わが逃走[276]立つタオルの巻
── 斎藤 浩 ──

投稿:  著者:



高級なバスタオルを使っている。もちろんいただきものである。

安物と違って穴があいたり破れたりしない。なので10年以上使っている。

10年も使っていると、やわらかかった感触も徐々にゴワゴワしてくる。

私は柔軟剤が嫌いで、いただきものはありがたく使う主義なものだから、新聞契約時にもらった安い粉の洗剤でそのタオルを洗い続けた結果ゴワゴワしてきたのではないかと推測した。





ごく親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)は、「あなたの体からゴワ汁が分泌されて、それがタオルに染み込むからゴワゴワするのよ」と推測する。まあ、それも原因のひとつなのかもしれない。

そうこうしているうちに、タオルはゴワゴワを通り越してガチガチになってきた。

ある日、あまりに硬いので、試みに立たせてみた。すると、あっさり自立したのだ。

タオルが立った!!

立ったことはそれなりに驚きであり、なんとなく嬉しくもあったが、バスタオルとしての機能を考えると、このままにしておくのもどうかという気になった。

イメージとして、180番くらいの紙ヤスリの感触に近い。怪我をするレベルだ。

これはいかん。

というわけで、洗剤を粉から現在主流とされる液体に変えてみた。当初、際立つような効果は感じなかったが、半年もすると、徐々に柔らかくなってきたのが体感的にわかるようになる。

さらに半年経過したところ、かつての姿からは想像もできないほど普通のタオルになってしまった。それはそれで正しい在り方なのだろうが、個性が失われ、面白みがなくなったようにも思えてくる。

タオルに面白みが必要かといえば必ずしも必要ではないが、しかし、そこにあるはずもない“人となり”のようなものがあったのなら、10年かけて構築された人格がゆっくりと初期化されてしまったような印象をおぼえる。

これにはある種の寂しさを感じずにはいられないのだった。

誠にもって、どうでもいい話である。今回、“立つタオル”の写真掲載も考えたが、あまりの珍妙さゆえに、読者にショックを与えてはいけないと判断し、見送ることとした。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。