わが逃走[41]豊洲界隈散歩の巻
── 齋藤 浩 ──

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いつか書かなきゃと思っているうちに、ずいぶん時間が経ってしまった。今回は2か月前の散歩のレポートです。

1月某日、晴れ。休日だというのにうっかり早起きしてしまった。極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)は、さんざん飲んで明け方に帰ってきたらしい。どうせ起きるのは夕方になると見込んだ私は、前から気になっていた豊洲近辺を散歩してみることにした。

以前、屋形船で酔っぱらった際、このあたりの昭和と近未来が同居しているような風景にグッときてしまい、それ以来いつか散歩せねば! と思い続けていたのだ。言うなれば「銀河鉄道999」など、松本零士作品に登場するようなギャップ感あふれる風景。昔ながらのラーメン屋の向こうに、近未来的デザインの高層ビルが立ち並ぶこれらの情景を、「大四畳半的風景」と呼称してみる。


10:30頃(だったと思う)、月島駅下車。近くのコンビニで水と食料を購入。周囲を見回すと高層マンションがそこら中で建設中だ。それらの麓には由緒正しい木造建築。軒先には防火用水と鉢植えがずらりと並んでいるといった、昭和な風景にどうにもテンションが上がる。が、やはり再開発進行中という感じで、いたる所に分断された長屋建築やコインパーキングが目立っていた。

ちなみに、今回の散歩のお供はSONYのα350。コストパフォーマンスに長けた、小さく軽いデジタル一眼レフだ。素敵な看板建築や風呂屋の煙突をパシャパシャと撮る。

しばらく歩くと相生橋に着いた。比較的新しい橋だが、落ち着きと趣きのある美しいトラス橋だ。上下線の間、中央分離帯に相当するところにもトラスの列があり、実に絵になる。


さっそく渡ってみた。橋の真中あたりまで来て、ふと川面をながめると……なんとそこには宇宙船が! これが噂の「ヒミコ」か!! もう、バックの風景とベストマッチングじゃないかー!! つーか、ここホントに現代の東京?この散歩、のっけから完全なる「大四畳半」になってしまった。


さて、ヒミコを見送ると、向こう岸に巨大なマストが見えてきた。おお、あれが「明治丸」だな。明治7年建造の鉄製の汽船で、現在は東京海洋大学(旧東京商船大学)のキャンパスに保存。ちなみに、喫水線から下は地面に埋まっている。


この日は公開日ではなかったので見学はできなかったが、大学の門からでもその姿を見ることができる。ただし尻だけど。で、ちょこっと塀越しに校舎を見てみたのだが、煉瓦づくりの立派な建築だった。角のアールの造形が絶妙。そしてその先にはかわいい天文台らしき建物が。


これもずいぶん古そうだ。おそらく明治期の建物。やはり大学など守られた敷地内の建築は、「スクラップ&ビルド」の餌食になりにくくて良いなあ。前も書いたけど、おじいさんやおばあさんと孫が、風景を共有するということはとても大切なことなのだ。エラい人はとにかく壊して建ててを繰り返さないと票が集まらなくなっちゃうと思っているらしいが、守るべき日本の風景を自らの手で壊していくという行為は、「愛国心を育てたい人達」の人達にとっても得策ではないと思うのだが、いかがか。

さて、再び相生橋を渡り、運河沿いを下流に向かう。道路脇の廃工場がイカすぜ。朝潮大橋にさしかかると、


ミニマルアートのようなコンクリート堤防に続いて、


ガンダムのような佃水門が現れた。おかしな色にペイントされているが、意外に似合っているから不思議だ。ちなみに、この写真をモノクロ変換してみると、水門本来の機能美が見えてくるように思えるのだがどうだろう。


さて、朝潮大橋を渡りきると、進行方向にアーチ式の錆びた鉄橋が見えてくる。これこそが以前から気になっていた、東京都臨港線の晴海橋梁である。この付近、仕事や飲み会で何度も来てはいたものの、落ち着いて見に行ったことがない。早く行かないと取り壊されてしまうのではないか、という不安にかられていたのだ。それが今、こうしてオレの目の前に。光の当たり具合もイイ。


名著『東京の痕跡』によれば、「仮面ライダーV3」のロケ地でもあるそうな。それにしても、この橋をはさんで東側と西側では全く風景が違う。首を左右に振るだけで、昭和と近未来とを行き来するような錯覚に陥るのだ。ちなみにこちらが東側。まさに大四畳半。


そしてこちらが西側。古き良き晴海の風景。


タワーマンションの建設ラッシュの中で、この辺りでは最後に残った由緒正しい晴海レミコンの工場。こんな風景もあと少しで見納めになってしまうかもしれない。さらに近づいて観察してみると、橋にはなんと線路が4本あるではないか。


ああ、巻き尺持ってくるんだった。おそらく外側の線路の幅が日本における一般的な軌間1067mmで、内側のものが工場や専用線で使われた800mmのナローゲージでは? などと憶測してしまう。かつてここを小さな機関車が貨物列車を引いて渡っていたことを想像してみると、なんともシアワセな気持になるのである。

さて、晴海運河沿いをさらに下ると、21世紀的複合商業施設の象徴、ららぽーとにたどり着く。ここもちょっと前までは、造船所だとか工場とか倉庫だったんだろうなあ。

かろうじて保存され、モニュメントと化した荷揚げ用クレーンが場違いな感じで、ちょっとカワイソウな印象。このへんで軽く食事をとった後は、豊洲運河から平久川をさかのぼり、門前仲町方面へ向かうことにした。渋い倉庫街、古い小学校に並んで、タワーマンションの桁違いの巨大さたるや異常。


途中、鴎橋を越えたあたりで広いというか長い土地を発見。


おそらく貨物線の廃線跡ではないか、なんて思って反対側を見たら、おお、まだ撤去されていない線路を発見! やっぱりここは線路だったんだ!! とか一般人にとって全くどうでもいいことに感動する。


地形とか土地の形に限らず、おそらくはすべてのものの形状にはその形になった理由があるのだ。その理由を探ったり読み解いたりすることで、その逆の流れ(≒デザイン)を知ることができる。こういうことこそ人生の喜びだと思うのだが、あまり熱く語りすぎると「キモい人」ということになってしまうので、ほどほどに語るのが肝要。

さらに歩く。このあたりは運河が縦横無尽に走っているので、ときどき河の五叉路があったり唐突に水門が出現するので楽しい。


橋もさまざまな時代のさまざまな形状のものが次から次へと現れるので、歩いていてまったく飽きないのだ。こちらは白妙橋。シンプルな構造美。


そして美しいトラス橋・平久橋(当時は改装作業中だった)を渡り、東富橋あたりで陽も落ちてきたので、ここを終点とした。この橋も改修されたばかりなのか、真新しい鉄橋然とした淡いグリーンのペイントと西日とのコントラストがとても美しかった。


という訳で、門前仲町駅到着は16時過ぎだったかな。その後、神保町で伊藤孝著「東京の橋」を購入した後、素敵なカレー屋「エチオピア」にてチキンカリーを食し帰路についたのであった。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。