わが逃走[12]シテヤラレタ オブ ザ イヤーの巻
── 齋藤 浩 ──

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1●作り手の思想に共感したい。

20世紀の終わり頃のことだけど、iMacが初めて登場したときは衝撃的だった。それまでのパソコンといったら、ただの事務的な白い箱とブラウン管モニタとの組合せを意味していたが、そんな常識を覆す半透明の一体型ボディ、ネットワークに接続されることを前提として装備されたさまざまな機能。

そして、何よりも画期的だったのは“フロッピーディスクドライブを内蔵していなかった”ことだと思う。iMacはAppleが提唱するこれからのパソコンのあり方を、そのまま具現化したプロダクトだった(つまり、フロッピーの容量程度の情報は、これからはネットワークを介してやりとりすべきだ、ということを消費者に提唱したのだ。これはある意味“教育”ともいえる)。

Steve Jobs: Thinks Different (Techies)そのときのAppleのスローガンコピーは、Think different.“美しい国”じゃないけど、広告代理店の言われるがままに高い金を払って、どうとでも解釈できるようなうわべだけスローガンを掲げる企業がいまだ多い我が国ですが、Appleは10年も前に、自ら掲げたスローガンをiMacという商品として世に送り出していた訳だね。

ご存知のとおりiMacは大ヒット商品となった。この場合の“買った人”とは、Appleの考え方に賛同した人、ということになる。

ここには作り手側と使い手との幸福な関係があった。「こんなパソコンがほしい」というアンケートの結果に基づいた最大公約数的な商品なんかじゃない。想像力のはるか先にあったであろうものを目の前につきつけられた我々は、こいつを使って、こんどはAppleがびっくりするようなものを作ってやるぜ! 的な気持ちになり、ある意味メーカーとユーザーの共鳴現象のようなものを感じたものだ。


2●マーケティング信奉者に告ぐ。

そういった訳で、少なくともモノやコトを世に送り出す立場の企業や人は、自らを作り手と考えるべきなのではないか、と思うのだ。売り手と買い手の関係にはなくて、作り手と使い手の関係にあるものとは何ぞや? それは「ものづくり魂」なのではないか。

最近、広告がつまらなくなってきたと思う。最近テレビ番組がつまらなくなってきたと思う。世の中が何を求めているかを知ることは必要なことだが、主導権はあくまでも設計者が持つべきでしょう。

スカイラインという車があります。スポーツカーでもあり、ファミリーカーでもある車です。この車、おもしろいことにモデルチェンジの度に車内が狭くなったり広くなったりを繰り返しているのだ。なぜか?

スカイラインをスポーツカーとして乗っているユーザーからは適度にタイトな空間が好まれ、ファミリーカーとして乗っているユーザーからは家族四人がゆったりと乗れる空間を求められる。なので、スポーツ寄りのコンセプトで世に出たモデルに対しては居住性に対する不満がアンケート結果の上位に入り、その結果を踏まえた上で設計された次世代モデルに対してはスポーティさを求める声がアンケート上位を占る結果となる。そんなことがずっと繰り返されてきたのだ。アホくさー。

日産GT-Rのすべて (ニューモデル速報 (第404弾))ところが最近、ちょっとした事件があった。今までスポーツ仕様最高のグレードだったスカイラインGT-Rが日産GT-Rとしてデビュー、スカイラインブランドと決別し、スポーツカーとして独自の路線を歩むことになったのだ。

エラい。やれ、ネームバリューだ伝統だなどという過去のしがらみを捨て、目的に則した日産ならではのスポーツカーの考え方をプロダクトとして示したことは英断といえましょう。

あの強面な顔つきや妙に角張った体つき、好きか嫌いかといえば嫌いだが、ある意味喧嘩神輿的なドメスティックな美意識を感じるともいえる。オレは美しいとは思わないけどね。

まあ個人的な好みは別として、新しいGT-Rには設計者の魂を感じるのだ。いままで割とどうでもよかった自動車メーカーだが、今後の動きに期待したい。また、GT-Rに共感する者たちが、どのような使い方を見せてくれるかが実に楽しみ。少なくとも、北関東のヤンキーの方々に好まれてしまったために、自らもヤンキーくさくモデルチェンジしたシルビアみたいにはならないでほしい。

3●シテヤラレタ オブ ザ イヤー

さて、以上が前置きです。で、年末ということもあり、2007年に私が購入したモノの中で、最も作り手に「してやられたー」と思ったものは何かを考えてみた。ふたつあります。

BOSE アンプ内蔵スピーカープレミアムシステム M2 (Bose Computer MusicMonitor)ひとつはMicro Music Monitor。BOSE製のちっこいスピーカーである。本当にちっこいのだが、たぶん今まで私が所有したどんなスピーカーよりもいい音がする。私はオーディオマニアではないし、音響のことはよくわからない。でも、この小さなボディからこんなに深く厚い音が? という驚きからいまだ醒めないのだ。

前回のワゴンRの話じゃないけど、いわゆるギャップ萌えである。腹に響く低音から脳に抜ける高音まで、見事に再生する。すげえ。今まで何度も聴いていたアルバムも、これを通して聴くと聞こえなかった音に気づいたりして、なにやら未知の領域に踏み込んでしまったような、戸惑いにも似た感動を覚えるのだ。まあ、あえて難癖をつけるとするなら、オレが49,980円で買った後にバッテリー駆動関係を削除したモデルが39,480円で出たことくらいかな。

設計者はおそらく「いかにして使い手を驚かすか」を日々考え、驚いた我々ユーザーの顔を想像しながら作り上げたに違いない。作り手が使い手の顔をきちんとイメージしながら作られた商品は、そのまま使い手が企業の人格を想像するためのイメージソースとなるのである。

さて、もうひとつの「してやられたー」はBESSA-T。2001年に発売されたちょっとクラシックなスタイルのカメラだ。もちろんフィルムカメラ。隣に住む某雑誌編集長おやびん氏(仮名・40代・男性)に激安で譲っていただいたのだが、これが人生でいちばんのお気に入りになってしまった。

いわゆるレンジファインダータイプと呼ばれるもので、一眼レフ台頭以前、最もポピュラーだった方式のカメラだ。おっさん達憧れの『ライカ』型のカメラと言えばわかりやすいかもしれない。

で、BESSAのスゴイところはまずその値段。いきなり値段の話でBESSAには恐縮だが、新品のライカが平気に50万円とかいう値段で売られているのに対して、店によってはその1/10程度の値段で購入が可能だ。もちろん新品が、である。

レンジファインダーカメラは使ってみたい。でもライカは高い。そんな使い手の気持ちを動かすきっかけとして、この値段設定は実に有効だ。

そして、質感。重さとか素材とか、作り手は使い手の気持ちをものすごく理解している。やたら小さく軽いプラスチックのカメラばかり見ていた私にとって、ほどよく手に馴染む大きさ、適度な重さ、そして金属のひんやりとした手触り。忘れていた所有する幸せ、触れる喜びを思い出す。

もちろん、能力もスゴイ。全自動のデジタルカメラでなまってしまった創造力を刺激しまくってくれる。オレ的に言うなら、自己克服型カメラだ。ちゃんと撮ればちゃんと写り、いいかげんに撮るといいかげんにしか写らない。写真を撮るってことは、こういうことだと教育してくれる。まるでカメラを通して、設計者と対話しているかのようだ。

そして改めてネガフィルムの潜在能力に驚く。デジカメで得られるものが「画像」だとすれば、BESSAで得られるものは「写真」。さすがに暗室にこもって現像作業をするほど余裕のある生活はしていないが、DPEであがったネガをフィルムスキャナで読み込み現像ソフトで調整するだけでも、デジカメでは得られないような微細な色が見えてくる。

これって、冒頭に書いたiMacとユーザーとの関係に似てると思う。BESSAは我々に、カメラとは写真とはこういうモンなんだぜ、と提示し、それを受けた我々はカメラに負けない写真を撮ってやるぜ! という気になっちゃうのだ。

4●「ものづくり魂」を呼び覚ませ。

どんな商品にも言えることだが、例えば「小さい方がいい」とか「軽い方がいい」とかいう単調な評価は、おそらく買い手のアンケート結果から生まれた薄っぺらな価値観でしかない。

でも、売り手は「アンケート結果に基づいてお客様の要望に答えた商品を作ったんですが…なんで売れなかったんでしょうねえ」というようにそれを逃げ場として使っていないか。

誰だって自分が担当した商品が販売的に失敗した場合、責任をとりたくない。でも、それを続けることは、使い手にその企業の顔をイメージさせずらくし、結果的に顧客離れを促すことになるのではないか。

どんな会社もどんな人も仕事をする。仕事をするということは頭を使い手をうごかすということだ。直接モノを作ってるとか作ってないとか、そんなことは関係ないかもしれない。どんな人でも「ものづくり魂」は持っているのではないか?

そういった訳で。売り手と買い手の関係から脱却せよ。使い手の顔を想像し、作り手であるという意識を持て。意識をし、覚悟をもつ。それだけで周りが変わってくるはずだ。

はい。という訳で、年内最後の『わが逃走』でした。なんか熱く語っちゃったなあ。ツッコミどころ満載の文章かもしれないけど、このところ気になっていたことを一気に書いてしまいました。スミマセン。でも、つまんないモノを作る資源を得るために温暖化が進み、沖縄の珊瑚礁が壊滅することを思うと悲しくなるのです。

あ、それと今回はちょっとしか触れてませんが、近いうちにBESSAについては、もっと深く狭く語りたいと思っています。それではみなさん、よいお年をー。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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