装飾山イバラ道[202]自己ベストを更新する
── 武田瑛夢 ──

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桐生祥秀選手の100メートル9秒台を見たくて、緊急生中継の文字につられて夜寝ないで待った。9秒台の記録を持つ海外選手たちに囲まれて走る日本人の姿は果敢で勇ましかった。

その日の結果は向かい風で全員が10秒台だったけれど、いつかきっと日本人の9秒台が見られるだろう。

「今日はこの10秒ちょっとのために皆集まったんだね」

またそれぞれ次のレースまで調整の日々が続く。時間の使い方というのは仕事によって色々あるものだ。

私は大学で教養学部のデザイン学課程の一年生に、基礎の描写力や作品完成までのステップを教えている。デッサンや点描技法や色彩表現など、用いる方法は様々だけれど、自分の作品を完成させるまでに何をしたら良いかを、経験しながら知ってもらう。





絵は自分一人で描けるけれど、学校で同じ課題を与えられて取り組むことはとても勉強になるはずだ。自分のための一枚を見つめ続けて描いていると、煮詰まってしまうことがある。学校ではふと顔を上げれば、他の人の作品が見えてきて刺激を受けることもできるのだ。

前回は点描画の講評会だった。イラストボードに細いペンでトントンと描くタイプの点描画だ。モチーフは各自持ってきたサザエ(貝)で、細密描写の作品を二週間で完成させる。皆の作品はそれまでになく頑張っていて良かった。

ペンの点ひとつひとつは小さくて、描写するのに時間はかかるけれど、消せない点として必ず蓄積していくので、頑張りが結果に残りやすいのだ。形の正確さは直しが利きずらいけれど、ディティールの魅力が勝って素晴らしい作品がたくさんあった。

この作品に関しては、形の正確さはあまり厳密に言わないことが多いのだ。私は「みんなこんなに描いたことないんじゃないかと思うぐらいよく頑張ったね」と褒めた。実際に一枚にこれほど時間をかけて描いたのは初めてという人が多い。この場合、かけた時間については「自己ベスト」といって良いと思うのだ。

絵における「自己ベスト」は色々ある。自分でその時やろうとしたことができたかどうかの「自己ベスト」や、本当に今までの作品の中で一番良い出来という「自己ベスト」など、人に聞かれると照れて恥ずかしいような気がするけれど、自分で思うなら自由なのだ。

有名な話では、次の作品がベストであるように頑張るというのがあるけれど、多分それが気持ちの持ちかたとしては良さそうだ。すでに取り掛かっている作品があるのなら、完成させるまではこれがベストだといいと思うものではないだろうか。

完成してしまうとその一枚に納得せずに次のことを考えるけれど、仕上げる最後の最後までは、その作品がものすごく良くなる可能性を捨てたくない。それが今向き合っている作品に対しての礼儀のようにも思えるのだ。

浅田真央が引退記者会見でベストの滑りを聞かれて、最も印象に残っている演技として、ソチのオリンピックの時のフリーをあげていた。あの青い衣装の浅田真央には私も泣かされた。あの時素晴らしいベストを滑ることができて、それを皆が見ることができて本当に良かったと思う。

浅田真央がよく言う言葉で「自分がやろうと思ったこと」というのがあるけれど、それができた時もあれば、できなかった時もある。

私たちファンは、彼女がやろうと思ったことができたと実感している瞬間を見ることが、あの時にできたのだ。

真央ちゃんが「できた!」という達成感が、見ている人にあれほどはっきり届いた瞬間は今までになかったので、忘れられないものとなったのだ。現役は引退しても、また新しい活躍を期待している。

若い人がそのピークに刻む「自己ベスト」は、鮮やかで華やかで素晴らしい。しかし実はもっと大人になっても、結局はいつも「自己ベスト」を出したくて頑張っているのが私たちではないだろうか。

アスリートのようにはっきりとその場を離れる職業ばかりではないので、緩やかにつながった道の中でもっとすごい何かをしたいと皆が思っている。いろいろな形のベストを更新したくて生きているような気もする。

学校で人の作品に対して言葉を選ぶというのも難しいけれど、もっと伝わる言い方はないかいつも考えている。本当に思ってることを言えばいいらしいことはようやくわかってきたけれど、「思い」というものを言葉に変えることは容易くはないのだ。

今こうして文章を書きながらも、指が入力する文字が本当の思いに近いのかどうか、私には確信がない。読み直してちょっと手を入れるぐらいでは、ベストに化ける可能性はないのかな。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


私は猫を飼っていない猫好きなので、いつも猫動画のお世話になっている。猫飼いさんたちの猫自慢は羨ましいし悔しいけれど、やっぱり見せてくれてありがとうなのだ。

そんな気持ちがピークに達したのか、変な夢を見てしまった。夢の内容は、うちのマンションにネズミが大量発生したので、駆除のために一部屋あたりに二匹の子猫を配ると発表されたというもの。

なぜ二匹なのか、なぜ子猫の必要があるのかまったく覚えていないけれど、自分がすごく喜んだのは覚えている(笑)。多分願望がそのまま、どうしようもない理由となって夢に出たんだな。ネズミ駆除なら大人の猫だろうに(というか、今どき猫でもないだろうに)。