わが逃走[271]ポスターをつくるの巻
── 斎藤 浩 ──

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たまにはデザインの話をしようと思う。いちおうデザイナーなんだし。

伊藤嘉朗建築設計事務所のポスターを制作した。

伊藤さんとのおつきあいは、かれこれ20年くらいになる。建築にまつわるオモシロイ話を、たとえるならよく晴れた秋の日の午前中に、あてもなく散歩するがごとく、そこはかとなく語ってくれる。

すると、知らず知らずに世の中への興味の幅が広がってゆくから不思議だ。

やはり、オモシロイ話をオモシロイ人から聞くと、オモシロイことが起こる。私の持つ「役に立たない知識」も伊藤さんの話と共鳴することがあり、たまにオモシロイ事象をもたらすことがあるのだ。

今回のポスターもそんな化学変化の結果なのではなかろうか。なんてことを思う。





伊藤事務所のポスターを作るのは、今回で4回目だ。とはいえ、前回の制作から3年以上経過している。

これまでは、部材や工法を主軸に建築を語ってきたが、さて今回はどうするか(このへんは好き勝手に考えて提案させてもらう。それでOKならOK、ダメならダメというやり方である)。

そもそも今回のポスターのアイデアは、数年前にチャリティイベントで手に入れた伊藤さん設計の建築模型にある。

3Dプリンタで出力された、手のひらに乗るほどの小さなものを見ていると、東西南北、どの面から見てもリズムがあり、楽しくなる。
https://bn.dgcr.com/archives/2020/11/19/images/001

これを各面ごとに、あえてフラットなイメージで捉えてみたら面白いかもしれないと思った。

デザインには目的がある。目的には外に向けられるものと、内にむけられるものがある。

オモテのテーマとウラのテーマ。オモテだけの仕事も少なくないが、ウラにもテーマを課す余裕があればなおよい。

オモテのテーマは、伊藤嘉朗建築設計事務所のなんたるかを伝えること。

さて今回のウラのテーマだが、いままでは立体をいかに立体に見せるか? というお題を自らに課していたのに対し、今回は立体をあえて平面で見せてやれという天邪鬼な考えを試みたい。

では、 平面から立体を感じてもらうためにはどうすべきか?

週に何度か美術大学などでデザインの授業を担当しているのだが、このところの学生の作品を見て、ホワイトスペースの使い方がイマイチだなーと思うことが多い。「白場」が機能せず「余白」になってしまっているのだ。

ポスターは、最低限の構成要素で最大限の情報を伝える芸なのかもしれない。

だからなのか、よく俳句に例えられる。ホワイトスペースとは、五・七・五における五と七の間、七と五の間でなくてはならない。

エラい先生からそう聞いた。さしてエラくもない私もそう思う。

つまり、その「間」が余白と感じられてしまえば、もったいないからとさらに言葉を詰め込むべきだという話しになろう。そうなれば、それはもはや俳句でなくなってしまう。

さて見る者に、平面から立体を感じてもらうには?

……! 白場を「壁面」と感じてもらえばいいかもしれない!!!

と、そこまで考えがまとまれば、あとは一気に作る、作る、作る。気づいたら3点シリーズが完成していた。

伊藤嘉朗建築設計事務所。3点シリーズその1・東面
https://bn.dgcr.com/archives/2020/11/19/images/002

伊藤嘉朗建築設計事務所。3点シリーズその2・南面
https://bn.dgcr.com/archives/2020/11/19/images/003

伊藤嘉朗建築設計事務所。3点シリーズその3・北面
https://bn.dgcr.com/archives/2020/11/19/images/004

当初、文字要素は白地に黒で配置してあったんだけど、いっそのこと色部分に重ねたら? とやってみたら、イイじゃん! となった。

ホワイトスペースに一切ものを置かないことで、白場がより壁面として認識しやすくなったというわけです。伊藤さんにお見せしたところ一発OK。

今年の代表作が完成しました。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。