しばしば触れているように、ボクの女の子に対する憧憬は、議論の余地なく病的である。生まれ育った背景もあるし、大学時代まで女性に見間違えられたり痴漢に遭ったりといった、アホな体験も加わっているのでよけいに質が悪い。
これまた何度も触れているが、小さい頃から「女の子に生まれたら良かったのに」と思っていた。さすがにこの歳になると諦めもつきますが、こと「カワイイ」に関しては、ほぼほぼ女性的な反応をしているような気がする。
世間様には女の子が発する「カワイイ」発言に、疑問を持たれる方が少なくないようだが(老若男女関係なく)、ボクには痛いぐらい分かるし、実際そういう反応をしてしまっている。
おねえちゃん(娘です)や、ももち(猫です)に、過剰な「カワイイ」反応を起こすのも、ベースは恐らくここにある。ちなみに妹の時は今ほど過剰ではなかった。まだ性差に対する確固とした疑問があったわけではなかったし、とにかく「世話をしなければ」という得体のしれない強迫概念に迫られていたのも影響している可能性が高い。
会社員時代からおねえちゃんが生まれるまでの間、このアホな性癖はある程度押さえられていたのだが(あくまでもある程度です)、おねえちゃんが保育園に通い始めてから、思いっきり爆発した。何しろ何だかんだで無理から押さえていたところはあったのだ。外面は大事なのですっ!
爆発の原因はもちろん女の子の園児さん達である。男の子にはイマイチ反応しなかった。おねえちゃんだけでも十分壊れていたのになぁ……。
もちろん、活発な子から大人しい子まで、色々なタイプの子がいるのだが、いちいちツボにはまるので、ボク的にはもうパラダイスである。ここに姉妹、三姉妹、双子姉妹×2とかが加わるとヒートアップする。当たり前の話だが、送り迎えは大抵の場合お母さんなので、これまた見物である(失礼)。
●女性の好みがことごとく女性目線という指摘
どうもいわゆる「ガールズトーク」とか「女の子同士いちゃいちゃ」が、思いっきりツボであることについ最近気がついた。
きっかけは、ももクロが出演するなにかのバラエティーを見たからだと思う。
詳細は別稿に譲るが、ももクロに関してボクは音楽以外の何も知らなかった。ライブを観に行こうと思ったこともなければ、ライブ映像はおろかPVすら見ようとすら思ったことはなかった。
CDジャケットのカバー写真と、音楽だけの存在である。だから、どのようなパフォーマンスをしているかなんてのは知る由もなく、メンバーの認識すらないに等しかった。
過去形になっているのは、ここ一か月ばかりももクロ漬けになっているからだ。これはボク自身びっくりするぐらい、相当がっかりな日々である。
正直、ここまで入れ込んでしまったのがなぜなのか分からずに、しばらく頭を悩ませていたのだが、どうやら彼女たちが見せる会話なり行動なりが、保育園で見た光景に酷似しているからなのだ。ということに気がついて腑に落ちた。「思いもよらぬ」というところはまんまだな。
ここで「君が反応するところは女の子の幼児じみたところか」と考えるのは早計である。
この手のことは大人になってもやっている人は多いが、屁理屈を捏ねたり無駄な理論武装化に至るアホな例をボクは見ている。可愛げがあればそれはそれで「カワイイ」になるのだが、本気でそう考えているとなると、さっさと見切りを付ける。これに関しては男女の区別は一切しない。
女性至上主義者ではあるが、どうしようもない馬鹿は、女性だろうがばっさり切り捨てるのがボクである。それでも基準はまだ男性よりは甘いのだが、切り捨て組に入ってしまう女性も正直少なくない。
女性至上主義者であるが故に、この組に入ってしまう女性への嫌悪感は我ながら凄まじい。「甘く見積もってるのにこっちかいっ!」という、極めて感情的な反動である。
話を戻す。『けいおん!!』にはまったのも、どうも同じような理由からだということにも気がついた。ももクロと放課後ティータイムを同列にするのは、自分でも正直どうかと思うが、ボクの頭の中では同列というか同系統の「カワイイ」と認識されているようだ。
面倒臭いので、ももクロも放課後ティータイムも詳細はジャンジャン飛ばす。分からない人には謎でしかないかもしれないが、ももクロに関しては黄色、赤推しで、放課後ティータイムは緑、青推しであることだけは白状しておく。基本みんな好きなんですが。
実はこの結論に達したのは、ボクだけの考えではない。副業先の同僚から、先日とんでもないことを指摘されたからだ。
今の副業先は女性比率が異常に高い。にもかかわらず、悲しいぐらいまともに話ができる人が同僚では二人しかいない。教室の先生の一人にとんでもなくカワイイ方がいるので、とりあえずオッケーということにしている(をいをい)。他の先生方も基本カワイイです。
で、たまたまお客さんが少ない時に、同僚(もちろん女性です)と、どうでもいい下らないお喋りをしているタイミングに電話が掛かってきた。
「電話は最悪2コール以内」というアホな法則が身に染みついているボクが、そっこーで電話に出たのはいうまでもあるまい。近かったというのも、もちろんあります。
ちょっと長い間教室を休んでいて、心配していた生徒さんからの電話だったのだが、この時にどうもうっかり素をさらしてしまったようなのだ。
基本ボクは、人前では極力素顔をさらすことを避けている。主な理由は上記したような、行動に女性的な反応が会話や出るのを避けるためなのはいうまでもない。
ゲイ疑惑やおねえ疑惑も、もちろんあるのだが(あるんかいっ!)頑なになったのは、大学生時代に「フジワラに女装させよう」と同級生の女子が言いだしたことである。学科の性格上、工学系にも関わらずクラスのほぼ半分が女子だったので、シャレにならない思いつきである。
学祭が近かったので「半ば本気だったのかもしれない」といまでも疑っているぐらいの勢いだったのだが、これはさすがにマズイと思ったので徹底的に逃げまくった。
これに懲りて、社会人になってからは(学生時代はもうほぼバレバレになってしまっていたので諦めた)素をさらすことを避けていたのだ。
話を戻す。長期休んでいた生徒さんは初老の女性なのだが、どうも自分自身気づかないうちに、かなり心配していたようで「来週から出席します」という電話で破顔してしまったようだ。
「ようだ」というのは、ボクはまったく気がついていなかったからだ。この事実を指摘したのは、同席していた同僚である。
「ものすごく親切で紳士的に電話に出てたのに、途中から声色も顔つきも一変した」らしい……_| ̄|○;
もちろんうろたえましたよ。必死で電話の内容を説明して、いいわけをした挙げ句「藤原さん、乙女やわ」の一言。これにはマジで赤面した。実際、両手で顔を隠してうつむいてしまったしな。
上記したように「ゲイ疑惑」や「おねえ疑惑」「あやうく女装させられそうになった事件」はそれなりにあったのだが、これらはあくまでも見た目である。
内面を突かれたのは生まれて初めてだったし、ボク自身きちんと気がついていなかったのだ。言われて「なるほど」とは思ったのだが、自分で気がつくのと他人に指摘されるのでは、恥ずかしさの度合いは著しく異なることぐらい想像できるでしょう。
いや「中身は女子っぽいんだろうな」という自覚は、うすうすあったのですが「乙女」となると、話の次元はごろっと変わるでしょう。相当な落差ですよ。おかしいのは変わらないけど。
とにかく、めちゃめちゃ恥ずかしかったのですが、この恥ずかしがり方もどうやら「乙女」だったようで、恥ずかしさは倍増どころの話ではなくなってしまった。厳重に口止めをしたのはいうまでもあるまい。拡散しそうだけど……。
ちなみに、ボクの好きなタイプの女性の拡散のしかたは容認している。本気で面白がっているのでしかたがない。尾ひれの付き方も、基本おもしろいネタの方にしか行かないから大丈夫(!)なのだ。
上記しためちゃめちゃカワイイ先生も、とあることを拡散してくれたのですが(!)カワイイから許してる。どうにも妙な基準やなぁ……。
このようなことがあったので、以来この方とお喋りをしている時には、どうもしばしば素を出してしまっているらしい。
スルーしてくれれば、まだ誤魔化しも効く気がするのだが、いちいち突っ込まれ、その度に恥ずかしがっているので(もちろん彼女言うところの「乙女」な恥ずかしがり方らしい)もうすっかり彼女のおもちゃと化している。まぁエエねんけど、この人なら。
先日もこの方と、ももクロや好みのカワイイ女優さんの話をしていたのだが、「藤原さんがカワイイと思うのって『萌え』じゃなくて『乙女的キュン』とちゃう?」と、またまた爆弾発言をされてしまった。
笑って誤魔化そうとしたのだが、よくよく考えてみると世間様で言われる「萌え」とは、確かにニュアンスが異なることに気がついて頭を抱えてしまった。
彼女曰く「女性の好みがことごとく女性目線」だというのだ。ここまで明確に他人に喝破されたのは、生まれて初めてのことなので、会社員になって以来、保ち続けた外面は彼女の前では完全崩壊である。
もっとも彼女曰く「うすうす気がついている女性は多いと思う」らしいが。ここまで言われてしまうと、逆に自分の中でもやもやしていたこのアホな性格というか性癖への疑問が、霧散してしまいましたよ。
上記したように、この歳になるとさすがに「女性だったら良かったのに」という気は失せている。外見に関しては昔から、むしろコンプレックスでしかなかったし、アホな外見上の女子力はあったようだが(それなりに自覚もありましたよ、ええ、ええ)、おねえちゃんが生まれたのと、頭をぼーずにしてから完全に吹っ切れている。
特に安産型体型の骨格は、おねえちゃんが見事にコピーしてくれたので(!)いうことはない! もっとも、ボク自身は加齢とともに、ズボンの選択肢がどんどん減っているという困った事態も起きているのだが。
腰回りのサイズとお尻のサイズの落差が激しいので、男物ではほとんどカバーできないのだ。若い頃はレディースのブツで誤魔化していたのだが、50過ぎるとさすがに無理がある。
それはともかく、「ガールズ・トーク」熱は残っているようだ。幸いこちら方面に関して言えば、現実レベルでおねえちゃんが素直に相手をしてくれるので問題ない(ないのか?)。
ちなみに奧さんには、遙か昔に完全に拒否られている。学生時代に二人で百貨店の化粧品コーナーを歩いている時(目的は別だったのだが)、よくある「試供品でメイク体験しませんか」という誘いにボクだけ声を掛けられて、それ以来むくれているのだ。ボクのせいとちゃうと思うのですが。
もっともボクがあわてて、「スイマセン、男です」と断ったら、お店の人はめちゃめちゃうろたえてしまい、挙げ句の果てに奧さん曰く「あたかもついでに私に声を掛けた」らしい(ボクはここまで考えていなかった)。それ以来、この手のネタはタブーだ。
が、ももクロや放課後ティータイムの本格的(?)な「ガールズ・トーク」を見ていると、ボクは「仲間に入りたい」と思っているようだ。あくまでも女子としてです。ここらへんがややこしい。
実はこれも上記した同僚が指摘してくれたのだが、ここまでくるともう本当にワヤである。「女子ならそう思う」と、女性に断言されたら言い返しようがないではないですか。
彼女の分析によると、園児さんに対するボクの反応も「女性そのもの」であり、女の子に惹かれるのは「男の子しかいないお母さん的には真っ当」な反応らしい。おとおさんなんですが……。
更に分析は続く。おねえちゃんとの会話で盛り上がっているのは、おねえちゃん的には「おとおさんとの会話はこういうもの」と信じ込んでいる節があり、その実態はおかしな「ガールズ・トーク」にしかなっていないかもしれない、というのだ。
確かにうちは色んなことが世間様とは違うので、そう信じ込まれても不思議ではない。ところが、世のお父さんはこのように娘と会話ができないらしいのだ。これにはボクもちょっとびっくりした。言われてみれば確かにそうかもしれないけど、我が家的には日常なのである。こうなると、自分のことを心配している場合ではなくなってくる。
おねえちゃんの価値観も大概おかしいのだが、果たして世の「娘とお父さんとの会話」と我が家の違いを、おねえちゃんがどこまで認識しているかとなると、ボク的には未知の領域になる。危険な匂いしかしないな……。
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com