わが逃走[52]手作り料理の思い出の巻
── 齋藤 浩 ──

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私は幼児の頃、食事というものに全く魅力を感じていなかった。今では全くもって信じがたいが、食べ物全般が嫌いだったのだ。確かに好物はあった。「餅と赤飯と寿司」。見事に炭水化物、というか米。そして、おめでたいものばかり。あ、別におめでたいから好きという訳ではなく、消去法で決めた程度の消極的な好物である。

それ以外は何を食べても美味しいと感じられず、したがって食事のときも残してばかりで親にしかられた。「今が戦争だったら食べたくても食べられないんだよ」とか「食べないと目がつぶれるぞ」とかいろいろ説教されたというか脅されたのだが、4歳児に「戦争」と言われても自分ごととしてとらえられなかったし、「目がつぶれる」などの恐怖訴求も結局は怯えるだけで、食べようという意思には、結びつかなかったんだな。

ところが、小学3年生の夏くらいからよく食うようになり、小学4年生で食べまくって太り、小学5年生になったら食べまくりつつも体が成長してくれたせいで、普通の体型に戻った。で、この頃になると好き嫌いというものが全くなくなっていたのだ。いったいこの背景に何があったのか。



父は外食が嫌いだった。外食産業に怨みでもあるのか? 何故かは知らないが、外で食べることに激しい嫌悪感を示す。たとえ親戚一同が集まって「みんなで食事に行きましょう」なんてことになっても、父だけ独り家に残って夕べの残り物を食べるという、ひいき目に見ても相当な変わり者と言えよう。

「それはきっとお母さんの料理が美味しいからよ」と大人のヒトたちは言ってたけど、そんなんじゃねえ。あ、別に親戚一同と折り合いが悪い訳でもないのだ。理由は未だ不明。純粋に、ただただ外食が嫌いなだけのようだ。

なので私は子供の頃、家族で外食という経験をほとんどしたことがなかった。そんな訳で、ごく稀に食べるレストランでの食事がものすごく印象的だったというのは、ある。では、いつも食べていた母の料理とはどのようなものだったのか。あえて言うなら、苦かった。

母の作ったハンバーグが嫌いだった。苦いから。私は確かにハンバーグが嫌いだった。あの表面にこびりついた黒い層がガリガリして苦くて嫌だったのだ。でも、よくよく考えると、それって焦げてたんじゃないか?

母の作った海老フライが嫌いだった。苦いから。私は確かに海老フライが嫌いだった。あの苦い衣さえなければまだ食えるかも、なんて思ってたのだ。それにウスターソースをかけて食べると、苦さが増した。私が「苦いー」と言うと父は「苦くない!」と言ったが、あれは絶対苦かった。で、落ち着いてよくよく思い出すと、それって焦げてたんじゃないか?

母の作った酢豚が嫌いだった。苦いから。私は確かに酢豚が嫌いだった。あの苦くて硬い肉さえなければ...なんて思っていた。でも、よくよくじっくり考えると、それって焦げてたんじゃないか?

おそらく母は「息子がお腹をこわしては大変」と、とにかくきちんと火を通すことに専念したのであろう。そういった訳で、私の幼少期における好き嫌いの原因のひとつは「食べ物=苦い」という誤った認識が基となっていると分析できる。その後の人生は、苦くないハンバーグや苦くない海老フライ、苦くない酢豚等を食べる機会に恵まれ、その都度感動していったものだった。

そうこうしているうちに気づけば小学生も高学年となり、成長期に入って急激に体が肉と野菜を求めた。強烈な食欲は苦さなどものともせぬようになり、私も健康な少年となったので、母も極端に火を通す料理を作らなくなったようだ。こうして齋藤家の食卓から苦い料理が徐々に消えていき、私の好き嫌いもすっかりなくなってしまいましたとさ。

おお、なんか自分の食欲の謎が解けたみたいで嬉しいなあ。母の名誉のために言っておくと、彼女の料理は決して不味い訳ではなく、ただ苦かっただけです。今はぜんぜん苦くないですよ。ってフォローになってないですか?

そういえば思い出しました。私が幼稚園〜小学1年生くらいのときかなあ、母の中で「手作りお菓子マイブーム」みたいのがあったのです。もちろんターゲットは私です。もし私がデキるお子様だったら「わーい、お母さんの作ったお菓子がいちばんおいしい」とか言ったのでしょうが、生憎そういうセンスが全くなかったもので、素直に感想を言ってしまったのです...。

◇レディボーデン事件

確か5歳のときだったと思う。幼稚園の同級生だったようこちゃん(仮名)の家に母と遊びにいった際、おやつに今までに食べたことのない凄いアイスクリームが出された。それがレディボーデンだ。

今ではコンビニでハーゲンダッツやら何やら美味しいアイスクリームが選び放題なので、多少昭和感のあるブランドとなっているが、当時としては画期的な商品で、いわゆる50円の"ラクトアイス"がアイスクリームだと思っていた私にとって、その出会いは衝撃的だった。フレーバーはストロベリーだったと記憶している。安っぽい合成甘味料のイチゴ味なんかじゃない上品な香りと濃厚な舌触りに、5歳の私は完全にやられてしまったのだ。

その後、ことあるごとに「ねえー、レディボーデン買ってー」とせがんでみたが、その都度「高いからだめよ」と言われ続けたのであった。

そんなある日。母が「おやつよー。アイスクリームよ。レディーボーデンよ。」と私を呼んだのだ。おお、夢にまでみたあのレディボーデンに再び会える日が来たんだー! 期待に胸をはずませ食卓に向かうと、市販のコーンに盛りつけられたアイスを手渡された。一瞬(なんか違う...)と思ったのだが、気にせずかじりついた。

うっ、マズい。ジャリジャリした食感と強烈な生卵の匂い。あの日あのとき食べた、あのアイスとは似てもにつかない。「うえーん、こんなのレディボーデンじゃないー」急激な期待とその後の落胆との高低差がけっこうなものとなっており、私は号泣したのだった。

それを見た母は、「子供のくせに味の違いがわかるなんて生意気な」と強く、強く思ったそうである。まあ、せっかく手作りアイスクリーム(のレシピを多少端折って独自のアレンジを加えたもの)を作ったんだし、もう少し良い反応を期待したのだろう。だが、やはり素人に、しかも一部の材料を代用もしくは省略して、それなりに食えるもの(しかも、よりによってアイスクリーム!)を作るなんて無理がありますよ、母上。

◇お誕生日事件

母が手作りケーキ(のレシピを多少端折って独自のアレンジを加えたもの)を作った。私が4歳のときだ。ケーキとは美味しいもの、という認識のあったオレだが、硬いスポンジと生臭いクリームを一口食べて気持悪くなり、もういらないと言った。母はいつになく強気で、全部食べて「おいしかった」と言えという。しかし、私は結局全部食べることができず、泣きながら「おいしかった」と言ったのだった。

その数か月後、幼稚園の友達を呼んで、私の5歳の誕生日のパーティを開いてもらうことになった。その話が出るや否や私は「お母さん、ケーキは作らないで、買ってね。」と言った。それを聞いて母は二度とお菓子なんか作るもんかと心に誓ったそうだ。確かにそれ以来、母の手作りお菓子は食べてない。

この話を誰かにすると、みんな「なんてひどいコドモだ! お母さんがかわいそうだ!」と言うのですが、みんな自分が幼稚園に通ってた頃のことを忘れています。確かに周りは4歳とか5歳くらいのガキばっかですが、ガキにはガキの社会というものがあるのです。

パーティに招待しておいてマズいものを食わせたとなるとすぐに噂が広がり、「あいつはオレにまずいケーキを食わせた」と後ろ指をさされながら卒園までのときを過ごさねばならないのです。子供のくせに気にし過ぎだとよく言われたもんですが、それは違うのです。子供だからこそ、注意しないと社会的立場(いわゆる幼稚園における)の失墜を招くのです。子供は残酷だからね。

という訳で、今回はまた唐突に思い出したことをつらつらと書いてしまいました。"子供騙し"なんていう言葉がありますが、あれは大人の図々しい妄想です。なので皆さん、可能であるなら子供には美味しいものを正しく食べさせましょう。可能でないなら、世の中に美味しいものがあるという事実をできる限り子供にバレないよう、努力しましょう。んでは今回はこれにて。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。