わが逃走[45]帝国ホテルはインカ帝国の遺跡である!の巻
── 齋藤 浩 ──

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こんにちは。なんか最近、サイズの合わない服や、すでに持っている本などを立て続けに買ってしまい、合計16,000円ほど損してしまいました。定額給付金が無駄に消えただけでなく、さらに4,000円ほど赤字になってしまったのです。自業自得といえばそれまでなのですが、なんかもう、くやしくてくやしくて、幸せそうな奴を見かけたら呪ってやりたくなる、そんなケツの穴の小さい齋藤浩です。みなさん、お元気ですか?

さて、ゴールデンウィークに『偏りのある中央線の旅』と題しまして、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)とともに東京→名古屋→松本と旅してきました。

今回の『わが逃走』も、その旅の初日に行った博物館明治村! に保存されているフランク・ロイド・ライト設計による『帝国ホテル』(の一部)を中心に語りたいと思います。
フランク・ロイド・ライト *帝国ホテル - 東京 【ポスター+フレーム】ステン

明治村とは100万平方メートル(って言われてもピンと来ないよね)もの広大な敷地の中に、明治から昭和初期にかけての名建築が移築保存されている素晴らしい博物館です。

よく地元出身のヒトに「明治村ってどうよ?」と尋ねると、たいてい「あんなとこ、ぜんぜん面白くないからやめとけ」という答えが返ってくるのですが、それを真に受けると、一生後悔します。

なぜ地元出身者は、みな口裏を合わせたように「明治村はつまらん」と言うのでしょうか。それには理由があったのです。彼らにとって明治村とは『小学校の遠足が雨だった場合、しかたなく行くところ』だったのです!!!

それを知ってしまうと、まあ、仕方ないか……と思わなくもない。建築の価値のまだわからない子供達が、雨の中連れて来られたところは、一見遊園地風だけど観覧車もジェットコースターもない、建物しかない公園な訳です。そりゃ、つまらんよなあ。

そういった訳で名古屋の皆さん、大人になった今こそ明治村の真の価値を体感してください。名古屋以外の方は、地元出身者の意見に惑わされずに、明治村へ直行しましょう。

以下前回のつづき。



汽車から見下ろした帝国ホテルは、巨大な積木のようなシンプルで力強いフォルムが印象的だったが、近づいてくるにしたがいスクラッチタイルやテラコッタの装飾などのディテールが際立ってくる。入口付近に立ったとき、まずオレが衝撃を受けたのが、壁面のレリーフ表現だ。まるでインカの遺跡のような力強さ。

片目をつぶってマクロレンズな気持でレリーフを眺めると、それ自体がひとつの都市のようにも見えてくる。思わずBGMに、つボイノリオの名曲『インカ帝国の成立』が聞こえてくるようだ。

で、正面にまわってみると、本当にインカの遺跡っぽい『戦士の像』が池の両脇に立っていたりするのだ。

後で解説のおねいさんに質問してみると、本当にライトはそっち系の遺跡が好きだったのだそうだ。くそーライトめ、極東の島国だと思って自分の趣味で好き勝手に作りやがったな。でも、美しすぎるから許す。

正面玄関付近から庇を見上げてみる。と、そこにも手の込んだ装飾がはめ込まれているのだが、そこを通過して壁面に落ちる影の美しさにぞっとする。

そう、これはただの装飾ではなく、光を和らげるための、いわば調光装置だったのだ。形状は機能に追従すべきなのである。ライトは何十年もの時を超えて、デザインとは何かということを通信教育してくれているのだ。

ありがとう、ライト。あんたは施主の奥さんを寝取ってしまったり不倫騒動を起こしたりと、いろいろ女癖が悪くて評判落として、こんな小さな島国まで逃げてきたのかもしれないけど、あんたの造形に対する考え方は、こうして今でも見るものにしっかりと伝わっているよ。

で、いよいよ中に入ってみた。スゲー。ボキャブラリーが貧困で申し訳ないのだが、ほんと、スゲー。エクステリアだけでなく、その建築内で使用する照明やテーブルに椅子、レストランで使う皿の絵柄まで全てライトが手がけているのだが、デザインとは何か、アートディレクションとは何かを瞬時に理解させてくれる。

今まで『帝国ホテルで使われていた皿』とか『昭和30年代の帝国ホテル』などという写真を見たりしたもんだが、百聞は一見にしかずとはまさにこのことだった。

あの有名な『背もたれが六角形の椅子』を例に挙げると、オレはいままでずっとあの部分を六角形だと信じて疑わなかった訳だが、こうしてライトの設計した建築の中でそれを見てみると、実は六角形ではなく、(概念として)立方体だったのだ! ということに気づいたのだった。

と言葉で言われてもわからないでしょう。
なので頼む、見に行ってくれ。

壁面のディテールも凄い。今だったら絶対不可能と思われる、大谷石と煉瓦との構成美。埋め込まれた灯りが、木漏れ日のごとくやさしく室内を照らす。

もう、なんでこんな素晴らしいものをぶっ壊してしまったんだろう。もし、今でも日比谷に完全な状態で存在していたら、世の中の人は経済と同じくらい文化のことを考えるようになっていたかもしれない。その結果、丸ビルや同潤会アパート、三信ビルなんかも取り壊されずにすんだかもしれない。東京が世界に誇る文化都市になれたかもしれなかったのに。

そう思うともう、クヤシくてならない。でもまあ、一部だけでも保存してくれたことに、ものすごく感謝します。建築とは風景だ。その地で暮らすということは、その地の風景と親しむということなのである。

なので、祖父と孫が同じ風景を共有できないということは、文化の断絶を意味すると思うのだ。建築とは本来、そこに必要だからこそそこに建った訳なので、移築して保存、という考え方は邪道といえば邪道なのかもしれない。

なんだけど、こうもスクラップ・アンド・ビルドという考え方が“社会システム”として永久機関のごとく動き続けている日本という国では、移築保存されているだけでも本当にありがたいと思う。

聞くところによれば、このライトの帝国ホテル、この正面玄関部分すら残さずに跡形もなくぶっ壊されるはずだったのだそうだ。

取り壊しが決まった頃、返還問題で揺れる沖縄で佐藤首相が領土に関する記者会見をした際、一人のアメリカ人新聞記者に「日本は人類の宝ともいうべきライトの名建築を破壊しようとしているが、それに対して何とも思わないのか」と詰め寄られた。その時、とっさに佐藤首相は(秘書に耳打ちされて)明治村に移築保存すると答えたのだそうである。うーん、その記者に感謝だなあ。

で、首相が明言したんだからそれなりに予算が出たのかといえば、結局ほとんど国は金を出さなかったそうで、結果的に予算十数億円のほとんどは明治村が出したのだそうだ。

ほんと、ありがとう明治村。なので皆さん、是非とも明治村に行きましょう。移築されたとはいえ、維持管理には金がかかります。一人でも多くの人が見学に行くことこそ、末永く名建築を残すことに繋がるのですから。

一通り見学した後、建物の裏手にまわってみた。すると、オリジナルの柱の一部が、無造作に転がっていた。大谷石はエッジが削れ、スクラッチタイルは苔が生えている。移築の際、放置されたままになっているのだろうか。不思議なことに、これはこれで妙な美しさを感じてしまうのだった。やはり良い建築はたとえ死しても美しいのだろう。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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by G-Tools , 2009/06/04