最近、「任せる」という言葉について考えることが増えた。母が高齢なため、色々なことを私に任せるとか、任せたと言われるシーンが増えたからかもしれない。それはお寿司屋さんの会計とか、医者の予約といった、小さなことから大きなことまで様々だ。
●「人に任せる」ワザ
昔の人ならではの感覚なのか、母が「任せたから」と言う時の表情は、晴れやかで自信たっぷりだ。
任せられて大変なのはこっちなのに(笑)、母側は何か褒美を取らせる殿様のような雰囲気を出して言ってくるのだ。「人に任せる」ということほど、相手を認める気持ちはないんだよ、ということだろうか?
いやしかし、私はここに含めているワザについて気がついている。そんなにたやすくホイホイと任せられて、喜んではいないのだ。
だがしかし、「そんなこと言って全部丸投げしてんじゃないかー」と思う気持ちを抑えて「ハイハイわかってるよー」と流すのである。とりあえずは、任せられて嬉しいですよという雰囲気を出す。
元々はあまり人に用事を頼まずに、自分でやる母だった。それが衰えてきたことで自分でやることを諦めたところもあって、変わったのかもしれない。任せてラクチンと考えた方が、健康的なのだ。頑固な人が変わることもあるというのは、面白いものだ。
ここで文字に書いていて気がついたけれど、母は物事を「任せて」いるけれど、「頼んで」はいないのかもしれない。人にモノを頼むのが嫌いだったわけだから、頼み事は作りたくないのだ。
目線の違いを考えてみても、頼むと下からだけれど、任せると上からだ。いや、上から頼むこともあるのかな? ちょっと文法的にはわからないけれど、イメージ的にはそんな感じだと思う。
調べてみると、「まかせる」は「任せる/委せる」のどちらの文字も使うようだ。どちらも「その人の自由にさせる」ことだけれど、どう言うかによって力関係が変わる不思議な言葉でもある。
この件を夫と話して、今ではちょっとした事でも「やっといて」とは言わずに、「任せたから」と言ってニヤリとするのが我が家で流行っている。
●「任せたいな」が本音
トイレットペーパーや消耗品の紙類は私が注文しているけれど、本当は少しは夫にも注文を分担してほしい。夫はヨドバシのネットで買えるものは注文してくれる。最近はヨドバシも取り扱うものが増えて、スクイーズまで予約してもらった。
実は「紙類全部任せたいな」というのが、私の本当の気持ちなのである。ネット通販も便利が加速していて、アスクルやAmazonや楽天は、ほぼ日用品のすべてをカバーしていると言っていい。
それでも食品はOisixやショップチャンネルで、紙類や急に必要なものはアスクルとAmazonのように分けるのが、今の私には便利だ。
通販会社が扱う商品の幅を増やすのは、どの商品にも顧客拡大のモトになる可能性があるからだ。一つ「定番」を押さえてしまうと流れが出来上がり、そのついでの購入から注文品が増え、いつの間にか本流になることもあるのだ。
もしや、夫がなかなか紙類全般の注文を受け持ちたがらないのも、このせいかもしれない。
紙から始まって、家の消耗品全般の通販業務の流れが、自分に来ることへの牽制? いつの間にか本流作戦の失敗か。やはりちょっと上手の夫なのである。
●責任の所在
結局、うちは母と私と夫の三つ巴の任せあいだ。任せたのに口は出すのも皆同じだ。
先日も夫に「ああハミガキ粉、爽快タイプ買っちゃったかー」と言われたけれど、それしかなかったのだ。普通タイプが好きなのは知っているけれど、任せたのだからしょうがあるまい。夫も「ま、いいか」とすぐに受け入れてくれた。
人に何かを任せても、責任の所在は任せた側が持つという、大人のルールはきちんとわかっているのだ。
会社でも個人でも、新しいつながりができて、自分のしてきたことを任せることができる人は幸せだ。全く縁のなかったところに縁を作って、小さなことや大切なことを任せていくのが、人生の喜びの一つなのかもしれない。
だからこそ、人に何かを任せられた時には、喜んでそれを受け入れることもあっていい。全部わかった上で、ニヤリとすればいいのだ。任せあって、どちらも笑っているならそれでいい。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
注文の手間をなくすという、定期購入もやっている。しかし、なかなか設定が面倒くさいですよね。やめるのも面倒で、つい在庫が余り気味になるのも通販会社の狙いかもしれないし。
この理由で、定期購入は最小限にしている。最近になってコストコのトイレットペーパーの良さを噂に聞いて、うちでも買ってみたらほんとに良かった。新しいモノを試す自由もいい。