はぐれDEATH[48]はぐれはいまの和紙事情でも諦めない
── 藤原ヨウコウ ──

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今回のタブロー制作でも大活躍してもらっている和紙だが、この種類の紙については大学の卒業制作の時に、初めてまともに向かい合うことになった。

最初は異なる和紙を組み合わせて、何らかの絵なり印刷なりをする予定だったのだが、担当教授から「繋げばいくらでも大きくできるなら、校舎を覆うようなでかい紙を作った方が面白い」と指摘された。

さすがに「校舎を覆うようなでかさは無理」とは思ったのだが、「繋げばでかくなる」というところにソッコー飛びついた。

プレゼンでは大きさがモノを言う。実際のコンセプトの質はともかく、量や大きさ(できれば両方)で相手を圧倒するのは、プレゼンの基本中の基本である。制作物の質も大きさで結構、誤魔化せることすらあるのだ。

「異なる和紙を組み合わせる」というのは、和紙の毛細現象を利用するつもりだった。

例えば一色の版でも、いくつかの組み合わせの下地を用意できれば、なんらかの効果を得ることが出来るのではないかと想像していた。







敢えて和紙を選んだのは、その製法である。というか洋紙とも比較したのだが、洋紙と和紙の決定的な違いは、紙を構成する繊維の長さである。

洋紙といっても、紙の製法そのものは基本は中国の製法で、12世紀から14世紀にかけて、イスラム世界を経由してヨーロッパに持ち込まれたらしい。

ちなみにヨーロッパでは、製紙技術がもたらされる以前は、パピルスや羊皮紙が使用されていた。中国や日本は木簡や竹簡。この辺は、義務教育で習っているはずなので、大雑把なところは省く。

製紙技術は古代中国で生まれた。もちろん、突然紙が発明されたのではなく、何代にもわたり素材から製法まで手探りで編み出したと見るのが自然である。

記録に残る最古の紙は『後漢書』にある。「105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上した」という内容の記述だが、これは蔡倫が紙を発明したことを意味するのではないだろう。皇帝に献上できる質のモノに仕上げたのが蔡倫と見るべきである。

中国は筆の文化であり、日本はこの技術と文化を直接、或いは半島を経て輸入したワケだが、毎度のことながらこの国特有の発展の仕方をしている。

和紙の製法そのものについては省く。ググればいくらでも出てくるし、関連本はもう腐るほどある。虫が食ってるようなものだって、どれだけあるか分からないぐらいとにかく沢山ある。出来上がった紙を継ぐ方法を、ボクは応用しようとしていたのだ。

ボクは平安時代に料紙を作る際に生まれた、いくつかの継ぎ方を参考にした。「王朝継ぎ紙」という言い方をするようだがボクは「料紙の一種」で片付けている。

料紙についてはボクがややこしく説明するよりも、ちゃんとした説明があるのでそれを引用する。※以下引用

■料紙(りょうし}

書きものをするための紙。平安時代に上流社会で多くの紙が消費されるようになると、料紙は詩歌を美しく書くため、さらに紙質が重んじられるようになり、美意識の対象となった。

なかでも奈良時代からの染め紙は色紙(しきし)として形式化され、美しくしかも薄く漉(す)ける流し漉きの技法と染色技術が組み合わさって、打曇(うちぐもり)(内曇)、飛雲(とびくも)、羅文紙(らもんし)などの漉き模様紙や、金、銀の砂子(すなご)、切箔(きりはく)、野毛(のげ)などによる加工紙、また墨流(すみなが)し、切り継(つ)ぎ、破り継ぎ、重ね継ぎなどの技法による継ぎ紙など、多種多様の料紙が工芸美術として発達した。

これらは書道の発展とも関連して、現在までに多くの傑作が残されている。

[町田誠之]出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

一言で言えば贅沢品である(笑)

京唐紙もこの系譜に属する。江戸唐紙については全く知識がないのでパス。さして違いはないと思うのだが、この辺は自分で調べて下さい。

継ぎ紙に戻る。料紙にする継ぎ方には以下の三つが代表的である。

■切り継ぎ(きりつぎ):二枚の用紙を直線で切り取って継ぎ合わせる技法。用紙の種類や色を変える場合が多い。

■破り継ぎ(やぶりつぎ):二枚の用紙を微妙にゆらいだ曲線で切り取って継ぎ合わせる技法。用紙の種類や色を変える場合が多い。

■重ね継ぎ(かさねつぎ):同系統で段階的に濃さの異なる五枚の用紙を重ねるのだが、このときすこしずらして貼り合わせる技法。色のグラデーションができる。

実物を見れば分かるのだが、裏打ち紙の上に貼り付けながら継ぐか、接着面を重ねて継ぐかの違いはある。

ところが、上述したように、ボクは和紙の毛細現象を可能な限り自然で平坦な状態で生み出そうとしていたので、この二つの方法はちょっと困った。

そんな時に見つけたのが「食い裂き」という紙の切り方と継ぎ方である。幸いネットで詳しく解説してある頁があったので以下にリンクを張っておく。

http://yushodo.art.coocan.jp/wasicuting.html


さて、この食い裂きだがボクは実見したことがなかったので、完全に小さな写真と解説文だけを頼りに試行錯誤して、怪しげな継ぎ方をものにした。

上のような分かりやすい資料は当時なかったからなぁ。とにかく、どれだけ反故にしたのか分からないぐらい散々やった。幸い12月頭頃にはどうにかこうにか実働可能な状態になったのだが、とにかくこの訓練が大変だった。

ちなみに今出来るかどうかは正直分からない。当時と和紙の事情が違いすぎるのだ。



上述したように、和紙というのは非常に繊維が長いのが特徴である。食い裂きというのは、この繊維の長さを利用しているので、パルプ状にして作っている怪しい和紙では到底出来ないし、伝統的な製法で作っているものは値段が高くて手が出せない。

大学生の時もそれなりに高かったのだが、まだ今に比べれば十分過ぎるぐらい豊かだったし、種類も紙の材料も多くあったので、振り返ってみれば幸運な時代だった。

食い裂きをして、後は延々継いでいくだけである。食い裂きの際に四角とか三角とか、幾何学模様を作ってそれを継いでいく。

とにかく、種類とその紙の特性を把握しないと、継ぎ紙になっているかどうかすら分からないし、毛細現象の問題もある。

手当たり次第に買っては試していたのだが、所謂民芸紙や染め紙は使う気になれなかった。だからとことん原紙にこだわった。そんな時に出会ったのが雁皮紙である。

雁皮紙については引用をする必要もない。ググればそれこそゾロゾロ出てくるからだ。

めちゃめちゃ薄い紙なのだが堅牢この上なく、写経によく使われているようだが、ボクはもっぱら絵を描くのに愛用していた。滲みが少ない紙なのである。

前稿でも少しふれたが、ボクは「垂らし込み」という技法を(もっともこれも自得したので怪しいもんだが)多用する。この手を使う時には、滲みづらい紙が必要なのだ。雁皮紙はこの辺ぴったりの紙だったので愛用していたわけだ。

ところで、最近手に入れた雁皮紙はとてもではないが、垂らし込みに耐えられなかった。弱いのである。写経は出来るかもしれないが、垂らし込みでは使えない。

一応、大学生時代に一通りの和紙は触ったので、代わりになりそうな和紙はすぐにアタリがついた。鳥の子紙である。

こちらは滲みが少ない上に、紙そのものの厚さが結構あるので丈夫だろうと思ったのだが、今の鳥の子紙の滲み方は、ボクが経験したそれとはまるっきり違っていた。

とにかく滲むのである。ドーサ引き(和紙の滲みを押さえるために、ドーサ液で紙の表面をコーティングする)をした紙ですら「ちゃんとドーサ引きしてるんかいっ!」と突っ込みを入れたくなるぐらい滲みまくるので、結局ボクが更にドーサを引き直さないといけない羽目になった。

こんなことなら、インクジェットプリター用の怪しげな和紙の方が余程マシである。プリント用紙なので、ちゃんと滲み止めを施してある。

ところが、ここにも落とし穴がある。サイズがA4までしかないのだ。せめてB3ぐらいは欲しいのだが、これをしようとすると裏打ちをして紙を繋げるしかない。また一手間である。

大作のドーサ引きならまだ納得が出来るのだが、たかがB3である。手間暇を考えるとシャレにならん。

などと文句を言ってても仕方がないので、ケント紙を水張りしてこちらに絵を描いている間に、和紙を裏打ちしてドーサ引きをする。一度に一つのことしかできないボクには、苦行そのものである。



伝統産業の凋落ぶりには散々嘆いているが、和紙に関して言えば嘆くどころか、かなりのショックである。何しろ普段から使うのだ。

絵の具を使わなければ必要ないのだが、そうもいかない。もちろんちゃんとした和紙もあるが、もうほとんど特殊業務用(!)と化しているので、とてもではないが手が届かない。

ちゃんとした日本画を描く人なら、素直に麻紙を使うところだろうが(これは結構ある)、ボクは別の意味で特殊なのでけっこう困るのだ。水墨なら画仙紙か? でもこの紙はボクには滲みすぎる。とにかくややこしい人なのだ。

大抵、昭和の価値観で片付けているボクにだって、どうしようもないコトは多々ある。和紙は正にそうだ。

手漉きである必要はない。機械漉きでも構わないのだ。だが、原料となる楮(こうぞ)そのものの品質が、圧倒的に低くなっている。環境破壊はこんな所にも出ているのだ。もっとも、今に始まった話ではないのだが。


「日本の美」だの「伝統」だのを、馬鹿の一つ憶えのように叫ぶ政治家が沢山いるが、連中の頭にはこうした見識があるとは到底思えない。

そもそも義務教育レベルの日本史ですら、怪しい事この上ない。歴史も知らず、伝統どうこうを言うコトの馬鹿らしさが分かっていないので手に負えない。「馬鹿は死ななきゃ治らない」とは正にこのことだ。

話が少し逸れるがこの台詞、実は「石松三十石船」の中にあり(広沢虎造の創作という説もあるらしい)浪花節の中での意味は「清水の次郎長の子分、森の石松はこズルイことができない一本気な男だ」ということらしい。

まぁ、愛すべきキャラクターという意味であろう。我々の使い方とはまったくの逆である。



和紙に戻る。「日本人と生まれたなら筆と和紙で絵を描くくらいは当たり前」などと普段から思っているのだが、ここまで紙がダメだと意固地になっても意味がない。

しかし、一時期悲しいぐらい雁皮紙と付き合っていたので、そうそう簡単に諦めることも出来ない。

「高い紙なら使えるのか?」と言われると、実はそうでもない。昭和54年に漉いた手漉き土佐雁皮を20枚ほど大事に保存しているのだが、ここまでくると紙そのものの圧倒的な存在感の前に、こちらが気圧されてしまう。本物の恐ろしさである。

ありがたいことに、この手の感覚は結構しっかりしているようなのだが(でなければ良い悪いを判断できない)、紙に負けて「描けません」というのも情けない話である。

手っ取り早く言えば貫禄負けしているわけだが、ボク自身の技量と度胸をあげようと思えばもう数をこなさないと話にならない。

ところが、それすら怪しいのだ。それでなくても人一倍不器用なのだ。「数をこなす」と軽く書いたが、ボクの場合は尋常な量でないことを想像していただきたい。自分で想像しても気が遠くなる。そこにこの和紙事情である。

それでも諦めないのは、ボクのしつこさがイイ方に傾く例なのだが(笑)

とにかく筆を徹底的に使う。別に絵でなくてもイイのだ。だから字を「描く」。いや、ちゃんとした楷書です。前衛書道には間違っても行きません。エカキだから。

下手な字であることは百も承知しているので、イメージしている形の字になればそれでいい。要は頭の中の形と紙の上の形がちゃんと一緒になっていればイイ。これまたただの基礎訓練である。自然と筆が動けばそれで十分である。

上賀茂には王羲之のお手本帳があるので、これを真似していたのだが、伏見の仮寓にこの手のものはない。だから勝手に字の形をイメージする。

それこそ写経でもすれば良さそうなものだが、こっちは想像しただけで卒倒しそうなのでやめている。

ちなみに筆に関して言えば、篆刻用の中国産の筆がボクには一番あっている。安いし。しかも下手な国産よりも毛の質がいいのである。

これにはちょっとした逸話があるのだが、ここでは端折る。いつか機会があれば(憶えてれば)書く機会があるだろう。それぐらい面白い話なのだ。

段々、昭和人が生きづらくなってきたなぁ、というオチの話でした(爆)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m