「時代」と大層なこと言っても、ボクが体験したのは1965年以降の話である。だから、東京オリンピックの騒ぎは体験していない。せいぜいが市川崑監督の『東京オリンピック』程度だ。
幼少期はほとんど家にいたので、同世代の子達との交流もほとんどなかった。いや、生まれたばかりの妹の世話で手一杯だっただけなのだが、幼稚園すらまともに行っていない。だから、ボクの「時代」感というのは著しく偏っている。
妹が生まれる時、両親の実家に預けられていたので、いわゆる真っ当な昭和の価値観すらボクにはない。明治・大正の価値観にどっぷり浸かっていたので、同世代とのジェネレーション・ギャップがあったのも白状しておく。男の子だったので(いや、いまも男ですが)、よけいに旧時代の価値観は歪んでいただろう。
そこへもってきて、小学校でいきなり集団生活である。馴染むわけがない。はぐれになる諸条件はそれなりに揃っていた。まぁ、だからはぐれになったわけじゃないんですがね。同じ条件下でも、きちんと真っ当な生活を送っている人は多いだろう。ボクがレアケースである可能性の方が高い。
●公的な義務教育の学力が将来的には有効
時代が変われば価値観も変わる。当たり前の話だ。ただ、どうにも解せない価値観があったのも事実である。いわゆる、学歴である。
ボクの最終学歴は工学修士だ。ちなみに、この学歴だけではエカキには何の役にも立たない。役に立ったのは論文を書く過程にあった。もちろん、印刷会社に就職した経験も大いに役立っている。
まぁ、ボクの学歴はどうでもよろしい。重要なのは過程である。
最近、「貧富の格差による学歴差」というネタがよく上がるようになった。恐らく高校→大学の過程での学資がメインの話だと思う。
だが、本来問題とすべきは、義務教育期間にどこまで学力を充実できるかではないか? もちろん、幼稚園・小学校・中学校受験もあるのだが、ボクはこちらの方がよほど危険で、むしろ公的な義務教育の学力の方が、将来的には有効なのではないかと思っている。
どの段階での受験を体験しているかはそれぞれだろうが、日本の受験問題というのは、もうほとんどクイズとか頓知の世界に等しい。要は正解を出すには、それなりのコツとスキルがあるのだ。
これはボク自身が中学受験をした時に、思いきり戸惑った現象だった。もちろん、40年近く前の話なので、現代とまともに比較するのは正当ではないだろう。
だが、恐らくこの受験スキルを身につけるコースは、根絶していないと思う。難関校と呼ばれる大学の学生や卒業生に、義務教育レベルの知識すら怪しい人が少なくないという例を、イヤと言うほど見てきたからだ。
「専門知識は別」と反論する方もおられるかもしれないが、基礎学力抜きの専門知識だけでどうにかなるのは、もう本当に一握りどころの騒ぎではない。
稀に「まともな教育を受けていないのに、ある分野に限って特異な能力を発揮する。しかし、他はまったくダメ」という例があるが、これは脳神経学である程度解明されてるし、一種の疾患と呼んでもいいだろう。こうした人達は、その専門分野で活躍をすればいいだけの話である。
だが、いわゆる「天才」同様、これもまたレア・ケースであり、このような人達を社会基準にするのは無理にも程があるだろう。
この稿で何度も書いていると思うのだが、ボクも含めて大半の人は凡庸なのである。もちろん奧さんもそうだし、おねえちゃんもそうである。差が出るのは義務教育期間の修学が、どれほど満たされているかである。
教育指導要綱が度々改訂されているが、特に公立の中学校レベルは、全世代を通しても「その時々の取得内容をきちんと把握できているかどうか」という点では、それほど学力に差はでないだろう。
実際、「ゆとり」とよばれる世代の皆さんだって、全員が全員ダメなワケではなく、むしろ呆けた老人より遥かにマシなケースはよくある。
「昔の教育課程は今よりも厳しかった」と、ふんぞり返ってエラそうなことをいうおっさんやおばはんの方が、実はアホだったりする。
確かにいわゆる「詰め込み教育」が徹底された時代よりは、今の方が楽かもしれないが、だからといって、その「詰め込み教育」をきっちりマスターできているかどうかは、別の話である。
これが応用となると、もうほとんど機能していないのは明白で、自分たちの知的レベルの低さを脇に置いて、「自分で考える教育」とやらをやたらと連呼する輩には気をつけた方がイイ(笑)
なぜなら、彼らこそ「自分で考えることができない」人達だからだ。で、いわゆる「高学歴」の人達にもそうでない人にも、この手の人達は平均して存在している。逆もまた然り。
「学歴」が地に落ちたのは、ボクらぐらいの世代か、もう少し前ぐらいだろうか? 実際はどうか知らないが、ボクの実感としては昭和30年生まれあたりが一つの区切りな気がしている。いや、正直根拠はありません。ただの勘。
それでも高度経済成長は、何らかの形で影を落としていると思う。
この「学歴」にことさら「個性」を言い始めると、もう末期的と言っていいだろう。百人百様は当たり前の話で、むしろ人格を平均化する方がおかしいのだ。
ただ、こうした義務教育も時代の社会情勢や環境が加われば、それぞれの時代に産まれ育った世代に差が生まれるのは、むしろ当然である。
上述したように、ボクの体験は1965年以降であり、大手製鉄会社に勤めていた父とその企業城下町は、京都に来るまでのボクに大きな影響を与えたのは言うまでもあるまい。
●景気の良し悪しは波である
詳細は省くが、景気のいい時もあれば最悪の時もあった。悲惨な事故もあれば、アホな事件だって、今に劣らずいっぱいあった。核実験にいたっては、大気圏内核実験の時代である。公害なんかは今の中国とさして変わらなかったし、もしかしたら今の中国より酷かったかもしれない。
「北朝鮮から亡命してきた人の内臓から大量の寄生虫が発見された」と騒いでいるようだが、ボクが小中学校の頃はギョウ虫検査は普通にあったし、陽性の子だってそれなりにいた。
ボクに言わせれば、「多少の寄生虫はいた方が良くて、免疫力もそれなりに保たれる」にしかならない。というか、虫も食べないようなものばかり食べてる方がよほど危ない気がする。
景気の話に限れば、ボクが入社したのはバブル全盛期で、バブルが崩壊した年にボクは会社を辞めている。
前にも書いた気がするが、上司や先輩方が「この不景気な時に会社辞めてどうすんねん。もう少し様子見た方がエエんちゃうか?」と口々に言っていたが、「この不景気にフリーで生き延びれたら、後はどうってことないでしょう」とばっさり切り捨てた。
「景気が悪くなれば、今度は景気が良くなる波がくるだけ」という得体のしれないボクの法則は、もちろん製鉄業の盛衰を目の当たりにしていたからであり、最終的にいつかは滅亡するのである。そして新たな産業が産まれる。少なくとも近代以降の世界は、このサイクルの繰り返しである。
製鉄の企業城下町から、衰退しきった「繊維業の町」京都へ来て、その残映を垣間見たボクが、産業の容赦なさを実感していたのはむしろ当然であり(もちろん父の実家があった八幡なんかは、もう悲惨そのものだった)、まともな価値観ではないかもしれないが、そういう見方しか世の中に対してしていないのは事実である。
それでも、「時代の変化」を痛感したのは、デジタル機器が産まれた頃から、「ある世代」と直面した時である。
●ラフを描くのは当たり前の話
ちょっと話が偏るが、ご容赦願いたい。何しろ、これでも専門知識と技術だけで食っているのである。
ボクが学生の頃は、PCで表現というのは一部の特殊な人々(プログラミング技術を持っている一部の人)という認識だったし、もちろんPCが実技や現場で出てくることはほとんどなかった。頑張っても電子写植がせいぜいだが、これだって、いまから見ればアナログそのものだったりする。
だから、いきなり現物を作るというのはあり得ない。少なくともボクの母校では絶対にさせてくれなかったし、ボクも含めて学生はラフを描くのが当たり前の話だった。
ラフもロクに描けないで現物を作れる、ということはあり得ない。
ラフとは、どのような目的でどう制作してどう完成させるかを、前もって確認するための重要な思考過程であり、この段階で色々な問題や可能性、見落としやリスクなどを徹底的に考えまとめていくものなのだ。
もちろん、作ろうとしているものが制作目的から逸れていないかも、この段階で検証する。特に後者の検証は重要で、ラフを何枚も描いていると、いつの間にかまったく関係のないことを思いついてしまい、それを無理矢理盛ったりすることが多々あるのだ。ボクはよくやった(笑)
だから、余計な思いつきはとりあえず横に置いて、本来の目的に沿ったものを制作できるように軌道修正するワケだ。
この際だから白状するが、ボクはやたらと思いついたりするもんだから、実技の課題で「最初から一つだけしか作らない」ということは、ほとんどなかった。
一応、当初のアイデア通りに完成まで持ち込むのだが、そこからがしつこい。ひとつの課題で複数の成果物を作るのは当たり前だった。
それ以前に、スキルが伴っていないので、ラフで想定した通りに完成できそうになく、何度となく失敗をしては一人でキレていたのはでふぉで、同級生は「またか」と白い目で見ていたもんだ。
「同級生ができているのに、ボクひとりができない」というのは本当に苦痛だし、とにかく自分で自分に腹が立つ。挙げ句の果てには、自ら制作途中のモノを破壊する、という暴挙にいたり最初からやり直し、というアホなコトが課題の度に繰り返される。
こんな状態でまともな成果物が出来るはずがない。時間には限りがある。それでも遅れに遅れて「これかいっ!」と、自分で(もちろん同級生もだ)突っ込みを入れるようなものしかできないのは、本当に情けないのだよ。
スキルは置いておいても、ラフを描いてこれである。ラフなしの制作がどれほど危険かは、容易に想像がつくだろう。
だから、専門学校で非常勤をしていた時も、学生にはラフが完成させるまで絶対にコンピューターには触らせなかった。
まぁ、ある種の宗教みたいなもんだが、実際これで成果品の完成度は明らかに違うのだから、「ラフ抜き」で指導していたクラスの先生はかなりショックだったようだ。悲惨なのは、そんな先生に指導された学生である。
カリキュラム自体がこの学校のものとはまったく違うし(これはボクがごり押しした)、もっとはっきり言ってしまえば、母校の方法論を移植したので他の学校を卒業している先生方には理解できないことだったらしい。
実際、我が母校のカリキュラムは、他のデザイン系の大学とは一線を画していた。というか、異色なのである。このへんの事情は前に書いたような気もするが、もし書いていなければ稿を改めることにする。
極端に一言で片付けるなら、「表現は後回しでいい」という考え方を叩き込まれる。制作をするための準備に重きが置かれるのだ。制作はフィニッシュワークに過ぎない。
PCでの作業とは、ボクや当時の母校の考え方からすれば「フィニッシュワーク」そのものであり、もうほとんど付け足しみたいなもんなのである。ちなみにボクの絵は、実際このやり方でしか描いていない。
●PCより手描きの方が圧倒的に優位
ところがである。今では現場でラフを描かない人が多数派なのだ。新人教育だって、ラフを描かせている場面を見たことがない。指導者がそもそもラフを描かない(描けない)のだ。
相手がPCならまだ見た目を繕うことは出来るが(欠点だらけを通り越して、ゴミにしかならないんだけど)、実物を製作する現場だとこれは致命的である。
いま、副業でとある製作現場に行っているのだが(これまた詳細は別稿に譲る。ネタの宝庫♪)、新人さんが指導担当者と口頭の打ち合わせだけで、ラフも描かずにいきなり製作に取りかかっては、失敗して怒られを繰り返している。
新人さんも新人さんなのだが、指導担当者のやり方にも正直疑問を感じる。ラフを描かせさえすれば、実際に想定されるであろうことを、具体的にラフの中に描き込んでいけるのに、これまた口頭だけであらゆる事態の想定を矢継ぎ早に発するのだ。
ボクはこの新人さんとはまったく違う作業をしているのだが、さすがに毎日聞いていると(いや聞き耳を立てているわけではないです。聞こえちゃう)、作業内容全体がある程度想像できてしまう。これは経験値の違いがモノを言ってるだけの話で、何の自慢にもならないのは言うまでもあるまい。
とにかく、聞いている範囲だけで判断すれば、「ラフを何枚も描かせたらエエだけの話しちゃうか?」という結論に達せざるを得ない。要するに、初歩の初歩でこけているのだ。
こけている場所が明確なのに、ナゼか別の場所の指示を無闇矢鱈としていては、育つもんも育たない。一か月経っても改善されなかったので、お節介であることは重々承知しつつ(尚かつ指導担当者に責任が向かないように)「制作に入る前にラフを描いて、それを見ながら先輩と打ち合わせをしてみ」とこっそりアドバイスした。
効果はてきめんである(笑)。それまで度々起こっていた、制作途中の色々な想定のアドバイスは影を潜め、具体的且つ明確な指導を指導担当者がし始めた。
笑ったのは「きみ、ここラフに描いてるのと違うやん。あれ見て打ち合わせして、修正場所指示したのにどうなってんの?」である。まぁ、会話の内容からすると、取り敢えず最初のステップは越えられたらしい。
まぁ、それはそれでよろしい。あとは本人が自覚的に作業に入る前にラフを描いて、きちんとポイントが把握できるようになるかどうかであり、それを指導してもらえばいいだけの話だ。
危険なのは、上述したように「まずラフを描く」を教えないことだ。最近になって薄々分かってきたのだが、この人自身がラフを描かないのである。恐らく失敗と試行錯誤の繰り返しの経験値でどうにかしてきたのだろうが、ボクに言わせれば、これではいくら時間があっても先に進まない。頭の中で想像できることなど、たかがしれているのだ。
「脳内シミュレーション」しかしないボクがこんなこと言うと、「お前が言うな!」と怒鳴られそうだが、ボクが完全に脳内シミュレーションにシフトしたのはここ数年の話で、それまではちゃんとラフは描いていたのだ。しかも、いきなり脳内シミュレーションだけにシフトしたわけではない。徐々にである。
ただ、これが通用するのはこれまでやったことがある案件か、それに近いものだけである。あさっての方向の案件では、やっぱりラフを描く。
ちなみに、タブローだってラフは描いている。それどころか、エスキースすらたくさんある。それぞれチェック機能が異なるとはいえ、制作に入る前に確認しておくべきコトを無視して、いきなり描けるわけではない。
ただ、ボクが確認した限りではあるが、「ラフ」の地位がナゼか恐ろしく低くなっているのには危機感を感じる。まぁ描く人は描くんだろうけど、こういう人達は明らかに少数派になりつつある。
「いや、PC上で今はラフ描けるじゃん」という意見もあるのは、重々承知している。それでも、手描きのラフの方が個人的には圧倒的に優位だと思っている。
「思考を物質化する」という行為、そのものが重要だと思うからだ。「いや、プリントアウトしたら同じやん」と言われるのは百も承知で、敢えて言っているのだ。
「思考の物質化」は脳とブツとの間に介在する、肉体以外のものが少なければ少ない方が、ダイレクトにイイこともアホなことも表れやすいのだ。それも、リアルタイムである方が圧倒的である。だって、自分の手で紙に描いてるんですよ。言い訳のしようがないじゃないですか。
ところが、PCはさもできているかのような錯覚を、使用者に与えやすい。間に色々な道具が入っている上に、補正計算までしてモニターに映し出しちゃうし、もっとひどい例になると、ほとんど完成型としか見えないようなものを短時間で処理してしまう。
ボクが出版社の担当さんに見せている「ラフ」と称するものは正にこれなのだが、ボクの場合は確信犯として使っている。実際のラフ(あるいは下絵)は全部鉛筆で描いてるし。
ボクが確信犯として行動できるのは、脳内シミュレーションの結果だけを表示しているに他ならない上に、どのような修正指示がきてもどうにかなるようにデータを作っているからである。要するに、余裕を持たせているのだ。
編集さんに見せる「ラフ」は、視覚的な確認工程である。方針や要望はゲラを読み終えた時点で、すぐに口頭で打ち合わせする。ラフを描くための準備だって必要なのだ。
●Exel使えば仕事した気になる人がいる
「ラフ」という言葉でずっと通したが、言い換えれば「目的の視覚的な明確化と確認」であり、「視覚的な設計」である。これは制作現場に限らない。
ビジネスの現場ではよくExelが使われるようだが、ボクが見る限り「?」という使い方しかしていないケースが大半である。
一見、キレイだがよく見れば脈絡のない表やグラフ(というか、グラフの使い方そのものが間違っているケースすらある)、何を目的としているのか、何をしようとしているのか、現状はどうなのかがさっぱり分からん。
これで仕事をした気になっているのなら、とんでもない大馬鹿野郎である。
こういう例はデジタル以前からよく見られたのだが、Exelをはじめとするアプリケーションが普及し出すとともに、こうした例は激増したように感じる。
これまた前に書いたが、PCは思いついたり提案したりはしてくれないのだ(少なくとも今は)。入力されたデータを計算するだけ。もっと露骨に言えば、入力した人の考えや性格しか反映しない。だって、そういう入力の仕方しかしてないんだもん。PCは馬鹿正直に表示するだけ。
こんなアホな資料(?)をもとに進む会議が、さらにロクでもないことになるのは言うまでもなかろう。というか、会議そのものが成立していないことに気がついていなかったするから手に負えない。
この一年、ちょっと今まで見たこともないような、アホな現場を立て続けに見たもんだから、この時代に少々神経質になりすぎている可能性は否定しない。
ただ、歳に関係なくちゃんとできる人はやっぱりちゃんとできるし、できない人はどれだけ経験値を積んでもできないのである。
このへんの見極めは、義務教育時代にもうできてしまうもんである。義務教育の時にちゃんとできてた人は、よほどのアクシデントがない限りそのままいってしまうし、できない人は大抵ダメなままである。
まぁ、高校で立て直しに成功する例もあるし、逆に社会人になって堕落する人だっている。ただ基礎教養がきちんと身についていれば、そうそうアホなコトにはならない気がする。なぜなら、勉強することを知っているからである。
ただ、勉強することを知っていても明後日の方にばかり行ってしまい、どんどんはぐれもんになっていく稀れな例が、ここに約一名いる(笑)
新しいコトを知るのは大好きだし、面白くて仕方がないのだが、あんまり役に立っているとは言い難いな。目的があって何かを知ろうとしているのではなく、単に好奇心に突き動かされているだけだし。それでもやめられないし、やめる気もない。なんで自分で楽しいコトを放棄せにゃならんねん。
で、この遺伝子が半分混じっているおねえちゃんも、やっぱりこの傾向があったりするのだが、おとおさんが終わっているので、結構のんびり眺めている。奧さんの遺伝子もあるから、どうにかなりそうな気がするのだ、呵々♪
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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