かな?

ちなみに関東との比較を今はもうほとんどしていない。記憶が薄れてきたのと、比較の対象が大阪に変わっただけの話で、都市嫌いは相変わらずである。

京都には「梅雨明けは祇園祭」という言説がある。実際、お手伝いを始めた頃(かれこれ33年前か)は、夕方にはさっと夕立が降り涼しさを演出していた。もっとも、すぐに蒸し風呂状態になるのですが。

ところが、近年は京都に限らず天候が無茶苦茶である。二年前には、豪雨を通り越した台風の中で強行した。幸い事故がなかったから良かったものの、関係者はたまったもんではない。

夕立も滅多にお目にかかれなくなった。むしろ鉾立の間、しとしと雨が降っているか、ばりばりの晴天かは毎年変わる。極端なのである。

祇園祭そのものは祭りの期間が固定なので、過去のお天気との比較が楽である。記憶力の怪しいボクですら憶えているので、そうそう大間違いはないと思う。裏は取ってないけど。

本格的な夏に入ると正に京都の夏である。伏見なので多少はマシなのだが、それでも十分暑い。ボクは暑いのが大好きだし、湿気にも耐性があるのでお気楽に過ごした。

もっとも、部屋の窓から宇治川派流を臨む上に窓は全開なので、十石船のエン
ジンの音とアナウンスのだみ声に最初はびっくりしたが、これはすぐに慣れた。
辻堂で苦しんだ米軍の戦闘機のエンジン音に比べれば、カワイイもんである。

宇治川派流に沿って植えられたしだれ柳も涼しげ。緑に包まれた風景に、酒蔵が並ぶ風景はなかなか良いものである。お酒は呑めないんですがね。

宇治川派流沿いの酒蔵は、四季の移ろいを演出するのに実に効果的で、見事なまでの舞台装置と化している。酒蔵の中に入って、お酒の製造を見学とかしてみたいのだが、これはまだしていない。

水の美味しさも酒造りにはかかせないのだが、伏見の水は確かに美味しい。そこかしこに湧水がある。夏などはここでお水を飲むと本当に美味しいのだ。

炎天下のアルトの練習は賀茂川から宇治川へ変わった。日差しの強さに変わりはないが、向こう岸が賀茂川よりもずっと遠いので、遠慮なく鳴らすことが出来る。

一つ困ったのは、賀茂川のように橋が多くない、という点である。楽器を日光に晒しっぱなしには出来ないので、これには手を焼いた。幸い観月橋の下を見つけたのだがちょっと遠い。

他の橋の下はというと、暑さを逃れて昼寝をしている長距離トラックとか、明らかに仕事をさぼっている営業車が連なっているので、どうにもやりにくい。それでも練習場所としてはかなり恵まれているだろう。

秋の訪れは随分遅かったし、足早に通り過ぎていったが、それでも紅葉は存分に楽しんだ。季節の変化を自然に体感できるのが楽しいのだ。娘の保育園の送り迎えに近い感じかな。

同じ風景もよくよく見ると日々変化が見て取れる。たまたまこうした環境にある部屋に引っ越したのは、我ながら幸運だと思う。

ちなみに道そのものも、舗装されてる部分と土がむき出しになっているところがあるのだが、あまり気にはならない。お散歩に限っての話だが、石畳とかは機嫌がいいのだが、アスファルトは勘弁願いたい。情緒もへったくれもない。

人が踏み固めた土の道というのは、幼少時を思い出させる。特に転校先の小学校の通学路は、今から思うとなかなか凄まじかった。あぜ道、山道の連続なのだ。高低差もそこそこあって、真っ直ぐな道など皆無だったような気がする。3kmぐらいあったのかな? 今から思うといい通学路である。

手なづけたにゃんこの親子も、このお散歩コースで発見した。釣りをしているおっちゃん達からおこぼれをもらうために待機しているのだが、これはこれで微笑ましい。よく悪戯をしてはおっちゃんに怒られているが、その辺はある種の信頼関係である。

ちなみに野良猫に餌を与えることは禁止されているのだが、ボクは釣った魚ならあげてもイイと思っている。

「キャッチ&リリース」という標語があるのだが、ボクにはこれがどうにも胡散臭く感じられて仕方がないのだ。釣られるということは、口の中に傷がつくということである。河川などは寄生虫も多く、更には黴菌も多いのだ。傷口から死に至るケースは十分にあり得る。

と言うのは建前で、楽しみで他の生物を傷つけたりしていいのだろうか、という素朴な思いがあるからだ。

福山にいた頃、海釣りにはよく行ったが釣ったお魚は家に持って帰って食べてた。相手が何であろうと、殺生をした以上は最後まで責任は持つべきだと思う。

その点、野良猫に釣ったお魚をあげるのは、ボクの中では理に適っているのだ。わざわざキャットフードを持ってくる人がいるのだが、こちらに比べればはるかに不自然だと思う。

冬はあんまり想像したくなかったのだが、予想通り分かりやすい京都の冬だった。なまじ暖かい辻堂に二年もいたせいで、伏見でさえ十二分に京都の底冷え極寒地獄を味わわされた。

ご近所に住んでいる大学時代の先輩に教えていただいたので、気をつけて見ていたのだが、冬になると伏見の酒蔵は一斉に酒造が始まる。それはそれで独特の雰囲気になる。

もちろんお散歩コースには酒蔵も多数ある。寒いのは大の苦手だが、これはなかなか楽しめた。特に朝の宇治川派流は、濃霧と醸造所から噴き出る湯気が、えも言われぬ幻想的な景色を生み出すのだ。

十石船は宇治川派流の水が抜かれて、1月末頃から3月末までお休み。干上がった宇治川派流も、最初は物珍しかったので楽しんでいたが、すぐに飽きた。

宇治川派流に水が戻ってくると春は近い。釣りのおっちゃん達と「今日か、明日か」と毎日、干上がった水路を眺めてお喋りをしていた。そうこうしていると、にゃんこ達がいそいそと寄ってきて、ボクの胡座の中に潜り込む。時には眠ってしまう。

冷え切った石畳にじっと座るというのは実に厳しいのだが、段々お尻の冷たさよりも、胡座の中のにゃんこのぬくもりが気持ちよくなってくる。お天気がいい日など、危うく一緒に寝落ちしそうになった。

そしてやっと春である。宇治川派流に水が入り、水路沿いに植えられた桜が芽吹く。しだれ柳にも若葉がつき始める。

桜の本数はもちろん賀茂川に及ばないが、水路は桜のトンネルと化し、その中を十石船が通り抜ける。これでエンジン音と案内のおっちゃんのダミ声さえなければ、情緒は倍増だと思うのだがしゃぁなしである。

残念ながら「春はあけぼの」にはイマイチならなかった。伏見だからかもしれない。上賀茂なら比叡山を春霞が覆うのだが、この違いをハードコアな京都人の皆様は明確に分けて考える。

先日、お花見にいらしていた上品な老婦人に道を尋ねられて、しばらくお喋りに付き合っていたのだが「今日は京都から参りましたの。こちらの桜もよろしいですなぁ」と何気なく仰った時は、内心で「前の戦争は鳥羽伏見の戦い(応仁の乱かもしれない)という京都人がまだ生きとった」とビックリしたのは言うまでもない。

噂には聞いていたのだが実物ははじめて。かろうじて顔色を変えなかったのは、我ながら天晴れだと思う。

お散歩は日にだいたい三回。朝、昼、夕で同一コースをだらだら歩く。最初はそれなりにきつかったのだが、周りの風景に気を取られるようになってから楽しくなってきた。にゃんこを手なづけてからは楽しみ倍増である。

実際に歩いている時間よりも、にゃんこと戯れている時間の方が長いかもしれない。ここまでくるともう完全に遊びである。

呆れかえるぐらい馬鹿になっていた足腰が、リハビリで復活してきたことを考えると、散歩はある意味無駄なことなのかもしれないが、ボク自身が無駄とは全然思っていないのでしかたがない。

もちろん、体力をキープする、という建前だって使おうと思えば使えるのだが、ボクからすればこれ程アホらしいことはない。楽しいからお散歩をするのだ。建前や言い訳など必要ない。

そもそも「忍耐」の精神からは遥か遠くにいる人なのだ。イヤなことはそれがどれほど合理的かつ健全であろうと、間違ってもしない。とにかく我慢が大嫌いなのだ。ボクが延々続けていることは、大抵楽しいから、それに尽きる。

ただ正直、これほどお散歩にはまるとは想像もしていなかった。「歩くだけなのに何が面白いねん?」と不遜なことを思っていたことは正直に白状しておく。

実際、関東にいたときは、間違ってもお散歩をしようなどとは思わなかった。環境の影響は大きいと思うし、関東にいた頃はお散歩よりもチャリでうろちょろする方が圧倒的に多かった。

お散歩にはまりだしてからチャリに乗る機会は激減した。大抵の場所は歩いて行くようになったのだ。もっとも、お散歩コースがメインであり、買い物などはコースからちょろっと外れる程度だからだ。昔の都市設計(安土桃山時代に秀吉が行った都市設計がベースのようだ)が可能にした、地の利である。

お散歩で仲良くなったのはにゃんこだけではない。釣りのおっちゃん達とも親しくなった。辻堂にいた頃は部屋に籠もって、他人とラチもないお喋りなど想像も出来なかったし、当然していない。

だが今は別である。お散歩コースがあるように、釣り人のおっちゃん達がたむろする場所があるのだが、ここで色々とアホなお喋りをするようになった。で、おっちゃん達のアホ話がまた面白い。

もちろんおっちゃん達は、ボクの両親と同じか少し若い程度なので、ボク的には一番お気楽なお喋り仲間である。もちろんボクが最年少。そこへにゃんこ達がやってくるのだ。にゃんこの相手をしながら、おっちゃん達とお喋りをする。

実は「ラチもないお喋り」というのは、精神衛生上イイ事らしい。もちろん真偽は分からないが、お喋りで色んな知らなかった情報が入ってくる。一人だけで情報のインプットをするよりも、遥かに多くの情報が入ってきて脳が活性化するらしい。

入る情報といっても、深刻なものではないので気楽なもんである。ただメディアを通した情報ではもちろんないので、話すおっちゃんの価値観だけ。これがボクにはイイのだ。

論理的な会話というヤツは神経を使うもんである。これが積もりに積もると、どこかでおかしいことになる。それがラチもない会話となると、ただのアホ話なので聞いたりお喋りするときはお気楽そのものだ。

お散歩の効能、というのはこういう場面でも発揮される。ボクだけかもしれないのだが、これが精神衛生上バランスがよくなるのだ。

あと、会話そのものが健康に良いとかいう説もあるようだ。表情筋というヤツが運動するかららしい。考えてみれば、引きこもってる状態で顔の表情が極端に変わることはあまりない。電話で喋ってるときぐらいか? ああ、吐血したときもかなり顔の表情は変わってたやろうなぁ。まぁ、その程度だ。

軽い運動、下らないお喋り、猫と戯れる、四季の移ろい。これ全部が体験できるのがボクのお散歩である。のどかと言えばのどかなのだが、元は田舎者である。この程度が一番イイ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!