《何が彼らをそうさせたのか》
■ショート・ストーリーのKUNI[251]
本当はこわい玉ねぎの話
ヤマシタクニコ
■海浜通信[001]
海が好き、ただそれだけの理由で
大阪市内から和歌山の漁港に移住しました
池田芳弘
■ショート・ストーリーのKUNI[251]
本当はこわい玉ねぎの話
ヤマシタクニコ
■海浜通信[001]
海が好き、ただそれだけの理由で
大阪市内から和歌山の漁港に移住しました
池田芳弘
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■ショート・ストーリーのKUNI[251]
本当はこわい玉ねぎの話
ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20190725110200.html
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梅雨明けも近い今頃に何を言ってるんだと言われそうだが、初夏といえば新玉ねぎである。
かつての職場では、この季節になると決まって上司が「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と、それはそれはしみじみと、感慨深げに言うのだった。しかも仕事中。突然。
もっとも、その上司はいつも突然言う人だった。みんなが黙々と仕事してるときに突然、絶対おもしろくないジョークを言ったり、「ぼくな」と昔話を始めたり。
で、新玉ねぎの季節になると、予想通り「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と言うので、ああ今年もそんな季節かと思うのだ。
近くにはシーズンになるとしろうと相手に一株いくらかで玉ねぎ掘りをさせてくれて、おみやげに堀り立て玉ねぎを持って帰ることができるところがある。というより、玉ねぎなんて引っ張ればすっぽすっぽ抜けて何の感動もないので、単に「玉ねぎを買いに行く。ただし自分で掘る」というほうが近い。
「昨日も行ってきたんや。ほんで新玉ねぎを薄うく切って、カツオ節と醤油で食べたら、ほんまにおいしいな~~」。
「はいはい」というしかない。たまに「そうですね」とか「あ、私はドレッシングで」など言ってみたこともあるが、すると反応がない。気まずい沈黙。上司は、単にうっとりと玉ねぎ愛にひたりたいだけなのだとわかり、以来「はいはい」で済ませる。
私も、別に新玉ねぎがまずいと思ってるわけではない。でも、そんなにしみじみ言うほどのことかと思う。ほかにおいしいものいっぱいあるしね。わざわざほめたたえるようなもんですか、玉ねぎって?
ところが。
うちの母も、父が亡くなってひとりぐらしをしていたころ、ふらっと実家によると「玉ねぎっておいしいなあ」と私によく言ってたのである。
「私、玉ねぎ好きやねん」
はいはい。
「玉ねぎ、おいしいわあ」
はいはい。
「この間、思い切って玉ねぎだけ入れたチャーハン作ったら、ものすごいおいしかった」
それ、思い切るようなことか? と言いたくなるけど。あ、そうか。ひとりだから誰にも気兼ねせず、自分の好きなものを食べられるようになったということか。え? で、それが玉ねぎチャーハン? それがひょっとして、長年の夢だったってこと?!
「ほんまに、玉ねぎっておいしいなあ」
ここでもしみじみする人が。
「また作ろ」
なんぼでも作ってくださいそんなもん。
これは何なのだ。玉ねぎ愛を表明せずにおれない人が時々出現するのは、何なんですか。
ま、偶然か。
と思ってたら、いまは天国にいる夫が晩年(ということになるのかなあ)のあるとき、「おい!」というので振り返ると、「玉ねぎっておいしいな!」と大きな声で言ったのでびっくりした(夫は声が大きい)。3人目出現!
夫はまったくの料理音痴なのだが、その頃は家にいる時間が増えて、時々自分で簡単な料理をするようになっていた。その結果「玉ねぎっておいしいな!」になったようだ。
「はいはい」で済ませたいところだが、夫はすぐにキレる人なので「うんうん、玉ねぎっておいしいよね! 加熱すると甘みが出てね! 炒めてもいいし、お味噌汁にもあうしね! あ、ラーメンの具にもいけるかもね!」と、とっさに思いつく限りのオプションをあたふたといくつかつけておいたが、その後特に会話がはずんだ記憶もない。
夫も、とにかく言いたかっただけのようだ。なんじゃこりゃ。
いや、人には好きな食べものがいろいろある。クレープが好きだとかまんじゅうが好きだとか、シロノワールでもタピオカでもいい。肉が好きな人もいるしカレイの煮付けが一番好きな人だっている。
「牛丼が好きや」「○○屋のたい焼き、おいしいよね」などと、好きな食べものの話をするのはふつーのことだ。
でも、なんだろう。彼らが玉ねぎ愛を表明するときのあのしみじみ加減、ひとりでうっとりしてる感。ほかの食べものを語るときにはみられないような何かがある、とヤマシタは思うのであるが、それはひょっとして「玉ねぎごときに大げさな」という一種の偏見だろうか?
それに、上司はともかく、母や夫とは長いつきあいだったわけだけど、玉ねぎがそんなに好きだなんて、聞いてなかったように思うのだが?
とかなんとか思っていたら。
最近のことだが、私はある友人男性と、某カフェでアイスラテを飲みながらおしゃべりしていた。何の話をしていたか忘れた。大相撲の話だったか、どこかの国の総理の話だったか、それとも玄関灯を人感センサー付きLEDに替えようかと思うけどどない思う、とかの話だったか、覚えていない。不意にその男が言ったのだ。
「おれさ」
あ、まさか。
「最近思うんだけど・・・玉ねぎって美味いよね」
きたー!
「なんていうかな、前はそれほど思ってなかったんだけど、わかってきたんだよな。玉ねぎは美味いよ。まるごと焼いて食べるのなんか最高。もう、素材そのものの味がね、ほんと」
4人目出現!
もう、がまんできん。私は脳内会議を開催することにした。
私1「本日はお集まりいただきましてありがとうございます。さっそくですが、なぜ彼らは人生のあるとき、唐突に玉ねぎ愛を語りたくなったのか。何が彼らをそうさせたのか。いかがでしょう。みなさんの率直なご意見を伺いたいと思います」
私2「これはまー、何と言うか、たまってたんやね」
私1「たまっていた? つまり、玉ねぎ愛が、ですか。少しずつ蓄積されて、ある年突然、ばーっと花粉症になるみたいな、そんな感じでしょうか」
私2「ちゅうか・・・」
私3「ちゃうちゃう。むしろ反対やと思うね、私は」
私1「反対とは」
私3「その人たちはずっと玉ねぎをばかにしてたんです。ばかにするほどでなくとも無視してた。玉ねぎがどないしてん。ほかになんぼでもうまいもんあるやないかと。見た目もいまいち。目新しさもない。主役になれる食材でもない」
私1「御意」
私3「そのことの反動というか」
私1「反動、ですか」
私3「それはある夜のこと。ふと胸苦しくなって目が覚める。何やこれは。胸のあたりに何かかたまりがあってそれが胸を圧迫している」
私1「病気ですか」
私3「そのかたまりは自分の中の罪悪感が、長年月のうちに降り積もり圧縮され、固まったもの。それでようやく、自分がこれまでどんだけ玉ねぎをないがしろにしてきたか。無意識のうちに玉ねぎの人権を踏みにじっていたかということに気づく。気づかされる」
私1「玉ねぎの人権ですか。というか、自分でも悪いことをしていたという自覚が全然ないわけでもなかったと」
私3「そして反省する。ああ今まで悪かった、玉ねぎの気持ちも考えず。これからは真人間になって玉ねぎのためにつくそう、生涯かけて玉ねぎをほめたたえよう、そう固く決心する。胸のどす黒いかたまりはみるみるとけていき、気分はればれ」
私1「へー、そうだったんですか」
私2「ちゅうか・・・」
私4「あーお話になりません。性善説にもほどがある。甘過ぎ。へそが茶を沸かす。聞いてられない」
私3「なんやて」
私4「人間、そんなに簡単に反省する生きものじゃありません。なんというお花畑。確かに彼らはそれまで玉ねぎを軽んじてきた可能性がある。しかし、それが一転して玉ねぎ賛美派に寝返るとしたら、反省したからじゃない。そこには圧力があると考えるのが自然でしょう」
私1「圧力!」
私3「誰が圧力かけんねんな」
私4「具体的には言えませんが、玉ねぎに関わる某勢力とだけ言っておきましょう」
私1「ええっ」
私4「みなさんは人間がどれだけ愚かであるかわかっていない。同時に玉ねぎがどれほどしたたかな存在であるかもわかっていない。彼らは何気ないふりをして実は静かに見つめ、耳を澄ましているのです」
私3「何それ気色悪い」
私4「玉ねぎは大変地味な野菜です。ほぼ年中、どこででも買うことができます。たいていの家庭の冷蔵庫では、野菜室に玉ねぎが転がっていることでしょう。そして実際よく使われる。生活への貢献度としては抜群のはず。にもかかわらず、その存在は無視され続ける。単に『あるのがあたりまえ』で、使ったのは『ほかに何もなかったから』。積極的に評価されることはめったにない。意識すらされない野菜なのです」
私1「そ、そうかなあ」
私4「それでも、彼らは黙っています。人間達がそれ以上の愚かな振る舞いにさえ出なければ。ノースカロライナ州に住むエリックさんは善良な市民として生活していましたが、玉ねぎ嫌いで知られていました」
私1「え、急にノースカロライナ州」
私4「住民達は口々に言っていました。『ええ、私もずっと前から思っていたわ、エリックの玉ねぎ嫌いは、異常、だとね』『もし私が玉ねぎだったら、少なからず不快感を抱いたろうね。何しろエリックのやつときたら、口を開けばクソ玉ねぎめ! 玉ねぎに死を! だったからね』
そしてある日、その事件は起こりました。エリックは何者かに連れ去られ、丸一日安否がわかりませんでした。最終的にエリックは人気のないショッピングモールの一角で倒れているところを発見されましたが、それ以来人が変わったようになってしまいました。何より彼は・・・会う人ごとに玉ねぎがどんなにすばらしいかを熱弁するようになったのです。人々は驚きました」
私3「何なんですか、そのエピソード」
私1「エリック誰」
私4「だから言ってるじゃないですか。玉ねぎを丁重に扱わないと、どんな運命があなたの身にふりかかるかわからないということなんです」
私1「え、じゃあ『玉ねぎごときに』とか『わざわざほめたたえるようなものか』なんて書いてる私って、完全にアウトじゃないですか」
私3「そういうことやね。思ってるだけならともかく、それをデジクリの原稿に書くのは、やばいかも」
私2「ちゅうか・・・前からあんた、『あー、冷蔵庫の野菜は玉ねぎしかないか、がっかりや』とか『草木染めもいいけど、玉ねぎの皮で染めるって、貧乏くさー』とか『新玉ねぎってすぐ傷むから好かんわー。ほら、また腐ってる。うわ、くさっ』『このレトルトカレー、具は玉ねぎしか入ってないやん、ぼったくりや』とか、ようぼやいてたわなあ」
私3「ますますアウト」
私1「そんなああああっ!」
* * *
・・・ここはどこだろう。頭が割れるようだ。確か私はデジクリの原稿を書きかけていたと思うのだが、急に後ろから何者かに強い力で押さえつけられ・・・いや、夢でもみていたのか? それはそうと、今日は何曜日だ。え、水曜? デジクリの原稿、早く書いて送らなくちゃ! だいじょうぶ。だいたいの内容は固まっているからすらすら書けるはずだ。タイトルも決まっている。「すばらしい玉ねぎ」だ。さあ、早く書いて、玉ねぎがどんなにおいしいか、どんなにすぐれた食材であるかを読者のみなさんに知ってもらうのだ。
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/
昨日(7月24日)の吉井さんのコラムを読んでいて「あ、そうか、今はことえりじゃなくて『日本語入力プログラム(Japanese Input Method)』なのか!」と、やっと気づいた。私はずっとATOK派で、「ATOKじゃないほうはことえり」だと思い込んでいた。
いつ変わったのかと思ったら、2014年のYosemiteからだとか。そうか。てことは、私はOSは古いままにしてるが、それでもまさにYosemiteなので、じゃあことえりじゃなかったわけで、じゃあ前回の私のコラムの一部は「?」なわけだけど・・・まあいいか。そもそもいまのその、えー、日本語入力プログラム(Japanese Input Method)とやらも、ことえりと同じくらい使いにくいから違和感なかった。吉井さんの記事は参考にさせていただきます。
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■海浜通信[001]
海が好き、ただそれだけの理由で大阪市内から和歌山の漁港に移住しました
池田芳弘
https://bn.dgcr.com/archives/20190725110100.html
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皆さまはじめまして! 池田芳弘と申します。
デジクリは、私が主に心斎橋のジム仲間(ダンス仲間)たちと、法人客相手のWeb&商品デザインを手掛けていたころ、創刊号から愛読しています。
それから二十年あまりたち、私は小さなヨットでクルーズするという事業のために、和歌山市の漁村へ移住しましたが、昨年の台風による高潮で船が流され、大阪に帰るか、いっそ思い切って南紀に行くか迷ってる時期に、編集長より執筆の話を頂きました。
ブログやインスタグラムから、少々手直しの上、掲載するものが多くなると思いますが、どれも心を込めて書いたものですのでご容赦願いたい。そして、描かれる海辺の日々が、仕事の合間の癒しになればこの上なく幸せです。
◎ある日の朝
ある朝、近くの浜に行った。実はランニング中に転倒して足をくじいたため、その週末のヨットは延期としてもらった。我ながら恥ずかしい。
ランニングコースの途中に三ヶ所、自然の浜があって流れ着いた小枝や石などが点在している。それがまた野趣があって楽しいのだが、今回は着地を躊躇して転んでしまった。
子供の頃はしょっちゅう転んでいたが、大人になって転ぶのはまだ三十代の頃、バレエでザンレールに失敗した時以来だった。
この浜は私の家から徒歩五分の場所にある。漁村にありがちな坂道を上がり、県道へ出ると三叉路になっている。左の細い道を登れば灯台があり、右手の曲がりくねった道を降りれば旅館の脇を通って浜に出る。つい数年前までは、灯台や砂浜など非日常な場所だったが、今はバス停やスーパーよりも近い。
三十代から四十代半ばまで、四ツ橋にあるマンションの八階に住んでいた。オフィス街真っ只中のため住人は少なく、時おりデッキチェアを持って水着のままエレベーターで屋上へ行った。
そこで太陽の光と風を浴びると電磁波が体中から抜けていくような、浄化されていくような気持ちが味わえる。もちろんその後は部屋に帰って水道水のシャワーを浴びるのだが、私には貴重な癒しのひと時だった。
それが今は本物の海がすぐ近くにあり、日差しでほてった体は海水で冷やす事ができるし、夏はセミも鳴いている。
ヨットスクールのインストラクターをやめて海から遠ざかっていた時期は、洗濯機の回っている音や、雨上がりにアスファルトからの照り返しにも海を想い出していたが、今は怪我をするのも海、それを癒すのも海の生活となった。
【Ikeda Yoshihiro】
ikeda@brightocean.jp
http://www.brightocean.jp/
https://www.instagram.com/brightocean_official/
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編集後記(07/25)
●偏屈読書案内:石平「なぜ中国は日本に憧れ続けているのか」
日本人になった筆者・石平が、「多くの心ある中国人にとって、日本は依然として、心安らかな安住の地であり、人生を托すべき理想郷なのである」と断言し、中国史を遡って中国人の日本憧憬、日本嫉妬の歴史を考察する。現在では「精神的日本人」が中国で出現するほど、日本は憧憬の対象で、彼らにとって理想の国となっているようだ。
習近平が国家主席に就任したのは2013年3月で、それ以来彼は積極的な「主席外交」を展開している。2018年3月までの政権第一期の5年間、28回にわたって50数カ国を訪問して各主要国の首脳と会談、多くの国際会議にも出席した。アジア外交を重要視し、アジアのほぼ全域に足を伸ばし諸国との連携を強めた。
主要なアジア諸国の中で、習主席は唯一、日本だけ、一度も足を運んでいない。2018年10月の安倍首相訪中まで、3回の日中首脳会議はすべて国際会議の場を使った。意図的に日本訪問を避け、日本の存在を無視しているかのような振る舞いだった。その背後にあるのは、中国がアジア支配を完遂し「新中華秩序」を実現させるために邪魔になる日本は、「敵対国」という位置づけだからだ。
習政権下で三つの「国家記念日」が制定された。7月7日「抗日戦争勃発記念日」、9月3日「抗日戦争勝利記念日」、12月13日の「南京大虐殺犠牲者追悼日」で、いずれも日本との過去の戦争にまつわる記念日だという異常事態。制定以来5年間、中国政府は毎年3回、必ず大規模な国家的記念行事を催している。
政権の第一期目で日本敵視の姿勢を貫いた習近平政権は、2018年に入ってから徐々に「日中関係改善」へと方向転換した。その理由は、まさにいま展開中の米中冷戦にある。こういうとき中国は、必ず日本に接近してくる。日本と「よい関係」を創ってみせることで、アメリカを牽制する。もうひとつの理由は、批判の多い「一帯一路」に日本を参加させたい、金を出させたいからだ。
習政権の戦略はなにも変わっていない。今後、内憂外患に苦しめられていく習政権は、1990年代の江沢民政権と同様に、打開の突破口として一気に反日に舵を切ることは充分にあり得る。一方で、中国人は日本を羨んでいる。中国人は日本に憧れている。これは紛れもない事実である。桜の季節に「花見」というただひとつの目的のため、日本に押し寄せた中国人は2019年で約100万人だ。
「精神的日本人(精日)」とは、中国国内に現れた、日本の精神文化に憧れて日本に同化しようする人々だ。20代の若者にこうした「人種」がたくさんいる。精日にならなくても、中国人は日本の伝統や文化に対して憧憬の念を抱いている。新元号「令和」の発表は4月1日11時40分、間髪を入れずに新華社通信やポータルサイト「新浪」「網易」人民日報「環球時報ウェブ版」が速報を出した。
新元号「熱」は翌日からも一向に下がらない。なぜ日本の新元号に多くの中国人が高い関心を払い、熱中するのか。もともと中国の発明であった元号を、中国ではなく日本だけが使っていることにある。文化的喪失感の強い中国にとって、羨ましくてたまらない存在なのだ。その屈折した思いがよくわかる。元中国人が冷静に分析するいまの日本と中国の関係。そうだったのか〜。(柴田)
石平「なぜ中国は日本に憧れ続けているのか」2019 SB新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07S1LH8N3/dgcrcom-22/
●冷えた新タマネギは美味しい。冷えた大根サラダも美味しい。/池田芳弘さん、ご執筆ありがとうございます! 創刊号からの読者さんだなんて!!
/きょ、今日の後記はどうなんでしょう……。中国人にもいろんな人がいるので。大阪人が全員面白いこと言うと思われたら困るっ(笑)!
中国では、無能なら歓待せよってあったな〜と検索したら、兵法書の「六韜」だった。この書の「虎韜」が「虎の巻」という言葉の元になったらしい。
「交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。そしてやがては滅ぶ」
中国とロシアの今回の行動、北朝鮮の飛翔体と来て、日韓は揉めている場合じゃなくなったりして。戦争はイヤ! え、仲良くさせるために中露が? まぁ連携弱ってそうだから試してみただけだとは思うものの。
今更ながら「キングダム」をアマゾンプライムでぼちぼち見始めた。いま7話。面白いなぁ。既視感があって、ちょい先が読めちゃうところがあるのは、この手のは共通するところが多いからかな。
漫画ならわかるんだけど、人の裏は読めない。王騎や呂不韋を見て、日露の今回の行動を見て、自分は政治に向いてないなぁと思うのよね。漫画読みたくなったわ。(hammer.mule)
六韜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%9F%9C
虎の巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%81%AE%E5%B7%BB
中国の兵法書「六韜(りくとう)」の一節をご紹介します。
https://upala.exblog.jp/3229580/
キングダム
http://www.nhk.or.jp/anime/kingdom/
キングダム 第一シーズン
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01JGUAYLO/dgcrcom-22/
■ショート・ストーリーのKUNI[251]
本当はこわい玉ねぎの話
ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20190725110200.html
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梅雨明けも近い今頃に何を言ってるんだと言われそうだが、初夏といえば新玉ねぎである。
かつての職場では、この季節になると決まって上司が「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と、それはそれはしみじみと、感慨深げに言うのだった。しかも仕事中。突然。
もっとも、その上司はいつも突然言う人だった。みんなが黙々と仕事してるときに突然、絶対おもしろくないジョークを言ったり、「ぼくな」と昔話を始めたり。
で、新玉ねぎの季節になると、予想通り「新玉ねぎはおいしいなあ~~~」と言うので、ああ今年もそんな季節かと思うのだ。
近くにはシーズンになるとしろうと相手に一株いくらかで玉ねぎ掘りをさせてくれて、おみやげに堀り立て玉ねぎを持って帰ることができるところがある。というより、玉ねぎなんて引っ張ればすっぽすっぽ抜けて何の感動もないので、単に「玉ねぎを買いに行く。ただし自分で掘る」というほうが近い。
「昨日も行ってきたんや。ほんで新玉ねぎを薄うく切って、カツオ節と醤油で食べたら、ほんまにおいしいな~~」。
「はいはい」というしかない。たまに「そうですね」とか「あ、私はドレッシングで」など言ってみたこともあるが、すると反応がない。気まずい沈黙。上司は、単にうっとりと玉ねぎ愛にひたりたいだけなのだとわかり、以来「はいはい」で済ませる。
私も、別に新玉ねぎがまずいと思ってるわけではない。でも、そんなにしみじみ言うほどのことかと思う。ほかにおいしいものいっぱいあるしね。わざわざほめたたえるようなもんですか、玉ねぎって?
ところが。
うちの母も、父が亡くなってひとりぐらしをしていたころ、ふらっと実家によると「玉ねぎっておいしいなあ」と私によく言ってたのである。
「私、玉ねぎ好きやねん」
はいはい。
「玉ねぎ、おいしいわあ」
はいはい。
「この間、思い切って玉ねぎだけ入れたチャーハン作ったら、ものすごいおいしかった」
それ、思い切るようなことか? と言いたくなるけど。あ、そうか。ひとりだから誰にも気兼ねせず、自分の好きなものを食べられるようになったということか。え? で、それが玉ねぎチャーハン? それがひょっとして、長年の夢だったってこと?!
「ほんまに、玉ねぎっておいしいなあ」
ここでもしみじみする人が。
「また作ろ」
なんぼでも作ってくださいそんなもん。
これは何なのだ。玉ねぎ愛を表明せずにおれない人が時々出現するのは、何なんですか。
ま、偶然か。
と思ってたら、いまは天国にいる夫が晩年(ということになるのかなあ)のあるとき、「おい!」というので振り返ると、「玉ねぎっておいしいな!」と大きな声で言ったのでびっくりした(夫は声が大きい)。3人目出現!
夫はまったくの料理音痴なのだが、その頃は家にいる時間が増えて、時々自分で簡単な料理をするようになっていた。その結果「玉ねぎっておいしいな!」になったようだ。
「はいはい」で済ませたいところだが、夫はすぐにキレる人なので「うんうん、玉ねぎっておいしいよね! 加熱すると甘みが出てね! 炒めてもいいし、お味噌汁にもあうしね! あ、ラーメンの具にもいけるかもね!」と、とっさに思いつく限りのオプションをあたふたといくつかつけておいたが、その後特に会話がはずんだ記憶もない。
夫も、とにかく言いたかっただけのようだ。なんじゃこりゃ。
いや、人には好きな食べものがいろいろある。クレープが好きだとかまんじゅうが好きだとか、シロノワールでもタピオカでもいい。肉が好きな人もいるしカレイの煮付けが一番好きな人だっている。
「牛丼が好きや」「○○屋のたい焼き、おいしいよね」などと、好きな食べものの話をするのはふつーのことだ。
でも、なんだろう。彼らが玉ねぎ愛を表明するときのあのしみじみ加減、ひとりでうっとりしてる感。ほかの食べものを語るときにはみられないような何かがある、とヤマシタは思うのであるが、それはひょっとして「玉ねぎごときに大げさな」という一種の偏見だろうか?
それに、上司はともかく、母や夫とは長いつきあいだったわけだけど、玉ねぎがそんなに好きだなんて、聞いてなかったように思うのだが?
とかなんとか思っていたら。
最近のことだが、私はある友人男性と、某カフェでアイスラテを飲みながらおしゃべりしていた。何の話をしていたか忘れた。大相撲の話だったか、どこかの国の総理の話だったか、それとも玄関灯を人感センサー付きLEDに替えようかと思うけどどない思う、とかの話だったか、覚えていない。不意にその男が言ったのだ。
「おれさ」
あ、まさか。
「最近思うんだけど・・・玉ねぎって美味いよね」
きたー!
「なんていうかな、前はそれほど思ってなかったんだけど、わかってきたんだよな。玉ねぎは美味いよ。まるごと焼いて食べるのなんか最高。もう、素材そのものの味がね、ほんと」
4人目出現!
もう、がまんできん。私は脳内会議を開催することにした。
私1「本日はお集まりいただきましてありがとうございます。さっそくですが、なぜ彼らは人生のあるとき、唐突に玉ねぎ愛を語りたくなったのか。何が彼らをそうさせたのか。いかがでしょう。みなさんの率直なご意見を伺いたいと思います」
私2「これはまー、何と言うか、たまってたんやね」
私1「たまっていた? つまり、玉ねぎ愛が、ですか。少しずつ蓄積されて、ある年突然、ばーっと花粉症になるみたいな、そんな感じでしょうか」
私2「ちゅうか・・・」
私3「ちゃうちゃう。むしろ反対やと思うね、私は」
私1「反対とは」
私3「その人たちはずっと玉ねぎをばかにしてたんです。ばかにするほどでなくとも無視してた。玉ねぎがどないしてん。ほかになんぼでもうまいもんあるやないかと。見た目もいまいち。目新しさもない。主役になれる食材でもない」
私1「御意」
私3「そのことの反動というか」
私1「反動、ですか」
私3「それはある夜のこと。ふと胸苦しくなって目が覚める。何やこれは。胸のあたりに何かかたまりがあってそれが胸を圧迫している」
私1「病気ですか」
私3「そのかたまりは自分の中の罪悪感が、長年月のうちに降り積もり圧縮され、固まったもの。それでようやく、自分がこれまでどんだけ玉ねぎをないがしろにしてきたか。無意識のうちに玉ねぎの人権を踏みにじっていたかということに気づく。気づかされる」
私1「玉ねぎの人権ですか。というか、自分でも悪いことをしていたという自覚が全然ないわけでもなかったと」
私3「そして反省する。ああ今まで悪かった、玉ねぎの気持ちも考えず。これからは真人間になって玉ねぎのためにつくそう、生涯かけて玉ねぎをほめたたえよう、そう固く決心する。胸のどす黒いかたまりはみるみるとけていき、気分はればれ」
私1「へー、そうだったんですか」
私2「ちゅうか・・・」
私4「あーお話になりません。性善説にもほどがある。甘過ぎ。へそが茶を沸かす。聞いてられない」
私3「なんやて」
私4「人間、そんなに簡単に反省する生きものじゃありません。なんというお花畑。確かに彼らはそれまで玉ねぎを軽んじてきた可能性がある。しかし、それが一転して玉ねぎ賛美派に寝返るとしたら、反省したからじゃない。そこには圧力があると考えるのが自然でしょう」
私1「圧力!」
私3「誰が圧力かけんねんな」
私4「具体的には言えませんが、玉ねぎに関わる某勢力とだけ言っておきましょう」
私1「ええっ」
私4「みなさんは人間がどれだけ愚かであるかわかっていない。同時に玉ねぎがどれほどしたたかな存在であるかもわかっていない。彼らは何気ないふりをして実は静かに見つめ、耳を澄ましているのです」
私3「何それ気色悪い」
私4「玉ねぎは大変地味な野菜です。ほぼ年中、どこででも買うことができます。たいていの家庭の冷蔵庫では、野菜室に玉ねぎが転がっていることでしょう。そして実際よく使われる。生活への貢献度としては抜群のはず。にもかかわらず、その存在は無視され続ける。単に『あるのがあたりまえ』で、使ったのは『ほかに何もなかったから』。積極的に評価されることはめったにない。意識すらされない野菜なのです」
私1「そ、そうかなあ」
私4「それでも、彼らは黙っています。人間達がそれ以上の愚かな振る舞いにさえ出なければ。ノースカロライナ州に住むエリックさんは善良な市民として生活していましたが、玉ねぎ嫌いで知られていました」
私1「え、急にノースカロライナ州」
私4「住民達は口々に言っていました。『ええ、私もずっと前から思っていたわ、エリックの玉ねぎ嫌いは、異常、だとね』『もし私が玉ねぎだったら、少なからず不快感を抱いたろうね。何しろエリックのやつときたら、口を開けばクソ玉ねぎめ! 玉ねぎに死を! だったからね』
そしてある日、その事件は起こりました。エリックは何者かに連れ去られ、丸一日安否がわかりませんでした。最終的にエリックは人気のないショッピングモールの一角で倒れているところを発見されましたが、それ以来人が変わったようになってしまいました。何より彼は・・・会う人ごとに玉ねぎがどんなにすばらしいかを熱弁するようになったのです。人々は驚きました」
私3「何なんですか、そのエピソード」
私1「エリック誰」
私4「だから言ってるじゃないですか。玉ねぎを丁重に扱わないと、どんな運命があなたの身にふりかかるかわからないということなんです」
私1「え、じゃあ『玉ねぎごときに』とか『わざわざほめたたえるようなものか』なんて書いてる私って、完全にアウトじゃないですか」
私3「そういうことやね。思ってるだけならともかく、それをデジクリの原稿に書くのは、やばいかも」
私2「ちゅうか・・・前からあんた、『あー、冷蔵庫の野菜は玉ねぎしかないか、がっかりや』とか『草木染めもいいけど、玉ねぎの皮で染めるって、貧乏くさー』とか『新玉ねぎってすぐ傷むから好かんわー。ほら、また腐ってる。うわ、くさっ』『このレトルトカレー、具は玉ねぎしか入ってないやん、ぼったくりや』とか、ようぼやいてたわなあ」
私3「ますますアウト」
私1「そんなああああっ!」
* * *
・・・ここはどこだろう。頭が割れるようだ。確か私はデジクリの原稿を書きかけていたと思うのだが、急に後ろから何者かに強い力で押さえつけられ・・・いや、夢でもみていたのか? それはそうと、今日は何曜日だ。え、水曜? デジクリの原稿、早く書いて送らなくちゃ! だいじょうぶ。だいたいの内容は固まっているからすらすら書けるはずだ。タイトルも決まっている。「すばらしい玉ねぎ」だ。さあ、早く書いて、玉ねぎがどんなにおいしいか、どんなにすぐれた食材であるかを読者のみなさんに知ってもらうのだ。
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/
昨日(7月24日)の吉井さんのコラムを読んでいて「あ、そうか、今はことえりじゃなくて『日本語入力プログラム(Japanese Input Method)』なのか!」と、やっと気づいた。私はずっとATOK派で、「ATOKじゃないほうはことえり」だと思い込んでいた。
いつ変わったのかと思ったら、2014年のYosemiteからだとか。そうか。てことは、私はOSは古いままにしてるが、それでもまさにYosemiteなので、じゃあことえりじゃなかったわけで、じゃあ前回の私のコラムの一部は「?」なわけだけど・・・まあいいか。そもそもいまのその、えー、日本語入力プログラム(Japanese Input Method)とやらも、ことえりと同じくらい使いにくいから違和感なかった。吉井さんの記事は参考にさせていただきます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■海浜通信[001]
海が好き、ただそれだけの理由で大阪市内から和歌山の漁港に移住しました
池田芳弘
https://bn.dgcr.com/archives/20190725110100.html
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皆さまはじめまして! 池田芳弘と申します。
デジクリは、私が主に心斎橋のジム仲間(ダンス仲間)たちと、法人客相手のWeb&商品デザインを手掛けていたころ、創刊号から愛読しています。
それから二十年あまりたち、私は小さなヨットでクルーズするという事業のために、和歌山市の漁村へ移住しましたが、昨年の台風による高潮で船が流され、大阪に帰るか、いっそ思い切って南紀に行くか迷ってる時期に、編集長より執筆の話を頂きました。
ブログやインスタグラムから、少々手直しの上、掲載するものが多くなると思いますが、どれも心を込めて書いたものですのでご容赦願いたい。そして、描かれる海辺の日々が、仕事の合間の癒しになればこの上なく幸せです。
◎ある日の朝
ある朝、近くの浜に行った。実はランニング中に転倒して足をくじいたため、その週末のヨットは延期としてもらった。我ながら恥ずかしい。
ランニングコースの途中に三ヶ所、自然の浜があって流れ着いた小枝や石などが点在している。それがまた野趣があって楽しいのだが、今回は着地を躊躇して転んでしまった。
子供の頃はしょっちゅう転んでいたが、大人になって転ぶのはまだ三十代の頃、バレエでザンレールに失敗した時以来だった。
この浜は私の家から徒歩五分の場所にある。漁村にありがちな坂道を上がり、県道へ出ると三叉路になっている。左の細い道を登れば灯台があり、右手の曲がりくねった道を降りれば旅館の脇を通って浜に出る。つい数年前までは、灯台や砂浜など非日常な場所だったが、今はバス停やスーパーよりも近い。
三十代から四十代半ばまで、四ツ橋にあるマンションの八階に住んでいた。オフィス街真っ只中のため住人は少なく、時おりデッキチェアを持って水着のままエレベーターで屋上へ行った。
そこで太陽の光と風を浴びると電磁波が体中から抜けていくような、浄化されていくような気持ちが味わえる。もちろんその後は部屋に帰って水道水のシャワーを浴びるのだが、私には貴重な癒しのひと時だった。
それが今は本物の海がすぐ近くにあり、日差しでほてった体は海水で冷やす事ができるし、夏はセミも鳴いている。
ヨットスクールのインストラクターをやめて海から遠ざかっていた時期は、洗濯機の回っている音や、雨上がりにアスファルトからの照り返しにも海を想い出していたが、今は怪我をするのも海、それを癒すのも海の生活となった。
【Ikeda Yoshihiro】
ikeda@brightocean.jp
http://www.brightocean.jp/
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編集後記(07/25)
●偏屈読書案内:石平「なぜ中国は日本に憧れ続けているのか」
日本人になった筆者・石平が、「多くの心ある中国人にとって、日本は依然として、心安らかな安住の地であり、人生を托すべき理想郷なのである」と断言し、中国史を遡って中国人の日本憧憬、日本嫉妬の歴史を考察する。現在では「精神的日本人」が中国で出現するほど、日本は憧憬の対象で、彼らにとって理想の国となっているようだ。
習近平が国家主席に就任したのは2013年3月で、それ以来彼は積極的な「主席外交」を展開している。2018年3月までの政権第一期の5年間、28回にわたって50数カ国を訪問して各主要国の首脳と会談、多くの国際会議にも出席した。アジア外交を重要視し、アジアのほぼ全域に足を伸ばし諸国との連携を強めた。
主要なアジア諸国の中で、習主席は唯一、日本だけ、一度も足を運んでいない。2018年10月の安倍首相訪中まで、3回の日中首脳会議はすべて国際会議の場を使った。意図的に日本訪問を避け、日本の存在を無視しているかのような振る舞いだった。その背後にあるのは、中国がアジア支配を完遂し「新中華秩序」を実現させるために邪魔になる日本は、「敵対国」という位置づけだからだ。
習政権下で三つの「国家記念日」が制定された。7月7日「抗日戦争勃発記念日」、9月3日「抗日戦争勝利記念日」、12月13日の「南京大虐殺犠牲者追悼日」で、いずれも日本との過去の戦争にまつわる記念日だという異常事態。制定以来5年間、中国政府は毎年3回、必ず大規模な国家的記念行事を催している。
政権の第一期目で日本敵視の姿勢を貫いた習近平政権は、2018年に入ってから徐々に「日中関係改善」へと方向転換した。その理由は、まさにいま展開中の米中冷戦にある。こういうとき中国は、必ず日本に接近してくる。日本と「よい関係」を創ってみせることで、アメリカを牽制する。もうひとつの理由は、批判の多い「一帯一路」に日本を参加させたい、金を出させたいからだ。
習政権の戦略はなにも変わっていない。今後、内憂外患に苦しめられていく習政権は、1990年代の江沢民政権と同様に、打開の突破口として一気に反日に舵を切ることは充分にあり得る。一方で、中国人は日本を羨んでいる。中国人は日本に憧れている。これは紛れもない事実である。桜の季節に「花見」というただひとつの目的のため、日本に押し寄せた中国人は2019年で約100万人だ。
「精神的日本人(精日)」とは、中国国内に現れた、日本の精神文化に憧れて日本に同化しようする人々だ。20代の若者にこうした「人種」がたくさんいる。精日にならなくても、中国人は日本の伝統や文化に対して憧憬の念を抱いている。新元号「令和」の発表は4月1日11時40分、間髪を入れずに新華社通信やポータルサイト「新浪」「網易」人民日報「環球時報ウェブ版」が速報を出した。
新元号「熱」は翌日からも一向に下がらない。なぜ日本の新元号に多くの中国人が高い関心を払い、熱中するのか。もともと中国の発明であった元号を、中国ではなく日本だけが使っていることにある。文化的喪失感の強い中国にとって、羨ましくてたまらない存在なのだ。その屈折した思いがよくわかる。元中国人が冷静に分析するいまの日本と中国の関係。そうだったのか〜。(柴田)
石平「なぜ中国は日本に憧れ続けているのか」2019 SB新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07S1LH8N3/dgcrcom-22/
●冷えた新タマネギは美味しい。冷えた大根サラダも美味しい。/池田芳弘さん、ご執筆ありがとうございます! 創刊号からの読者さんだなんて!!
/きょ、今日の後記はどうなんでしょう……。中国人にもいろんな人がいるので。大阪人が全員面白いこと言うと思われたら困るっ(笑)!
中国では、無能なら歓待せよってあったな〜と検索したら、兵法書の「六韜」だった。この書の「虎韜」が「虎の巻」という言葉の元になったらしい。
「交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。そしてやがては滅ぶ」
中国とロシアの今回の行動、北朝鮮の飛翔体と来て、日韓は揉めている場合じゃなくなったりして。戦争はイヤ! え、仲良くさせるために中露が? まぁ連携弱ってそうだから試してみただけだとは思うものの。
今更ながら「キングダム」をアマゾンプライムでぼちぼち見始めた。いま7話。面白いなぁ。既視感があって、ちょい先が読めちゃうところがあるのは、この手のは共通するところが多いからかな。
漫画ならわかるんだけど、人の裏は読めない。王騎や呂不韋を見て、日露の今回の行動を見て、自分は政治に向いてないなぁと思うのよね。漫画読みたくなったわ。(hammer.mule)
六韜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%9F%9C
虎の巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%81%AE%E5%B7%BB
中国の兵法書「六韜(りくとう)」の一節をご紹介します。
https://upala.exblog.jp/3229580/
キングダム
http://www.nhk.or.jp/anime/kingdom/
キングダム 第一シーズン
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01JGUAYLO/dgcrcom-22/