わが逃走[225]中山道はおもしろいかもしれん の巻
── 齋藤 浩 ──

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私はS玉県のO宮というところで育ったのだが、近所に鴨川という川が流れており、初めて京都に行ったとき、「へー、鴨川って京都にもあるんだ」なんて思ったのだが。その後、京都の方がメジャーだと知って愕然としたのだった。

O宮駅の東側には中山道という道があって、初めて京都に行ったとき、「へー、中山道って京都にもあるんだ」。なんて思ったものだ。

鴨がいる川が鴨川と名付けられ、日本中に同名の川があるように、ナカセンがいる道が中山道で(ナカセンとは何かは置いといて)、日本中に同じ名前の道があって、どうせ京都のヤツがいちばんメジャーなんだ、そうに違いない。

後年、京都の中山道がO宮のヤツと同一人物だと知ったときの驚きといったら、筆舌に尽くし難い。まさかそれが一本の道だったとは!

サイトウもヒロシも必ずクラスに2人以上いるのに、中山道がひとつだけだなんてズルイ!




しかし、なんで江戸から京都に行くのにわざわざO宮から信州をまわるんだ?? これはきっと何かの間違いだ。

じゃなかったら、みんなオレをからかっているんだ。

といった具合に、中山道が江戸と京を結んでいるということはどうにも信用できなかったが、時が経つにつれてそれが事実だとわかってきた。

しかし、わかってきた頃には興味をなくし、以来数十年の月日が経過したのだ。

で、最近なんとなく仕事の関係で北国街道や中山道を通るなー、とか、鬼平犯科帳に出てくる盗賊が中山道あたりを荒し回ってたなー、など複数の記憶が結びつき、たまたま通った信州は望月宿の資料館を見学してみたところ……。

(中山道……ただの道だと思っていたら、時空間入り乱れの超絶舞台装置じゃないか)

むむ。けっこう面白いかも。と心が動き、さらに宿場の町並を散歩していると、見覚えのある旅館が目に止まり、それはなんと映画『犬上家の一族』で金田一耕助が泊まった“那須ホテル”だった! ことが起爆剤となり、ここらできちんと中山道について調べてみたくなったのでした。

てなわけで、信州は立科方面に出向いた際に、いくつかの宿場を訪ねたのであった。

さて、「街道」とか「宿場」なんかに興味を持つことは高齢者の証。なぜかわからんが、昔からそうと決まっているのだ。ジジイになることを恐れていた私にとって、中山道はアンタッチャブル物件だったとも言えよう。

また、中途半端な知識で文章を書くと、人生の先輩(≒趣味人、オタク)から手厳しいツッコミが入ることも知っている。鉄道や登山の世界に通ずる、敷居の高さを感じるのだ。

最近こういった年功序列の世界に風穴を空けてくれたのが、ママ鉄や山ガールたちで、中山道にもそういった存在が現れることを祈る。

しかし、待ってるうちに自分自身が高齢化してしまうので、無理矢理私のライフワーク、趣味の『構造美を探す!』の一環として、浅い知識をごまかしつつ、写真を撮っていくことでなんとか正当性を主張したい。

そもそも、やれ本陣だ脇本陣だ的な写真をupしたところで、ネットにも本にもそういった情報は溢れているので、あえてステレオタイプな宿場っぽさからズレていっているものを中心に、そこはかとなく書きつくろうと思った次第であります。

で、今回は塩名田宿について書きます。

塩名田宿は、岩村田宿(小海線岩村田駅のあたり)より約5キロ西に位置する中山道23番目の宿場で、千曲川の右岸に位置する。

河岸段丘上(東寄り)にいわゆる本陣などエライ人が泊まるエリアがあり、段丘下(西寄り)には川原宿とよばれる庶民向けの宿や茶店などがあった。

川止めに備えて二つあった本陣のうち一軒は現存、川原宿には代々続く川魚料理の店が現在も営業中。

塩名田宿に最も活気があったのは、意外にも明治30年代以降とのことで、銀行や製糸工場、劇場が立ち並び花街として栄えたという。

片側1車線の直線道路(旧国道)の両脇に、木造建築が点在する本陣周辺は確かに宿場の風情を残している。

いままで車で何度も通っているにもかかわらず、たいして気に留めなかったのは、宿場とは徒歩ベースで設計されているものだからだろう。自動車のスピードは速すぎるのだ。

実際に歩いてみても、歩道のすぐ脇をけっこうな速度で飛ばしてくるクルマの存在はかなり厄介だ。

しかし、一本脇道に入ると、風情のある土塀や、瓦屋根の木造建築に出会える確率が高い。背後の山々と相まって絵になる景色を見ることができる。

今回はロケハンのような駆け足旅だったので、次回はのんびりゆっくり散歩したいと思う。

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通りから一本脇道に入ると(南側)、昭和的住宅が続く。一見普通っぽい風景が実は貴重。この日は雲が多かったが、晴れていれば浅間山が見えるかも。

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中山道に面した豆腐屋さん。かなり旨いらしい。かな文字と漢字の太さを変えているところに、タダモノじゃない感が漂う。

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通りから一本脇道に入る(北側)。カメラ位置のすぐ後ろが中山道。土塀や瓦屋根の家が並ぶ。

塩名田宿の最も興味深い点は(オレ基準)、その地形由来物件の数々である。その昔、河岸段丘を下って渡し船や船橋で対岸に渡っていた時代から、木造橋、鉄橋と、街道の路面位置が上昇し、それにあわせて周囲の建築・土木も変化している。

現在の中山道は、本陣西側に位置するS字坂を経て一気に鉄橋を渡り、次の八幡宿へと向かうわけだが、その坂〜鉄橋周辺には、段丘下(川原宿のあるエリア)との高低差をフォローすべく、魅力的な階段道、坂道、アンダーパスが点在する。

そして、架橋以後の路面レベルに合わせて増築されたと思われる、木造3階〜4階建て建築が多数現存しているのだ。架橋の影響で道が逸れたこともあり、川原宿周辺のオリジナル中山道は、昔の風情を色濃く残していた。

何度も車で走っている道のすぐ下に、こんな場所があったとは!

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階段の上が現在のメインストリート。周囲には木造3階住宅が並ぶ。

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川原宿周辺。つきあたりが千曲川。

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オリジナル中山道から現在の中山道へ通ずる階段。この木造住宅は4階建てっぽい。

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階段にも独特の風情が。

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現在の中山道から川原宿方面を見下ろす。道路に面した一見2階建ての家々が、実は3階・4階建てだったりするのだ。車を運転していては気づかない。

また、千曲川にかかる中津橋は、昭和6年(1931年)に完成した上路式鋼プラットトラス橋で、このタイプの鉄橋はわりと希少。

ちなみに、ものの本によれば、開通祝賀会にはなんと3万人もの見物客が押し寄せたとのこと。当時の写真を見た印象は、ホントにすごい数の人が集まっていて、完全に祭り状態だ。

毎年夏に開催される浅科納涼花火大会の動員数が、オフィシャルで約3万人なので、当時の盛り上がりをイメージしつつ、夏に塩名田を再訪するのもいいかもしれないなあ、なんて思うのだった。

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千曲川にかかる「中津橋」。向こう岸、2.9キロ先は八幡宿。

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通りに面したモダン看板建築


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。