どーも。齋藤です。そーいえば先週末に映画『ヤッターマン』を観てきたのですが、かなり良かったです。
最近なにかと昔の漫画やアニメを実写化するのが流行っているようですが、どれもこれも原作のモノマネ的な印象が強く、実写で表現することの必然性を感じないものが多いと思っていたのです。
しかし!『ヤッターマン』は凄かった。嵐ファンの人妻・カズエねえさん(仮名)に誘われてご近所お誘いあわせの上4人でぞろぞろ、まあそんなに期待しないで行ったのですが、まさかここまで良いとは!!!
たとえばギャグひとつとっても、原作の面白さの根源までさかのぼり、それを実写表現だからこそ活きる形でアウトプットしている。しかもフツーにサラッと。これって生半可な人じゃできないと思うのです。目に見える構造はもちろんのこと、原作の味、ニオイ、思想などを理解した上で再構築しているのでしょう。
最近なにかと昔の漫画やアニメを実写化するのが流行っているようですが、どれもこれも原作のモノマネ的な印象が強く、実写で表現することの必然性を感じないものが多いと思っていたのです。
しかし!『ヤッターマン』は凄かった。嵐ファンの人妻・カズエねえさん(仮名)に誘われてご近所お誘いあわせの上4人でぞろぞろ、まあそんなに期待しないで行ったのですが、まさかここまで良いとは!!!
たとえばギャグひとつとっても、原作の面白さの根源までさかのぼり、それを実写表現だからこそ活きる形でアウトプットしている。しかもフツーにサラッと。これって生半可な人じゃできないと思うのです。目に見える構造はもちろんのこと、原作の味、ニオイ、思想などを理解した上で再構築しているのでしょう。
しかも、コアなファンも大勢いる国民的アニメが相手なんだから、失敗は許されない。そんなプレッシャーをものともせず、というか全く感じず(?)むしろそれを楽しんじゃうくらいな勢いで、素晴らしい映画を作ってくれた三池監督以下、スタッフ・キャストの皆様に敬意を表するオレなのさ。
そう、『ヤッターマン』の魅力の根底にあるものは、作ってる人達のノリというか、楽しみっぷりなんだと思うんですよ。送り手側が楽しんで作ったからこそ、受け手にその楽しさが伝わるんだよねー、的なことを当時テレビを観ながら母と話していたのも、もう30年以上前のことか。びっくりだー。
で、その30年後、実写とCGという表現方法になっても、そのノリはきちんと受け継がれているんだよなー。これはスゴイことです。といった訳で、文化が肩肘張らずに継承されてゆくさまを目の当たりにして、これは素敵なことだなあ、と思った39歳の春。
いきなりヤッターマンネタで始まってしまいましたが、今回の『わが逃走』は前回に引き続き、ガンプラブームを思い出します。
ヤッターマンのテレビ放映が始まって、その2年後かな。常識を覆した革新的なアニメ『機動戦士ガンダム』の放映が始まったのです。で、いろいろあって(このへんは前回を参照のこと)番組放映後にガンダムのプラモデルシリーズが発売され、爆発的ヒットを記録。超品薄状態が続き、少年達はそれを求めて日々模型屋巡りを続けたのでした。
さて、憧れのガンダムプラモ(当時はまだガンプラという略称は存在しなかった)『シャア専用ムサイ艦』を手に入れたはいいが、劇中の印象的なシーンを模型で再現したい願望のあるオレとしては、やはりモビルスーツのキットが欲しい。
第1話の、3機のザクがスペースコロニーに降り立つシーンや、砂漠でのガンダムとグフとの格闘戦、ジャブロー基地に侵入したシャア専用ズゴックが連邦の量産機GMをぶっつ刺すシーンなどを、ジオラマで再現できたらなあ……などと夢見ていたのです。
※ザクだのグフだのズゴックだのっていうのは、モビルスーツの名称です。モビルスーツとは、ガンダムの世界における巨大ロボットの総称。知ってる人にしてみれば常識なんだけど、興味のない人にしてみれば、ほんとにどうでもいいことではあります。『わが逃走』では、マニアックなことは一般人に対して居酒屋トーク的に紹介するという方針をとっていますので、こんな解説を入れさせていただきました。
さて、モビルスーツのプラモデルが手に入ったら、どんなポーズをとらせようか? どんな情景を作ろうか? 来る日も来る日もかっこいいポーズの練習と称して、布団たたきをライフルに見立てて自らモビルスーツのようなポーズをとっては鏡の前でスケッチし、ジオラマのイメージイラストを描く。
思えばこの行為が人体の構造を意識し、緊張感のある空間設計というものを考えた最初の体験だったのかもしれない。親にはいつも「ガンダムガンダムって、いいかげんに勉強しなさい」とか言われていたもんだが、結局この経験があったからこそ、今オレはデザイナーとして食っていけてるんじゃないか? と小学生のオレのとった行動を正当化してみる。
まあガンダムに限らず、プラモデルってスケール感覚や立体感覚をものすごく鍛えてくれる優秀な教材だったなー、なんてけっこう本気で思う。戦車や飛行機、車に戦艦。そのどれを作るときでも、必ず縮尺ってことを考えるようになるのだ。
つまり、いま自分の手の上にある車がこのくらいの大きさなら、人はだいたいこれくらいの大きさだろう、的な話です。いろんなスケールのいろんな模型を作っているうちに、建築や工業製品等の図面を見ただけで、瞬時にその縮尺がわかってしまうようになるのです。これって、今の仕事をする上でめちゃくちゃ便利。
さて、話は戻って小学5年生のある日。墓参りだかなんだかの帰りに、渋谷の東急ハンズに行ったのでした。ハンズに来たからには、模型売り場に行かない訳にはいきません。エレベーターを待つことすらじれったいオレは、5階だったか7階だったかまで階段をダッシュ、模型売り場にたどり着いたところ、「!!! あ、あったーっっっっ!!!!!!!!」と声にならない声とともに、レジ脇に積み重ねられていたガンダムとグフをゲット。あのときの感動は忘れられないなあ。
あ、くどいようですが、それほど品薄だったんですよ、ガンダムプラモ。「こ、これであのシーンがオレのものに……」と声にならない声で涙ぐみつつレジに向かう。「2点で540円です」。安い! なんと東急ハンズはプラモデルが全品1割引で販売されていたのだ。小遣いの少ない小学生にとってはまさに神。当時は今みたいに量販店で3割引! なんてありえない時代であります。しかも、超人気で品薄な商品が定価よりも安く買えるなんて!
ああ、ハンズさま。売ってくださってありがとう。まさにそんな気持だったことを思い出す。戦後焼け野原と化した東京で、住む家のない人々が家を借りられたとき、「ああ大家さん、部屋を貸してくださってありがとう」感謝の意を込めて礼金を渡したという。それが慣習となって現在まで続いてるらしいが、ガンプラを購入したらその1割を店の人に礼金として支払う、なんてルールができなくてホントによかったなあ。
でもこれって冗談じゃなくて、当時人気のガンダムと不人気の『日本の城シリーズ』等をセットでしか売らない“抱き合わせ販売”が横行して社会問題になった、なんてことも実際あったのですよ。そんな状況で1割引で入手できたというのは、一生の運をすべて使い果たしたんじゃないかという程の大事件だったのです。
さて、コーフンさめやらぬ模型売り場な訳ですが、ふと周りを見渡すと、人だかりのあるショーウィンドウを発見。なんと、そこにはガンダムプラモの完成作例が展示されていたのです。しかも、どれも丁寧に作り込まれていてカッコイイ!
まだ製品化されてないものや、劇中には登場しないオリジナルなモビルスーツまで、すべて自作したものから大改造を施したもの等、これでもかってくらいな腕の競い合いだ。キャプションを見ると、慶応大学模型部作品展とある。さすが、一流大学の学生は模型作りまで一流だなあ、なんて本気で思った。あきらかにオレの周りの小学生が作るものとは次元が違う。なんといってもその気迫がすごい。「おまえがテクニックで来るなら、オレはアイデア勝負だ!」みたいな勢いがショーウィンドウの中からビンビン伝わってきたのだ。
※以下マニアな専門用語が続きます。一般の方は気にせず読み飛ばしてくださいませ。
中でもオレがいちばん「スゲエ!」と感じたのは『量産型Gアーマー』という作品。ガンダム専用支援メカ・Gアーマーは一品モノ、という設定だが、その人は「もしGアーマーが量産化されていたらこうなるんじゃないか」という想像をもとに、新しいデザインを模型で提案していたのだ。すげえ。やられたーと思った。そうなんだ、ガンダムの素晴らしさって、実在しないからこそ自分のイマジネーション次第でどんどん世界を広げることができる。なんてクリエイティブな世界なんだろう! と、小学生のオレはえらく感動したのでした。
その後、なんだか知らんうちに後づけの細かい“公式設定”なるものが増えていき、史実(!)にないモビルスーツを作ると保守的なマニアからイジメられる、といった状況が生まれ、自由さを求めてガンダムを作ってたような人達は徐々にこの世界から離れていったように思う。少なくともオレの周りではね。で、ブームは沈静化したのです。
話は戻ります。沈静化する前。ガンダムとグフを購入したオレは、早速作りはじめた。当時はまだ真っ当な制作手順なんて知らなかったから、パーツを切り離す前に塗装をすませていたなあ。でも、1色で成形されたパーツを塗装することで、どんどん完成に近づいていく感じがたまらなかった。
組み上がったら、戦闘機や戦車にあるような“注意書き”を面相筆で描き込む。さらに熱したドライバーで盾にダメージを加えたり、“汚し塗装”を施した。雑誌の作例をまねながら作り込んだとはいえ、自分としては納得のいく仕上がりになったのです。
ベースは、手元にあったスチレンボードを使った。ただ単に砂色のパウダーをしきつめて固定しただけだったけど、けっこう砂漠っぽい雰囲気になった。で、モビルスーツをカッコイイポーズに固定して砂漠に立たせて完成。おお、イイ。今の目で見ればド下手なんだけど、作った当時はかなりコーフンしていたことを思い出します。さらにその後、オレはこのジオラマを写真に撮ってるのです。その写真、実家に帰れば絶対あるはずなんだけどなあ。こんど探してきます。
さて、そんなこんなであれから30年の月日が流れたのですが、その後私のプラモデル人生はどうだったかと申しますと、けっこうディープにはまってしまったんですね。
塗装もエアブラシを使ってグラデーションをつけてみたり、高価な歯科医用の工具を使ってパーツを削ったりなどなど、無駄な出費も数知れず。なんだけど、凝れば凝るほど完成しなくなっていきまして、結局現在つくりかけの模型がいくつもあります。中には10年以上ちまちま作り続けているのに、いっこうに完成しない、なんてものもあります。そのくせ、作りたい模型は増える一方。ほんと、困ります。
先日「これじゃいかん」と思い立ちまして、初心にかえってガンダムを作ることにしました。最近のガンダムは、改造なんかしなくてもかっこよく仕上がるのです。技術の進歩はすばらしい。
という訳で、(1)改造しない。そして塗装は準備がめんどくさいのでエアブラシは使わず、(2)筆塗りで仕上げる。この二つのルールで作っていくことにしました。そーしたら、意外に面白いのです。とくに塗装が。
エアブラシって均一な面が塗れるので、美しい仕上げの必需品のように言われてますが、その反面、誰が塗っても同じような表現になってしまうんじゃないか? 対して筆塗りはムラが出やすいため難しいと言われていますが、その筆ムラをタッチと考えれば、かなり個性的な表現が可能になるんじゃないか? てなことをかんがえつつ、『ガンダムの形をしたキャンバスにガンダムを描く』をテーマに、ちまちま作っています。けっこう楽しいです。
そのうち完成したら写真UPしますね。まあ、早くて今年の秋かなあ。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://www.c-channel.com/c00563/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
そう、『ヤッターマン』の魅力の根底にあるものは、作ってる人達のノリというか、楽しみっぷりなんだと思うんですよ。送り手側が楽しんで作ったからこそ、受け手にその楽しさが伝わるんだよねー、的なことを当時テレビを観ながら母と話していたのも、もう30年以上前のことか。びっくりだー。
で、その30年後、実写とCGという表現方法になっても、そのノリはきちんと受け継がれているんだよなー。これはスゴイことです。といった訳で、文化が肩肘張らずに継承されてゆくさまを目の当たりにして、これは素敵なことだなあ、と思った39歳の春。
いきなりヤッターマンネタで始まってしまいましたが、今回の『わが逃走』は前回に引き続き、ガンプラブームを思い出します。
ヤッターマンのテレビ放映が始まって、その2年後かな。常識を覆した革新的なアニメ『機動戦士ガンダム』の放映が始まったのです。で、いろいろあって(このへんは前回を参照のこと)番組放映後にガンダムのプラモデルシリーズが発売され、爆発的ヒットを記録。超品薄状態が続き、少年達はそれを求めて日々模型屋巡りを続けたのでした。
さて、憧れのガンダムプラモ(当時はまだガンプラという略称は存在しなかった)『シャア専用ムサイ艦』を手に入れたはいいが、劇中の印象的なシーンを模型で再現したい願望のあるオレとしては、やはりモビルスーツのキットが欲しい。
第1話の、3機のザクがスペースコロニーに降り立つシーンや、砂漠でのガンダムとグフとの格闘戦、ジャブロー基地に侵入したシャア専用ズゴックが連邦の量産機GMをぶっつ刺すシーンなどを、ジオラマで再現できたらなあ……などと夢見ていたのです。
※ザクだのグフだのズゴックだのっていうのは、モビルスーツの名称です。モビルスーツとは、ガンダムの世界における巨大ロボットの総称。知ってる人にしてみれば常識なんだけど、興味のない人にしてみれば、ほんとにどうでもいいことではあります。『わが逃走』では、マニアックなことは一般人に対して居酒屋トーク的に紹介するという方針をとっていますので、こんな解説を入れさせていただきました。
さて、モビルスーツのプラモデルが手に入ったら、どんなポーズをとらせようか? どんな情景を作ろうか? 来る日も来る日もかっこいいポーズの練習と称して、布団たたきをライフルに見立てて自らモビルスーツのようなポーズをとっては鏡の前でスケッチし、ジオラマのイメージイラストを描く。
思えばこの行為が人体の構造を意識し、緊張感のある空間設計というものを考えた最初の体験だったのかもしれない。親にはいつも「ガンダムガンダムって、いいかげんに勉強しなさい」とか言われていたもんだが、結局この経験があったからこそ、今オレはデザイナーとして食っていけてるんじゃないか? と小学生のオレのとった行動を正当化してみる。
まあガンダムに限らず、プラモデルってスケール感覚や立体感覚をものすごく鍛えてくれる優秀な教材だったなー、なんてけっこう本気で思う。戦車や飛行機、車に戦艦。そのどれを作るときでも、必ず縮尺ってことを考えるようになるのだ。
つまり、いま自分の手の上にある車がこのくらいの大きさなら、人はだいたいこれくらいの大きさだろう、的な話です。いろんなスケールのいろんな模型を作っているうちに、建築や工業製品等の図面を見ただけで、瞬時にその縮尺がわかってしまうようになるのです。これって、今の仕事をする上でめちゃくちゃ便利。
さて、話は戻って小学5年生のある日。墓参りだかなんだかの帰りに、渋谷の東急ハンズに行ったのでした。ハンズに来たからには、模型売り場に行かない訳にはいきません。エレベーターを待つことすらじれったいオレは、5階だったか7階だったかまで階段をダッシュ、模型売り場にたどり着いたところ、「!!! あ、あったーっっっっ!!!!!!!!」と声にならない声とともに、レジ脇に積み重ねられていたガンダムとグフをゲット。あのときの感動は忘れられないなあ。
あ、くどいようですが、それほど品薄だったんですよ、ガンダムプラモ。「こ、これであのシーンがオレのものに……」と声にならない声で涙ぐみつつレジに向かう。「2点で540円です」。安い! なんと東急ハンズはプラモデルが全品1割引で販売されていたのだ。小遣いの少ない小学生にとってはまさに神。当時は今みたいに量販店で3割引! なんてありえない時代であります。しかも、超人気で品薄な商品が定価よりも安く買えるなんて!
ああ、ハンズさま。売ってくださってありがとう。まさにそんな気持だったことを思い出す。戦後焼け野原と化した東京で、住む家のない人々が家を借りられたとき、「ああ大家さん、部屋を貸してくださってありがとう」感謝の意を込めて礼金を渡したという。それが慣習となって現在まで続いてるらしいが、ガンプラを購入したらその1割を店の人に礼金として支払う、なんてルールができなくてホントによかったなあ。
でもこれって冗談じゃなくて、当時人気のガンダムと不人気の『日本の城シリーズ』等をセットでしか売らない“抱き合わせ販売”が横行して社会問題になった、なんてことも実際あったのですよ。そんな状況で1割引で入手できたというのは、一生の運をすべて使い果たしたんじゃないかという程の大事件だったのです。
さて、コーフンさめやらぬ模型売り場な訳ですが、ふと周りを見渡すと、人だかりのあるショーウィンドウを発見。なんと、そこにはガンダムプラモの完成作例が展示されていたのです。しかも、どれも丁寧に作り込まれていてカッコイイ!
まだ製品化されてないものや、劇中には登場しないオリジナルなモビルスーツまで、すべて自作したものから大改造を施したもの等、これでもかってくらいな腕の競い合いだ。キャプションを見ると、慶応大学模型部作品展とある。さすが、一流大学の学生は模型作りまで一流だなあ、なんて本気で思った。あきらかにオレの周りの小学生が作るものとは次元が違う。なんといってもその気迫がすごい。「おまえがテクニックで来るなら、オレはアイデア勝負だ!」みたいな勢いがショーウィンドウの中からビンビン伝わってきたのだ。
※以下マニアな専門用語が続きます。一般の方は気にせず読み飛ばしてくださいませ。
中でもオレがいちばん「スゲエ!」と感じたのは『量産型Gアーマー』という作品。ガンダム専用支援メカ・Gアーマーは一品モノ、という設定だが、その人は「もしGアーマーが量産化されていたらこうなるんじゃないか」という想像をもとに、新しいデザインを模型で提案していたのだ。すげえ。やられたーと思った。そうなんだ、ガンダムの素晴らしさって、実在しないからこそ自分のイマジネーション次第でどんどん世界を広げることができる。なんてクリエイティブな世界なんだろう! と、小学生のオレはえらく感動したのでした。
その後、なんだか知らんうちに後づけの細かい“公式設定”なるものが増えていき、史実(!)にないモビルスーツを作ると保守的なマニアからイジメられる、といった状況が生まれ、自由さを求めてガンダムを作ってたような人達は徐々にこの世界から離れていったように思う。少なくともオレの周りではね。で、ブームは沈静化したのです。
話は戻ります。沈静化する前。ガンダムとグフを購入したオレは、早速作りはじめた。当時はまだ真っ当な制作手順なんて知らなかったから、パーツを切り離す前に塗装をすませていたなあ。でも、1色で成形されたパーツを塗装することで、どんどん完成に近づいていく感じがたまらなかった。
組み上がったら、戦闘機や戦車にあるような“注意書き”を面相筆で描き込む。さらに熱したドライバーで盾にダメージを加えたり、“汚し塗装”を施した。雑誌の作例をまねながら作り込んだとはいえ、自分としては納得のいく仕上がりになったのです。
ベースは、手元にあったスチレンボードを使った。ただ単に砂色のパウダーをしきつめて固定しただけだったけど、けっこう砂漠っぽい雰囲気になった。で、モビルスーツをカッコイイポーズに固定して砂漠に立たせて完成。おお、イイ。今の目で見ればド下手なんだけど、作った当時はかなりコーフンしていたことを思い出します。さらにその後、オレはこのジオラマを写真に撮ってるのです。その写真、実家に帰れば絶対あるはずなんだけどなあ。こんど探してきます。
さて、そんなこんなであれから30年の月日が流れたのですが、その後私のプラモデル人生はどうだったかと申しますと、けっこうディープにはまってしまったんですね。
塗装もエアブラシを使ってグラデーションをつけてみたり、高価な歯科医用の工具を使ってパーツを削ったりなどなど、無駄な出費も数知れず。なんだけど、凝れば凝るほど完成しなくなっていきまして、結局現在つくりかけの模型がいくつもあります。中には10年以上ちまちま作り続けているのに、いっこうに完成しない、なんてものもあります。そのくせ、作りたい模型は増える一方。ほんと、困ります。
先日「これじゃいかん」と思い立ちまして、初心にかえってガンダムを作ることにしました。最近のガンダムは、改造なんかしなくてもかっこよく仕上がるのです。技術の進歩はすばらしい。
という訳で、(1)改造しない。そして塗装は準備がめんどくさいのでエアブラシは使わず、(2)筆塗りで仕上げる。この二つのルールで作っていくことにしました。そーしたら、意外に面白いのです。とくに塗装が。
エアブラシって均一な面が塗れるので、美しい仕上げの必需品のように言われてますが、その反面、誰が塗っても同じような表現になってしまうんじゃないか? 対して筆塗りはムラが出やすいため難しいと言われていますが、その筆ムラをタッチと考えれば、かなり個性的な表現が可能になるんじゃないか? てなことをかんがえつつ、『ガンダムの形をしたキャンバスにガンダムを描く』をテーマに、ちまちま作っています。けっこう楽しいです。
そのうち完成したら写真UPしますね。まあ、早くて今年の秋かなあ。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://www.c-channel.com/c00563/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。