わが逃走[247]鼻毛の話 の巻/齋藤 浩

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最近、白髪が増えた。頭髪よりも鼻毛に白髪が増えてきたのだ。当初は数本程度だったが、その比率はあれよあれよという間に30%、50%を超え、いまや70%に近づく勢いである。頭髪に比べると、ものすごい白髪率といえよう。

ちなみに、耳毛も生えてきた。いや、厳密にいえば耳毛は誰でも昔から生えているものだが、最近気づくと、太くて黒いヤツが長く伸びていることがある。

抜いて、10倍のルーペで確認してみた。どうやら耳毛はカールする傾向にあるようだ。それに対し、鼻毛はストレートに勢い良く伸びる。同じ毛、しかも近所に生える者同士なのに、なぜここまで違うのだろうか。





耳毛はさておき、同じ鼻毛でも、白髪と黒いのとでは性質が違う。黒鼻毛がしなやかでハリのある質感なのに対し、白鼻毛は硬質なのである。ゴムチューブとハリガネくらい違うのだ。なので、白い奴が伸びてくるとツンツンと反対側の壁をつつくので、すぐにわかる。

鼻から鼻毛がはみ出ているとカッコ悪いが、たとえはみ出てなくても、鼻の穴の中にびっしりと密生しているのもカッコ悪い。いや、カッコ以前に見る者に軽い衝撃を与えてしまうようだ。これは人としての信用にかかわってくる。

幸いなことに私の頭髪の密度は高い方だ。すなわち毛穴の数が多い。密度の法則が鼻にも適用されたらしく、その内壁は、ジャングルそのものである。密林は蒸し暑く、苦しい。こんなところで旧日本軍は戦ったのかと思うと、戦争など愚行でしかないと確信する。

白髪と長いヤツと、はみ出てるヤツだけ抜いてみた。するとどうだろう、鼻毛のほとんどがなくなってしまった。抜きすぎも不自然といえなくもないね。

それはまあいいとして、抜いた鼻毛を並べてみた。白いヤツ、黒いヤツ、中にはグラデーションのものまである。ただの鼻毛であるが、ここまでの数とバリエーションがあると壮観といえよう。

さて一本の鼻毛が机の上にあったとしよう。ほとんどの人は見て見ぬふりをする。そのうち風に飛ばされるなどして、何処かへ消えてしまうからだ。そういうものなのである。そういうもの、というのがいわゆる日常。

ここへ、同じ鼻毛でも「無視できない鼻毛」という存在が確認される。それが「非日常」なんだと思う。日常を非日常にするのは実はそんなに難しいことではない。

最も容易なのが(1)増やすこと、そして(2)巨大化させることである。

風が吹けばなくなってしまうようなものを、ひたすら集めて、ペットボトル一本にぎっしり詰めて、それを持った男がこちらに向かってきたら?

それを見せつけられた者は、おそらくその印象が脳裏に焼きつき、トラウマになるほどのショックを覚えるのではないか。

また、地表を突き破り、曳舟あたりに600メートルを超える高さの黒い巨塔が生えてきたら? スカイツリーラインも伊勢崎線に戻るくらいの大事件となるはずだ。映画だと、「鳥」や「ゴジラ」なんかがそれに相当する。これらは「日常における非日常」である。

では、「非日常における日常」とは?

軸足を相手方に移し、相手の立場で日常を語ればいい。レクター教授が怖いのは、彼は彼の日常を過ごしているにすぎないからなのか。

たとえば、戦争末期、人も物資も尽き果てた旧日本軍は、大真面目にマツヤニで飛行機を飛ばす研究をしていたと聞く。そんなコトしている時点でもうダメだろう、と普通なら思うはずなのだが、このヒトたちはそれをひたむきに続けていた。

異常も、日々続くと、正常になる。

とは80年代の名コピーだが、自分が狂気側で日常を過ごしていただけだった。気づかずに! ということが、案外あるのかもしれない。

並べた鼻毛を眺めながら、そんなことを考えた。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。