装飾山イバラ道[255]尊敬が心に刻むもの
── 武田瑛夢 ──

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人の考えを知るなんて、基本的にはできないけれど、部分的には可能なことがある。日常的に一緒にいれば、思考習慣のベースの理解があるからだ。私も夫が今飲みたいものや、かけたい調味料がわかったり、買ってきて欲しいモノを言われなくとも買ってきたりはできる。

気になる人が何を考えているのか、受け手の自分側で真剣にフォーカスするからだ。人の考えは、目の動きや動作や言葉選びに浮かび上がる。あなたも気になる人の心理を読み取ることに、神経を集中させた覚えはないだろうか。

それはおそらく恋愛でも使うような、相手の心を読む力。こういった他者の考えにピントを合わせる努力は、仕事で使っている人もいるだろう。案内所や受付、教師、警察官、医者。様々な場面で、人の心を察しながら仕事をしている人は多いのだ。

しかし時には、相手の側から瞬時に伝わってくる感情もある。読もうとせずとも、伝わってくる感情。それはお互い相手に関心がある時にだけ、可能になるような気がする。今回は、思いを相互に受け取ることについて考えてみたい。





●教育実習での強烈な体験

私は美大の時に、教員免許取得のための教育実習の経験がある。数週間出身中学校へと戻って、他の教科の先生たちと共に頑張った。

その時の美術の授業の課題は風景画だった。自己紹介の挨拶をして、初めての授業の始まりだ。校庭で絵を描いている生徒の側へ近寄っていくと、最初はなかなか会話が上手くいかなかった。私も生徒もお互いに緊張しているからだ。

皆の作品を見ながら気になったのが、校庭の木々を描く時に揃いも揃って「ビリジアン」を葉っぱに塗っていることだ。そんなキツイ発色のミドリ色、この風景の一体どこにあるのだろうか。

描画材料は小学校の時既にクレヨンから絵の具へと移っているはずなのに、手に持った1色をそのまま塗るクセが抜けていないのだ。

葉っぱのミドリは、ビリジアンじゃないと思わない? チューブを持って木々に重ねてみればよくわかる。

私は思い切って「ビリジアン」は一切使わないで描くことを勧めようと思った。赤、青、黄色の3色を混ぜたり重ねて、葉っぱの色を作ってみようというものだ。ビリジアンに他の色を少し混ぜるという方法もあるけれど、いっそ使わない方が色の仕組みが理解できると思ったのだ。

葉っぱを描くのに、ミドリ色の絵の具は使うの禁止というショック療法のようなもの。

言うだけではわからないだろうと、放課後の時間を使って、皆が使っているものと同じ画用紙と絵の具で、校庭の木々を水彩画として描いた。久しぶりで楽しかったし、描いている途中に他の科目の先生も見に来たりして、コミュニケーションツールにもなった。

次の日に担当の授業が始まった。今日は教室で説明を始めよう。

「皆は木々の葉っぱを描く時に、なぜかビリジヤンを使うよね。でも実際の風景には、そんなにキツいミドリ色はないように私には見える。色というのは赤、青、黄色の3色を混ぜたり、乾いた色の上に重ねることで、いくらでも作れるものなんです」。不透明水彩絵の具と透明水彩絵の具の両方の効果だ。

「私も実際にビリジヤンは一切使わないで、赤、青、黄色の3色だけで木々を描いてみました。使った道具はみんなと一緒だよ。それがこちらの絵です」と自分が描いた風景画を、皆の側に掲げて見せた。

すると、「うぉー!」「えー!」「うまー!!!」と、中学生の皆のどよめきと感歎の声が教室に響いたのだ。

想定をはるかに超えた反応に、私自身が「え、えー?!」っと驚いてしまった程である(笑)。

「こんな上手い絵見たことない!」というような反応だった。いやいや、教科書にはピカソだって日本の巨匠だって、色々載っているじゃない。上手い絵なんて今までたくさん見ているはずだ。

どうやら、彼らが目にする「知っている人が描いた絵」のてっぺんを突き抜けてしまったらしいのだ。当時私は美大の油絵科の学生だったわけだけれど、そんなにすごいの? そうなの? という感じだった。

照れるけれど、とにかく絵の具の可能性について語り、校庭に出て風景画の続きを描いてもらった。

すると、状況が変わった。皆の私に対する反応が、自分で描いた絵を見せる前とは明らかに変わったのだ。私が近づいていくと、ドキドキと緊張しているようだ。いくつかアドバイスをしてもうなずきに力が入っているし、話しかけられて嬉しそう。それは誰のところへ行っても同じだった。

前回初めて回った時の緊張感とも違う感覚。私にとってそれは想定外だった。どうやら私はなんと、尊敬されたのである(笑)。

その後は授業のやりやすさが格段に変わったし、皆ともコミュニケーションが上手くいったと思う。

高校や美大では認めてくれる仲間はいても、尊敬とまではいかなかった気がする。それが、相手が中学生ということの実力差があるおかげなのか、すごいと思われてしまった。ちょっとズルかったですね。

別のクラスの美術の授業が始まる時には、私は嬉しくてしょうがなかった。作品を見せる効果をすでに知っていたので、皆の反応が楽しみだったのだ。

実際に皆の絵にも少なからず良い影響が与えられたようで、黄色味のある葉っぱや茶色がかった葉っぱなど、自分で見つけた自然の色合いが感じられるようになった。

もちろんビリジアンだって、色の純度が高いので絵の具のラインナップには必要な色だ。ビリジアンに少し違う色を混ぜる方法も補足しながら指導した。

●心の伝達法則

教育実習というのは授業計画の提出や直し、結果の反省などでストレスが多いものだ。そんな中での大きなご褒美を頂いたような感じだった。この経験は、後で非常に役に立った。

そして、尊敬の念というのが人に伝わる想いだということも、この後気づいて確信していく。

あなたが尊敬している人は、あなたの尊敬にきっと気づいている。

これは、とても大切な心の伝達法則なのではないだろうか。人生の中で、仕事や人との関わりで人を尊敬したこと、尊敬されたことは、思い返してみてもそんなにはない。それぐらい貴重な体験なのだ。

貴重だからこそ、いつでも思い出せるはず。私は上で挙げたエピソード以外にもいくつかあるけれど、それはとても少ない。しかしずっと残り続ける、宝物のような感情だ。感謝。

そしてただ単に尊敬されて嬉しい止まりでは、もったいない。尊敬というのは、人と人との間に起こる、最高峰のポジティブな感情だと思う。

それは愛情と双璧をなすものだ。尊敬してもらったら、それを人にどう返すことができるのか。もしかして、人によって返し方は変わるかもしれない。私の場合は、先生業が長かったので相手の良いところを褒めることで返してきたと思う。

どうでもいい相手からの言葉とは違うものとして、真剣に聞いてくれるはずだからだ。どうでもいい存在でなくなることは、人に影響を与える。

実は本当にすごいのは、人が持っているものに気づくことのできる能力なのだ。普通にすごいという程度をはるかに超えて、心の芯で驚いた時にだけ、尊敬の念は起きる。人を尊敬できる心の状態は、きっと素直じゃないと無理なのだ。心の芯まで届くように、扉が開いている必要がある。

私もスポーツを見て選手を尊敬したり、ニュースで取り上げられた人物に感動することがある。どんなに若かろうが、他者が驚くような言動で周囲の人間を惹きつける人はいるのだ。

周囲に尊敬できる人が見つからない? いやいや、本や映画や歴史の中でも過去の素晴らしい人物に触れることができる。人の考えの結晶は、あらゆる形で私たちの身の回りにあり、それにアクセスする手段も簡単にお手ごろに存在している時代なのだから。

ちなみに、私は夫を尊敬している。夫もそれに気づいている(笑)。検証として、自分の尊敬している人に、それに気づいているか聞いてみるのをお勧めする。「知らなかった」と言われたとしても、きっとその相手は天にも昇る嬉しさのはずだ。

尊敬は自然に伝わるのが一番かもしれないけれど、「尊敬のカミングアウト」というのも新しい刺激になるような気がする。

既に亡くなってしまった人に尊敬を伝え損ねた人は、尊敬していると伝えられれば良かったと思うかもしれない。おそらくその瞬間に、きっと天国で照れて喜んでいるはずだと思う。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


近所にタピオカ屋さんがいくつか出来た。私もタピオカは好きだけれど。お墓参りで実家のそばにも店が出来ているのに気がついたりして、店の増え方がすごい。タピオカの飽和状態って感じで、カップにびっしりのタピオカを想像して怖い。吸えないよね。