わが逃走[29]再び軽井沢に電車(在来線)で行きたいが、それは無理なので妄想するの巻
── 齋藤 浩 ──

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どうも。齋藤です。
なにやら世の中が急激におかしなことになってきてますね。毒米事件にしろ、ゲリラ豪雨にしろ、直接・関節の差はあれど、どちらも人災であると言えましょう。

先日、私は車で群馬県は藤岡付近の一般道を夜間に走行中、とんでもない豪雨に遭遇し恐怖を感じました。ワイパーがまるで役にたたない。ヘッドライトも雨に反射してしまい、道が何も見えない。当然センターラインも見えない。前の車のテールランプだけがたよりだったのに、赤信号で離れてしまうと、もう目の前は白く光る縦線だけ。一般道なので突然人が出てくるかもしれないし、後ろから追突されるかもしれない。道がアンダーパスになっててそこが水没してるかもしれないし、川と道を間違えてしまうかもしれない。

もうこれ以上は危険、と思った瞬間ピタっと雨がやみ、路面を見ると乾いている。狐につままれた気持というよりも、異常、という感じでした。前者は自然の不思議さや科学では理解できないような現象にこそ使われるべきです。このゲリラ豪雨はあくまでも、異常。

私が幼い頃は当然として、数年前でもこんな現象はなかったはずだ。温暖化とか言ってるレベルじゃないかも。日本は熱帯になって、みんなマラリアで死ぬぞ。でも、人の手によって自然がどうにかなっちゃったということは、人の手で修復も可能だと信じたい。エラい人も私腹を肥やしてる場合じゃないぞ。

と熱く語りましたが、今回の話が温暖化やゲリラ豪雨と関係あるかといえば、全く関係ありません。まあ、関係あるとすれば、「十数年前と今との対比」ってとこかしら。



一●隣の皇太子

さて、本編です。実は私、幼少の頃ご近所の方から「隣の皇太子」と呼ばれていました。わが逃走第6回「こわい話の巻」にも書いたけど、夏になるたび軽井沢の別荘へ避暑にでかけていたからです。まあ、素敵!

私の祖父(わりとエライ学者)は当時軽井沢に別荘を所有しており、モノゴコロついた頃から20歳くらいまで、夏になると毎年遊びに行っていたのです。で、そこで何をしていたかといえば、何もしないのです。ただぼーっとしてるだけ。

そんな俺様は、ぼーっとすることに飽きるとふらふらとあてもなくそのへんの小径を散歩したのです。小川に沿ってただひたすら歩いたり、苔むした岩のにおいをかいだりとかしながら、お気に入りのコースを増やしていきました。

今でも突然時間ができたりすると、散歩するためだけに車やバイクで日帰りツアーをやったりするのですが、本音を言えば少年時代と同様に電車で行きたい。もちろん在来線で。ところが、信越本線最大の難所・碓氷峠(横川─軽井沢)が長野新幹線開通と同時に廃止され、今ではそれも不可能。

そんな訳で、今日は「もしも信越本線・横川─軽井沢間が廃止されてなかったら、こんな贅沢な旅をしたい」という妄想を語らせていただきます。

二●上野─高崎

私は10代の頃S玉県の0市に住んでいたので、軽井沢に行くには大宮駅から信越線に乗るのが常でした。特急「あさま」「白山」をはじめ、季節特急「そよかぜ」や急行「妙高」、臨時急行「軽井沢」などなど、そっち方面に向かう列車はまだたくさんあったのです。いい時代です。

いずれも風情のあるよい列車でしたが、ただひとつクヤシかったのは、始発駅からの発車を味わえなかったことです。今なら上野まで行って駅弁とビール買ってから乗るのに。

幸い現在私は都内在住なので、もしそういうことになったら絶対上野から乗る!弁当はロングセラー駅弁『チキン弁当』で決まりだ。この『チキン弁当』、パッケージは微妙にマイナーチェンジしつつも、基本構成は今でもデビュー当時と変わっていない。

ちなみに、私は小学5年生のとき初めて上野駅でこれを買って食べたのだが、費用対効果に優れたスゲー弁当だ! と思った記憶がある。なにせ当時ビッグマックが一個380円くらいした(と思う)ことから考えるに450円は激安だった。なんといっても、お子様の好物ケチャップ味のチキンライスと鶏の唐揚げのセットだしなあ。

数年前、東京駅で購入したところ、当時とほとんど構成が変わってなくて感動した。パッケージが横長に変更されていたものの、オレンジ色のチェック柄のかわいいパッケージも当時のまま。ちなみに現在の価格は800円だったかな。まあオトナだからポーンと買ってしまおう。ビールもつけてな。ふふふ。

で、まずは高崎まで行く。今なら新幹線でわずか45分だが、ここはひとつ、旅の風情を味わうってことで在来線の特急か急行で1時間半ほどかけて行きたいものだ。

ちなみに、各駅停車だとさすがに飽きる。景色もあまりかわり映えのしない関東平野だしな。オレ的にはできれば急行に乗りたい。この急行ってやつは近年どんどん数が減ってきて今では絶滅寸前になってしまったが、オレの脳内ではまだ走っている。緑とオレンジ色のツートンカラーの二つドアの列車に乗り込み、ブルーのモケットのボックス席の進行方向左側をキープして、高崎に向かうのだ。

発車と同時にビールを開け『チキン弁当』をいただく。やはり駅弁は動いている列車内で食べてこそ旨い(たまに新幹線に乗ったりすると、発車前に食べ始めるビジネスマンを見かけるが、あれはいかん。駅弁とは流れる景色との相乗効果で、よりおいしくなるように設計されているものなのだから。たぶん)。

さてこの『チキン弁当』、お子様的メニューとあなどってはいかんです。レモンをしぼった鶏の唐揚げはビールによく合うし、チキンライスは古き良き昭和の味わいなのだ。

大宮、熊谷を過ぎ、徐々に山が見えてきて、大きな川を渡って列車は高崎へ近づく。左手に高崎観音が見えた頃、網棚の荷物を下ろしたりして。

三●高崎ー横川

さて、普通にそのまま乗っていれば目的地まで着いてしまうのですが、贅沢な旅はここ高崎でいったん降りる。そしてビールと弁当を買う。さっき食べたばかりでも、オトナだからいいのだ。

高崎の駅弁といえば『だるま弁当』が有名だが、オレ的に一押しは『鶏めし弁当』。オレがお子様だったら、お母さんに「いま食べたばかりでしょ」とか言われるところだが、オトナだから関係なし。そもそも同じ鶏でも、全く味わいが別モノなんだから放っといてくれよ! と脳内母さんに文句を言いつつ堂々と購入する。

で、この『鶏めし弁当』、何が素晴らしいかといえば、まずパッケージデザインだ。古き良き駅弁フォーマット。紅白の紐で十文字に括られたタテナガの箱、そして2色刷りの掛け紙が泣かせる。視覚的にすでに美味。そして手にしたときの重さというかぎっしり感。蓋を開けなくても、ごはんとおかずが詰まってる感じが伝わるのだ。

そしてあまり本編と関係ないけど、いつも気になるのが箸袋に書かれている商品リストだ。『だるま弁当』『鶏めし弁当』『御寿司』『普通弁当』。だったと記憶している。間違ってたらごめんね。オレが気になるのは最後の『普通弁当』。いい名前じゃないか。でも、果たしてこれは固有名詞なのか、それとも一般的なお弁当の総称として書かれているのかが謎なのだ。たぶんこの先もずっと謎なんだろうけど。

世の中には、駅弁もコンビニの弁当も同じと思ってる人がいるらしい。実に悲しいことである。駅弁とは、「その地ならではの食材や料理を、いかにして旅人に楽しんでもらうか」というテーマに対する地元の方々の工夫であり回答であるのだ。

そして、それをより美味しくいただくには、列車に乗って車窓を見ながら食べるべきだと私は声を大にして言いたい。

で、列車に乗る。高崎からは快速とか各駅停車とか、そういった類のものがイイ。軽井沢までなら特急や急行とも時間的にたいして変わらないというのもあるし、安中とか松井田とか、渋い駅のディテールをじっくり観察するにも適している。

ただし、弁当を食べるのでボックス席であることは必須条件だが。そんな訳で、オレは小諸行き快速列車に乗り込んだ。と妄想する。しかもEF64が牽く14系座席車の編成。

スミマセン。マニアックな専門用語を用いています。EF64とは、電気機関車の名前です。現在ではほとんど見かけなくなりましたが、私が少年の頃はまだ機関車が客車を牽引するタイプの列車が走っていました。編成の中に動力車が組み込まれる“電車”と違い、引っ張られている感覚がシアワセ感を醸し出すのです。

14系とは、青いボディに白いラインがカッコイイ特急用客車の編成です。一般的にブルートレインと呼ばれる寝台車が有名ですが、全車座席の編成も存在しており、私は14歳の夏、軽井沢に行くときに乗った快速列車がたまたまこの14系でした。特急券も急行券もナシで、リクライニングシートに座れたことも感動モノでした。このときウォークマンで聴いていた一風堂のアルバム『ルナティックメニュー』を聴く度に、私は高崎から横川へと向かう車窓を思い出すのです。

さて、高崎駅を出発。ここからは車窓もドラマチックになるので、ビールも駅弁も一層旨くなるはずだ。発車と同時に『鶏めし弁当』の蓋を開ける。醤油味で炊き上げたそぼろご飯の香りがたまらん。鶏肉のてりやきの甘辛い味付けは絶品。そしてコールドチキンで一杯。舞茸入り肉団子で一杯。

う、旨い…とか思っていると列車は安中に近づく頃だ。安中といえば東邦亜鉛安中工場。山一個まるごとブレードランナーのセットにしちゃったようなスゲエ景色なのだ。列車は左カーブを描きながら工場をまわり込んでいく。車窓を映画のスクリーンに例えるなら、絶妙なカメラワーク。そして列車は徐々にスピードを上げ、勾配を駆け上がってゆく。さて食休みでも、と思った頃、前方に妙義山が見えてくる。横川は近い。

四●横川─軽井沢

国道18号をゆく自動車と並走しながら列車は一路横川へ。このあたりから横川駅での動きをシミュレートする。横川といえば『峠の釜めし』が有名だが、素朴で質素な『玄米弁当』も捨てがたい。立食い蕎麦のコーナーで、車内持ち込み用の容器に入れてもらって山菜蕎麦という手もある。

また駅弁? いいかげんにしなさい。太るわよ。と、脳内母さんに言われようとも無視。オトナっていいな。

釜めしのワゴンはホームの何カ所にも展開しているので購入はたやすいが、玄米弁当等を扱ってる売店も蕎麦コーナーも一カ所なので、停車前にあらかじめ近くの車両へ移動しておかねばならない。さて、どうする? 中国三千年の歴史のごとくそそり立つ奇岩群を見上げながら俺は計算するのだ。

で、いろいろ悩んだ。釜めしの香りで充満する車内でひとり蕎麦をすする、もしくは玄米弁当をいただくというのもツウっぽいが、ここはやはり基本に則って『峠の釜めし』といこうじゃないか。ということにした。なんかこう、駅弁を3個食べるにあたり、フィナーレを飾るにはやはり釜めしじゃなくちゃねー、なんて思った訳です。

横川に到着。機関車連結のため5分停車。この5分間に名物駅弁『峠の釜めし』を買って、最後尾まで行って連結作業を見るのが正しい横川での過ごし方だ。さて飲み物だけどさすがにビールはもういいや。お茶にしよう。お茶といってもペットボトルに入った奴なんかじゃないぜ。ポリ製の急須に入ってる50円の奴だ。

このようなお茶も現在ではすっかり見なくなってしまったが、オレの脳内ではまだ売ってるのだ。ちなみにオレの前の世代になると、陶器製の急須に入ったお茶が定番だったそうだ。

そういえば釜めし購入の際、電車が発車してしまうのではないかという恐怖のあまり、別添えの「香の物」を受け取り忘れたことがあったなあ。たしか小学3年生だったか。もうそんなヘマはしないぜ。もうすぐシジューだしな。えっへん。

で、無事釜めしとお茶を購入したオレは機関車の連結を見にホームの端へと急ぐ。そーなんです。ここ碓氷峠は日本一の急勾配でして、列車は自力で峠を越えられないのです。なので、峠を登る際は最後尾に電気機関車2両を連結して列車を押し上げるのです。ちなみに帰りは先頭に2両連結して、ブレーキをかけながら下りてくる。連結の際の所要時間は5分。解放に3分。これだけ停車するからこそ、乗客はホームに降りて釜めしを買いに行けるのだ。

で、連結する機関車はEF63。ここ碓氷峠越え専用に開発された超力持ち機関車だ。これが2両一組で連結される。いわゆる重連てやつだ。待機していたEF63が甲高い汽笛とともに徐々に近づいてくる。黄色いヘルメットと青いツナギの作業員が線路上に降り、手際良く連結準備をはじめる。2メートル手前あたりで一旦停止し、作業員が可動式連結器を90°回転させる。

ほんと、どうでもいい話なんだけど、列車の連結器には規格がいくつかある。そのうちのメジャーどころが『自動連結器』と『密着連結器』だ。前者は機関車や客車、貨物列車などに使われ、後者は主に電車に用いられている。ここ碓氷峠はどちらのタイプの車両も通るので、EF63には自動連結器にも密着連結器にも対応する可動式連結器が装備されているのだ。

これを連結直前に相手方の方式に合わせて切り替える。この動作がなんともメカっぽくて好きなのだ。構造が視覚的に理解できるところがイイ。

今乗って来た列車は14系客車なので、自動連結器に切り替えられた後、ゆっくりと接近し、ガチャン! という音とともに連結された。あー、いいモン見たなあ。とか思っていると発車のベルが鳴る。いよいよ峠越えだ。慌てていちばん近い扉から飛び乗るとすぐ、折りたたみタイプの自動ドアが閉じた。

──とか妄想していたら、ずいぶんな文字量になってしまった。なので今回はここまで。ほんと、どうでもいい妄想にここまでつきあってくださって感謝です。次回は車窓から碓氷の山々を眺めつつ釜めしを食う話をします。お腹は苦しくないです。妄想ですから。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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