はぐれDEATH[38]はぐれは先入観としての「日本」をめちゃめちゃ疑う
── 藤原ヨウコウ ──

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ここでいう国体は国民体育会の意ではない。日本国のことである。

はぐれなので基本的には国体とはあまり縁がない。せいぜい、戸籍と運転免許証、国民健康保険、青色申告程度か(笑)

もちろん選挙権はあるのですが、長年万年野党の共産党を応援していたけど「野党共闘」などというアホなことを言いだして見放した。

レーニン・トロツキーの提唱する「連立の否定」から思いっきり逸脱してるし。そもそも共産党は万年与党でエエねん。というか、日本共産党の場合はそれ以外に存在価値はないんだから。

で、国体などという大層なネタを振ったわけだが、これには明白な理由がある。無自覚に「日本人」と言うのが憚られるような気がしてきたからだ。もちろん、日本に住んでいるのだから国籍が日本であるのは当然だが、歴史をひもとくと「???」となってしまう。

「ハザードマップと古地図」でもちょっと触れたが、先史時代まで遡ると現在の日本人と称する人々は、大抵が渡来系になってしまう。縄文時代になると更に渡来人は増加し、弥生時代、古墳時代以降はもう渡来人のオンパレードで原住民はどこに行ったのかさっぱり分からなくなる。そもそも原住民の定義すらかなり怪しくなる。

もっと容赦ない言い方をすれば、「土着」の人よりも「漂着」した人の方が圧倒的に多い気すらしてくる(笑)。土着はあくまでも漂着の結果に過ぎないというアホな発想である。





特にボクの場合、骨格がお猿なので渡来人の遺伝子はかなり希少な気がする。もちろん混じってるんだろうけど、平均的な日本人に比べればかなり少ないような気がする。初期の渡来人だろう。

そういう意味では、もう庶民の代表みたいなもんで、記録に残るような華々しい活躍をした先人とは、縁もゆかりもないのは言うまでもあるまい。

そもそもボクは、国体なるものを人々がどこまで認識しているかどうかかなり怪しむ。ボクの場合はせいぜいが生活圏内がまともに認識できるコミュニティーの限界であり、そこを外れるともう「外国」になってしまうのだ(笑)

このアホな認識は三年間の関東単身赴任で明確になったのだが、長年住んでいるはずの京都でもボクにしてみれば、やっぱり「外国」だったりする。まぁ、余所もんやからなぁ(爆)

にもかかわらず京都に居続けているのは、単純に「鉾立」があるからだ。どこかで書いたような気もするが、とにかく後継者がなかなか出てこない、という単純素朴な理由もあれば、鉾立の作業そのものをボクが大好きだからという理由もある。

ボクを京都に縛り付けているのは、たったこれだけの理由でしかない。でなければ、とっくにどこか別の場所(西日本に限る)に移住してても不思議じゃない気がする。

それはともかく、京都の排他性の高さだって他の地方と大して変わらん。「京都人は排他的だ」とよく言われるが、この程度の排他性など、ど田舎に行けば腐るほど見受けられるし、都会ですらまかり通っている。

逆に都会に住む人は地方の排他性を強く感じるのだろうが、出自を辿れば大抵の場合はド田舎に帰着するはずである。

特に東京、大阪、京都などはその最たるもんで、ボクに言わせれば「田舎もんの集団」であり「ここにいれば都会人」という浅はかな価値観でしかない。

自称・京都人の場合「四代以上続いた家じゃないと京都人と言ってはいけない」などという妄言を、平気な顔をして吐くのはでふぉだ。実際ドヤ顔で言われた時は開いた口が塞がらなかった。

もちろん心の底から「アホや」と思ったのは言うまでもあるまい。恐らく都市部にはこの手の妄言を信じておられる信者(?)の方が多くいらっしゃると思うが、ボクに言わせると「そんなに出自が大事か?」となってしまう。

土地絡みとなると地縁という厄介なものが出てくるのだが、この辺はナゼかきれいにスルーしてしまう。こういうテクは都市部ならではなのかもしれないが、いい加減この上ないではないか。

美味しいとこ取りだけして、厄介なものには蓋をするという、正にこれぞ「美しい国、日本!」を体現してるようにしか思えない。ちなみにド田舎の地縁はかなりあからさまにある。都市部と違って全く洗練されていないと言ってもいい。もっともボクの私感なのであまり気にしないように。

大体、今の総理大臣なんか元を辿れば山口ですよ。東京で生まれ育ったみたいだけど明治以降に移住したのは見え見えだし、選挙区そのものはまだ山口にあるんじゃないかなぁ? うろ覚えなので間違っていたら申し訳ない。

おまけにアホのレベルを加速度的に低下させたのは、大抵ド田舎出身のアホな政治家や資本家、報道関係者だとボクは思っている。もちろん例外はあるにせよ、根拠のない自信を持っているアホの前ではまともな知性は通用しないのだ。

ちなみに、ご先祖様を具体的且つ明確に判定できる庶民の大半は、せいぜい明治時代くらいまでだろう。実際、うちもそうだし。

誇らしげに出してくる家系図なんてのは、大方江戸以降に作られたもので、その先まで記述してるものとなるといかがわしいことこの上ない。ボクは記紀と大して変わらんと思っている。どうせ都合良く書いてあるのが関の山である。

人が認識できるコミュニティーの範囲は、それほど広くないとボクは思っている。ボクが狭すぎるということは十分自覚しているのでご安心を。

認識できるコミュニティーが限られた範囲であるなら、現在の国体レベルとなるときちんと把握出来ている人はめちゃめちゃ少ないだろう。この国の議会制民主主義制度なるものが、そもそもかなり怪しいのだから。

誤解のないように付け加えておくが、現行の憲法では主権在民であり様々な議会に選出されている議員はあくまでも国民の権利を「一時委託」されているだけである。この認識すら怪しい政治家はごまんといる。

これが国会レベルとなると、もう絶望的であるのは言うまでもなかろう。実際、絶望的な状態だし。そもそも三権分立をきちんと理解しているのかすら怪しい。こんなお粗末な人達が恥ずかしげもなく「国政を担う」と胸を張ってるのは笑止千万としか言いようがない。

まぁ、もうこいつらはどうでもエエわ。学習力がないことを嘆いても仕方ないし、「勉強せぇ」と言っても勉強の仕方も分からなさそうなので、見捨てるに限る。

情報量が増えたとは言え、人間が処理出来る情報量は古代からそれほど変わっていない気がする。要はどの情報に特化するかだと思うのだが、飛びつきやすい情報といえば大抵がゴシップネタであるのは今も昔も変わらんだろう。考えなくてもいいから。

とにかく「アホや」と批判していれば、まぁ周囲のコミュニティーではさしたる問題にはならないだろう。だが、本来重要なのは日常生活に関わる情報である。何しろ生きるために必要な情報なんだから。

本来、人が比較的安心出来るコミュニティーの範囲は、かなり狭いのではないだろうか。古代の集落規模が一番最適化されている状態だと思う。大体、20〜30人規模ぐらいか?

こうした例は、小中学校のクラスを構成する人数に顕著に見られる。担任の先生一人でどうにかコントロールできるのが、大体30人ぐらいと考えれば腑に落ちやすいだろう。もっとも最近は副担任の先生もおられるので、二人体制で一クラスをコントロールしていると言うことになる。

これ以上の規模となると、小さなコミュニティーを維持しつつ、最小限の大きさのコミュニティーをどれだけ内包してコミュニティーを大きくするかにかかっている。

実際、歴史はそうした過程を辿っている。詳細はもうどんどん飛ばすが、中学校レベルの歴史の知識を持っていれば明白なはずである。分からなければ、それは「知識を持っているが考えたことがない」ということだ。

一時期「地方自治」なるものが叫ばれたことがあるが、これはどちらかというと新自由主義という明らかに狂った思想から出た発想であり、本来の「地方自治」とは似て非なるものであることを指摘しておきたい。

地方自治がそれなりに機能していたのは、江戸時代ぐらいまでではなかろうか?所謂「藩」という単位だが、これは幕府側の都合もあるので鵜呑みには出来ないが、それぞれの藩で独自の文化や生活習慣があったことは注目すべきである。

もちろん、江戸幕府誕生までの間に起こった離合集散の結果なのだろうが、伊予伊達藩に見られる本家伊達家の文化、風習がそっくり移植されているところを見ると、それぞれの藩の独自性はそれなりに説明がつく。

直接的に幕府と繋がりを持っていたのはあくまでも各藩主であり、庶民はほとんど関係ないといってもよかろう。

日本が統一国家として事実上支配者を持ったのは、鎌倉幕府成立ぐらいからだろう。

畿内政権の及ぶ支配権はせいぜいが関東までであり、それすら怪しげだったから、畿内勢力と東日本諸国との争いが絶えなかったのであり(征夷大将軍の語源を辿れば明白だ)平安末期には平将門の乱が起きたり、前九年・後三年の役が起きているし、小競り合いとなるともうどれだけあったのかさっぱり分からない。

そもそも畿内政権の支配力だって、地元ですらかなり怪しいのだ。安定期はせいぜいが藤原四家が活躍した短期間だけだろうし、それだって疫病の影響で簡単に崩壊している。これまた平安末期だが、藤原純友の乱が瀬戸内海で起きている。

濡れ衣を着せて要人をばんばん抹殺するのは、もう畿内政権の常套手段である。もっともその後天変地異が起きると「祟りだ!」と言って、そっこー神社を造営して神に祭り上げたりするのだからアホの極地であろう。

ちなみに、この手の祟り絡みの神社は京都市内に多数ある。というか、祟り神絡みの神社しかないのではないかと思うぐらい、祟り比率は圧倒的に高い。これはこれで結構笑える。

天皇の支配権になると、もうこれはめちゃめちゃ怪しい。後継者問題で度々戦乱は起きているし、例え勝利して権力を握ったとしても、大まかではあるが三代ぐらいで潰れるのが慣例と言っていいほど度々交代している。

何しろあの聖徳太子の家系ですら、三代目で完全に抹殺されているのだ。これが天皇となれば、更に血腥いことになるのは当然である。

「万世一系」などというアホな歴史認識などは、この辺をちょろっと調べればすぐに崩壊するのだ(笑)。それでもこのアホな歴史認識にしがみつきたい人がいるとすれば、個人的な利益にとって重要であるか、単に思考を停止しているとしかボクには思えない。

記録に残っている階層ですらこの態である。ボクのように根っからの庶民で、ご先祖様からして根無し草と化した最底辺の階層などは、もうどうなっているのかさっぱり分からん。

ただ根無し草の源流は何となく辿れる。いつからかは不明だが、ご先祖様が瀬
戸内海でうろちょろしていた節は多々あるのだ。詳細は別項に譲るが、遠いご
先祖様は水運と切り離せない関係があったような気はする。

これはボクの骨格もそうだが、無駄に三半規管が強かったり、伝書鳩並みの方向感覚がボクにはしっかりあることから、勝手に推測したことだ。決定的なのは父方の曾祖父の家系が大分県出身だということ。

口伝レベルとなると「元々、香川県辺りにいたらしい」というのもあるが、とにかく庶民なのでワケが分からん。

ある意味、瀬戸内海の西方でちょろちょろしていたという、分かりやすい推測はしやすいけど。

実際、ボクはGoogleMapに頼るより太陽とランドマークに頼る方が、確実に目的地に着ける。GoogleMapで何回迷子にさせられたことか……むしろスマホでボクの磁場感覚が狂わされているのではないか、と疑う始末である。

ボクにとって家とは出発点と終着点だけであり、ここに怠け癖が加わるから家にいるだけの話で、家のある場所に帰属意識が強烈にあるかと問われると「それほどでも」になる。

これはこれでちょっとみっともない気がしたので、娘には上賀茂という場所を提案したのだが、彼女の場合は帰属意識が極端に強すぎて「大学も家から自転車で通える所しか受けない」と言い出す始末である。

どうしてこう極端から極端に走るのかよく分からないのだが、しゃあなしだ。奥さんの家は最低四代は続いている立派な京都人である。娘は五代目になる。ちなみにこの場合、ボクは勘定に入らないので悪しからず(笑)

一か所に留まり続けるという価値観そのものを、ボクは否定する気はさらさらない。ボクの母方の一族だって、いつから今の場所にいるのか分からないのだから。

魏志倭人伝を引っ張り出すまでもなく、大陸や半島では「倭」と呼ばれる期間がかなりあるが、これは上述したように一つの国として認識されておらず、あくまでも「東の島とその周辺地域」という意味合いが強い。「漢奴倭国王」の表記なんか代表的な例だろう。統一国家とは無縁な評価である。

国体としての日本を見る上で重要なのは、やはり大陸や半島に残る諸文献であろう。東方の海上にある島とその周辺地域に関しての記述は、上から目線なのである意味厳しいものになるが、辛辣である分ある種の説得力はあるだろう。

半島における畿内勢力と、半島諸国のパワーバランスが崩れたのは所謂「任那討征」(「三韓討征」とも言うらしい)以降である。記紀では神功皇后が主役となるエピソードだが、ここもマジメに研究書を読み出すとかなりややこしい事になっている。

ものすごくバッサリ解説すると、百済国から恐らく畿内勢力にいる渡来人を通じて、任那からの危機を倭の国にも出兵して助けて欲しい、ということになりそうだ。畿内勢力は大半が渡来系だしね。

詳細は自分で調べましょう。ボクだってまだ大まかな輪郭を掴みかけてるかどうかという状態なので、上記したバッサリ解説もかなり怪しい(笑)

とにかく任那討征以降、断続的ではあるがこの島国に朝貢使節が半島から送られるようになったのは、半島側の記録にもしっかり残っている。

これで勢いづいたのかどうかはよく分からんが、大陸との外交でも例の「日出づる処の天子……」が出てくるワケだ。ただし統一国家としての体はまだなしていない。あくまでも畿内政権と大陸との外交の話であり、畿内政権の勢力が及ばない東日本、特に日本海側は結構自由に交易をしていたようだ。

ここまで来れば、国体とやらが国内のためではなく、あくまでも外交手段の一つとして成立したと考えるのが自然だろう。露骨なのが明治維新後の大日本帝国成立である。

島津藩の属領扱いされていた琉球王国も、ナゼか北海道もアイヌ民族もドサクサに紛れて国体の中に紛れ込ませたのだから。これはもう完全に領地・領海の確保のためであって、一方的な帝国政府の都合に他ならない。

これが変な方向に動き出し(帝国主義時代の潮流とはいえ)朝鮮、台湾、更には大陸にまで手を広げ挙げ句の果てに日清戦争、日露戦争、さらには満州国を無理から成立させ、日中戦争の火種を作ったわけだ。結果はさすがに皆さんご存じだと思うので省く。

邪推だが半島、大陸への進出というのは、ワケあり渡来人の遺伝子記憶の仕業かもしれないとすらボクは妄想している。もちろん、科学的な根拠は全くありません。

請われてこの島国にやってきた渡来人も多くいるが、止むに止まれず渡来せざるをえなかった人もいたはずで、もし彼らがどす黒い怨念を持ってこの島国に来たとしたら、意趣返しをしても不思議じゃないような気がする。意趣返しにしてはさすがに時間が長すぎるので、邪推レベルでしかないのはいうまでもあるまい。

ただ九州北部・西部や現在の山口県、島根県、鳥取県は大陸や半島と常に隣接しているわけだから、ある種の外交的諸問題を感じたのは容易に想像できる。

だから古代からせっせと交流を持っていたのだろうし、朝貢使節も送ってたのではないか。もちろん美味しいどこ取りもちゃっかりしているので、畿内政権が盤石になるまでは、意外と大陸・半島との外交は今の国体では考えられないような高度なレベルで倭の各国は行っていたような気がする。

なんか分かったような分からんような結論になりつつあるが、正直これ以上この国の国体とやらを述べる気にはならない。今が酷すぎるというのも当然あるが、倭と呼ばれていた時期の基礎的な知識がまだボクには少なすぎるのだ。

ただ上述したように、国体とやらは時の権力者の都合であって、庶民にはほとんど迷惑にしかならないとボクは思っている。もちろん、この国の成り立ちや文化をボクがどこまで他の国の人に話せるのか正直怪しいし、ぐっと範囲を狭めて京都に限っても深層に関してはかなりあやふやだ。

代理店が勝手に作った京都のイメージをボクは頭から馬鹿にしているし、そもそもそんなに分かりやすい地域など、この国の外にだったどこを探したってないだろう。

要は先入観としての「日本」を、ボクはめちゃめちゃ疑っているのだ。だからボクなりに把握したいと思っている。

何だかんだ言ってもこの国に生まれたのは事実だし、京都という一種特殊な地域として認定されている(?)場所に居座り続けているので、余計にそう感じるのかもしれない。もちろん様々な面で影響だって受けているわけだし。

これもある種のはぐれ視線なのかもしれないが、とにかく分からんものをほったらかしにできるほど人間が出来ていないし、怪しげな世間の言説を鵜呑みにすることもボクには出来ない。しゃぁなしである。

最後になるが、ここに記述したことを真に受けてはいけない。あくまでもボクの妄想であって、根拠なんてカケラもないのだから。一応、警告だけはしておきます(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m