連載初期の2005年に「スター・ウォーズと私の人生(笑)」、2015年に「映画ジョーズと私の人生(笑)」を書いた。そのうち「YMOと私の人生(笑)」と「トムとジェリーと私の人生(笑)」を書くつもりだったのに忘れてた。「トムとジェリー」は先週書いたのでYMOを済ましてしまおう。
僕個人がYMOにどう影響を受けたか? 一度ちゃんと書いておきたかった。実は、結成40周年だった昨年に書き始めたのに、僕の中でYMO観はいつも微妙に変化してることもあって、まとめられなかった。なので、断片の雑記です。全4回、その1。
●YMOは大昔のバンド
・僕なんかYMOはまだ新しい音楽みたいに錯覚してしまいそうになるけど、やはり大昔の音楽だ。YMO結成ってビートルズ解散のたった8年後だし、ポール・マッカートニーと細野晴臣は6歳しか違わない。
・YMO結成の1978年は41年前。そのまた41年前って、李香蘭がデビューする前年だよ。3年後に予定されていた東京オリンピック開催権を返上する前年でもある。たしかに昔だw
・1983年の「散開」が36年前、1993年の一時的「再生」が26年前。再々結成に相当する2007年の「(HASを)YMOと呼んでもらってかまわない」発言から12年。YMOは今もゆるーく続いてるらしい。
●前提、YMO以前の音楽的趣味
・ごく狭い範囲で映画音楽やブルーグラスを聴く程度で、世間で普通に流れてる音楽にほとんど興味がなかった。ロックやフォークや歌謡曲など、普通の音楽をほとんどちゃんと聴いてなかった。
そもそも、エレキギターの音やがなり立てる歌が苦手で、今に至るまで同世代なら誰でもハマるはずのロックがぜんぜんダメ。ビートルズすら敬遠してた。
・プラス、高校の友達から教えてもらった「自切俳人のゴールデンアルバム」(オールナイトニッポンは聴いてなかった)や、関連シングルにブルーグラスっぽい要素があり、そこから「ナターシャーセブン」やその周辺など聴いてたのが、YMOを知る直前の状況。
・なにしろ音楽の時代感覚がほぼなかった。「スター誕生」や「ベストテン」など見てなかったから、歌謡曲などヒット曲が出てくる流れや仕組み、新しい音楽と古い音楽の区別もなかった。
ときたま突発的に流行する曲があるのは知ってたけど、その積み重ねで音楽の歴史が作られている実感はなかったなあ。
●興味を持てなかった初期YMO
・最初に聴いたのはたぶん1979年前半、高校2年の春か。友達の家で聴かされたファーストアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」。ゲームセンターの音にビートが重なって次第に音楽になっていき、「ファイアクラッカー」に繋がる。これがおもしろいんだって言われても、ふ〜んって感じ。
・1980年、高校3年の春頃に周囲でウォークマンを入手する人が相次ぎ、彼らは必ずセカンドアルバム「ソリッドステート・サバイバー」を聴いてた。
ヘッドホンで聴かせてもらったら、すごいイイ音! と感激したものの、 「ライディーン」や「テクノポリス」を聴いてもまだYMOには興味持てなかった。
・「歌はいつ始まるんだ? と思ったら曲が終わってしまった」とか言われてたなw 僕的には歌がない音楽のほうが普通だったから違和感なかった。ブルーグラスでもインストルメンタル=器楽曲があったし。
・YMOのメンバーは5人だと思ってた。なぜかというと、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のジャケットには、麻雀卓を囲んだ5人がいたから。もちろん、よく見ると2人はマネキン人形なのだがw
・怖かった。当時のアサヒグラフなど雑誌にYMOの特集が組まれてて、写真の彼らは怖かったw 変なメイクをしたり仮面をつけたり、丸い黒眼鏡、赤い人民服(実は昔のスキー服がモチーフらしい)。
どれも不機嫌そうな顔。特に坂本龍一w なんでロックバンドの人ってこういう「俺らは怖いぞ」アピールするんだろうって不思議だった。
・高校3年の運動会の応援合戦、クラスの文化的に進んでるコが提案して「タケノコ族」の衣装まで用意され、「テクノポリス」や「ライディーン」で踊ったのは恥ずかしかったなw
そういえばテクノカットは学校にはいなかったと思う。まだツッパリリーゼントのほうが、ぜんぜん勢いがあった。
・ミニアルバム「増殖」は、スネークマンショーのコントに夢中になった(この時点でスネークマンショーとYMOの区別はついてなかった)。ここまでのYMOの僕的イメージは、今表現するなら「最先端でマニアックなイロモノ」といったものだった。本格ロック好きには相手にされない的な。
・「Multiplies」で「荒野の七人」のテーマを引用した。え? こんなことやっちゃっていいの? と思った。やはりエルマー・バーンスタインに怒られたらしい。
・1980年後半の時点で、すでに「YMOはカッコ悪い」という空気もあったな。雑誌で見た「ラジカセで得意げに『ライディーン』を流してるダサい若者のイラスト」とかあった。
期待されるYMO像をスルーしたり、もうちょっと後の「YMO、イモ」や「YMOお聴きになりますか? まさか!」。自らをおちょくり、壊していく姿勢はカッコイイ要素なんだけど、当時は真面目にやってない! って思ってた。
・その半年後、デザイン学校に入ってすぐの1981年春。3枚目のフルアルバム「BGM」を聴いて、僕的ビッグバンが起きるのだった。
【吉井 宏/イラストレーター】
HP http://www.yoshii.com
Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/
1993年の一時的「再生」はともかく、今世紀に入ってからのYMO周辺にはまったく疎い。次回は「BGM」とそれ以降、直接の影響についてなど。
あと3回分もほぼ書き終わってるけど、YMOについて書くのはめちゃくちゃ疲れるw というのは、「この話題についてはここまで」とか、範囲を限定しておかないと際限なく広がってしまうから。
あと、歴史やトリビアの羅列や、各アルバムのレビューを書いてもしかたない。重要な話題を落としたくないし。結局、前後編でまとめるつもりが、全4回にまで膨らみ、丸一週間くらいかかってる。
◯Studio City Macauのデコレーション展示中
https://bit.ly/30olPNF
○吉井宏デザインのスワロフスキー、7月半ばに出た新製品4つ。
・幸運の象 LUCKY ELEPHANTS
https://bit.ly/30RQrqV
・HOOT HAPPY HALLOWEEN 2019年度限定生産品
https://bit.ly/2JZVVcm
・SCS ペンギンの赤ちゃん PICCO
https://bit.ly/2JStbC4
・SCS ペンギンのおばあちゃん
https://bit.ly/2YbmnJ7