わが逃走[8]一目惚れ人生 スズキ・カタナの巻 その1
── 齋藤 浩 ──

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1/6 オートバイシリーズ 1100 刀カタナとは、スズキから1981年に発売された排気量1100ccのかっちょいいバイクです。えー、こう見えても私はバイク乗りなんですよ。最近全然乗ってないけどね。いつでも乗れると思うと安心しちゃって乗ろうという気持ちにならないのかもしれません。

というか、このバイクに乗る目的というのが、“乗る”こと以外にない。うーん、なんて言ったらいいのかな。仕事で都内を移動するんだったら電車の方が確実だから仕事で使う必要がない。という理由もあるにはあるのだが。

とにかくこのバイク、都内だと重くて止まらなくて曲がらないのです。“乗る”というのは、東京30キロ圏外のすいてる道路にわざわざ走りに出かけることを意味します。正直言って、都内においては実用性のある乗り物ではありません。では、なぜ15年以上も所有しつづけているかというと、惚れてしまったからなのです。


1◇惚れた瞬間

それまで私はバイクが嫌いでした。だって不良が乗ってる感じだし、乗ってる人も頭悪そうだし。暴走族全盛の北関東の国道を見て育った私にとって、バイクとはヤンキーの乗り物というイメージしかなかったのです。

ところが。中学2年のときです。林間学校に行く途中のバスの車窓から、サービスエリアに駐車している、今まで見たこともない銀色の乗り物を見てしまいました。

走りましたね、背中に電流が。そのとき何て言ったかは覚えてませんが、たぶん「なんじゃこりゃ!」的な言葉を発したのだと思います。まさに衝撃的だったのです。

それは私が知っている乗り物ではありませんでした。オートバイには似ていましたが、そもそもオートバイとはライトがあって、ハンドルがあって、タンクがあって、シートがあってエンジンがついてる“パーツの集合体”です。ところが、その乗り物はライトもタンクもシートも一体になっていて、なんか全体のフォルムに一体感があるのです。

思わず隣に座っていたトモちゃんに「何?あれ。」と聞くと、「あれはカタナだよ。スズキの大型バイク」と教えてくれたのです。普通の中学生は知ってて当然だったらしく、他のみんなも「あ、カタナだ。かっこいいよねー」なんて言ってます。

かっこいいどころじゃねー。あれは“違うもの”だ。とにかく帰ったらカタナについて調べなければ! いわゆる一目惚れってやつでした。

2◇いろいろ調べる

とはいえ、私はバイクに惚れたのではなく、カタナに惚れたのです。そもそも中学生なんだし、走りっぷりなんてわかりません。バイク=ヤンキーという偏見もなくなった訳でもありません。

私の主な興味の対象は、その特異な形態に集中していました。まず最初に調べることは、カタナをデザインした人は誰か? ということでした。バイク雑誌を読みまくると、答えはすぐに見つかりました。ハンス・ムート。ドイツのプロダクトデザイナーです。

スズキは当時すげえ4サイクルエンジンGSXシリーズをすでに開発していたのですが、人気的にはイマイチパッとしなかったようで、その壁を打ち破る力をデザインに求めたのでしょう。ムートはスズキという会社のモーターサイクルに対する考え方を、形態を通して見事に語ったのでした。なんたってバイクに興味のない中学生を振り向かせた訳だしね。デザインって言葉なんだなあ。

さらに、私は近所の模型店でカタナの1/12スケールのプラモデルを購入、写真や図面ではわからなかったことを発見していくのでした。

(ホントかどうかは知らないけど)日本刀をモチーフにしたというフロントカウルからタンク、シートに至る連続する風を切るようなライン。最初は単純にかっこいい! としか思っていませんでしたが、組み立てていくうちに、走るという機能を追求した結果の美しさだったということを知り、少年の私はデザインという仕事の奥深さを知ったのでした。

「なるほど、ここに人が乗ると膝がちょうどサイドカバーのくびれ部分にきてぴったりとホールドするのか!」とか「ハンドルがこのへんにあると人は自然に前傾姿勢をとれるから、フロントカウル上のスクリーンとの相乗効果で空気抵抗を減らすんだな!」なんてことを、片目をつぶって模型を下から仰ぎ見ながら発見したりしてたんですね。

前述のとおり私は『バイクではなくカタナ』に興味を持ったので、このような過程でプロダクトデザインを学んだ訳ですが、ここで『カタナではなくバイク』に興味を持った同世代のヤンキーは、盗んだバイクのマフラーをはずして無免で走った挙げ句、タンデムで田んぼに落ちたりしていたんです。どちらがバカかといえば後者の方ですが、どちらが健康的かといえば、やはり後者の方なんでしょうね。

3◇免許取得

さて、あの衝撃の出会いから5年。いっぱしの美大生となった私は相変わらずカタナに惚れていました。周りを見ると、同級生がバイクで通学してたりします。そこで私は気がついたのです!! 「免許取ればオレ、カタナに乗れるじゃん」。ところが、そう簡単にはいかなかったのです。

さて、ここで当時の免許制度についてお話しておきましょう。その頃は暴走族対策の一環からか、自動二輪免許は基本的に取らせないというのがお国の考えでした。そのためか、教習所で教えてくれるのは中型(排気量400cc)までで、それ以上の大型バイクに乗りたければ試験場で限定解除と呼ばれるイッパツ試験に合格し、俗にいう“ナナハン免許”を取得しなければなりませんでした。

その試験がクセモノで、某県では合格率2%以下と噂される程狭き門、ある意味日本で最も難しい国家試験だったのです。私の惚れてたカタナは1100cc、国内仕様車も750ccだったので、乗るためにはまず中型限定の自動二輪免許を取得した後、この超難関を突破する必要があったのです。

で、まず中型二輪免許を取るべく福島県のK自動車学校の免許取得合宿に参加したのでした。このときのことは「わが逃走 第3回 福島ちょっといい話の巻」で書いているのでそちらも併せてお読みいただきたい。とにかく周りに何もないところで車とバイクの同時講習、それはそれはタイヘンでした。

緊張しまくりながら四輪の教習が終わると、間髪あけずに二輪教習。いままで丁寧に指導してくれた小太りのY教官も二輪となると豹変し、竹刀片手に罵声を浴びせてきます。

一緒に参加したひとの中にはすでに無免で乗り回している方が多く、教官の「んじゃ、おめーらスタートじゃい」の声と同時にスムーズにバイクを走らせるのですが、今までまたがったことのあるものは自転車のみの私にとって、目の前にあるタンクの巨大さ、そのはるか先に見えるハンドルと、視界に入る構図そのものが初体験だったので、もうビビリまくりです。

また、ちょっと傾けただけで重さ150キロ以上もの車体を支えなければならないという恐怖もあって、18歳の私はもうガチガチ状態だったのです。なんとか教習一回目を終えたときには、絶対向いてないからやめようという考えが私の脳の8割を占めていました。

でもやめなかったんですね。なんででしょ? やはりカタナに惚れてたからなんだと思います。その後スラロームや一本橋等の課題をクリアし、なんとか卒業検定までこぎつけたものの、へっぴり腰で運転したため不合格。

その際「おめぇ、ほんとに乗ったことなかったんだな。このへんじゃ中学生にもなりゃみんな乗ってっぞ」とY教官から励ましの言葉を頂戴しました。そして翌日。同じムサビから来たキッカワと筑波大のジョン、そして私の不合格トリオが教官に呼ばれました。

「おめーらバイクのこと全然分かってねえ。今日はウィンカーも安全確認もいらないから、とにかく俺について来い」と言うや否や、小太りのY教官は白鳥が舞うがごとくひらりとバイクにまたがり、颯爽と二輪コースに出て行きました。慌てて私たちも後を追います。

一時停止の標識、無視。踏切、加速して突破。交差点、ハングオンで膝をすりながら通過。そして8の字コースでは体重移動を繰り返しながらバンパーから火花を散らせつつ車体を傾かせ続ける。

最初はおっかなびっくりだった私も、あ、こういうことだったのか! と気づいてきました。こうなったらもう、面白くてしょうがない。なーんだ、走っていれば安定するんだ。で、こんなに傾けてたってスロットル開けるとクイッと立ち上がるんだー。うきき。

こうして私は、理屈でなく体でバイクという乗り物が何たるかを理解できるようになりました。そしてめでたく次の検定は合格。バイクっていいもんだなーと初めて実感したのでした。

4◇限定解除

さて、めでたく中免(中型限定の自動二輪免許ね)は取得できたものの、カタナへの道はまだまだ続きます。とりあえずバイトして中型バイクを購入したのですが、当時の私はイラストやデザインの公募展に出しまくる制作中心の毎日で、とにかく限定解除試験にあてる時間も金もない。

そして、時は折しもバブル絶頂。87年に生産終了となったカタナの値段は高騰し、新車がなんと200万円ものプレミアム価格になっていたのです。そういった訳で、私の前には時間と金という二つの壁が立ちふさがっていたのでした。

ほんと、なんでこう無理目の女に惚れるんでしょう。卒業した私は広告制作会社に就職しました。とりあえず安定した収入があることは強みです。とはいえ朝9:30始業、終電で帰れればラッキーという生活が続きます。それでもかろうじて土日は休めることが多かったので、休日は非公認の練習場でナナハンに乗りつつ、月二回しかない土曜日の試験に予約を入れるためK市の運転免許センターへ向かいます。するとやはり皆考えることは一緒といいますか、予約は2ヶ月先までいっぱいだったのです。

そして6月。初めての限定解除試験を受けました。会場はナナハンに乗りたい好青年でいっぱい。同じ目的をもった者達が集まったからか、すでに妙な連帯感が生まれていました。挨拶は「何回目?」です。5回や10回は当たり前で、中には試験20回目という強者もいました。

そういった世界ですので、私はとにかく完走をめざしました。毎晩のように暗記したコースを確認しつつ、順番待ち。緊張します。そしてついに私の番が回ってきました。不自然なまでにきょろきょろとバイクの前で安全確認をし、バイクにまたがります。そしてエンジンスタート。いつもの250ccとは違うドドドドド…という低い音が響きます。

なんとか無事にスタートし、課題をひとつずつクリア。指示速度、坂道発進、8の字と順調に進み、いよいよスラローム。次にまわるパイロンのひとつ先を見ると上手くまわれるんだよな。なんてことを思い出しつつスタートし、スロットルのオンオフと体重移動でリズミカルに進む。はずだったのだが、3本目のパイロンに接触、即刻試験中止となった。無念。練習ではちゃんとできたのに、すげえクヤシイ。

さて、全員の試験が終わった後、いよいよ合格発表となりました。ここはひとつ合格者と握手でもさせてもらって二回目に繋げたい。そんな気分でした。スピーカーから「本日の合格者…」試験官の声が響きます。受験者53人全員が電光掲示板に注目します。「本日の合格者…なし!」

へなへな…、まさに緊張の糸が切れた瞬間でした。そこに集まっていた全員が示し合わせたように、「ガチョーン」時における谷啓の周りにいる人達のようなポーズでその場に崩れていったのです。今思えば不思議な光景でした。そんな男どもの姿を、黒いままの電光掲示板がむなしく見下ろしていたのでした。

そんなある日、バイク雑誌を立ち読みしているととんでもない記事を発見しました。人気におされて、メーカーであるスズキが250ccと400ccのカタナを発表したのです。

そんなー。もっと早く出してくれればこんな苦労はしなかったのに。しかし、もはや大型バイクの魅力を知ってしまった私にとって、いくらデザインが同じでもそれらは似ても似つかない別物に見えたのでした。そんな訳で、限定解除への挑戦はまだまだ続く。

〈つづく〉

はい。わが逃走第8回でした。ほんとは完結させるつもりだったのですが、書いてるうちに収まらなくなっちゃった。なので続きは次回ってことで。極親しい間柄の年上の女Aさん(年齢非公開)からはよく「きみの話は面白いのだが、長過ぎる。もっと簡潔に書きたまえ」と注意を受けるのですが、まあ確かにそのへんが今後の課題と言えましょう。それではみなさん、また再来週。

[さいとう・ひろし]saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
< http://www.c-channel.com/c00563/
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by G-Tools , 2007/10/25