職場、家庭、習い事、スポーツジム、親戚、幼馴染、SNS。自分が存在する色々なコミュニティには、それぞれの自分がいる。
いつも思うのは、それぞれ付き合う人間によって、まったく違う自分の側面が見えてくることだ。例えば、職場では真面目すぎるような人も、趣味仲間たちの飲み会では面白い人として知られているなどは、よくあることではないだろうか。
●親しい人間の複数の側面
子供の頃うちの母が故郷の新潟の弟と電話で話した時、いきなり飛び出す方言に驚いたものだ。普段の母からは決して出てこない、ネイティブ新潟弁がスラスラと出てくる。相手と自分をオレやオメと言いながら話すのにはショックを感じた。
私たち姉妹は夏休みになれば新潟に預けられていたので、新潟の言葉もそれなりに聞いていたはずだ。だから言葉そのものに驚いていた訳ではない。電話がかかってきて、いきなり新潟弁にチェンジする、その切り替えの早さに驚いていたのだと思う。
人は、幾つもの場所で人生を生きながら、その場その場に馴染むように自分を変えていくのだ。
自分にも親の知らない世界が広がり始めるのは、小学校へ行ってからだろうか。
小学校の授業参観。何やら緊張して居心地の悪いものだった。学校という場で、先生や友達の前でだけ存在していた自分の場所に、親が突然現れるのだ。
だからこそ貴重な機会なのだろうけれど、二つの場所で存在していた自分が、初めて一緒になることに困惑する。
先生のいる黒板の方へ顔を向けている「学校の自分」と、振り返れば教室の後ろに来ている母と目が合う「家の自分」。今日はどっちの自分でいればいいのだろう。
内弁慶なのがバレるとか、案外優等生なのがバレるとか、どっちの場合でも気恥ずかしいのだ。
私は経験がないけれど、親たちも身綺麗にして先生たちに会うのだから、その緊張は大変なものだろう。自分の子の前で真面目モードを見せるのは、なかなか照れ臭いのではないだろうか。いやそんなことより、成績やその他諸々のことが重要か。
●コミュニティごとに自分を調整する
パソコン通信を始めた頃の昔の自分は、不慣れなパソコンのことを何でも聞けるように、教えてくれる人を求めていた。ニフティのフォーラムでは様々な質問をした。
今思えば、自分が求めていることが聞きやすいように、自分の側面をコントロールしていたのかもしれない。教えてくれる人が、話しかけやすい人であろうとしていたのだ。
そもそも、文字だけのコミュニケーションなら、見せたい自分の側面だけを相手に向けて、やりとりすることも可能かもしれない。期待されているキャラクターでいつづけることもできそうだ。
最近のSNSでは、趣味や用途ごとに複数アカウントを持っている人も多い。文字のコミュニケーションでも何通りもの顔を持つのだ。管理が大変ではないかなと思うけれど、自由に存在の仕方を決められるなら、それも良いのかもしれない。
そうやって、複数のコミュニティで存在する自分。どこが居心地が良いかで、自分に向いている環境とはどんなものなのかに気がついていくと思う。
●繋がりの維持
コミュニティが大切なものに思えてくると、繋がりを維持したいと思うようになる。これが、リアルにも会う人たちのコミュニティの場合は、維持は難しくないだろう。
しかし、匿名性のある会ったことのないコミュニティの友人の場合、相手がSNSをやめてしまったり、自分のアカウントに障害が出て繋がらなくなってしまうと、関係が切れてしまうかもしれなくて不安になる。
大事な関係なら、連絡先を交換しておけば済むのかもしれない。ただ、名前や連絡先を交換したら、そこからはリアルな関係へと移動をしてしまうわけだ。当たり前だけれど、ここは重要な点だと思う。
匿名で気楽に何でも話し合えていた関係とは、違うことにならないだろうか。これはなかなかすぐに答えが出せないことかもしれない。匿名のアカウントネームで仲良くなり、そのまま仲良くい続けられるものか?
以前、アカウントネームだけのオフ会もテレビで見たけれど、帰るまでずっと実名を明かさなかったのだろうか? まぁ、その時の流れだろうけれど、あらゆるパターンが考えられるなぁ。
●コミュニティの可能性
多くの異なるコミュニティで存在すると、自分を変えてくれる、良い方へ導いてくれると感じられる場所を見つけることがある。
力強くて尊敬できる人が多く集まり、素晴らしい人たちなのに不思議と劣等感を感じることなく居心地も良い。そこへ参加できるだけで嬉しくなってくるような、大切な場所だと考えるようになる。
自分が尊敬できる人たちなのに場違いとも感じさせないのは、そこが本当に自分に合っている場だからだと思う。得るものが多いだけでなく、楽しいと感じられることが大切だと思う。
この時代、無理に我慢し続けなければならない場所などあるだろうか。もし、一時期的にそういうつらい状況になっていたとしたら、別のコミュニティを増やすことで改善するように思う。
幾つもの場所と繋がりながら、新しい場所を求めることは悪いことではない。自分が変わるのだから、コミュニティ内での立ち位置も変わってゆくのだ。
私は本名とペンネームが既にある訳だし、どの自分が一番本来の自分に近いのかなんてなかなかわからない。まだ自分も知らぬ、新しい自分も掘り出せるかもしれないのだ。
それは私と出会ってくれる人によって、引き出されるような気がしている。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
Kindleを買ってから、本はよく買うけれど思ったよりもマンガを読まない。
Kindle Unlimitedのお試しに入ってみたのでマンガ読んでみようかな。