こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。
1月下旬から話題になっているClubhouse、皆さん、利用されていますか? 「これから、クラハやるからみんな聞きに来てね!」と、最近よく耳にします。「クラハって何?」って思いましたが、クラブハウスを略してクラハって呼ぶのだそうです。
Clubhouseの特徴はトーク履歴が残らない点と、誰でも音声番組のパーソナリティになれる点があげられると思います。また、番組オーナーは視聴者をスピーカーに引き上げて、番組内で発言する人を増やすこともできます。
日頃お目にかかれない有名人や芸能人や起業家と、気軽に交流できたり、オフレコトークが聞けたりすることもあり、Clubhouseは、爆発的に広がった観がありました。
1月下旬に知人からClubhouseに招待されたので、アプリをiPhoneにインストールしましたが、忙しかったので、しばらくアプリを開くことなく、一週間が経過しました。
少し時間ができたので、Clubhouseってどんな仕組みか知っておこうと思って、人気の番組を何本かハシゴしてみました。有名人が主催する番組もいくつか聞きました。
でも、僕にとって、Clubhouseは魅力的なコミュニケーションツールではなかったです。「まるでラジオのようで、聞き流すのにちょうどいい」って勧めてくる人もいますが、僕は、ラジオだとは感じられませんでした。
自分が企画・主催するオンライン番組を、数年前から実施していますが、映像あり(Facebook LiveやYouTubeなど)の場合でも、映像なし(Podcastやstand.fmなど)の場合でも、録画または録音を後で視聴しても楽しめる、意味のあるコンテンツを作ることに重点を置きたと思っています。
なので、アーカイブとして残せないメディアは、僕は興味がないのです。
急速に認知されるようになったClubhouseですが、まだまだ広がりつつあるのか、普及期になりつつあるのか、すでに減退しつつあるのか、僕はよくわかっていません。
気軽に誰かとコミュニケーションしたい、時間つぶしに誰かの雑談を聞きたいというシーンでは、よいメディアかもしれませんが、僕のライフスタイルには合ってないということなのだと思います。
活字や文字の伝道師をやっている自分にとって、どんなプラットフォームを活用するかよりも、「熱量のある(愛のある)コンテンツを作ること」と「価値観を共有できる仲間との時間を大切にする」という点に興味があります。
日刊デジタルクリエイターズに寄稿したり、既存のオンラインメディアに出演したり、フォントおじさんの秘密基地スタジオから、Facebook LiveやZoomで生放送するスタイルを続けて行きたいと思っています。
前回のテーマは、「僕の好きな番組、小林克也のベストヒットUSA」でした。今回は、前回の流れを踏襲して、「僕の好きな番組、1970年代のオールナイトニッポン」をお送りします。
あれっ、もじもじトークの新連載「僕の好きな番組」シリーズが誕生しました(笑) 不定期になると思いますが、シリーズ化したいと思います。
●オールナイトニッポンとの出会い
「オールナイトニッポン」というラジオ番組を聞いたことある人、どのくらい、いるのだろうか? できるなら、アンケートをとってみたい……。
Wikipediaによれば、「オールナイトニッポン(All Night-NIPPON)は、日本のラジオ放送局・ニッポン放送をキーステーションとして、日本全国で放送されているラジオの深夜番組である」と書かれています。
そして、「オールナイトニッポンは1967年10月2日に開始したラジオの長寿番組である」と書かれています。
「えっ、今でも続いているラジオ番組なの!」
すごい。僕が7歳、つまり、小学生2年生の時に開始されたラジオ番組なのです。53年以上続いている番組なのです。
さすがに小学生の時は、深夜放送を聴いていたという記憶はありません(笑)。中学生になると自分のラジオを持てるようになり、寝静まった夜中にラジオにイヤホンをつないで、布団の中で深夜放送をこっそり聞いていたことをよく覚えています。
中学生2年生の時に、「あのねのね」というフォークソンググループが、「赤とんぼの唄」という曲をヒットさせて、有名になりました。B面が「魚屋のおっさんの唄」でした。
あのねのねメンバーは清水國明さんと原田伸郎さんです。現在、テレビ番組の司会でご存知の方もいると思いますが、47年前はアイドル的な人気フォークシンガーだったのです。
1973年、あのねのねが深夜放送のオールナイトニッポンでパーソナリティをやることを雑誌で知り、ラジオチューナーの周波数を1242kHzにあわせました。水曜25:00〜29:00(木曜1:00~5:00)の番組だったので、朝が早い中学生にとっては、最初の1時間を聞くのが限界だったような気がします。
夜中1時、2時といえば、家族も寝静まった時間帯なので、布団の中とはいえ、中学生にとって、深夜放送を聞くのは、かなりドキドキする冒険のような出来事だったと記憶しています。
当時、テレビは一家に一台の時代でしたし、自分の好きな番組を聞けるのはラジオだったのです。好きなアーティストがラジオの生番組で、放送コードギリギリのお話をしてくれるわけですし、自分が出したハガキも読まれる可能性があるわけです。
47年前、インターネットもパソコンもない時代に、ラジオという電波とリクエストハガキ(お便りハガキ)を介して、双方向の「ソーシャルネットワーク」が、深夜放送で生まれていたのです。
当時のオールナイトニッポンのパーソナリティを調べてみました。
月曜 小林克也
火曜 泉谷しげる
水曜 あのねのね
木曜 斉藤安弘
金曜 カルメン
土曜 岸部シロー
まだ、オールナイトニッポンが1部・2部に分かれていない時代でした。えっ、4時間番組だったのね……。
なんと、先週、紹介した小林克也さんが、月曜のパーソナリティだったのです。当時のラジオ音源とか残ってないかなぁ……。
●時代のトレンドを先取りしていたオールナイトニッポン
1967年に開始したオールナイトニッポンは、最初、ニッポン放送の局内アナウンサーが日替わりで番組を担当していました。
亀渕昭信さんという方、ご存知でしょうか? 1999年~2005年にニッポン放送で社長に就いていた人です。
亀渕さんは大学生の時にニッポン放送でアルバイトしていたこともあり、1964年にニッポン放送に入社します。彼は喋りが上手かったようで、制作部の社員だった1968年に、木曜(金曜早朝)のオールナイトニッポンのパーソナリティ(ラジオ・ディスクジョッキー)に抜擢されました。
しかしなから、1973年、オールナイトニッポンのパーソナリティ(ラジオ・ディスクジョッキー)をみずから降りて、オールナイトニッポンのプロデューサーになりました。喋り手から番組企画の裏方にまわったのです。
そして、さっき掲載した番組表(1973年)のように、ラジオ局のアナウンサーではない外部のアーティストや芸人等でラジオ番組を編成し、一世を風靡するに人気番組に育っていくのです。
亀渕さんは、これから脚光を浴びるであろうパーソナリティの発掘も得意だったようです。ビートたけしさん、タモリさん、さんまさんも売れる前の下積みの時代に番組にスカウトしています。
つまり、その時代のトレンドを先取りすることができる感覚を持っていた方なのです。有名な話として、番組スポンサーに対して「番組の中身に一切口出ししないこと」を条件にしていたそうです。今では考えられないことです。
1970年代は、高度経済成長期の安定期であり、なんでも思い切ったチャレンジをできる時代だったと思います。とはいえ、何でも発言しちゃいそうな個性的なパーソナリティを採用し、生放送番組なので、亀渕さんは、タクシーチケットのように、始末書を束で書いてもっていたという伝説の人だったようです。
伝説のオールナイトニッポンのパーソナリティ、笑福亭鶴光(つるこう)さんは、「鶴光のオールナイトニッポン」で占有率90%という、破られることのない数字を叩き出しました。占有率とは、ラジオを聞いている人の全体のうち、その番組を聞いている比率のようです。
放送コードキリギリのエロトークをエコー(リバーブ)をかけながら話すスタイルは、中高生にとってはかなり衝撃的だったのです。
オールナイトニッポンのパーソナリティの変遷がわかるYouTube動画を見つけたので共有します。あのオープニングテーマに乗って、懐かしい方々が登場します。17分あります。見応えあります。
また、ニッポン放送のホームページに、1967年から現在までのパーソナリティの年表も見つけたので、時間があるときに、ぜひ、ご覧ください。自分が好きだったアーティストが何人か出てくるはずです。
http://www.allnightnippon.com/info/history/1967.html
●フォントおじさんイベント情報
4月2日(金)21:00から、「WP(WordPress) ZoomUP」というライブ番組に出演します。お時間ありましたら、ぜひ、申し込んでください。
WP ZoomUP #62
教えてフォントおじさん! ~Webフォントとアクセシビリティなど~
主催:WP ZoomUP
https://wpzoom.connpass.com/event/207100/
では、また、お会いしましょう。
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
関口浩之(フォントおじさん)
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1960年生まれ。群馬県桐生市出身。1980年代に日本語DTPシステムやプリンタの製品企画に従事した後、1995年にソフトバンク技研(現SBテクノロジー)へ入社。Yahoo! JAPANの立ち上げなど、この25年間、数々の新規事業に従事。現在、活字や文字の楽しさを伝えるフォント伝道師(エバンジェリスト)、フォントおじさんとして活動。